またフィクションの指と仕事の話ですみません。こんなことばかり考えているもので。
去年『逃げ恥』のキスシーンがちょっと話題になったことがあった。
恋愛経験がまったくない男の人が、感極まって衝動的にしてしまうキス……という設定の場面なのに、相手役の女優さんの手に重ねた指が動くその様があまりに情緒的で、「これは女性に慣れたモテ男でなければできない芸当なのでは!?」「演出ではなく、演じている人の素の部分が出ているのでは!?」って。
それをきいてノコノコとTverでそのシーンを見ちゃったんだけど、
ああ、うーん、でも、全体的に不慣れでぎこちなくて、てんで分かってなくてヘンテコなこともたくさんやらかして、だけど本人もそれを重々承知しているから謙虚でいてくれてふたりで目的地を探せる……って感じのお客さん(たまにいます)が突然自然で滑らかでこっちがびっくりするような動きをひとつだけ(ひとつだけ…)すること、ある、あるよなあ——
って思いました。それで(あれれーなんだ今のは!?)と思って「今のもういっかいしてよ♡」って言うと、ちっとも再現できなかったり、それどころか本人はまったくの無意識で、なんのことだかも分かっていなくて二度とできなかったりするの。
その一瞬は確かにたった今ここに存在したのに、もうわたしの記憶の中にだけ閉じこめられて誰も永遠に取り出せない。そしてわたしも時間がきて退室すればあっけなく忘れてしまう。忘れてしまったけど、何度もあった、何度もこんな風に触れてもらったんだってことは覚えてる、知っている。それ以外のすべて、相手のこととかは、きれいさっぱり忘れてしまったけど。
そんなふうに思うと、あのキスシーンも案外リアルな気がしてきて。とめどなく恋する気持ちが溢れてあなたも私を好きになればいいのにと大それたことを堂々と神様に願うように挑戦的にも見える、でもただひたすら小さなものを消えないでくれと祈り愛おしんでいるようにも見える、不思議な指の動き。
演技の一環なのか、それとも誰かが言ってたみたいに俳優さんの無意識の仕草なのかはわたしはちっとも分からないけど、あの繊細な指の動きとキスの切羽詰まり感とのギャップ、けっこう好きでした。
そこまで考えて、ああ、こないださんざん書き散らした「ヴィクトルさんの指の動き方めっちゃヤバくないすか!?」っていうの、あれは絵だから「無意識のうちにそう動いてました」とか「なにかのタイミングで偶然そういうふうになってました」あと「役者さんがたまたまこういう体格だったから必然的にこうなりました」っていうのはないってことか、いつでも描いた人の意図がそこにあってそうなってるんだよね、絵だから。と思ってしばらくポヤ〜ンってなってました。すごい当たり前だけど。絵を動かしてお芝居にするって、アニメーションってすごい。
わたしの気づいてないこと、意図した通りに受け取れていないこと、いっぱいあるんだろうな。意図したのときっと全然ちがうふうに興味を持ったことも、いっぱいあるし。こないだのティッシュの話とかほんとひどい。
去年読んでとてもおもしろかった本のひとつに、『触れることの科学: なぜ感じるのか どう感じるのか 』(デイヴィッド・J. リンデン著)があります。
五感の中でちょっとあとまわしにされることのある「触覚」について、あれやこれやとことん語る本。皮膚、神経、脳、かゆみ、痛み、熱い冷たい、錯覚、それから、性的な感覚のことも。触覚に関する話題だけで埋め尽くされた1冊だった。もしかしたら仕事の参考になるかも、という下心で読んだのだけどこれが本当にためになったの。
わたしたちの皮膚にはいくつかのセンサーがあり、それぞれ振動してるだとか、引っ張られてるだとか、そういう刺激を感じ取っては信号を脳に伝え、わたしがボケーッとしてる時も絶え間なく仕事をしてくれているのだけど、「誰かに触れられて、心地よい」の信号を送る仕事専用のセンサーがあるんですって。人と人とがふれ合う(セクシャルな意味合いを持ったふれ合いだけじゃなくて)こと、そこにある感情のトーンを読み取ることに特化したセンサー。
このセンサーが作動する触れ方には決まった条件があって(第3章に書いてあるよ)、優しく触られた、って検知しないと動かないのだけど、それを満たしていると
〈実際に触られたときだけでなく、映画などで誰か他人が触られているところを見た場合にも、同じ形で作動する〉
んだそうです。きゃっ。本当ですかそれ。なんか、ファンタジーみたい! でも事実なんだよね。皮膚ってすごい。人間の身体ってときどきこんなにもロマンティック。
ティッシュの話の時に書いた「ただの『よく動く性分の人』には見えなくて、エレガントで余裕があって、惜しみなく分け与える感がすごくて」「歩み寄りと慈しみに少しのお誘いが乗っかったボディランゲージ」っていうの、あの感動、あれはたぶんわたしのセンサーが働いたんだよね。たしかに条件を満たしていると思うんですよ、ヴィクトルさんがユウリくんに指で触れるときの動き。
うわあ、絵でもいいんだ……!!
心地よさが脳に伝わる条件を満たしていて、なおかつ見たときに美しくて、あとは表情とか声のトーンや言葉の組み合わせが行き違わなければ「自分の肉体が少なくとも今このとき、目の前の他人から大切なものとして扱われている、尊重されている」っていう難しいメッセージ(そう、難しい、これはコマーシャルセックスだと途端にとても難しいのです、そのことがわたしはいつももどかしいけれど、個人の努力では太刀打ちできない大きな壁が世の中にある)を伝えるのにきっと適してる。
シンプルにわたしもそんなふうに触れられてみたいっていうのもそうだし、その触れ方をしてあげられたらきっと心地よくたのしく感じてくれるだろう人に心当たりがたくさんあった。
もっと素敵な気分にしてあげられるかも、もっと安心感をもたらしてあげられるかも、お金でサービスを買うことになぜか貼り付けられた後ろめたさを軽減して、楽しいギブアンドテイクに感じてもらえやすくなるかも……そういう希望が生まれたんでした。
だから「もっと近くでちゃんと見せてほしい、わたしもできるようになりたい」って思って生まれて初めてアニメーションの中の人に憧れたんだと思う。いますぐ弟子入りしたい! 先生おカバンお持ちします! しかしヴィクトル師匠のおカバンはとても持てないほど数があった上におそらくカバン本体だけで目から火が出るほどの金額、さらに何よりお弟子さんの枠は埋まっていることが明らかよね。知ってる。だから自分なりに見て学んで応用して(そのままだと派手だし、あとなんといっても彼の身体は絵なので手の屈折腱とかの仕組みがわたしとは違う。薬指だけを自由に動かすこともきっとできる)(うらやましすぎる)、少しずつ日々の仕事に生かしています。フィクションからヒントをもらうことは今までもときどきあったけど、こんなに楽しいのはひさしぶり。
とはいえ憧れ方がちょっとこじれているし、好きなキャラクターがわたしたちの仕事と関連づけたかたちで観察されてるだなんて聞いたらこころよくは思えない人もやっぱりいるかもしれないから、あんまり言っちゃいけないか、いけないよね……っていうのも、いちおう、気にはなります。なのでせめて作品名の表記とかちょっとうやむやにしてる……。
(でも「なにそれおもしろい」って思ってくれる人となら、ちょっとこそこそ話したいなあ。
いつかどこかで話せるときがくるかしら、いつか。検索されにくいかたちで書けばいい?)
とりあえずね、最終回の前にみんなの自律神経がおかしくなって見ず知らずの女の子たちと「細かいことはどうでもいいからちょっとみんなで励まし合わない?」って息切れしながら手をつないで走ったあの感じがいま振り返ると楽しかったし、なかなかなれない気持ちを味わわせてもらったので、本当にもうなんとお礼を言っていいかわからないのではい黙ってブルーレイを買います。師匠がいつまでもその魔法が使える手をお怪我されませんように。なにを言っているんだわたしは。手で滑る競技じゃないぞ。根本的ななにかが揺らいできたのできょうはここで終わります。
追記・
ガチ恋全開嫁になれ要求の激しい客から突然「君にとってオレはどういう存在なんだよ!?」と壁際に追い詰められて絶体絶命のときに「そんなの気持ちの問題だから言語化なんかできないよ♡佐藤(仮名)さんてそんなこと考えながら私を指名してたの?他のお客さんとちがう感じしてたけど、やっぱりおもしろいね♡」とかなんとか言って応急処置したことある人きっと100万人いるよね。