おはなしノート

小さな暖炉の前の椅子

ここを読んでくださっている方にはそろそろおなじみ、2014年末のできごと について、当時から尽力してくださっていた方々とお話する嬉しい機会が最近ありました。
いろいろと心の中のものを書き出したのでよい整理になり、ログが流れていくのがもったいないのでここにまとめておきます。

今になってはたと思い至ったのですが、あのとき誰が何をしてくれていたのか、というのが、当時のわたしにはほとんど見えていなかったんです。何らかのかたちで動いていると把握していたのは自分以外にもセックスワーカー(引退後の方を含む)が多く、そのため当事者だけで矢面に立っているかのような心許なさは大きかった。じきに精神的負担の大きさに、もう無理!となり、もっと知りたいことはあるけれど、もう無理だな、という状態でわたし自身はいったん区切りをつけました。それでよいのだと言い聞かせる他なくなった、というか。

アクションを起こしてくださった方がいたことは、知っています。ただ、その後どうなったのかを知る機会がなくて。「知りたいし、言ってくれて大丈夫なので教えてください」とどこへ申し出ていいのかも分からないまま時間が経ってしまったので、それはちょっと気になってはいます。

いま初めて言うことだと思うけど、当時大きなメディアの取材も受けたんですよ。ただ、質問の問いの立て方がもう完全にズレていて(同じ女性としてどう思いますか?とか……)、つくづく悔しくて、一度は断って、でもどうしてもって真剣にお願いされて、そうかここからひとつずつ説明していくしか道はないのか、と思ってできるだけ答えた。絞り出して答えました。これでもけっこうがんばってたんだよー!
……あれは、どうなったのかなあ。実はわかりません。それきり連絡をいただいていないので。

そんなこんなで、あのときのいろいろは確かにわたしからいろいろなものを奪ったのだけど、せめて学んだことというのもいくつもありました。

 

【セックスワーカーへの中傷にもいろんな背景がある】
【それぞれに真意があり、その裏には苦悩がある(こともある)】

性的なアイコンだから、スキャンダラスな存在だから、指をさして蔑んでも世間から非難されにくいのでストレス解消にうってつけ。そういう理由で指をさしてくる人はいて、比較的見えやすい遭いやすい脅威です。だけどそれだけじゃない。
確信を持って「あなたがやっていることは犯罪(※)だ、犯罪者としての自覚を持て」「あなたのような邪な人は社会にとって害悪なので発言するな」と言われることもありました。わたしがひとりの人としてなにかを主張している、まわりがある程度それに耳を傾けている、それは異常事態であり、世の中の秩序を乱していると。彼らの心を乱しているのは「世の中が風俗嬢をひとりの人間として扱うこと」や「性風俗業があること」そのもののようでした。わたしの発した言葉の内容については、あまり関心がないように思えたのです。

性産業に直接関わっていなくとも、それに対する気持ちによって苦しんでいる人がいる。知ってはいたけれどはっきり目で見た、自分に向けられる形で。その経験は重かったです。

(※……この指摘は正しくありません。わたしの仕事は派遣型性風俗店のコンパニオンですが、これは犯罪にあたらないものです。様々な業種の中には現実には違法行為(≠犯罪)とされる可能性を含むものも一部あり、しかしわたし自身は業務の内容によって働く人の権利の部分に差がつけられるべきではない、たとえば所属する店が適法だと証明できた人だけ職業差別から守ってあげましょう、とかそういうのは変だよと思っています。ただここでは「風俗店に勤務すること=犯罪」という認識は誤りである、ということだけしっかり記させてください)

この社会にセックスワーカーがいるということ自体に居心地の悪さを感じたり、「私もあなたたちと同じ人間です」と主張する姿や、それが一定の理解をもって取り合われているさまを見て耐え難いにくしみを抱かされる人、ばかやろう調子に乗るな死ね売女(一句詠めました)、と思わずにいられない、言わずにはいられない人というのが確かにいて、一緒に生きている。同じスーパーのレタスの山に手を伸ばしているし、同じ自動改札にピッてしてる。
それはわたしとしてはひたすら怖いことですが、納得もしました。
むき出しの悪意を侮辱的な言葉にのせてぶつける行為自体は嫌悪しつつも、その苦しさ(わたし自身は未体験のものなのに)自体はまるっきり分からないわけではない、そんなふしぎな感覚がしました。
たぶんそれは、そういう憎しみを形成したもの、個人にもたらしたもの、植えつけたものの正体をわたしもなんとなく認識したことがあるから……ではないかと思います。
それらはムクムクと伸び縮みしながら常にわたしたちをまとめて包もうとしますね。

救ってあげたいだとかそんな図々しいことは決して思えないけど、ただその苦痛がせめて無関心になれば楽になれる人がきっとたくさんいるのかもしれない、とは思ってた。
かといって、わたしにできることは何もないのです。悪意から適切な距離を取るための努力だけでいっぱいで、向き合うことはできない。いちいち紐解こうとすると、目の前にある日々の仕事に「やりづらいなー」って気分になってしまって支障が出ちゃいそうで、それがとてもいやでした。

わたしにとって大切なことは、自分の前に来た人になにか少しいいものを持って帰ってもらうこと(ほわっとした言い方ですが夢いっぱいなイメージではなく、まあそういうことにしておくと個人的に業務がやりやすいのです)。だけどお客さんにも色々な人がいます。有料で性的なケアサービスを受けるということと精神的な折り合いがつかず、性風俗を憎悪しながら性風俗を利用する人も中にはいますし、そこで出会ったコンパニオンの身体はすべて自分の自由にしてよいものと勘違いしている人、わたしのことをなぜか生きている人間ではなくオブジェクトだと思っているかのような危険な人も、稀にはいます。
最大限に身の安全を考え、警戒をしながら、それらをきれいな仕草で完全に包み隠すこともしなくてはならない。その作業に、「これは悪意を向けられて当然の仕事」という意識はものすごく、じゃまです。忘れたふりをしなくてはなりません、けっこう大変です。でも客となった人に精いっぱいのことをする、その人の心身をできる限りかけがえのないものとして優しく扱う時間をつくる、それでしかまた自分の自尊心みたいなものも守られないのです、わたしは。そのためにはやはり、まず自分の心を守らなくてはいけない。

だから、これ以上はやめようと思ってやめました。矢面に立たされたことは仕方ないとして、いつまでもそこにいることないですし、いられないと思いました。もっとできることがあったのでは?と漠然と悔やむ部分もありながら、しかし間違っていたとは思っていません。

……でもね。
でも、問題からうまく距離を取って、矢面からせめてもの安全地帯に退避して心身を守るというその大切なこと不可欠なこと、それって、加害する側のものにとって、とてもとても都合がよいんですよね。静かであるということが、許されているということになる。問題ないものになる。だって誰も文句つけてこないけど?ということになる。正しいということになる。
もともとの関係が対等じゃないから。

 

【では侵害に疲れて抗議をしないでいると、なにが待っているか】
【そこにもまた侵害があるだけ】

それを心底思い知らされるような出来事が、昨年(2016年1月)ありました。たくさんの方が指摘していた通り、これらの件は地続きの問題を含んでいると思います。もうね〜悲しいとか悔しいとか腹が立つとか、そういうののもっと上の言葉はないのかよ!いくつか作っておいてよ昔の人!!ってくらい悲しくて悔しくて腹立たしかったです。
今もです。
(この事件のことです – Don’t exploit my anger! わたしの怒りを盗むな

矢面地点からそっと逃げて茂みの陰ですり傷をなめてたら空から巨大な爆弾が落ちてきたぞドーン!みたいな衝撃でした。おっとわたしがメソメソと傷ついていたあれはいま思えば竹でできたほっそ〜い矢みたいなものだったな!ってなりました。なんにしてもライフがひとつ減ることに変わりはないんですけど。矢でも死ぬもんね、人は。

 

【専門家への期待は、かなわなかった】

美術館に問い合わせをしたとき、そしてその内容を公開したとき、わたしの心の中には「無知な自分が問題提起をしていいのだろうか」という不安とともに、それを振り払うだけの期待がありました。
こんなことが起こった、困ったことになった、どうしたら……という声をあげれば、んーなんて書くのが正しいのかな、その道に詳しい人たち、専門家の人たち——つまり、普段のお仕事で人権問題や性差別や写真芸術や諸々を取り扱っている方が、その知識でもってなにかヒントを示してくれるんじゃないかって。
わたしはなにも判断ができない、主観による主張しかできない。だけど、セックスワーク当事者にとって切実なこの恐怖や不安を、そうでない人にも想像しやすいように具体的に表現することなら少しできる。「取っ掛かり」になら、なれる。そうすればきっとそれぞれの専門知識がある人が具体的な説明をしてくれて、そしてわたしを含めた大勢の人が新しいことを知り、考えることにつながる。だったら最初の取っ掛かりとなる価値がきっとあるはず。そう思ってた。

でも、そうでも、なかったんですよ。何ひとつ全くなかったとは決して思わないです!でも、思ったよりずっと少なかった。
特に芸術に関わる立場の人(仕事にしている人とか、愛好している人も)が、アートの名誉と言えばいいかな、そういうものを守るために何か話してくれるかもしれないって思っていたんです。人が嫌がることでも何でも芸術と言いふらせばオッケーさ、という考え方ですべてができている業界だと思わないでくれ、という話になるのでは、って思った。
でも、思ったほど、そうでもなかった。
これはわたしが勝手に期待していただけのことで、そうならなかったからといって仕方のないことです。しかしそれだけで済ませてよいものかどうか疑問が残っています。

《わたしの予想に反して彼らのところまで届かず、リアクションを得られなかった》では、ないからです。リアクションはあったのです。

まず聞こえたのは「あの人(ことの発端となったアーティストたち)はそういう人だから仕方がないだろう」というたくさんの声。中には「仕方がないだろ(笑)」というニュアンスのものも見られました。

それって、本当にあの写真を撮った人やワークショップを企画した人が「あの人はああいう人だから、いくら我々が議論をしても無駄骨になるだけだ」と思われていたんじゃなくて……外野から波紋を起こされようとその内容が「セックスワーカー?とやらの、なんか知んないけど人権とか?について、なんやかんや言われてるらしいわ」なら、放っておいても大丈夫、というのに近かったんじゃないかなと思ってます。
脅かされていない名誉は、そりゃあ守る必要ないですよね。だから起こったことを見るよりも先に「ほほう、セックスワーカー自身がみずからの人権を主張する世の中になったとは時代も変わったものですな、興味深い現象ですな」みたいなことを言う人すらいたんだと思う。アートの名誉を守るために自分で動き話すより、その方がかっこ悪くないということなのかな。

そして「いちいち被写体の許可をとっていたら写真表現自体がダメになる」「『倫理的なことを言っても通じない』ことを芸術と呼ぶのだ、認識を改めろ」という意見もありました。後者は美術家の方から直接わたしに向けて届けられた言葉のひとつです。
さびしかったです。それで、ああ、わたしは何か期待をしていたんだな、と思って、もうやめよう、二度と自分以外に期待なんかしない、するもんかい、ってちょっと思った。
(すぐやめたけど。それは自分だけでもそこそこのことができる見込みのある人が言うことだもんね。わたしは誰かと協力しないとなんにもできないので、やっぱりこれからも相手を選びながらちょびっとこっそり期待はしそうです。だめなら落ち込み、かなえば喜び、で生きていきそうです)

 

【終わった話、にならない理由】

わたしはメールフォームをオープンにしているので時々おたよりをいただくんですけど、あの件に関して何かを書いてくれる人が、まだ、いらっしゃるんですよ。2016年でもまだいくつかいただきました。そしてそういうときって必ず「終わった話を蒸し返して申し訳ないんですが」って書いてくれてるんですよね。ふふ。
やだー終わってないよ!!あなたがあなたの中に生まれたことをそうやって書いて、わたしに送ってくれたって以上、それが続いてるってことそのものだよ。っていつも思ってます。蒸し返してわるいかな、なんて思わないでください、大丈夫です。ずっととろ火がついてるのでいつでも蒸したてふかふかだよ。

わたしのツイッターをずっと読んでくださってる人はぴんと来ると思うのだけど、昨年の春には、社会学におけるフィールドワーク、の名でひどいことをしたり書いたりされたこともありましたね。あのときメールくれた人もいた。わたしがリプライを送って、お返事してもらえなくて、それを見ていてくれた人。何も出来ないけど確かに見ました、と言ってくれた。
ありがとう。あれうれしかったです。
それから、わたしの文章を読んでいるうちに「突破口が見えた」って書いてくれたひともいた、これはもううんとうれしかった、セックスワークを考えるにあたっての誠実な姿勢が文面から伝わってきて、本当にうれしかったです。自分を疑ってくれているあなたをわたしは信じます。思いがけずこんなところでお返事してごめんなさい。

そりゃあ……「終わった話」にできたら、すごくいいですよ。そういう時代がかつてあった、まともに話も聞いてもらえなくて当然なころもあったのよ、って昔話にできる日がくればいい。でも今は、そんな景色はとても見えない。

つい最近になって、東京都立写真美術館の方とお話する機会を持ってくれた方がいらっしゃいました。
お話してくれた学芸員さんによると、写真家本人から美術館に対し、謝罪の言葉があったそうです。そしてそれは美術館に対する謝罪ではなく、この件で不快に思った方全体に対する謝罪であった、と。
ならばなぜその「全体に対する謝罪」を美術館に向かって行うのか、わかりません。今日までわたしが知らずにいたのかと思っていちおう探してみたのですが、ご自身のブログで一度釈明された文章以外には見つかりませんでした。
たぶん、なにがまずかったのか、どういった点が批判されてしまったのか、今でもはっきりとは認識されていないんじゃないかな、でも形式的にでも謝らないとまずい状況に追い込まれてしまったのかも、と個人的には思っています。
わたし自身は彼から謝ってもらうべき者ではないので、「あやまるまでおこるぞプン!」みたいな気持ちではない(そう思ってる人もいそうですが、ちがいますよ)ですし、仮に彼が認識を改めたとすればすべてが解決するかというとそれも違います。そういうことでも全然ないです。
(まるっきりどうでもいい、ということではなくて、一部のエリアで失われたかもしれない彼の名誉や信用がこの先挽回される機会が全くなくてかまわない、というふうには思っていません)

ただ、このままだと別の人たちによって同じようなことが何度でも起きることは十分考えられるし、それを避けようとして短絡的な方向に向かう(たとえば性的なニュアンスの濃い作品がとりあえずやたら疎まれるとか)(セックスワーカーの存在を単なるめんどくさいタブーとして隔離するとか)(権威のないアーティストたちが理不尽な制約を課されるとか、いろいろ)のはいやだな、とかは思っています。

わたしにできることがまだあるのかどうか分かりません。
でも、ちょっとあるかもしれない、と思いながらずっと考え続けます。こうしてブログに書くことも「これにて終わりです」とはずっと言わないだろうと思っています。セックスワーク自体をいつか引退するとして、それで終わりにもならない。
そう、本当は終わりにできたらいい、だけど、いまは終わらせるわけにいかない。終わらせてなんかやるもんですか。
いつかのいつかには本当に終わらせなくちゃならない、そのために、わたしたち(って言ってもいいよね?)は続けます。
探し続けます。
細々と、しつこく、できるだけ明るく、できるだけしぶとく。あなたにもいつでもきてほしいです。胸から抜いた矢を暖炉にくべてお待ちしております。とても小さな部屋ですがなぜか無限に椅子が置けます。おやつにお芋も焼いてます。

2017-02-23 | カテゴリ: おはなしノート, まじめなはなし | |  

 

まーた指の混ざりの話かよ

またフィクションの指と仕事の話ですみません。こんなことばかり考えているもので。

去年『逃げ恥』のキスシーンがちょっと話題になったことがあった。
恋愛経験がまったくない男の人が、感極まって衝動的にしてしまうキス……という設定の場面なのに、相手役の女優さんの手に重ねた指が動くその様があまりに情緒的で、「これは女性に慣れたモテ男でなければできない芸当なのでは!?」「演出ではなく、演じている人の素の部分が出ているのでは!?」って。

それをきいてノコノコとTverでそのシーンを見ちゃったんだけど、

ああ、うーん、でも、全体的に不慣れでぎこちなくて、てんで分かってなくてヘンテコなこともたくさんやらかして、だけど本人もそれを重々承知しているから謙虚でいてくれてふたりで目的地を探せる……って感じのお客さん(たまにいます)が突然自然で滑らかでこっちがびっくりするような動きをひとつだけ(ひとつだけです)すること、ある、あるよなあ——

って思いました。それで(あれれー?)と思って「今のもういっかいしてよ♡」って言うと、ちっとも再現できなかったり、それどころか本人はまったくの無意識で、なんのことだかも分かっていなくて二度とできなかったりするの。

その一瞬は確かにたった今ここに存在したのに、もうわたしの記憶の中にだけ閉じこめられて誰も永遠に取り出せない。そしてわたしも時間がきて退室すればあっけなく忘れてしまう。忘れてしまったけど、何度もあった、何度もこんな風に触れてもらったんだってことは覚えてる、知っている。それ以外のすべて、相手のこととかは、きれいさっぱり忘れてしまったけど。

そんなふうに思うと、あのキスシーンも案外リアルな気がしてきて。とめどなく恋する気持ちが溢れてあなたも私を好きになればいいのにと大それたことを堂々と神様に願うように挑戦的にも見える、でもただひたすら小さなものを消えないでくれと祈り愛おしんでいるようにも見える、不思議な指の動き。

演技の一環なのか、それとも誰かが言ってたみたいに俳優さんの無意識の仕草なのかはわたしはちっとも分からないけど、あの繊細な指の動きとキスの切羽詰まり感とのギャップ、けっこう好きでした。

そこまで考えて、ああ、こないださんざん書き散らした「ヴィクトルさんの指の動き方めっちゃヤバくないすか!?」っていうの、あれは絵だから「無意識のうちにそう動いてました」とか「なにかのタイミングで偶然そういうふうになってました」あと「役者さんがたまたまこういう体格だったからこうなりました」っていうのはないってことか、いつでも描いた人の意図がそこにあってそうなってるんだよね、と思ってしばらくポヤ〜ンってなってました。わたしの気づいてないこと、意図した通りに受け取れていないこと、いっぱいあるんだろうな。意図したのときっと全然ちがうふうに興味を持ったことも、いっぱいあるし。こないだのティッシュの話とかほんとひどいよね。

 

去年読んでとてもおもしろかった本のひとつに、『触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか 』(デイヴィッド・J. リンデン著)があります。
五感の中でちょっとあとまわしにされることのある「触覚」について、あれやこれやとことん語る本。皮膚、神経、脳、かゆみ、痛み、熱い冷たい、錯覚、それから、性的な感覚のことも。触覚に関する話題だけで埋め尽くされた1冊だった。もしかしたら仕事の参考になるかも、という下心で読んだのだけどこれが本当にためになったの。

わたしたちの皮膚にはいくつかのセンサーがあり、それぞれ振動してるだとか、引っ張られてるだとか、そういう刺激を感じ取っては信号を脳に伝え、わたしがボケーッとしてる時も絶え間なく仕事をしてくれているのだけど、「誰かに触れられて、心地よい」の信号を送る仕事専用のセンサーがあるんですって。人と人とがふれ合う(セクシャルな意味合いを持ったふれ合いだけじゃなくて)こと、そこにある感情のトーンを読み取ることに特化したセンサー。
このセンサーが作動する触れ方には決まった条件があって(第3章に書いてあるよ)、優しく触られた、って検知しないと動かないのだけど、それを満たしていると

〈実際に触られたときだけでなく、映画などで誰か他人が触られているところを見た場合にも、同じ形で作動する〉

んだそうです。きゃっ。なんか、ファンタジーみたい!でも事実なんだよね。皮膚ってすごい。人間の身体ってときどきこんなにもロマンティック。

 

ティッシュの話の時に書いた「ただの『よく動く性分の人』には見えなくて、エレガントで余裕があって、惜しみなく分け与える感がすごくて」「歩み寄りと慈しみに少しのお誘いが乗っかったボディランゲージ」っていうの、あの感動、あれはたぶんわたしのセンサーが働いたんだよね。たしかに条件を満たしていると思うんですよ、ヴィクトルがユウリくんに指で触れるときの動き。うわあ、絵でもいいんだ……!!
心地よさが脳に伝わる条件を満たしていて、なおかつ見たときに美しくて、あとは表情とか声のトーンや言葉の組み合わせが行き違わなければ「少なくとも自分の肉体がいま、目の前の他人から大切なものとして尊重されている」っていう難しいメッセージ(そう、難しい、これはコマーシャルセックスだと途端にとても難しいのです、そのことがわたしはいつももどかしいけれど、個人の努力では太刀打ちできない大きな壁が世の中にある)を伝えるのにきっと適してる。

シンプルにわたしもそんなふうに触れられてみたいっていうのもそうだし、その触れ方をしてあげられたらきっと心地よくたのしく感じてくれるだろう人に心当たりがたくさんあった。
もっと素敵な気分にしてあげられるかも、もっと安心感をもたらしてあげられるかも、お金でサービスを買うことになぜか貼り付けられた後ろめたさを軽減して楽しいギブアンドテイクに感じてもらえやすくなるかも……そういう希望が生まれたんでした。
だから「もっと近くでちゃんと見せてほしい、わたしもできるようになりたい」って思って生まれて初めてアニメーションの中の人に憧れたんだと思う。いますぐ弟子入りしたい!先生!おカバンお持ちします!しかしヴィクトル師匠のおカバンはとても持てないほど数があった上におそらくカバン本体だけで目から火が出るほどの金額、さらに何よりお弟子さんの枠は埋まっていることが明らかよね。知ってる。だから自分なりに見て学んで応用して(そのままだと派手だし、あとなんといっても彼の身体は絵なので手の屈折腱とかの仕組みがわたしとは違う。薬指だけを自由に動かすこともきっとできる)(うらやましすぎる)、少しずつ日々の仕事に生かしています。フィクションからヒントをもらうことは今までもときどきあったけど、こんなに楽しいのはひさしぶり。

とはいえ憧れ方がちょっとこじれているし、好きなキャラクターがわたしたちの仕事と関連づけて?観察されてるだなんて聞いたらこころよくは思えない人もやっぱりいるかもしれないから、あんまり言っちゃいけないか、いけないよね……っていうのも、いちおう、気にはなります。なのでせめて作品名の表記とかちょっとうやむやにしてる……。

でも「なにそれおもしろい」って思ってくれる人となら、ちょっと隠れてこそこそ話したいなあ。
いつかどこかで話せるときがくるかしら、いつか。noteとかに書けばいいのか?

とりあえずね、最終回の前にみんなの自律神経がおかしくなって見ず知らずの女の子たちと「細かいことはどうでもいいからちょっとみんなで励まし合わない?」って息切れしながら手をつないで走ったあの感じがいま振り返ると楽しかったし、なかなかなれない気持ちを味わわせてもらったので、本当にもうなんとお礼を言っていいかわからないのではい黙ってブルーレイを買います。師匠がいつまでもその魔法が使える手をお怪我されませんように。なにを言っているんだわたしは。手で滑る競技じゃないぞ。根本的ななにかが揺らいできたのできょうはここで終わります。

 

追記・
ガチ恋全開嫁になれ要求の激しい客から突然「君にとってオレはどういう存在なんだよ!?」と壁際に追い詰められて絶体絶命のときに「そんなの気持ちの問題だから言葉になんかできないよ♡佐藤(仮名)さんてそんなこと考えながら私を指名してたの?他のお客さんとちがう感じしてたけど、やっぱりおもしろいね♡」って言って応急処置したことある人きっと100万人いるよね。

2017-02-11 | カテゴリ: weblog, たわいないはなし | |  

 

白い小鳥が飛び立つみたい(なんじゃないかなと思ってる)

ああああああー!仕事納めたああああああ。今年は年末が特に忙しく、っていうのは仕事量が多いというよりも内容がせわしないというか、やれやれな案件が多くてまいりました。ストレスとカレンダーが追いかけてきたよ。
今年最後の客なんてベッドの上で「気持ち悪いよ〜吐きそうだよ〜つか吐く〜〜」と言い出して修羅場だった。これは一大事だと思ってあわてて上体を引っ張り起こしバスローブを着せて今日の体調やらさっき食べたものやらを訊きつつお手洗いまで連れていって背中をさすったりものすごく気を遣ったのに、しばらくしたら治まったらしく途端に「ねえヤラせてよ〜俺入れなきゃイカないよ???」とゴネ始めしかし吐き気騒ぎのせいで残り時間3分だったんだけどムカついた拍子にわたしもちょっとヤケを起こしてしまい秒速で抜きました。フルスロットルハンドサービスでした。
そんでもうシャワー嫌だ〜って言いやがるからひとりで浴びて、荷物とか心配だからマッハで出てきたらその短時間で床にデロ〜ンと広がって寝てやがった(全裸)。死んじゃっても知らないから!ってたたき起こして布団でくるんだ。写真撮って部下にバラまいてやろうかと思った。やれやれだよ。
ノロウイルスとかじゃなくてよかったよねえ、ほんとにさあ。絶対あの人なんにも覚えてないだろうな。死んじゃうどころか長生きするわ。

ああ〜もうなんもしたくない〜家にこもってデトックスしたい。アタマの中のごちゃっとしたいろんなものをひとつにまとめてどっかやってしまいたい。出かけるのもめんどくさい。なんか去年もそんなこと言ってた気がする、たぶん言ったよ。「今年も残すところ……」っていうのが年々身にしみなくなっていきます。10月初旬くらいの感覚でいたら突然クリスマスツリー見せられてびっくりしたもん(それももう1ヶ月以上前の話)。
とか言っていたらちょうどツイッターで「ねえ10月からスケートのアニメやるみたい……珍しい題材だし観てみようかな〜忘れなければ……」って震えながらつぶやいているお嬢さん方がいたのでiPhoneを握りしめて共感の涙を流しました。

ほんとリアルタイムで観ておけばよかった……!
年末に時間ができたらまとめてみよっかなー、なんて思ってたわたしはバカでした。
いまはマミさんだけでなく友達にも愛好家がいるので(ぐじぐじ言ってるわたしを見てあわてて一気に観たらしいウケる)、LINEやなんかで一緒にぐじぐじ言うんですけど、リアルタイムでキャッキャできなかった過去の自分たちを悔やみ責めるとともにその心の穴を埋めようとさらに全力でキャッキャしています。取りこぼした青春への執念がすごいお年頃です。
あのね、こんなことをあんなにファンのいるキャラクターについて言っていいだろうか。
わたし、ストーリーとは別に、ずっと密かに心のすみっこ〜〜の方で気にしてたことがあって。
「ヴィクトルがティッシュペーパーを取るシーンが出てこないかな……」ってのを……ずっと……。

もう遠くなってしまった昔、あまりに初心者で何もできないのでみっちり講習を受けたとき、講習員さんからめっちゃ指摘されたのが「ティッシュの抜き取り方」だったんですよ(他にもまあいろいろ言われたけど、目からウロコだったので特によく覚えてる)。おはずかしい。
自分の手のビジュアルってわりと好きで、客観的に見ても手/指/爪の形のバランスはなかなか整っている方だと思う(あとよく反って柔らかいところも気に入ってる)のでうれしくってお手入れも日々楽しくやってるんですが、ああ、確かにティッシュの取り方は美しくなかった。たかがティッシュ1枚取るのにものすごく一生懸命引き抜いてるように見える動きをしてた。

ティッシュ取るときってって基本「ああよかったなんとかできた」とか「時間大丈夫かな」とか「あっやばいシーツ汚れちゃう」とか、安堵だの焦りだの考えることいっぱいだから、気ィ抜いちゃうっていうか気が回しきれなくて。でも、見られてるときは見られてるし、そのティッシュってお客さんを直接ケアするのに使うものだから、そこを雑にしちゃうとそのまま「雑に扱われてる」って印象を与えかねない……からもったいないわけなのです。

しかもほら、その時間っていちばんお客さんがカッコつけられない場面だし……ね。

ユーリonこおりに出てくるヴィクトルさんという人は、とりあえずすごく美しくて格好良くて魅力的で、世界中からあらゆる想いを寄せられもはや浮世のものではないような人……として最初は(…最初は)現れるんですが、絵だけじゃなく動き方がとっても綺麗なキャラクターで。身体の先端部分、指先とか髪の毛先とか、くちびるの端、それからまつげの先、そういう末端の部分の動き方がすごく繊細に作られているのか、ああこういうとこを見てたらいいんだ、作っている人の込めてるメッセージがいっぱいあるんだな、って素人のわたしでも思うくらい、情報量がすごいの。
それがただの「よく動く性分の人」には見えなくて、エレガントで余裕があって、惜しみなく分け与える感がすごくて、もし自分に向かって何かの動作をされたらそれだけで感動してしまうような、キラッとしたなにかが身体の先端からほとばしって見える人なんですよ。同時に愛嬌もあって、ちょっとだけ困らせてみたいような雰囲気も持っているんだけど、そんなことした瞬間に澄み渡っていた空から突然雷が落ちて二度と太陽は輝かずに地球は氷河期に突入するのでは?(実際には人の心の機微にうとい酒グセのわるい子がやってきて暖簾をヒョイするだけだって知ってます、ええ知ってます)
もしかしてアニメーションの中のグッドルッキングヒューマンってみんなそういうものなの?わたしが知らないだけ?
だって表情や仕草を作ってる人と言葉の内容を作ってる人と実際に声を出して演技してる人がぜんぶ別の人なんですよね??すごくない?なにこれ?

だめだこの調子で書いてたら3日ぐらいずっと言ってるわ。えっと、それで、ついつい「この人はどんなふうにティッシュを引き抜くんだろう……いや、引き抜くようには引き抜かないかも、もっと羽根のようにフワンと取るのかも……」とかなんとかね、ほんわり夢を描いてしまった、というわけです。彼が自分のために引き抜いてくれたティッシュ、絶対ティッシュに見えないし最高級シルクに見えるし、いや天使のため息を織り上げたヴェールに見えるしそのままジップロックに入れて持って帰りたくなるよね?と……。
ああ、何を言っているんだわたしは、なんだこの罪悪感は。よりによって仕事いそがしい12月に観ちゃったから……ヴィクトルごめんね……夜の業界に染まったわたしの眼をゆるしてくれ。。

だから、だからね。。第5話でね、あのかわいいカバーのついた箱ティッシュを持ってきたときはもうね。「きゃああああああああああ♡(鼻血)」てなったんです。なっちゃったんですよ。すみません。うわ夢叶っちゃったじゃん!と思った。
でもとうとう最後までヴィクトル氏がティッシュを取るシーンは出てきませんでした(……よね?いままぶたの裏に浮かぶこれは本編ではなく妄想よね?)。続編が待たれる。わたしの錆びついた接客技術に気合いを入れてくれないか。

君は素敵だよ、大好きだよ、一緒にいよう、僕のこと好きだよね、大丈夫だよ、知ってるよ、信じているよ、ここにいるよ、もっと上に行こうよ。
そういうことを身体、顔とか指とかで言うんですよ……すごいな……いいなー……。
わたしももっとできるようになりたいよそういうの。
言葉で言うとかわりになにかが失われちゃうときも、あるし。言葉で言ってもらうより、言われた人が素直に自信を持てる気がする。
それから、言葉で言うと無期限にそうだってことになるっていうか、保証つけないといけなくなっちゃう、っていうか……身体で伝えたことは、そのときそこにいたもの同士がその瞬間に共有するためのものにも、できる。明文化しないぶんいろいろ自由。そんな感じがする。
(そのせいでややこしくなる場合も多分にあるとは思いますが……)

お客さんにいくら好きだの愛してるだの言われてもしょうがなさすぎるし、「シーナちゃんは!?シーナちゃんはどうなの!?」って返事を求められるとすこぶる厄介この上ない。あと危険。でもたまーーーに「だいじょうぶだよ、いまはわたしあなたのことだけみてるし、好きだし、どんな顔してもいいんだから」って言いたい人、言いたいときも、たまーーーーーには、あるもの。

わたしが一番困る、というか、切実にどうにかしたい問題になるのは、そりゃあもちろん「ルールを守らない客」だけど、でも、そういう人はもう客じゃないからさ、抜きにして考えると、課題っていえるのは「自信のないお客さん」かなあ、って思う。むずかしい。

もうかれこれ2年……とか?指名してくれているお客さんで、もう少し自信を持ってくれたらなあ、って人がいる。
パッと見た感じはごく普通のお兄さんで、身だしなみはちゃんとしてるし、独りよがりなプレイで痛いことをしてきたりもない。僕は女の人と付き合ったことがないから駄目なんですとよく本人は言うけれど、(なるほど、これじゃ女性に避けられるだろう)と思えるような人じゃない。
だけど、プレイがうまくスムーズにできない。
向き合うと緊張してしまって、うまくおしゃべりさえできなくて、顔を見るだけでいっぱいいっぱいで、そして勃起した状態を持続させるのにたいへんな労力を必要とする(それが自然だといえるような年齢にはほど遠い)。うまくできなかった自分が頭をよぎるとしぼんでしまう、みたい。追い詰められるとしどろもどろになってしまう、フィニッシュできないこともある。それでもいいと本人が言っているし、指名し続けてくれているし、わたしが職業上の任務?を果たしていないわけじゃあ全然ない。射精するかどうかがたったひとつの大事なこととも思ってない。でも、この状態に彼が満足しているわけじゃないのはわかるから、できることならどうにかしたい。心身の状態まで面倒を見てさしあげるのがわたしたちプロの仕事のうちです、なんてこと全ッ然絶ッ対思いやしない(訳知り顔でそう言う人いそうだけどね)(そんならそれだけの知識学べる場所とか保障とか安定とか権利もらいたいわ、人間の心身のケアの難しさなめないでほしい)けど、でも、いい人だから、なんだろ、個人的な感情としては、できることがあるのならしたいと思う。
でもさ……向こうの問題とはいえ、こんなになんにもできないもんなんだなあ、って無力感がすごくて、わたしまで自信を喪失していくという悪循環。

だけどどうしていいかわからない。思いつくことはいろいろとこの2年でさりげなく試してみたけど、あんまり。
そのうちに、ただ単にひたすら「受容」に徹するようになって……っていうか、もうそれしかできることがなくなった、ってだけだけど。
できなくてもいいよ、できてもいいよ、どんなあなたでもわたしは変わったりしない、あなたを採点しない、いつでも待ってるよ。そんな感じに。
もちろんそれは最後に《だって、仕事だからね》がつくんだけど(そこはまあ、あんまり見ないで見せないで)。

でもねー。なんかねー。
わたしの「なんでも受け入れるよ」っていうのを、なんか、なんか、この人、もしかしたらだけど「なんにも期待してないよ」って受け取ってるんじゃないの??だとしたらもう自己否定スパイラルじゃないの??って思いついちゃってモニョモニョしはじめてきたんだ、今年の途中あたりから。

それで、この前、クリスマスに会った時にわたしのモニョりが頂点に達して、もういい、もういいや、もう好きにしちゃお、みたいになって、そしたらいきなりわたしの職業魂(?)が強気になって変に勢いづいて、
いつでしたかねぇ……第2話かな?で観たヴィクトル先生のすごいきれいで何度も再生しちゃった動き「膝をつく→相手のアゴを指先で優しく微妙に二段階で触れながら少しだけ上げる→もう片方の手で相手の肘下から手首に向かってそっと、手のひらのエッジまで滑らかに撫で下ろす(上から圧をかけない)→優しい言葉をかけながら(この間ずっと指の形がきれいすぎる)」……っていうのを、真似してやってあげてみちゃったの。ほとんど出来心で。あはは。今思うと自分のおこがましさに顔面が燃えそうです。

(その前にはドラマ『昼顔』で吉瀬美智子さんがスマートフォンを使うときの仕草が素敵でまねしたことがありました)(つまりあれだ、どうせいちど燃えつきた顔面なんですよ)

でもねがんばった。わたしはひとりでやってるから、言葉を選ぶのもしゃべるのも顔つくるのもひとりだから、そのくらいできたいな、って思って。

 

そしたらさー……なんか、びっくりしながらうっとりしてた……それから?それから?次はどうなるの!?ネェ僕どうなるのー!?!?って顔してた。

どうもしねーよ!どうもなんねーよ!山田(仮名)が自分でどうにかすんだよこっからは!!!!!!!
わたしは凡人の極みだから仔豚ちゃん(たしかに山田は軽度の肥満である)を王子様にする魔法とか使えないよ!

と思いました。それからほっぺが上気したような山田の顔が可笑しくって遠慮なく笑った。なんかしんないけど山田も笑ってた。やれやれだわ。
その日はそれから満足して寝たみたいだったのでほっとしました。次どうしたものか知らないけど。

受容のメッセージって基本だし大切だとは思うけど、その表現のしかたって迷うよね。どこまで、って問題もずっとあるし揺さぶられて難しい。
求められているものが分かっても、できないことはできないし。もういいや、来年また考える。

 

自信がない人は少なくないと思う。わたしもない。
でも、自信が持てない、といってもそれぞれにたくさんの形があって、あの子みたいに美意識と理想の高さ、目の確かさ、負けん気からそうなっていることもあるし、それまでの他人とのコミュニケーションの歴史でもすごく左右されるし、自分をどこまで開示するかがまだ決まっていなかったり、たとえば愛されていても客観的な証拠が足りなくて迷ったり、愛されていると知っているからこそ相手を傷つけたくなくて立ち止まってしまったり、 ……自信ってすっごい繊細な生もの。こわい。他人のそれにうかつに触れたくなんてない、でも逃げられない。
そしてそれがあるときある瞬間にフワッと飛び立つさまを、ちょっとだけ見せてもらうといつもドキドキしちゃう。

あのしぐさ、もしお試しになる場合は決してアゴ先を親指で押さえてつかまないのがコツじゃないかなと個人的には思っています……そうするとただの顎クイッになってしまいそう。似てるけど違う、挑発や煽りじゃなくて、歩み寄りと慈しみに少しのお誘いが乗っかったボディランゲージの気がして。微調整された力加減。
あとあの人絶対に指先を立ててさわらないの!やばい……ほんとやばい……他の場面でもまだ指先立ててるとこ見てないんだよ、超すごくない?やばくない?(指が立たないところにアガるこの感じ、同業の人なら分かってくれるのでは……)(それとも絵に描くとそうなるのが普通なんですかね?)(比べてみたいんだけど他のキャラクターが他人の素肌になかなか触れるとこないんだよね〜そりゃそうだよね〜)(脱線してしまった)

いま確認したら第2話の5分45秒(オープニング入れて)くらいから出てくるよ。大みそかにまとめて放送とかあるらしいので、興味と体力のある人はぜひ。

それぞれに素敵なアスリートたちが、限られた時間をスケートに捧げる物語なのだけど、最終的に誰が誰を負かすのかを知るために途中のいきさつを見せられる、って話じゃないので、そういうスポーツものが得意でないわたしでも楽しかったな。
とくにそれぞれにキュートでセクシーで無邪気で強くて、それぞれにユニークで天然で不思議で繊細でとんでもなくわがままなふたりが互いに好きになって、すれ違いながら手を伸ばし合い、次第に支えて与えて補い合う(迷惑もだいぶかけ合う)様子はとっても愛らしく魅力的でした。いちばん振り回されたのは観てる俺たちだけどな。なんだったんだあれは。あんだけ心配させといてなんなんだ……心配しすぎて食欲不振になっていっそ死なせてほしいとか口走ってた民衆がいっぱいいたのになんなんだよ……ッ
興味と体力のある方はぜひ。

あと、他人に対する愛情全般において恋愛感情が明確に独立していないタイプの人って、一般的なストーリーのシステムにはまりきれないことがちょっとたびたびあるのでは?とひそかに思ってるんだけど(わたしはとてもそうです)、
そういう部分についてとてもラクな気持ちで観ていられたと思う。いろいろな愛の姿は描かれてるけど、登場人物たちが自分の愛に名前を付けたりカテゴライズしようとしないので。そしてその中で恋愛だと認められたものだけが特別に区切られて上位扱いをされていない(これわたしにはすごい大事!)のでめっちゃラクです。たぶん恋愛には必ず性的な欲求と身体の接触が伴う(逆方向からもセット)って前提もあんまりなさそうなのでそれもラク。
あと、なんだろう、「特に明言されない限り、登場人物は当然シスジェンダー / へテロセクシャル で、そうでない“例外”人物が存在するにはストーリーの上で必然になる理由があり、それがいちばんの個性になる」っていうあの説明しづらいけど当たり前に存在するムードもだいぶ薄いような……男子いっぱい出てきて切磋琢磨するけど「男なんだから」「男らしく」って言葉で励ますようなこともないんだよね。
(性別をダシにしたセリフが全くないわけではなくて例えば「男の僕でも妊娠してしまいそうなほどエロス( ꒪⌓꒪)」って混乱しまくりの心の叫びが入ったりするんだけど)
(これ、23歳の人ってそんな言い回しする……!?と思ったんだけど、あの子ヴィクトルのガチで立派なファンでマニアでいた暦が長そうだからそのコミュニティで自然に身に付いててもおかしくないし、彼の言うセリフの中ですごく浮いてみえるのに決まり文句だからってツルリと脳から出ちゃうあたりが経験の少なさってことなんだろうかと思ったらなんか姉みたいな気持ちになってしみじみしました)(あっお姉さんが大好きすぎて煙草吸うシーンずっと見てたい、ストライクすぎる)(また脱線した)

一緒にいたい相手が自分と同じ性別だってことで一度も思い悩まないの。本人も周りも(別のことではめっちゃ悩む)。それを恋の障壁としてドラマチックな要素に使わないし、笑いの要素にもしないし、そんなのおかしいよと言う人もいない。

だからいろいろ自由な心のままで気楽にみていられて、そういう部分の労がとても少なくてありがたかったです。絵の中の彼ら(とその愛を含めた思想)が自由だということが、決していつも自由とはいえないこっち側にいるわたしをすごく楽にしてくれた。その「楽」は、ぬるま湯の楽じゃなくてもっと熱い感じのやつ。そういうフィクションもっとほしい。
誰かが誰かのことを大好き、ってだけでこんなにみんな嬉しくなるのね。具合悪くもなったけどね。

ではわたしは他に使えそうなラブリーレジェンドアクションを探すべく(絶対絶対まだいっぱいあると信じてる……!)もう一回観てきます。そうだこんなどうしようもない妄想をだらだら書いてこぼしている場合ではない。みなさんは楽しい年末などお過ごしください。どっかの空の下にいる山田もな。おわり。

2016-12-31 | カテゴリ: たわいないはなし | |  

 

黄色いハイチュウ、赤い花

少し前、とてもいい夢を見た。
わたしはちょっとした建物の小部屋にいて、無印良品のダメになるソファみたいなものと戯れながら友人とおしゃべりしていた。
現実の世界でも友達で、業種は少し違うけど同じ職業に就いている女性。

夢の中でのわたしたちも、なんの業種でどんなサービスなのか詳細は分からないながらなんらかのセックスワーカーらしかった。いくつか並んだその部屋はいわゆる「待機室」で、出入り口にドアはない。廊下から誰か別の女の子が、通りすがりに「おはよう」「おつかれー」などと声をかけてきてくれて、わたしたちもだらけたポーズのままで応えたりした。

どうやらひとりに一部屋あてがわれて、ここは友人(ルナさん、とその夢では呼ばれていた)の部屋のようだった。わたしはダメソファとブランケットとお菓子とバッグを持って、彼女の部屋に遊びに来ていたのだ。その部屋は硬質でシックなインテリアでまとめられていて、ルナちゃんの着ているセクシーな黒いドレスがよく映えた。耳には大粒のカットクリスタルのピアスが光っていて、それをきれいだなあとぼんやり眺めながら最近読んだ本の話をしているわたしのレモン色と白のワンピースだけが、なんだかのんきに浮いていた。

そのうちに黒服がやってきて、「あっやっぱりここでしたか。お二人ともお支度お願いします」と言った。探させちゃったかなと思ってあやまると、いえ、実はまっすぐこっちに来たんですよたぶん一緒にいるような気がして、と言って少し得意げに彼は笑った。

髪と化粧を直して、ふたりで部屋を出た。ふとルナちゃんが「あっ待ってシーナちゃん」と呼び止めて、頬にまつげが落ちてる、と言ってそっと摘んでくれた。貴重な資源が……と言って笑いながら、ルナちゃんの指はひんやりしていて、でも優しかった。

 

建物の前に出ると男の人がふたりいた。ルナちゃんの客は見たことのない花の大きな大きな花束を持っていて、薔薇のようなカサブランカのような、なんだかよくわからない花なのだけどとにかくきれいだった。わたしの客はアケビの蔓を編んだようなカゴにいっぱいのぶどうを持っていて、空いた方の手をつないだ。わたしの服を「すごくかわいい、ハイチュウみたい」と言ったのでルナちゃんとふたりで遠慮なく笑った。このおみやげはあとで分け合おう、と約束をして、空を見上げるとブルーとピンクがにじんで広がったような透明な色をしていて、そこに銀色に鋭く光る月が出ていた。きれいだねえ、と言い合って、しばらく4人で空を見ていた。美しい空に花のいい香りと、そこに時折ほんの少しルナちゃんの香水の香りが混ざって、幸福感に満ちた匂いに包まれていた。つないだ男の手のひらはしっとりとあたたかかった。

 

目が覚めてからもしばらく、わたしは空の色を思い出していた。いつまでもベッドの中にいたかったけれど、途方もなく縁起の良い夢に思えたので、わたしの商売運がかつてない高まりを見せているとしか思えないよこりゃ、と自分に言い聞かせながら出勤した。
が、しかしその日最初についた客はどちらかというと気分を害してくるタイプの人間だった。

若い頃の悪事(詐欺から性犯罪まで多岐にわたった)を自慢話にして朗々と語るものだから、心に厳重な戸締まりをした上でそうなんですか、すごいですね、と相づちを打つことに専念していたのだがどうも芳しくない。客の表情が冴えない。そうだろう、すごいだろう、と満足感を得てほしいのに、そして機嫌よくサービスを受けてもらって早く職務を果たしてしまいたいのに。たぶんわたしの態度が彼の求めるものではないのだな、と思った。「すごいですね」と言われるよりも、怯えさせ、怖がる表情を見たかったのではないか。

しまったなあ、と思い今後の作戦を考えていると、客のトークの方向性が変わった。昔の犯罪自慢から、「現在どれだけ稼いでいるか」「息子もどれだけ稼いでいるか」「自ら起業せずサラリーマンに甘んじている人間がいかに愚かか」にシフトしたのだ。あっ、と思い、引き続きわたしは「すごいですね」路線の相づちを打った。さっきよりももう少し心を込めて。
客も今度は満足したようで、きみもこんな商売からは早く足を洗って稼げる男の嫁になりなさい、長い目で見てそのほうが利益になるんだぞ、と言って頭をチョ〜ンと撫でて(?)きたので、ああ今がタイミングだな、と思い「そうですよね、なにもかも××さんの言う通り」としおらしくしてみせてから「でも甘いかもしれないけどあたしやっぱり素敵な大人の人に愛されたいな。だけどそんな人ってもうほかのだれかのものなんですよね」みたいなことを言ってそいつの金の結婚指輪を見つめた。思惑はきちんと通じ、それからは脇目も振らずプレイに熱中してくれたのでもうあとは淡々と仕事をするだけでよかった。愛されたいとか抱きしめられたいとかいう単語を出すと当然のように本番を要求されるリスクがあるが、それが可能な性能力はすでにない年齢だという読みも運良く当たったので事無きを得た。

自分の聞きたい言葉をわたしに言わせようと言葉を重ねるのではなく、わたしの「すごいですね」路線を見て自分の仕掛けるものを変える、すごいですねと言われて気持ちのよくなれる話題に転換する、そういうことができる人だった。頭のいい人だ、と思った。その頭のよさに助けられたな、とも。

でも、ホテルを出たら心の底からせいせいした。ああもうたくさんだわ、という気持ちだった。疲れていた。

コミュニケーション力は、まるですばらしい能力で技術で人徳で、それさえあれば人間関係を円滑に運ぶことができるかのようにいわれることも時々あるけれど、それが高いからといって隣にいる人がこころよく過ごせるわけではないのだ。

 

せいせいしながら車に乗り込むと事務所から電話がかかってきた。だっるいなーと思いつつ機嫌のよい声を作って「もしもしィ〜」と出ると、いつにない早口で店長がこう告げた。「今のお客さんが呼び戻してもう3時間いけるか、って電話と、本指名の△△さんの90分のオーダーと、ちょうどバッティングして今ふたりとも保留にしてる、どちらか選んでください」

ドキッとした。
一晩でそこまでのまとまった金額をポンと使うような新しい客は、店にとってもありがたい存在に違いない。呼び戻したいというほど気に入られたわたしに、よくやった、という評価も少しはしてくれているかもしれない。期待を裏切るのは得じゃないかも、と思った。おそらくお酒でも飲みながらなにか話したいだけで、もう肉体的な負担も少ないだろう。
対して△△さんは2ヶ月に一度来るかどうかというごくごく普通の勤め人で、わたしより40cmも背が高くてがっしりしているから何をするにもいろいろ大変で、そして90分ならそりゃあもちろん入ってくるお金も半分だ。わたしにも、店にも。

だけど口からはすんなりと「申し訳ないんですけど」という言葉が出た。

 

店長は「かしこまりました……たぶんそう言うと思いましたよ」とにこやかな声で言った。
××さんがあまり気のいい客ではなかったことを電話応対から感じ取ったのか、それともわたしが△△さんのことを誠実な客だと認識していることを知っているからかはわからなかったけど、少しホッとした。

 

もしかしたらあの人も、ひとりになったら淋しくなったのかもしれない。
もしかしたら、さっきとは違う気持ちでわたしと会いたいと思ってくれたのかもしれない。いい気なもんだがちょっとだけそう思った(いや、単に説教し足りなかったのかもしれないけど)。
でも、もうわたしにはバッテリーがなかった。さっきと同じ笑顔であの人の前に出るだけの気力が湧いてこなかった。心の中の出川哲朗氏がマイクマイクと叫んでいるのが遠くに聞こえた。
車はさっきの部屋の5分の1くらいの値段で泊まれそうな別のホテルに着いた。もう何回も会ってだいぶ気兼ねなくおしゃべりするようになってきたというのに未だにこの時だけは敬語になって「よろしくお願いします」と言ってくれる△△さんから両手でお金を受け取った瞬間に、バッテリーは充電された。これから90分、わたしはほかのなによりもあなたの笑顔が見たくて働く。

ベッドの上で息を切らしながら、これでいいんだよねえ、と思った。選ばせてくれるってことは、選んでいいってことだよね、わたし好きにしてもいいよね。ルナちゃんだってきっといいって言うと思う、絶対に言ってくれると思う。目を閉じてあの夢の中の香りを探すと、そこにあるのは少し汗ばんだお客さんの髪の匂いだけで、手をつないだら熱くて力強くて、それはそれでそれなりに、幸せだった。

マイクの元ネタは「イッテQ 出川 充電 マイク」などのフレーズで画像検索すると出てくるかもしれません。

 

2016-11-28 | カテゴリ: おはなしノート, たわいないはなし | |  

 

ワーカーズライブ:寒くなくなんて、ない

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 寒くなくなんて、ない

ガールズヘルスラボの連載です。

このサイトの作品についてはすべて「経験を元にしたフィクション」と明記してありますが、今回について補足すると

外国人を接待する目的での利用だと言って仲介人を名乗る日本人から依頼を受け、その人物に対してのみ店の者が「当店は風営法に則っており本番行為は云々」という話をした状態で現場に行かされ、しかし蓋を開けてみたらサービスを受ける外国人は全くそれを理解しておらず日本語も通じず絶体絶命となったピョン♡

……という部分に関しては、わたしの身にかつて実際に起こったことです。
もうどれくらいかなあ、何年も経っていますけど。

 

イレギュラーな仕事ではありますが、全くないということもなく、しかし遭遇してしまったら最後というわけでもなく、たとえば現在わたしが働いている店では、まず確実にお断りする案件です。
ただ、それはある程度の期間勤めてきているからわかることであって、その店がどういった方針で仕事を受けあるいは断るのか、その基準を隅々まで働く前に確かめる術はありません。方針そのものがしっかりと存在しない(店長の気分次第とか)、みたいな店もありますし。

個人的な経験からの印象では、面接時に「外国の方も接客する機会がありますか」と訊ねたときのお店側の答えとして一般的なのは
「いや〜ウチは断ってる。まあやっぱりノーセックスって文化じたい馴染みがないだろうし、通じないと厄介なことになるしねえ、だから安心してください」
です。
ええ、先述の経験をした店でも、入店するときはそう言っていましたとも……。

 

わたし自身は英検2級を持っていて(とはいえその大半は既に忘れてしまっている自覚がありますが、それでも)ちふゆちゃんよりはまだほんの少しだけ、英語ができるはずなのです。

しかし「わたしのようなコールガールであっても、日本では合法のサービスとして本番行為を提供することはできない。オーラルセックスと素股、また店の基準で定めたその他の行為なら問題ないのでその範囲内で楽しんでくれ。あなたの世話係がなんと言ったか知らないが、なんでもできる、好きにできると言ったのであれば残念ながらそれは嘘である、虚偽の申告である、こちらの本来のルールに従っていただかないと困る」という主旨のことを説明することは困難でした。それはもう非常に、困難でした。

やっとのことでなんとか言えたとしたって、「キミの発音なんだかよくわからないよ」とでも言われて無視されたらもうおしまいですしね。

(ただ、この「しらばっくれられたらお手上げ問題」はべつに外国の方ゆえでは一切ありません。
だって日本人のお客様が日々「え〜そんなキレイゴト言ったってさ〜」とか「え〜この値段ならできると思うのが当然でしょ?」とか「カタいこと言うなよ〜」とか言いながらごりごりルールを無視しようとしていることなんて周知の事実にもほどがあるからね☆ 問題は、「言葉が通じず、禁止されていることだと分かりませんでした」という言い訳があとから成立しちゃうな、という危惧が現場でたたかう人間の心を重くさせるという点です。)

 

誤解してほしくないのは、決して

外国人のお客さまからの仕事を受ける店 → 杜撰でいいかげん
断る店 → 安全でしっかりしている

という単純な基準でははかれない、ということです(単純な基準、て書いた瞬間にまたコレのことを思い出した)。
わたしとしてはただ、受けるのならそれ相応のサポートとバックアップをキャストに対してしてほしいなあ、と思っているだけなのですが、うーん……今はまだ、夢物語に近いことかもしれません。
ただでさえ普段から、運命を利用者の良心ひとつに委ねられている部分が大きいですもの。ハァン(ため息)。

店(もちろん先ほどの話の店とは別です)のスタッフが面談した上で引き合わせてくれた外国人のお客さまで、長い間に渡ってよい関係を作ってくださった方もいました。「赴任期間が終わって母国に帰ることになりました」と言われたときは淋しかったけれど、かけがえのない思い出がたくさんできましたし、お別れの時にかけてもらった言葉といただいたプレゼントは今も大切にしています。縁あってめぐり会えてよかった、とおそらくはお互いに思うことができて、たいへん幸せな経験でした。

そう、いろんなケースがあるということです。
この「いろんな」の振り幅がすべてにおいてすごすぎるので、下方を底上げしてほしいというか、危険が取り除かれてほしいところなんですけど、ね。

 

ちなみにちふゆちゃんと仲のいいまりあちゃんは前回のストーリーに出てきたまりあちゃんなんですが、どうして友情出演しているかというとわたしの
『こんなテキトーなノリのスタッフばっかりなのあんまりだからせめて同一人物でありますように!』というわけわからん願望のあらわれです♡でもめっちゃいるよねこーゆー人!(笑)


ほんとそうですね。最高です。まりあちゃんも「ちふゆは最高だから!」っていつも言ってると思う。

 

【追記】
ちふゆちゃんが歌ったLet it go に、最後の決めぜりふ(わたしもここが好きです)を言ってあげたのに全然わかってもらえなかったお気の毒な李さんですが、もしもあのあと、ちふゆちゃんが本当に『英語を入れると日本語が出てくるLINEのアカウント』であのメモの訳にトライしたらどうなるのか、実際にやってみました。

img_6055

な、なるほど……。
Take care. については「おっ」と思ったんですが、
You’re awesome. はもうちょっとなにかおしゃれにやってほしかったというか、「ものすごい」を「物凄い」としただけでもものすごい感が倍増ですね。うふっ。

そして肝心の一文はこのありさま。しかし致し方ありません。

 

Google翻訳でもやってみましょう。

img_6056

1行目については言うことないんですが、そのう、その後が、なんということでしょう。

これさあ、たぶんやっぱり結局まりあちゃんに訊くんじゃないかな……(笑)。
そしてまりあちゃんはすぐにピンとくるか、それか直接Google検索にかけると思うので、正解にたどりつけると思います。よかったね李さん。

2016-11-06 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ: ,  

 

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