ひとつくさってふたつ芽吹いて

東京都写真美術館の一件から、半年以上が過ぎました。

担当者の方から複数回お返事をいただけましたが、当時わたしは疲れ果てており、改めて報告のような形をとりませんでした。本当はそうするべきでしたが、お返事を受け取ったということ以上にはもう何も言えませんでした。
それよりも少し前に、今までは批判する人さえほとんどいなかったことを問題視する契機を作り出したことであなたはもう十分役割を果たしています、と松沢呉一さんに声をかけていただいたのをきっかけに、ああもう何もできないけどそれでいい、今やるべきことは自分の心身を守ることだ、と思うに至っていたのです。
(松沢さんからは個人的なねぎらいの言葉としても、また連載されているウェブマガジンで当時の記事内容からもたくさんの得がたい視点や導き、また励ましをいただき感謝しています)

時間が経ってしまいましたが、いただいたお返事は主にこのようなものでした。

  • 本来は撮影OKの店ではないことは、作家本人から企画者に語られていた
  • しかし、そこで撮影されたのが作家が無断で強行に及んだゆえであったことを把握していなかった
    そのため当時倫理的な懸念を持つに至らなかった
  • 展示当時、お客様から疑問視するご意見もなかった
  • しかし事実があのようなものであるなら主催者として大変に遺憾である
    椎名さんに不安な気持ちを味わわせた事実とお伝えいただいたご意見を重く受け止める
  • 作家に対しては撮影手法について慎重に対応すべきであったと申し入れた
  • 展示の可能性がある作品に倫理・人道上の問題や、特定の個人を傷つける恐れのある場合は、当事者の立場に立った最善の対応に努めたい

結果的に皆様に不快をもたらしたなら遺憾です、というよく見るあれではなくて、椎名さんを不安にさせました、とはっきり言ってくれたことがわたしを安堵させました。送ったものの内容は読まれた、と思えましたし、身も蓋もないような表現をすると、少なくとも言葉の上で、性風俗業に従事していない人と同等の扱いを受けた、と思えたのです。その気持ちがどんなものかは、伝わりにくいかもしれません。そうですね、たとえば「被害者がホステスや風俗嬢であったことが加害者の罪の重さに影響した判例がある」とか、そういう事実(そう、事実です)(影響、の方向はご想像の通りです)(歴史上の話、ではありません)に思いを馳せていただくとちょっとは想像しやすくなる……かもしれないです。

それからもしばらくは、写美の学芸員の方がお書きになった本を読んだりしながら緩やかに長いこと考えていました。そしてやがて「これからも行きたい展示があれば美術館に足を運ぼう」「わたしを傷つける存在としてそれを避けたり諦めるのは早い」「こういった問題はこの先も考え続けられるべきだが、そのために本件にこれ以上に追及するべきものがあるのだとしても、それはわたしが背負うものではない、これ以上は背負えない」という気持ちにたどり着きました。
それから、もしまたどこかで同じように特定の職業の人を不安に陥れるような脅威があったなら、その相手が公共の施設であっても「自分は世間から後ろ指をさされかねない人間だから」と顔を覆って閉じこもらず、勇気を出して声をかけられるといいな、と。それが今のところのわたしの気持ちです。解決しましたとは言うつもりもなければわたしがそんなことを言える筋合いも全くありませんので、その点は誤解なさいませんよう念のためお願いいたします。

さて、ゲストブックをどうしたものかしら、としばらく考えていました。

いつの間にか偏見発表会(無自覚部門も開催だよ!)みたいになっちゃってるところがあり、わたし以外の方の目に触れさせても不毛かな、と思って。
いつまでこんなこと続くのかしら。きっと、いつまでもでしょうね。

今もなお「感情的でない」という理由で誉められたりすることがちらほらあり、わたしはその表現に接するたびに嫌悪感を抱きます。
わたしの書いたものたちは感情のかたまりであったはずです。必死で自分の感情についてお話しさせてもらったんですのに? と。

「感情的」という言葉は「激しくヒステリック」「取り乱していて見るに堪えない」みたいな意味で使われているのでしょう。つまり「あなたは興奮した様子じゃありませんね。だから支持します」「あなたの喋りはみっともなくないので、聞くに値すると思います」そういうことなのでしょうか。彼らはこの思いの何を受け取ってくれたのでしょう、わたしは安心することができません。

その一方で「感情論に終始しており冷静な意見とは言えない」「重大な犯罪でもない話に感情を持ち込んでぎゃあぎゃあと」「これだから女はみっともない」とも同時に言われるわけです。彼らが話を聞いてくれるように思いを伝えることはとても難しく(なんせ「思い」ですから、感情の話ですよ)、わたしの能力ではできません。

感情というものがなぜ、このように嫌われ、避けられるのでしょう。誰も逃れられないはずのものなのに。
感情を存在させた瞬間に論理が、その正当性が即座に失われるかのように言われることさえもありますが、本当にそうなんでしょうか。同時には存在できないものなのかしら。

感情を抑えた話し合いが必要な場面はいっぱいありますね。個人の感情を持ち出すとにっちもさっちもいかなくなったりして。
でも、あの時のわたしの行為は「写真をはじめとした芸術表現にまつわる有意義な議論を交わす任務を自ら買って出た」ようなものではなかったです。「この展示がわたし(を含む性労働者)の人権を損なう可能性、それを見てください、それがそこにあると言ってくれますか、と訴えかけた」つもりのものです。
それが結果的に知識ある方によって有意義な議論となり、その種のひとつぶとなれるなら幸いではあるけれど……と思いながら、わたしはわたし自身の持つ権利に限って主張するよう心がけました。芸術を知らない、法律を知らない、タイという国のことも知らないわたしがせめて誰にも失礼にならない誠実な態度で公共の場に意見を述べるには、そうあるべきだと考えたからです。
わたしがわたしの話をするのです、わたしの話せるように話す以外ありません。

その内容を「この女は感情的か否か」という基準で査定しようとやって来る人々が望んでいるものは果たしてなんなのだろう、どんな理想のもとに行われる裁きなのだろうと考えますが、やはり難しいです。途方に暮れるばかりで答えは見つかりません。

一切の感情表現をせずに事実だけを並べたものと比べて気持ちの話に触れたものは劣っているのだ、冷静に俯瞰で中立から物事を論じるのが知的な態度であり感情を口にする者は幼稚で愚かだ、という雰囲気、なんとなく感じたことがありませんか。それこそが何らかの感情に振り回された結果のようにわたしには思えてならないのです。「中立」や「冷静」「論理的」に憧れて、ははんそれじゃダメだねと丘の上から品評する態度のほうがよほど幼稚で臆病なものではないだろうか、と。
そのような振る舞いは、いずれどんなところへ行き着くのでしょう。少なくとも実りある対話を目指す意思は伝わってきません。

他人の目に触れるSNS上で行われるものに限って言えば、自分とはあまりに関係ない世界の人間の話だという認識のもと、安全な場所からあれこれ論じる賢さのパフォーマンス、知性のアピールの題材とするに適したテーマだぞ、と見い出されたのかもしれない、と思います。
また、「おおなんと現役の風俗嬢が!差別されながら頑張る珍しくて健気なこの子の声を聞きやがれインテリ野郎ども!」みたいなおめでたい引っかき回し(最低ですね、でも見ました)と一緒にされたくない気持ちからのことかもしれません。「こんなきっかけで自らについてマジメに振り返るなんて、日頃物事を考えてもおらずセンセーショナルなものにすぐほだされる感傷的な甘ちゃん」「憤ってみせるなんて、私は女性に優しいのですアピールかよ」というレッテルを貼って回る人(これらも最低ですね、でも見ました)から逃れたい気持ちのあまり、わたし個人の存在を軽く見積もり切って捨て、あらかじめ周囲にアピールしておくに至った、そんなような心の動きもあるかもしれません。

もしかしてそんな感じなのかな、と思わされたケース、ちょっとありました。
そうして自分を守ろうとするのも、また感情のひとつです。でも彼らが怖いのなら(それは実際確かにとても怖いものです、わたしも心から怖れます)、せめて黙っていることができるのに。
自分自身の持つ知性を粗末に扱うかのような行いだと思いますし、いつでもそうしていると自尊心というか、なにか元気の素みたいなものがこわれてしまいそうです。

美術館に対する恐れがいくぶん解消されたのと同時に発信し続ける気力がすっかり尽きたために、わたしは以後この件をテーマとして何か書いたりはしていません。ある著名な方に、彼の登壇したトークイベントで「タイの売春婦と自分は同じ、と言い代弁するのは良くない」とご批判を受けた際には匿名の攻撃的なメールが増えて辟易しましたが、そのままにしてしまいました。
(今なら少しは言葉が出ます。「わたしもタイのセックスワーカーと同じです」と言うことと「あなた(=社会)はわたしをかつてのタイのセックスワーカーにしたのと同じように扱うつもりがありますか?」と問いかけることはわたしにとって全く違うつもりでいましたが、伝え方が間違っていたでしょうか、と。しかし彼がわたしを「最強の弱者」「厄介」と表現なさった文を読むと、教えを請うたとしてただのご迷惑にしかならなかったでしょうから、黙っていてよかったと今は思っています。)
また先ほども書きましたが、美術館に対するわだかまりも現在特に大きなものを抱えているわけではありません。ゲストブック上やメールで時々ご意見が送られてくること以外は、わたしはあの頃の騒がしさから、おおむね離れることができています。

でも、最初のメールを書いたあのときの気持ち——写真家でも美術館でもないもっと大勢の他人に対して感じた抗えない巨大な恐怖(当時は「4への気持ち」と名前をつけていましたね)——が消えてなくなったわけではありません。そこから離れることはできません。だから、完全に口を閉ざすこともできないのですが、恐怖について語る限りこれからも時には小石が飛んでくるんだなあと思うと、そりゃあ、少しは憂鬱です。

こころよくない感情は、それが自分に向けられたものではなくても気持ちのいいものではないでしょう。わたしもそうです。
ですがそれを持ち表明する権利は誰にでもあって、それはとても大切なものです(それで他人の権利をおかすならもちろん制限されるべきだと思いますが、今回わたしはそのような間違いを犯してはいないはずですので、失敗だのと言われる筋合いはないでしょう)。

そういった類の感情はどうしてか、持たないことや隠すことが美徳のように扱われることがありますね。でも決して無かったことにして良いものではないはずです。見物客の他人がそう促しねじ曲げるなんてもってのほかです。それはその人の尊厳とぴったりくっついていますもの。
表し方をああだこうだと取り上げて当然のように査定し、やれ感情的だの冷静だの、ほめてみたりけなしてみたり、どちらからの言葉もわたしにとっては同じです。それなのに心の表面をジャリジャリと傷つけてゆくので困ったものです。

「冷静でイイね」「感情的でダメだね」「優しすぎ」「生意気」「チェンジw」「こういう女の鼻をへし折ると興奮する」「風俗嬢は天使」「売春婦が人権を主張するなんて嫌な世の中」「早く結婚すればいい」「早く死ねばいい」「あなたなら差別しませんので頑張れ」「で、美人なの?」
励ましでも寄り添いでも叱咤でもない、ご指導でもご鞭撻でもない、敬意も礼儀も省かれた品評、採点、嘲笑。それを広く発信する、あまつさえわたし本人の元へと届ける行為はなんのためなのでしょう。あなたがわたしをどう思うかなんて、わたしばかりかこの世の誰の役にも立たない。なぜそのとき話し合われている問題ではなくわたしばかりを見るのでしょう、論じるのでしょう。……まさか不器用な愛の表現? なわけないよね。万が一愛ゆえの行いだとしても破壊を伴うと効率が悪い、ということは既に先人が指摘している(*) 通りです。
問題に関するあなたの思いを、心に生まれたものを、あなたはどう考えたのかを語ってくだされば、少なくとも「椎名こゆりクロスレビュー大会」よりはよほど道が開けるはずなのに。あなたの好むであろう「冷静で論理的な態度」にだってよほど近いのに。
それは、いやなんですか。わたしと話したくなんかなくていいんです、あなたの心に、好きな人に、もしくはまだ出会っていない人に向けて語りかけることは、世界とあなたの役に少しも立ちませんか。

あ、そうだった。ゲストブックをどうしよう、と思っていたんです。
「はあ、こういった属性の人がこのような思いをこんな感じに発信するとこういう風に言われたりするんだなあ」という資料的な価値(というと何でもちょっとよいもののように思えるので好きな言葉です)というか、なにかを考える際の材料となりそうな気もしますしので、今はそのままにしようかな、と思います。今回はたまたま「風俗嬢」という属性のお話ですが、こういうのって一事が万事で、どこでも同じようなことは起こります。起こらないよ、と思ってもすこし辺りを見渡せば、無視できない距離の場所で起こっているものでしょうから。

どうぞこれからもお気軽に書いてください。

そして何度も言いますけれど(何度でも言わなくてはなりません)、
わたし以外の性労働者に対するご自身の見方を省みたと言ってくれた方、売春によって糧を得た過去をご自身の中でどう扱うかという問題に勇気を持つことにしたと語ってくれた方、暴力に対する恐怖と、自分もまた無自覚に暴力の側に立ってしまう可能性への恐怖について考えたと言ってくれた方、そのように感情にあふれた理性的なお話を伝えてきてくださった方々もたくさんいらっしゃいました。すべてにお返事をすることができませんでしたが、わたしの心の奥深いところをそっと撫でてもらったと感じています。心の奥にある掲示板はそれらの力強い言葉で埋め尽くされ、今もなお支えられていますし、感謝しています。

あのときわたしが書いたものはすべて、長たらしく言葉を重ねた悲鳴でした。冗長で言葉の多い、嗚咽でした。

空の下にきょうも、大きな小さなさまざまな声があります。明日もあさっても。
声をあげたことでわたしは消費され、確かに何かを失いました。ほとほと疲れました。でも、植わった種もあったのではないかと自分に言い聞かせています。水のある場所に落ちた種もあったはずだと。
わたしの声を聞きつけてとにかく手を差し出してくださった他人がそこに何人もいた。語ってくださった感情がわたしを支えた。この先も自分の感情を語り表す勇気を持ち続けていられるよう、このことを思い出しながら心を守り保っていられればと強く思います。それはきっとわたしが誰かに手を差し出す側となったときの力ともなるものでしょう。
そうしてあなたとわたしの感情はいつかさらに強い形で支え合えるかもしれません。その芽吹きが、嘲笑の小石飛び交う中のことでなければ、ずっと素敵なのだけど。

長いエントリをお読みくださりありがとうございました。

えっこんなにいっぱいあるの……(これで全部じゃないんだよぜんぜん)(あともう4倍くらいあった)。
めちゃめちゃ愛されてるねこの曲!!


このエントリを読んで当時のことに興味を持ち知りたいと思ってくださる方もいらっしゃるかもしれませんので、どのようなことがあったのかだいたいわかるように簡単にリンクをまとめました
本文中に書きましたことをご理解くださいますようお願いいたします
東京都写真美術館にて過去に展示された作品の撮影手法に関する問題が取りざたされた際、ネット上で起こったことの簡単な記録(2014年12月〜)

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