こういうのはだいたい年末年始にするものだと知らないわけではないんですよ。それがなぜこんなことになってしまったのか。
去年の12月に書いた下書きの存在を、日々の雑事をやっているうちに一度すっかり忘却してしまい、ふと思い出し、別にもういいかなと思い、また忘れ……を何度かやってたら、なんか、時間とか経った? みたいで、はい、今になりました。(どういうこと?)
いいかげん消去しようとよく見たら思ったよりいっぱい書いていて、えっこれもったいなくない? と惜しくなってしまったので出します。いまごろ出します。
2022年の進歩は、買った本の記録をわりとしっかりめにつけるようになったことです。使った金額とか突きつけられそうでちょっとやだな〜、とか言って今までやってこなかったんだけど、一覧になるとかなりおもしろかったのでつけてよかったです。2021年までの分もネット上の購入履歴と紙の日記を駆使して、できる限り拾ってきて追加しちゃった。
BookBuddy+というアプリを使ってます。月に何冊読む目標だとかソーシャル的な機能だとかが一切ついてなくて、ただデータベース化するだけなのがいいです。動作も軽くて全デバイスで同期できる。ISBNのない本はNotionにつけてて、これも便利です。Notion、まだまだ使いこなせているとはいえないけど、感触が好きです。ネット上に有志による熱いオススメがいっぱいあるアプリっていいよね。
BookBuddy
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そういう記録を年の終わりに見返したら、それまでの年にはそこまでではなかったジャンルが2022年にとつぜん増えていることに気がつきました。韓国の文学、グラフィックノベル、個人のZINE。いままであまり触れてこなかったけど、読み始めたらどんどん好きになりました。印象に残ってるものの感想メモです。
『大邱の夜、ソウルの夜』ソン・アラム
天真爛漫に育ったのち結婚生活の壁にぶつかった女の子と、家父長制が敷かれた家で自分を抑えながら育った女の子との、傷だらけの友情と闘いの物語。
夫婦間や家族間で言い争うシーンが多く、しかもそのひとつひとつがとてもリアル。激しい言葉と大声でののしり合うばかりではない、というところが真に迫りすぎている。揉め事のどれもが、ごく身近で見聞きした話そのまま(きっと誰が読んでも多かれ少なかれそう思う気がする)だし、しんどさも感じつつ読むことになった(とくにお母さんとの様々はつらかった)。
でも読み進めるにつれて登場人物たちはどんどん近い存在になってきて、まるで自分の友だちのちょっと重めな昔話を聞いているような気分になる。(そうなんだ……それから?)と相槌を打ちながらページをめくった。
このページ付近でのホンヨン(歯ブラシくわえてる子)の受け止め方もそうなんだけど、女の子の「ツレ」とでもいったらいいのかな、単なる仲良しとまた違う「ツレ」あるあるの描き方がすごく上手。あの子ってそーゆートコあんだよね、とちょっとだけ見くびるような気持ちとリスペクト、他者としての深い畏怖の念と私たち同じだねっていう思い、そういう一見矛盾するものが渾然一体となって友情を作っている感じ。
ホンヨンもコンジュもいい人で、若く未熟でもあって、言っちゃいけないことをそうと分かっていながら口にしてしまう幼さも持ってる一方で、大人として本心を閉じこめてもしまう。自己憐憫を捨てきることもできないし、徹底的に自分優先に振り切った生き方もできない。わたしだってそうだろう、と思う。きっとみんなもそうだ。
パワフルでもキラキラしてもいない、ハッピーな夢に溢れてもいないシスターフッドの物語は確実に必要だと強く感じた。それが人の心の抑え込んでいる部分に優しく語りかけ、何かの力を静かに育むことってたくさんあると思うから。長い時間の果てにであっても。
あとがき、訳者あとがき、解題の3つも充実していて、読めてよかった。よくぞページを割いてくれた。
表紙のデザインも好き。
『長距離漫画家の孤独』エイドリアン・トミネ
暗いんです。後ろ向きで、ネガティブ。でも読んでいるときのわたしの気持ちは暗くならないし、そのうちにだんだんトミネさんのことを好きになる。
ぐち、ぼやき、自分への呪詛、先の心配、とどまるところを知らぬ後悔。大人気作家の半自伝なはずなのに、ハッピーなサクセスストーリーなど出てきようもないムード。どうしてこうなってしまうの……。
もちろん絵がとても上手なのだけど、ページの中のトミネさんのいたたまれなさがいたたまれないほど、さらに手腕が光るように思った(技術面のことは何もわからないけど、なんとなくそんな気がした)。余計な力が入っていない優しい線のあつまりに見えるのに、くすんだやりきれなさがモヤモヤとこちらに迫ってくるみたい。そのうちにトミネさんが愛おしくなるの。つまり手練手管なのだ。なんてひとだろう。
初版のモレスキン仕立て(おしゃれすぎ。ぜいたく!)を買えたので、いつの日かこのゴムバンドがたるんたるんになっちゃうのかな……と思うけど、そうなったらなったでそれもきっと似合う。
日本でのサイン会のシーンはこちらが顔を覆いたくなったし、最後の手紙のシーンは泣きそうになっちゃったし、あとアレルギーの一件での気持ちの遣り場のなさっぷりったらもう、「抱きしめてあげたい!」と叫ぶしかないね。絶対迷惑。
「Gutsy Gritty Girl – ガッツィ・グリティ・ガール -」 シマ・シンヤ
ちょっとSF風味の短編集。
『Gutsy Gritty Girl』
「血縁だから」「最後だから」ではない。許せることも許せないこともある。カルテット(ドラマ)の第3話[1]だっけ?満島ひかりさんが演じるすずめちゃんが、確執があって20年会わずにきた父親の死に目に会うか否かで逡巡する回のこと思い出した。どちらに決めたってどうせすっきりなんてしやしないのだ。だからこそせめて許すかどうかは私が決める、わたしだってそうしたい。どうせそれっぽっちのことしかできないんだもの。
『宇宙の真ん中の隣』
宇宙の片隅で軽口をたたきあう、働く女子ふたり。侵入したり買収したり爆破したりする。
おそらく地球にはもう住めなくなっちゃった時代が舞台なのに、いまだ最低賃金ではなかなか人生の身動きがとれないようだ。つらい。だけどわたしもシェイが言う「ふたつ目とみっつ目を兼ねて」生きたいよ! できればみっつ目を重めで。
『Good Morning Ladies』
宇宙由来の寄生虫によって野生動物が異常進化、対応を誤った人類が激減した未来。3人の中年女性、キヨコ、ローラ、マヤがクマ(に似た形の、凶暴化した謎の巨大獣)を撃退する。
わたしにはヘムロックを摘む以上のことはできそうもないどころか、この世界で生き延びられる見込みが全くないわね…(足が遅すぎるし!)と思うと悲しいですが、ありがとうこゆり、って言ってもらえるならそれも幸せかも。そのくらい「おばさん」たちが格好いいんだ。
『キバタンのキーちゃん』
インコのキーちゃん、激動の半生を語る。鳥のこころ人知らず。
人間ってなんて儚い生き物なんでしょうね。だから健康診断はだいじ……。
『Man On The Shore』
それまでの人類を超える能力を持った人間として生まれ、忠実に働き、その結果ひどく自分を責めながら淵を彷徨う人と、目的を持って彼に会いに来た青年との海までの散歩。詳しくは語られない後悔と苦悩、描き込まれない背景の街の寂寥感。マイノリティへの抑圧がなくならないまま、その一方では「みんな」のためという名目で利用される……それってSFならではの話なんかでは絶対にない。
リオンは最後の最後にサインを出せてよかった。助けてくれ、とまでは叫べない人にも、なにか差し伸べられる手がありますように。
『Light and Specs』
刑事さんと「警察の備品」とのバディ・ストーリー。備品がね、備品が優しくてスマートで、それでいていじらしい最高の相棒なの! 割れてお別れになっちゃったらどうしよ……とドキドキしながら読んだので、安心して本を閉じられました。オムニバスの最後の話が優しく終わる本が大好きなのでうれしい。
装丁も好き。表紙のイラストがとてもかっこいいし、裏にはかわいいあの子がいるし。
『プロジェクト発酵記』香山哲
マンガの連載というプロジェクトのための準備、心構えや考え方を懇切丁寧に紐解いて解説してくれる本。わたしはマンガ描かないから自分に生かすとかじゃないけど、香山さんの作品が好きなので舞台裏を見せてもらいたいな……という気持ちで購入しましたが、違った。これは全くマンガ家さんに限らず、すべての「暮らす」人たちに向けて書かれた本です。
学校の課題をやること、友だちと旅行に行くこと、新しいバイトを探すこと、お昼ご飯を作って食べること、なにもかもプロジェクト。できれば苦は少なくスムーズにいって最後は実ってほしい。
日々の暮らしの中のプロジェクトと、限りある時間とリソースと、そして他ならぬ自分の気持ちと、どう折り合いながらやっていくかの考え方のヒントがたくさんあった。
かなり楽しかったのは、バーベキュー会のチラシ案パターンとそのブラッシュアップのところ。行きたいよ、そのたき火の会!(大やきそば大会も非常に気になりますね…)
なにかもっと広い視野の持ち方や新しい発想の仕方を自分にもたらしたいけど、かといって自己啓発本ヒット作の棚の前に行く気には全然なれない人におすすめ。具体的な提案やアイデアがいっぱい詰まっていながら、よくある煽りやジャッジや序列づけやなんかが完全に無です。かわりに真摯さと丁寧さと愛らしさと味わいに満ちている。香山さんほど上手にできなくても、なにか今までよりも落ち着いた心で仕事に向かえそうな気持ちになります。
そして『レタイトナイト』を読もう!
『わたしたちが光の速さで進めないなら』キム・チョヨプ
7編ぜんぶ女性が主人公のSF短編集。SFはあまり得意ではなかったけど『となりのヨンヒさん』が好きだったので手に取った。あとタイトルが気に入って。
SFとしての設定の緻密さや巧さで唸らせるようなタイプの本ではなくて、宇宙や科学のこと詳しく知らなくても大丈夫。そこにある人間の内面や他者とのコミュニケーションを描いている、というところは確かにヨンヒさんとも似てる。収録されているのはどれも、明るいストーリー、というのとは違うんだけれど、物語の根元には地下水のように優しさがそっと流れているよう。
たとえば「わたしたちが人間性だと思っているものが、実は外部の生命体からもたらされたものだったとしたら?」なんて設定の話、いくらでも恐ろしく作れそうなのに、あたたかく仕上げられている。
悲しいストーリーだけど表題作が好き。社会が大きく発展するとき、その影には切り捨てられる人がいる(例えその発展のために身を捧げたはずの人でさえも)——というのは、本当にただただ現実そのもののことだと思う。
この本はたしかにSFなのだけど、読んで向き合うことになるのはいつでも現実の諸々だ。
それにしてもヨンヒさんの時と同じく、この内容に対して「女性やマイノリティの行き過ぎた権利主張を声高に叫んでいないので好感が持てますね」みたいな書評(しかも個人の感想じゃなくてオフィシャルな)があったのにダメージを受けました。やれやれですわ……。
『大都会の愛し方』パク・サンヨン
ゆっきゅんがイベントで紹介してくれていて知った。ああ〜〜知れてよかったすぎる、ありがとう。
しみじみと好き。なんだか愛おしい本。
あとになってみたらみっともないくらいだった、すべてかのようだった恋愛の輝きが、その喪失までも眩しい。まだ過去にはなりきっていないはずの傷も、リズミカルな軽口でにぎやかに彩られていて、そんなの、本当なら誰にも触れないはずのものだけど、フィクションなら見せてもらえてしまって、本当にいいんでしょうかと思いながら読む。
軽く語っているようでどう見ても重たいし、家族や世間との間に常に起こる葛藤もつらいし、泣こうと思えば全然泣けるんだけど笑って話してくる友達を見てるみたい。そういう書き方のものって自虐ネタに見えたりするけど、でもこの本はちょっと違ってて……外部の視線から自分の心を守るためにおどけてみせているのではなく、このどうにもなんねえ世界でできる限り生きていくために自分に対してユーモアを使うような、それが主人公の戦い方、人生のプレースタイルみたいに感じた。
最初は人生を無駄にしているような一抹の罪悪感ぐらいは感じていたものの、時間が過ぎると、もうどうでもいいやと思うようになった。ただ金が使われるまま、人生が流れるまま、このまま流されてみよう。そうして部屋でテンピュールのベッドの上に横たわっていると、あ、これってマジでなにげに完璧な死の状態じゃないかと悟り、嫌気がさすことにすら嫌気がさすってあるんだなと知り、スマホを手にして普段はやらない Tinderを開いた。
—『大都会の愛し方 となりの国のものがたり』パク・サンヨン著 電子版p.187
『遅い雨期のバカンス』がなんだか好きだ。お互いに愛してなどいないけど、いちおう気にはかかる存在(でも圧倒的に赤の他人)との間にある、人肌のよそよそしさの描き方が気に入って。そして彼のディテールがわかってくるほど、そこにはいない別の人物の存在が、雨模様の景色に浮かび上がってくるようにじゅわっと濃くなる。
最後のほうでハビビ氏の髪を撫でて外に出るシーン、ストーリー上重要な場面とかでは別にないんだけど、なんかめちゃくちゃわかるよ……と思っちゃった。自分とはかけ離れた状況にある登場人物に無責任に「わかる」ってなる瞬間、あの変な気持ちよさのような不思議な感覚なんなんだろうね。
ほかの人の感想も読みたいなと思って検索していたら、この本を読んで「おもしろかった」と好意的な感想を寄せているのと同時に、物語中での”カイリー”のことを「愛は同じだと思うけどゲイ特有の問題だ、怖い」というふうに書いている文を見つけてしまって、しょんぼりと失望と憤りとやりきれなさの混合物で胸が埋まった。
“カイリー”とはHIVのこと(本文では一度ではっきりとではなく、徐々にそうとわかるように描かれている)。主人公は「どうせこいつとは死ぬまで一緒なんだから、耳ざわりのいいきれいな名前をつけてやろうと思って」と、自分の持病をそう呼ぶ。
わたしはいろいろな種類の差別やそれを支えている先入観だの思い込みに対して、切り崩してゆく力を創作が持っているって信じてはいる。けれど、それだけではだめだ、全然だめだということも折に触れ強く思う。知識が普及するだけでも、物語が心を動かすだけでも、全く及ばないところというのが確かにあり、両方が上手く揃いかみ合ったとしても、なお難しいことだらけだ。このことを考えるとつらい。けれど常にこのつらさの中で戦って、少しずつ少しずつラインを動かし続けている人がいるはずなのだ。たくさんの人が心を砕いてそれをやっているということを忘れずにいたいし、見たり読んだりするときには敬意を持ってその成果にあずかりたいというか、できる限り、なんというか……よい消費者でありたい。
この本もあとがきがすごく大事だった。
「小説の中で社会的に多少敏感なテーマを正面から扱ううえで、僕自身もこうしたあらゆる問題から自由ではいられないこと、自分も完全無欠ではないということを忘れずにいようと努力した」
(著者あとがきより)
「小説を通じて世界と対話したいと願っているのに、実際は小説のせいで世界を相手に毎日戦ってばかりという現実」
(訳者あとがきより)
『ペンギンの憂鬱』アンドレイ・クルコフ
ウクライナのことがあって思い出し、ひさしぶりに読んだ。
ペンギンと幼い女の子だなんて、この世でも屈指の可愛らしい取り合わせだし、全体を通してどこか夢の中のような雰囲気をまとっているのに、怖い。薄い氷のすぐ下に、大きな不穏が淡々と寄り添っている。わたしにきちんと知識があれば、当時の情勢にからめた微妙な風刺とかをもっと敏感に読み解けたんじゃないかと思うけど、そういうのが何もなくて作者に申し訳ない。それでも読書の楽しみは味わわせてもらえた。
ヴィクトル(主人公、冴えない作家)、ソーニャ(預かることになった4歳の女の子)、セルゲイ(ヴィクトルの友人。親切なクールガイ)、ミーシャ(うつ気味で不眠症のペンギン)の4人が潜伏生活で新年を迎えるシーンが好き。ここだけ切り取って小さな映画にして、静かな冬の夜にじゅうぶん暖かい部屋で観たい。雪の積もった庭を歩くペンギン、あかく燃える暖炉、小さいけどよくできたクリスマスツリー。果実酒を分け合い、細々とした家事をして、ひとり足りないトランプで遊んだら食卓を囲み、包みから出てくるのはあまりにも物騒なプレゼント。
冬(しかもウクライナの冬なので厳しそう)のシーンで気に入るものが出るのはめずらしいことだ(わたしの心のお気に入りフィクション一覧、圧倒的に春〜夏のシーンの方が多い)。これからどうなるのか全く分からないし未来に希望が見当たらない、そんな圧倒的な不安の中で、今この時のせめてもの安らぎをなんとか作りたいと思う大人が「生活」をやる、というようなのが好きなのかもしれない。セルゲイは全然長い付き合いじゃないのに、できるだけのことをしようとしてくれて、しかも深刻にならないように振る舞ってくれて、いい人だなあ。
続編『カタツムリの法則』の日本語訳はもう出ないのかしら……。
そのほか記憶に強く残っている本
『今夜、すべてのバーで』中島らも
身近でもそういうことがあり、変に思い出すのが怖かったから今まで読まずにきた本。
普通に面白い読書として読んで終われたのでほっとした。なるほどこういう内容だったのね、と妙な達成感がありました。
『イラクサ』アリス・マンロー
わぁ〜めっちゃわたしが好きそう〜と思いながら読み始め、すると思った以上に好きそうなちょっとクセある中年の女の人が大勢あらわれ、ツンとしてたりあざとかったり(これは近年使われる、褒め言葉のほうでのあざとさ)、かと思えば「あたしってほんとうにばか」と唇を噛んでいて抱きしめたくなったりした。それから著者がご存命だと知り、カナダの方角に向かい「好きです。書いてくださってありがとうございます」と念じた。これからもっと読んでいきたい。電子版も出たらいいのにな。いろんな場所で読んでみたい。
『すべての月、すべての年』ルシア・ベルリン
孤独で頼もしくて自由で過酷で、ユーモアがあってどこか優美で、そして暴力的で。『掃除婦のための手引き書』もそうだったけど、3回読んだくらいからようやく落ち着いて読み始めることができる。そして一生読み終わらないかもしれない、つまりコスパ最高の本です。
いろんな話があるけれど、どれも他人と主人公との距離や間合いがドライで、突き放すようなのに心地よく、いつでも終わり方がとびきりかっこいい。
それにしてもマーリーンのこと、何かの時に見かけたことあるような気がするな。
『空中スキップ』ジュディ・バドニッツ
わぁ〜めっちゃわたしが好きそう〜と思いながら読み始め、すると読んでいる途中で、こんな、こんなにもいかにもわたしの好きそうすぎる&実際好きすぎる本、なぜ出版されてから今まで長きに渡って読まずにいられたのか? いったい何をやっていたんだ……? となり、ただただびっくり&呆然とした。アメリカの方角に向かい「わー!好きです!めっちゃ好きです!ありがとう!この先めちゃ読みます!」と念じた。
まじで15年の間なにをしてたんでしょうね、深く反省すべきではないか。もっと早く読んでてください。自分に文句が止まりません。まったくもう。
『電車』が特に大好き。
フィクションではない本
『無人島のふたり 120日以上生きなきゃ日記』山本文緒
つらいので少しずつ読もう、薄目で見るみたいにしてなるべく心を預けることなく距離を保って読もう……と思っていたはずだったのに、気づいたらあっという間に読み終わっていた。やってしまった。案の定つらかった。だいたいタイトルだけでもう、胸がウッとなる。苦しい日々の中で書かれたことと書かれていないこと、その選択の精度と驚きの読みやすさ。読む人のことをずっと考えていてくれたんだろうなあ、と思う。
最後のページにきゅんとした。王子様と山本さんの安らかな時間が続きますように。
『布団の中から蜂起せよ』高島鈴
風前のともしびのようにチラチラと揺らぎながら決して消えはしない強さ、厳しく筋の通った優しさがにじむ本だった。切実な寛容さ。
「今日も何にもできなかった」という思いを抱いて辛くなったことのある人に読んでほしい。
個人的にはすべてが「そうだそうだ」と分かりやすくはなくて、もっとわたしに勉強が必要なところも多いんだけど、出たことそのもの、高島さんの中から生まれた言葉が質量や手触りを持ってわたしの部屋で物質として存在しているんだよということに、最大に勇気づけられた本です。
『日本のふしぎな夫婦同姓 社会学者、妻の姓を選ぶ』中井治郎
Twitterのジロウさんであることを知りながら読んではいても、読んでいるうちに集中してくるとそのことは薄らいできて、ふとしたある瞬間に「あー、これってあのジロウさんなんだよね」と突然思い出し、ふふ、ジロウさんったら……と少々ゆかいな気持ちになり、そのうち内容に引き込まれてまた忘れ、またふと思い出して、ふふ……というのを永遠にくり返していられる楽しい読書のお時間。
とはいえやっぱり日本の不甲斐ない部分を思い知ってやれやれすることにもなった。この件でひしと感じた「三権分立が分立してない」をまた思い出したり。
苗字、その人によって「名前の前半」であったり「家そのもの」であったりしてややこしい。お墓やなんかと結びついてることもあるだろうし、結婚、となった途端いきなり性別のアイデンティティと一体化したりする場面もありそうだし。
わたしも10代のときに両親の離婚で苗字どうするやいのやいの、になっていた時期は名前の半分が重たかった。「この先どちらの家のために大人(の女としての各種リソースの提供者)になるかの回答提出」みたいだった、たぶん。それまで別にいやでもなかった父方の名字だったけど、そうなるともう早く早く早く変えたくて気が急いた。
担任の先生に「学校の中だけでも今までの名前を使い続けることができるけど、そうするかい」と訊かれたとき、いや、この度の改名はわたしが望んでしたことなので! って元気よく答えたのをよく覚えている。そのとき先生が、そうかそうか、君の友達はからかうような人いないしな、何か困ったら言ってくれな、いい名前だな。と、軽く受け止めてくれて嬉しかったんだった。あと年配の国語の先生が新しい苗字をパッと思い出せず、2秒くらいウ〜とうめいてから苦し紛れにわたしを下の名前で呼んで、みんなで大笑いしたのも楽しかったな。
それから長い長い年月を経て、いまのわたしはすっかり「苗字が変わるのもうまっぴら」になっている。もしかしたらまだ、初めて自分で決めてどうにかした戦利品のように思っているのかもしれない。苗字、ややこしい。でも、あのときあれは確かに戦いだったんだよなあ。そんなことになってしまわざるをえなかった仕組み自体が重くてわずらわしいよ、どうにかなりませんかね。
個人のZINE
もう感想を書く余裕がないけど、好きなもの
『日常事態宣言 – twitter zine -』
『大学祭と地底人』松村生活
オカルト探偵部シリーズ全部大好き。
『銀座線で見た野良サイン(2016年)』Eidantoei
『A is OK. vol.1-2』to
『DOMINANT STORY – I’M A BOY-』カナイフユキ
『曖昧日記 2017年8月〜2018年1月』pha
phaさんのこと、自分とぜんぜん共通するところがない、あまりにもないのにどうしてか親しみを感じることがあって、なんだろうなあ……と思っていたけどこの本を読んでひとつわかりました。
「日記の書き出しを『だめだ』とか『しんどい』などの体調のだめさで始めがち」という共通点があります。これが一緒。ほんとに一緒。こころづよいほどに。
↑1 | だっけ?満島ひかりさんが演じるすずめちゃんが、確執があって20年会わずにきた父親の死に目に会うか否かで逡巡する回 |
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