ゆきよさんのこと

大塚幸代さんのことをわたしはゆきよさんと呼んでいた。mixiの登録名が「ゆきよ」だったし。初めてメールを交わしてから、もしかしたらあっという間に10年ほど経ってしまっているかもしれない。それらの短いやり取りは昔のMacや退会してしまったmixiや捨ててしまった二つ折りの携帯電話にちりばめられていて、もうたどることができない。

わたしはまだ本職の風俗嬢ではなかった。身体を壊して堅気の仕事をやめ、療養生活の真っ最中だっただろうか、少し回復してアルバイトを始めた頃だっただろうか、記憶があいまいではっきりしない。ゆきよさんは、もうフリーランスのライターとしてデイリーポータル(その頃はさいごにZがついていたかいなかったか、自信がない)などで活躍されていた。

きっかけが何だったのか忘れてしまったけれど、わたしがゆきよさんにファンレターを書いたのだろう。とかくインターネットが友だちにならざるをえない療養生活(通院以外の外出がままならなかったので)でデイリーポータルはわたしのオアシスであり、彼女の書くものが好きだった。大塚さんの書く文章はセンシティブすぎて、という人もいることは知っていて、センシティブ、と表現されるものを感じ取ることは当時のわたしにもできた。けれど、ゆきよさんの方がうんとうんと先のほうをゆく大人の女性だったからだろう、憧れのお姉さんだったから、その「センシティブ」がわたしを傷つけることはなかった。
むしろ、揺れる気持ちを揺れるまま書き、ものわかりよい割り切った文章でまとめていないところが心強く感じられていた。突然大きく不安定になった人生にうまく慣れられずにいた幼いわたしは、不安定を隠さない彼女が遠くまぶしく、とても自立して見えたものだったから。

そして原稿からはあんなにも鋭く繊細な感性が滲み出ているのに、わたしにくれるメールの書き出しはだいたい「どもどもす〜」だの「ニャニャー!」だので、そのちょっぴりおどけた感じがとても可愛らしく見えて、惹きつけられた。

月に数通ずつ、ゆるいゆるいやり取りをして、しばらくして実際にお会いする機会があった。そのころにはもう自由に外出できる程度に回復していて、時給800円のアルバイトの傍らイメクラの仕事も始めていたと思う。
ゆきよさんはスラリとした長身の可愛いお姉さんで、わたしがユリですと名乗るとにっこり笑って「ああ、はじめましてー!」と言った。

その日わたしはレストローズのワンピースを着ていた。ゆきよさんにほめられて有頂天だったから、よく覚えている。薄い紫か水色のバラ柄にリボンがついたものだったと思う。ワンピースっていいよねえ、女の子の特権だもんねえ、というゆきよさんに、ゆきよさんは着ないのワンピース、と言うと、わたし172センチくらいあるからさあ、売ってるワンピース、着るとだいたい短くなりすぎて、なかなか、だめでねえ。と言って笑った。140センチ台のわたしはチュニックにショートパンツを合わせると、短すぎるワンピースを着ているように見えて「なかなか、だめ」になりがちだということを話した。
「ああ、そっかああ、なるほどねえ、大きいのも小さいのも、いろいろあるんだあ」とゆきよさんはまた微笑んでくれて、やっぱりわたしは有頂天だった。

とりとめのない話をした。洋服のこと、アクセサリーのこと、アイドルのこと。中川翔子さんのブログについてあれはすばらしいねと話した記憶がうっすらとある。しょこたんが「ギザ神」と言ったアイシャドウをついわたしも買ってしまった話とか。渋谷でのサイン会に行きそびれた話とか。当時お守りとしてつけていたピンキーリングをゆきよさんはほめてくれ、サイズをきかれ、0号だよってこたえたら、なにかのツボに入ってくれたらしくゼロってなにそれゼロとかあるんだすごくないウフフと盛り上がったりとか。ダブルユーに対する複雑な気持ちなども話した気がする。
わたしたちが並ぶシルエットは「大人と子ども」のようで、それはそのまま内面の成熟度と同じような気がしていた。ひとまわりも違えばあたりまえなのかもしれないけれど、それ以上にわたしの知らないことをたくさんたくさん持っているふうに見えた。

だからだろうか、わたしも好きだったけど、小沢健二の話だけは一度もしなかった。
それはゆきよさんの聖域のように感じていたから。ランドセルをしょって今夜はブギーバックを、歌詞の意味も大して分からずにきいていたわたしのような子どもが口にしてはならない話題のように思えたんだろう。立ち入ることはできなかった。それに、フェイクやクイックジャパンでの活躍と目の前のお姉さんとは、それらがわたしにとってリアルタイムでないこともあり、うまく結びつかなかった。

 

なんのタイミングだったかもうよくわからないのだけれど、風俗の仕事をしている、ということはなぜだかツルリとカミングアウトしてしまった。
ゆきよさんは驚いてみせたりしなかった。そっかーそうなんだ、と言い、身体にだけは気をつけてね、と言った。

家に帰って、次の日だったろうか。メールが届いた。

「私なんかが言わなくても、ぜったいぜんぜんご自覚あるとおもうんだけど、よくさあ、減るもんじゃなし、って言い方する人いるじゃない。でも、絶対、減るよね……と思う、いろいろ」

今の、2015年の、試行錯誤しつつそこそこの経験と実績を積んでセックスワーカーである自分をある程度(このある程度っていうものの内訳は、ひどく複雑で難しいんだけれど)肯定しているわたしに、なんの交流も友情もない助言を求めたわけでもない見ず知らずの人がこの言葉だけを言ってきたならば、傷つくかもしれないと思う。減る、という言葉で表現されている事柄は風俗業のある一面でしかないし、それはなにも性風俗の職場にのみ存在するものではないし、安全な場所から知ったようなことを言わないでくださいと思うかもしれない。
だけどわたしたちがそれまでに交わしたものたちの上では、このメールはとても嬉しかった。「減るもんじゃなしと時に人は言うが、減る」ということを分かってくれている、というのがまず嬉しかったし、ゆきよさんがわたしの心身を案じてくれているということも素直に嬉しかった。ご自覚あるとおもうんだけど、というなんだかリズムの悪い言葉がとてもいとしく思えた。

そのメールの最後はこうだった。

「あのさ、あのさ、ほんとはいちばんやりたい仕事、とかって……ない?ですか?」

そしてその下にこう書き添えられていた。

(とかいって、私ない!)

ゆきよさんらしい言葉だなあと思えたし、また怒られも泣かれもしないというだけでも、わたしは救われていた。
いちばんやりたい仕事とかまだよくわからないけれど、ライターは楽しい?ときくと、楽しいかどうかって考えると確かに楽しいけれど、いつでも楽しいといえるほどの余裕がない、プロになってからというものとにかく自信がなくってね、それが私のだめなところ、と言っていた。

そのころゆきよさんが「おそらくコスプレイヤーの女の子でちょっと気になるんだけど、どこのなんという子か情報がないんだよね」と何の気なしに見せてくれた写真が、思いきりかつての同僚だった、ということがあった。誰かが個人的にギャラを出して撮影した写真を流出させたのか、安っぽくてきわどい衣装で知っている子が写っていた。彼女は地下アイドルのような仕事から風俗店に勤め、美容整形を受けて女優の道へ進むのが夢だと言って去っていった子だった。
そのことを告げるとゆきよさんは、なるほどじゃあできれば掘り起こされないべきものってことだね、と言い、たしかその場で写真を消去してしまった。なんでもないことのように(たぶんあれは、誰かから調べてほしいと頼まれたものではなかっただろうか)。
自分のことではないし、その女の子ととくべつに仲が良かったわけでも全然ないけれど、心の中の穴が塞がれたような気がして、得がたいできごとだった。

 

けれど、それからわたしたちのゆるいやり取りは急激に頻度が減っていく。
わたしは風俗業をメインの仕事にし、減るもんを減らしながらも働き続けた。そこでセックスワークに伴うたくさんのおもしろさや苦しみやつらい謎に行き当たった。自分なりに考えることがたくさん生まれ、それをネット上に書き綴り始めた。読者ができて、同業の友だちが、先輩ができた。年齢も重ね、15歳年上の人ともいくらかは、少なくとも20歳の時よりはお互いに対等にいられるようになった。椎名こゆり、というペンネームができたころには、ゆきよさんとのメールのやり取りはもう完全に途絶えていた。

ゆきよさんの文章は、変わらず読んでいた。昔に比べると、読んでいて苦しくなったり、心の揺れが迫りすぎて切ないこともあった。そうか、これのことか、と思った。このひとをほうっておけない、ほうっておいてはいけないんじゃないか、という気持ちにさせられることが増えて、ドキドキしながら読んだ。そして、そのほうっておけなさはゆきよさんの変化なのか、以前のわたしには読み取れなかったものなのか、わからなかった。

それでもゆきよさんは憧れのお姉さんであることに変わりなかった。声をかけたいな、と何度も思って、それにはtwitterで話しかけるのがいちばん気楽でいいような気がしたけれど、twitterでのわたしはもうすっかりすべて椎名こゆりであって、ゆきよさんの知る「ユリちゃん」ではなかった。いつかはまた話せたらいいな、きっとできるよね、もしかしたらもっと年を取って、おばちゃんになって、ふたりの内側が「おねえさんとコドモ」でなくなれば。背の高いおばちゃんと背の低いおばちゃん、くらいになれば。そんなことを思って、気持ちをたたんでしまっておいた。

こうして書いていてはっきりとわかる。わたしは怖れていたのだと。

まだ風俗嬢やっているんだよ、と言うのが怖かった。
いつか心配してくれたような未来にはなっていないよ、と説明できる自信もなかった。
ゆきよさんにがっかりされるのがこわかった。
もしもそうなってしまったとき、受け入れられるかどうかとても自信がなかった。

自信がなかったんだよ。自信。じしん。

 

最後のほう、ゆきよさんは何度かわたしに言ってくれた。

女の子は自信を持つに限ると思うんだよねー。
根拠なんかなくてよくて。根拠のない自信を持っている子が、人に大切にされたり、愛されたり、成功したりで、幸福になる気がするんですよ。いやユリちゃんはかわいこちゃんだから大丈夫だとは思うけどさー、やっぱ、時々、ちょっと心配になります、おねえさんとしては。
ズーズーしくね、なりなね。そのくらいで、ちょうどいいんじゃないかと思います。
ユリちゃんの未来が幸福であるように祈ってる。だから、自信を持って。

そんなようなことを。

 

ゆきよさん。わたし、持てなかった、自信。ほかでもないあなたの前で。ごめんなさい。
あんなに言ってくれたのにね。

わたしの知っているゆきよさんは本当にほんの一部だけで、お話できた時間もごく短い。それ以上に近づいたとして仲良くなれたのかどうか、ゆきよさんはわたしのような人を好きだと思ってくれたかどうか、少しも自信がないのだけど、ああ、また自信って言っちゃった。そこからは、なにが見えるのかな。クレージュのアイシャドウはずっと前に廃番になって、後生大事にひとつだけとってあったんだけど去年捨てちゃったよ。もしなにかの拍子でわたしのこと思い出したら、そいでそのうち時間ができたら、またちょっと祈ってくれますか。わたしもわたしの未来について祈るから、一緒に祈ろうよ。ねえズーズーしいってこんな感じで、いい?

 

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Facebookで北尾修一さんという方が書かれていた文章を読み、そこに綴られていたのはわたしの全く存じ上げない面のゆきよさんでしたが、読ませていただくことで気持ちの整理をお手伝いしてくれるように感じられましたので、わたしもこのように個人的な思い出を振り返りました。
北尾さんが「リクエスト」されていた曲、わたしは初めて聴いたのだけれど、すてきだった。

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