近況(2023年秋)と好きな動画とSNSの話

全然暑いんですけどお元気ですか? 9月もおしまい(※ そう、これを書きはじめた時は確かに9月だったのだ)なのに、防災情報アプリからまだ「危険」とか「厳重警戒」みたいな熱中症アラートがきます。でも夜になるとホットの麦茶ラテを飲んでいるので、暑い夏の時期が終わったことはわかってはいるけど。しかし夏をお断りしたところで冬が来るだけなので、それを思うと二度と不平は申しませんのでいつまでもここに留まっていてはいけませんかと誰かに頼み込みたくなります。ずっと今でいい。

麦茶ラテ、味の想像がつかない人にはまじで? って言われるけどわたしは好きです。たんぽぽコーヒーとかチコリコーヒーとかあのあたり、ノンカフェインコーナーの味わい。
ラテにするにはちょっと濃いめのほうがおいしい。真夏のお昼に飲む用のティーバッグ(笑福亭など)では大きすぎる時はカップ用のティーバッグか、あと粉の麦茶を併用すると自由に調節できて便利です。

Twitterにめっきり参加しなくなり(その時にまだギリTwitterであったために今もTwitterと呼んでしまう)かといってブログも全然書いていないので、いまわたしはインターネットにほぼ存在していない人です。いいね欄だけ、どこかのおうちの犬や猫の写真などで増えています。
とはいえエンピツ生まれジオシティーズ育ち、ハートにはウハウハ同盟のバナーが貼ってあるので普通にネットは見ています。なにを見ているかというと田辺さんがかわいすぎるお鍋で美味しい台湾のお茶を淹れてくれるYouTubeなどです。最高なのでみんなも寝る準備しつつのお時間などに見るといい。あとエンピツもウハウハもまだ存在してるのすごいよね。

さて個人的な近況ですが、ただでさえ慢性的に療養中なのに骨折をしました。家の中で転倒、と言うと高齢者の健康に関するトピックのように思っていましたが、ふつうにやりました。痛かった。転んだその時はそれほどでもなかったけど、時間が経つにつれて痛みが饒舌になっていったので、ああ、折れているよと体が告げているんだろうな……と納得させられた。レントゲンを撮ってもらったら「2ヶ所か、もしかしたら3ヶ所折れてるかも」と聞かされ、「1回しか転んでないのに」とつぶやいたらお医者さんに「それは本当に申し訳ないことだね……」と言われました。ああ、10代のころ駅の階段を転げ落ちたときも折れはしなかったのに悔しい限りよ。

折ってしまった日の夜に、長年……まじで数えるたびにぎょっとするほど長年続く本指名の仕事が入っている、という最悪のタイミングでした。なにしろ痛いので頭がまわらず、店長になんと言っていいものやら、無駄に心配をかけず、かつズル休みを疑われないメールの文面を考える余裕がなく、chatGPTさんにかわりに書いてもらいました。代筆だけをお願いしたのに、ちゃんと「お大事にしてくださいね、早く痛みがひきますように。またできることがあったら何でも言ってください」といたわってくれて、文明は優しかったです。わたしもchatGPTさんに優しくしなくては……と思いました。みんなもそう思っているからこういう出力結果になっているのかな。まあchatGPTさんであれ誰であれ優しくするに越したことはないよね。

入るはずだった現金のことなど考えて歯ぎしりしながら整形外科まですり足で移動。タクシーを呼ぶのがためらわれるほどの短い距離なのに予想を大幅に超える時間を要し、あとでiPhoneの移動記録アプリを見たら(GPSがうまく反応しなかったんだと思う)住宅街の路上にじっと佇んでいたことになっていて、ちょっとおもしろかったです。
そうしてへとへとになって帰ってきたら例の客氏から「おれのこと嫌いになったの!?(泣)」というLINEが来ていました。元気だなあ。すばらしいことだよ本当に。しかしなにしろ痛くてそのようなお遊びに付き合う余裕がなかったので適当な返事をしてしまったが、なんかいい具合に伝わっててほしい。
店長は慌てて電話をしてきてくれて、「なんてこった大変だどうしよう! お見舞い行く? それともお祓いのほうがいいのかな? 湯島天神行く?」と言っていました。ラブホテル街にあるからといってセックスワークの神にされてはたまらないでしょうよ。でも道玄坂で働いてたときは千代田稲荷にときどき寄っていました。今日の3人目の客にバチ当ててくれ〜!とか頼んでた。


内科皮膚科眼科耳鼻科婦人科心療内科などは盤石の体制なのですが、整形外科には「行きつけ」を作ってこなかったので久しぶりの病院ガチャだ〜と緊張して臨んだのだけど、できたばかりのその医院はきれいで、レントゲン技師さんもリハビリの先生も親切にしてくれて嬉しかったです。すぐさまマミさんに報告したところ、それまで彼女が行きつけとしていた、近いけれども毎度2時間待ちは当たり前で受付スタッフの態度がちょっと怖いと何度かこぼしていた老舗の整形外科から秒で乗り換えを決意し、数日後にはお揃いの診察券を手にしていました。膝は痛めていても行動は激早。えらい。

リハビリルームにはいろいろな器具があり、お世話してくれる先生たちは着ている服の色が分かれていて、全然よく知らないのだけどあれは理学療法士さんと柔道整復師さんとか、そういう違いなんだろうか。その中にひときわ気になる男性がいて、よくお年寄りの患者さんと会話をしている様子が待合室まで聞こえてきます。
こんにちは、がんばりましょう、大丈夫です、その調子ですよ、素晴らしいですね、そういう掛け声のひとつひとつがすごくクリアに響いていて、決して気圧されるほどの大きな声をお腹の底から出しているというふうではないのによく聞こえて、まるで舞台俳優さんみたいだなあと思っています。近くでお話ししても「声の大きな人だなあ」とは思わないのに。背が高くて日焼けしていて、長い手足でテキパキと働いてお年寄り(患者さんの大多数はそうです)のサポートをしては必ず笑顔で「お気をつけて〜!」と見送っている姿は、ディズニーランドっぽくもあります。

早い時間に行くのが好きなマミさんと、太陽が翳ってから動き始めるわたしとでは通院がかぶることはほぼないのだけれど、あるとき「リハビリに、いい声のお兄さんがいるよね」と言ってみたら「それ、私が心の中で劇団四季って呼んでる男の子のこと?」と言われました。そうきかれても困るんだが、絶対にぜったいにそうにちがいないよ。

ふだんの持病(どういう言い方?)で飲んでいた薬の中にめまいやふらつきの副作用が出がちなものがあり、今回の骨折によって一時中断した(転んだりひねったりしたら厄介だから)のですが、するとそれまで「効いているのかいないのか今ひとつわかんない」と思っていたアイツがいかに仕事をしてくれていたかがジワジワと浮かび上がり、ああ、効いていたんだ……!となりました。失って初めて気づくものとはこのことです。だからみんなそう言ってるんだなあ。

こういう動画も好きでBGVみたいについ見てしまいます。

しばらくの間は外出するのに杖が必要で、「杖をついているとどんな目に遭うか」を体験しました。駅のエレベーターから降りようとしたときに、後ろにいた人にドンとぶつかり&舌打ちのセットで追い越されてヒヤリとしたことが一度あった以外は、無遠慮な視線を浴びるとかそのくらいで、あからさまな嫌がらせや暴力には幸い遭わずに済んだけれど、これを長い期間やっていればあのぶつかりのひどい版などいくらでも出くわすだろうな、と思わされるには十分でした。
その何十倍も、ドアを押さえていてくれたり物を取ってくれたり、倒した杖を拾い上げてくれたり、といった親切を見知らぬ方たちから受けました。そのひとつひとつが本当に嬉しかった。ただ、だからといってあのぶつかりと相殺できるわけではないのがつくづく残念なシステムです。運悪く一度のぶつかりで取り返しのつかない事態につながる場合もあるわけで、悪意の力とは単体でも強いのだと思うと憂鬱です。

病院の帰り道に、見知らぬおばあさんが「まあ!あなた、大変ねえ」と言いながら近づいてこられて、痛いの、かわいそうに、でもきっと治るわよお若いから、辛抱なさってね、あっという間に治るわよ大丈夫よ、とありったけ励ましの言葉をかけてくれたのはすごく嬉しかったです。おばあちゃんも杖をついていて、それを地面にダンダン!と打ち鳴らしながら励ましてくれました。生きる気合いが入りました。


どこにも何も書いていなくても、わたしは毎日いろいろなことを感じてはいて、楽しくこころよいこともそうでないことも、あふれるほどあります。いやなことや抗いたいこと、おかしいと思うこともたくさんあるし、それらに怒っている自分を大切にしたいし、怒りや悲しみの先にある何らかの力とか、それを表現し続けた先でもしかしたら起こるかもしれないこと、出会えるかもしれない誰か、そういったものの働きを信じてもいる。けれどわたしにとってTwitterは(ずっと前にはそうであったこともあったはずなのですが)、それを表現するのに適した場所ではなくなっているなと思っています。

大きくなったSNSでは誰にもどうしようもないことなのかもしれませんが、人が増えて、少しずつ場の目的が最初とは違ったものに動いてゆくうちに、ひとつひとつの文章の背後にある文脈はぼやけ、意味が薄まっていくように感じました。書いている大勢の人が知らないうちに均し均されて、同じひとつの大きな言語になっていくみたいに。その一方では外見だけ論理的っぽいテイストに整えて、中身は他人を排除/嘲笑/スティグマライズ してみせることが目的の文章もたくさんあって。

個人的な経験や思いがそれそのものとしてではなく巨大な天秤に載せられる重りの一個として扱われてしまうように見えるのはつらく、とても疲れます。その天秤がどこかの場所ではゲームにされてしまっていることも、それをただの面白いこととして楽しもうとしている人の存在を感じることも。その場限りの物語として消費されるよりももっとつらいです。

炎上したくてしている人や、反響を得るために人々を傷つけたくてそうしている人が目で見えるような状態はどう考えても健全ではないのに、それをアルゴリズムとお金が後押ししているのでは、もうどうしようもない気がしますし、あとふつうに通知や検索機能もすっかり低下してがっかりもしています。

でも、そういう側面のある元Twitterでもちゃんと言いたいことを言い、表すべきことを表している人もいて、それを「あの人は強いからいいよね」で済ませたくはない。それは絶対にそう。
わたしはわたしの怒りを怒りたい、悲しみを悲しみたい。何も理解しないままセックスワーカーをはじめとしたわたしたちを都合よく「違う世界」化し続けてはシワ寄せを寄せてくる存在が、われわれは地続きであり誰にも逃げ道などないのではないかとようやく思い至りほんの一瞬ヒヤッとする、その一過性かもしれないがそのうちのいくつかは「はじまり」になる可能性を持ったおそるべき寒気のために言葉を使いたいし、言葉しか使えない。そのささやかな抵抗の表現と、自分自身の精神の温存と成長とを両立させたい。なんかそんなようなことを思って早15年(くらい)。

Twitterの全部、あらゆる路地の隅やあらゆる部屋の壁まですべてが嫌になってしまったわけではないですし、やめますとかではないです。今も変わらず楽しく見続けているアカウントもいっぱいあるし、ちゃんと見ていたい気持ちもあるし、結局のところいちばん情報は入ってくるし、あと自分の気が滅入るようなよくないニュースを元から根こそぎ見なければいい、っていうのもちょっとそれはそれでこわいので。
植物園はいつどのように見ても同じ気持ちになれてすごい。

例:
向島百花園(@MukoujimaGarden)
都立日比谷公園(Hibiya Park, Tokyo) 園長の採れたて情報(@ParksHibiya)
神代植物公園 ニュース(@ParksJindai)

植物園といえば、朝ドラにはまっていたので公式タグもしょっちゅう見ていました。らんまん、いいドラマだったね。わたしは放送が始まる前に牧野富太郎まわりのWikipediaを読んじゃってだいたいのところを把握していたのですが、まさかあんなにも田邊彰久のことを好きになってしまうとは少しも思っていなくて(ぜったいやなヤツとして出てくると思ってた!そしてある面ではそれは、まあそうと言えばちょっとそうだった!笑)、事前にわかっていたのにしっかりショックを受け、当時の実際の新聞記事までわざわざ見て大泣き。
最後は波多野・藤丸コンビとの友情や、野宮さんと徳永教授を加えたメンバーとの信頼が生涯続いたことに救われました。藤丸さんがみんなと一緒に年を取ってくれて本当によかった。実在の人物をモチーフにしたドラマ、どの史実を活かしてどこをアレンジするかめちゃんこ難しいのだろうけど、大仕事が間に合って藤丸さんがいて、終わりが優しくて嬉しかったです。優しく終わってくれるものに気を許しがちです。SABRINA NO HEAVENがずっと好きです。

植物園かと思ったら個人(植物収集家さん)宅のお庭らしい。

書き終わったら10月になってたし半分過ぎてる。やば。まいにち肌寒いはずだよ。
文章を書いてなさすぎてこんなのすらちょっとずつしか書けなくなってます。いろいろとリハビリが必要です。みんなの書いたものを読ませてほしい。ので、アカウントをお持ちの方は教えてください。

さいきん使っていない Twitterだったやつ
あんまり使えていない mastodon
これから使えるのかな Bluesky

どれかがどれかの替わりになるわけじゃないからどうしていいかわからないよね? そのうちシンプルにできるのかな……わかりません。そういう人きっといっぱいいませんか。どれでもいいので教えてください。どうしていいかわからなかったあの頃にアカウントをおしえてくれたひと、というリストを作ってぜんぶ入れたい。

よろしくお願いします。もうあったかくしておやすみね。

I