Twitterで「#盗撮罪を作ってください」という署名活動のお知らせがまわってきて、しばらく盗撮についてぼんやりと考えました。
考える、とはいっても、まったくはかどりません。こういう件についてはなかなか自分の中にあるものを言葉にできない。時間がかかるし、思い浮かんだ言葉が正しいかどうかも自信が持てません。
そのたびに、ああ、わたしは傷ついていて、それは過去のことでなく、この先もずっと「傷ついている」という状態のまま変わらないのだ、と思います。この先どんなに幸せを感じることがあっても、どこかのパラメータは「傷ついている」のままなのだと(そのせいで幸せに傷がつくってことではなく)。
そういうのをなんとか抑えてうおぉ〜〜と書きなぐった文章があったのですが、
これ書いたのもう3年半も前なんだ!(過去の記事を貼り付けるとき毎回もれなく驚いてしまう)
この文章に出てくる本指名の人[何年も指名し続けてくれて、良い関係を築けていた(と、わたしは思っていた)が、ある日盗撮された]は、その時点で売上でいうとベスト3くらいにお世話になっていた、めちゃくちゃに「いいお客さん」でした。普段の言動もずば抜けてお行儀が良くて、痛い思いをしたこともなかったし、時間がオーバーすることもなかったし、お金は気持ちよく払ってくれるし、サービス外のことを要求されたこともなかったし、趣味の悪い冗談も言わないし、雑談の中で(わたし以外の人に対しても)「悪気はないってわかるけど、よく考えたらちょっと失礼なこと」を口にしたことさえなかった。
これがどんなにすごいことか、同業の人はわかってくれると思うけど、すごいんですよ。密室で自分に微笑みしなだれかかる、お金を出して呼んだ裸の女に対してそれができるということは。
彼のことを考えていたこれまでの時間、身体のくせやプレイの好みを観察して把握し、どうすればもっと喜んでくれるだろうかと試行錯誤を繰り返してきた数年間とその間ずっと抱いてきた感謝の気持ち、自分の仕事を気に入ってもらえていると感じた嬉しさなどが、すべて一瞬でゴミになった、なくなってしまった
自分が持っていた感謝や尊敬などのプラスの感情や、それに根ざした「してあげたこと」がいっぺんに覆されたのはつらかったですし、同時に「してもらったこと」も色を失いました。何年も前に言った、自分でも忘れていたようなことを覚えていてくれたこととか、何が好きか分からなくてと何種類もおみやげを買ってきてくれたこととか、その他ここに書けないいろいろな思い出。
今でもときどき、あの人あんなことさえしなければもうしばらくいい関係でいられたのかな、と思いそうになります。思いそうになって次の瞬間にびっくりする、そうじゃないじゃんって。「あんなこと」をするためにわたしが呼ばれていた、そういうことなのに。
「激太い客が1回だけ魔が差したのをあっさり見つけた」の場合、女の子側の判断で出禁とまではせず引き続き通ってもらう、ってケースも稀にあるかと思います(もちろん並の太さじゃ無理だし、慰謝料とか念書とかちゃんとしたあとで)(あと別の女の子とは遊べなくなったり、まあお店によっていろいろだろうけど)。
でも、わたしが見つけたもの以外にもカメラが仕込まれていたことや、それがすごく巧妙なやり方だったこと、たぶんその日が初めてではなかったこと、過去に他店の女の子も撮っていたことなどを知って、何も考えられなくなりました。
カメラ本体は見せてもらったけど、何と言ったらいいか、えぐかったよ!!思い出すたび頭の中の粗品さんが「いやえぐぅううう!」って言いながらあのポーズをします。事務所に呼ばれて店長から「本当にこの度は……」と神妙な顔で切り出されたとき、わたしはふふ、と笑いました。スタッフの前ではずっと笑ってた。えっやだきもい、やばいですね、とか言いながら浅く座って前を向けず、ただうっすらと笑っていました。
笑っちゃう。盗撮だけじゃなくて、そういうときいつも、どうしても笑ってる気がする。「こんなことになってしまって、ねえ、もう、なんてこと、すみません、迷惑かけてしまって、ほんとに」みたいな顔してだらしなく微笑んでしまいます。被害者は自分なのに、自分は不当な扱いを受けたと分かっているのに。
怒りがないわけじゃないです。怒ってる。すごく怒っているはずなんです。でもそれは力強く燃え盛ってわたしを突き動かしてくれることも、心の奥底にある無数の言葉たちをぐいと持ち上げて大きな声に乗せてワッと吐き出させてくれることもない。ただ鬱々とした顔をして、長い間静かにそっとそばにくっついているだけです。
(とはいえ、これはもしかしたらスタッフが比較的「わかってくれる」人たちだったからかもしれません。このくらいのことで…というムードでいられたら、もっと態度を硬化させると思う。周りが一応気を遣ってくれて一応のするべき対処をしてくれるから、怒って泣きわめかずにすんでいるということなのかも)
あれは2017年のことで、まだ条例の改正前です。それまでにわたしが遭った盗撮被害の中ではかなり大ごとにはなったものの警察に介入してもらうことはできませんでしたが、(東京都では)翌2018年にホテルでの盗撮が規制の対象になりました。それまでは、公共の場所や公共の乗り物で起こったことでなければ取り締まってもらえなかったんです。
ときどきTwitterで盗撮の話をすると「そんなのは警察を呼んで逮捕してもらえばいいだろう」といった言葉をかけていただくことがあり、そのたび心の中だけで「無理です」と返事していましたが(実は犯罪にならないということを知らしめるのは気が重く、かといって無理とだけ言えば「風俗だから警察呼べないんだ、自分たちも犯罪してるからか〜」などと早とちりで誤解するような人がいるから)、それがやっと変わった。
でも、条例の文章が変わったことで実質的になにかが変わったかといわれると……変わったような気はしません。
条例改正後にも普通に何回か被害に遭っているわけですが、何もかもが相変わらずです。
公務員や、あろうことか警察官が風俗店で盗撮して逮捕、というニュースも時々流れるようになりましたが、だからといって「逮捕される可能性がある」ということが抑止力になったりなど、少なくともわたしの実感では全然、少しも、1ミリもありません。堂々と警察を呼べるようになったかと思いきや呼んでくれるお店は多くないし、呼んだからといってかならず逮捕に至れるということもないし、こちらの気が休まるような結果にもなりません。
(同業の女性のツイートを見ていると、「こういうことはあるってあなたも分かってたよね?」といったお説教……それか慰めてくれてるつもりなんでしょうかね、そういう言葉を警察官からかけられている人もいます)
加害者の多くはスタッフもしくは駆けつけた警察官にペコペコして「家庭が」「仕事が」ばかりを何度も言うので、わたしは透明人間の気分を味わいます。
3年半前と同じです。
ひとつだけ変わったかもしれないことは、示談金の相場がやや下がったような気がすることです。これは個々の加害者の収入額にも左右されるものだから、気のせいかもしれないけど。
(性犯罪全般に言えることかもしれませんが)調べれば調べるほど、加害者に有利にできているって思わされます。もう圧倒的に有利。よく言われている「人生終わるぞ」は嘘です、『盗撮に強い弁護士!』みたいなものを見るとつくづく分かります。ほんとうに人生を終わらせてやりたいわけではないのですが(それはそれで荷が重いというか、精神の負担になるので)、社会的制裁の弱さに暗鬱な気持ちになります。結局は「見つかった、というショック」程度しか、与えることはできないのです。
いいかげん変わってほしい気持ちと、さっぱりなにも期待していない本心とが混ざってぐちゃぐちゃしているのですが、でも、盗撮罪の創設を検討する動きがある、署名を立ち上げてくれた人がいる、ということには素直にほっとします。
つい仕事中のことを考えてしまうけど、盗撮っていつでもされる、誰でもされることなんだもの。電車だって路上だって職場だって、どこでも起こることです。思い返せばわたしだって、生まれて初めて「こっそり写真を撮られる」ことを意識して恐怖したのは、学校の中でした。
それってとんでもないことですよね、本来は。
(学校はホテルと同じく、規制の対象外だったんです。そして教師が犯人の場合、建造物侵入罪にも問えないのでどうにもできなかった。びっくりします)(これは東京都の話で、今でも対象としていない県はあります)
ぐちゃぐちゃの中でまだはっきりとしているのは「誰もこんな気持ち知らなくていい」という思いです。こんな気持ち、の内訳を具体的に述べるのはとても難しく、正体が捉えづらく、でも、これを力任せに練りあげて煮詰めればきっと「死にたい」と見分けがつかないほどよく似たものになる。
そこでふと、あの人も死にたいなどと思っただろうか? と、絶対に思わなくていいことを思います。掲示板とか知恵袋とかにいる悪事がばれた人、そう書いてるから。人生終わった死にたい、という定番のあれを、ごく一時的にでも彼も思ったでしょうか。何もかも向こうが勝手に起こしたことなのに、わたしにバレたということがあの人に少しでも影響を与えただろうか、どんな風に、などと思うとどこか落ち着かないのです。店長が「何かに使うとかじゃなく癖になっちゃってる感じがした、あの人はまたやるかもしれない」と言っていたのを思い出して、今ごろどうしているんだろうな、とぼんやり思うのです。一瞬、どうかな、6秒くらいだけ。
もしわたしが彼の人生を少し変えてしまっていたとしても、どうかそれはいい方に変わったのであったらまだいいと思う。髪の毛掴んで蹴り倒してやりたい気持ちも消えたわけではないので、同時に思っています。これはきっと高望みでしょうが、完全に克服できていなくても、せめて闘うことを選んでいて、そのうえで過去のこと、過去におかした罪になっていたら、と。わたしの方は過去になっていないんだけど……でも、ましであってくれ、というのもたぶん本当の気持ちです。だってそうでなければ、ひどく気持ちが悪いから。
そんなことを6秒のあいだ強くぎゅっと思い、そしてまた忘れます。ずっと覚えているのは、もっと気持ちが悪いから。