風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 奇妙な生き物
ガールズヘルスラボの連載です。
かっこよくはなくて、得体がしれなくて、社交的でも明るくもなくて、でもカーテンの向こうにはなにか優しさがある信用できそうなお客さん、
……って、いいよね。という話をタミヤさんとしてたんですよね。それで「キモさやこわさと紙一重のところにある愛しさ」について考えているうちに爬虫類が出てきてしまいました。きもくてこわくてかわいい。
わたしは爬虫類が好きなほうなので、生きているイグアナがいるお家なんぞに呼ばれた日にはテンションがぶち上がってしまいそうですが、基本的にペットがいるお家でデリヘルを呼ぶときには一言申し出てくれたらありがたいなあと思います(だいたいのお店は電話で確認してるけど)。犬や猫ならいいというものでもないんです。アレルギーがあるキャストが来てしまって、その場でとんぼ返りしなくてはならなくなったらそれは三者全員の損失になっちゃう。わたし自身は犬も猫も鳥も、大好きなのにアレルギー反応が出てしまうなんとも淋しい身体なので、
→ 玄関先で不穏なにおいを察知する
→ かわいこちゃんが「だれかきた!だれ!だれ!」と飛び出してくる
→ ああっ撫でたい!!
→ しかし一刻も早く立ち去らなくては
→ ああああ撫でまわしたい!!!
→ ポカンとしているお客さん
→ すごすごと帰る という思い出がけっこうあります。
そういうとき、「じゃあ別の部屋に入れておくから」「うちの子はおとなしいから」「掃除ぐらいしてるから」ってよく言われるんだけど、そういう問題ではないって分かってほしい。触れ合わなければ大丈夫だと思われていることもあるけれど、決してそうとは限らないものですよね。わたしは「一緒に住んでいた彼女と先日破局し、飼っていた猫さんは彼女が連れて行った」という部屋で具合がわるくなってしまったことがあります。毛や目に見えない皮膚のかけらが残ってたんだと思う。
さりげなく悪態をつくのもやめてほしいものです……(スタッフに電話して「お宅は客を選ぶんですか」とか)(俺が不細工だから逃げるのか、とか)(細工の具合はどうでもいいけど失礼な人からは逃げたいものですな!)さすがにそんな人はたくさんはいないけど。もしかしたら、アレルギー全般を気合いの問題だと思っていて、自分がチェンジされたかのような屈辱感を感じたのかもしれません。そこまで説明して差し上げる時間はないので、耳を塞いで後ずさりするしかないよ。すごすご。
「俯瞰祭」ってなんかいい言葉。わたしは、どうだろうなあ、仕事中にちょっと客観的になってることも確かにあるとは思うんだけど、だいたいはそれどころではないような気もします。それか、高速で絶え間なくばばばばばっとスイッチングしてるかもしれない。サブリミナル的に挟み込まれる俯瞰の図。すべて終わってドアを閉めた瞬間、シュン、と切り替わってものすごく突き放した視線で振り返っちゃったり。良くない意味で気の抜けないお客さんといて、内心でずっとピリピリ警戒しながら、その場で対策を練り演技プランを立てては即実践し、結果をみて次の手を考えて、という感じになっている余裕ゼロのときになぜか「あーあ、この人ぜったい似たようなことでたくさんの女の子に嫌われてきたんだろうなあ。いつからこうなった?」なんて0.01秒思ってしまったり。これはたびたびありますね。
機嫌を損ねないようにこちらに不利な要求をはねるとか、そういうことがメインの仕事になっちゃってるとき。交渉していると相手には感じさせないように、交渉しなくちゃならないとき。
そういうときは、とっさの俯瞰や客観視の果てに従順と寛容が混ざってよくわからないものになってしまうことがある気がします。
無関心の強い支えによって従順になれることもとても多い。それから、諦念も。あきらめの気持ちがわたしを優しい女にすることはよくあります、お客さんにも、お店にも。
それにしてもホームページの売り文句に「従順」と書かれるって、おそろしいよね。
これは良心的なお客さんとでも起こるけど、触れ合っている最中に「人間ってへんな生き物だなあ」としみじみすること、これはとてもよくある、椎名あるあるです。
なんでこんなカタチして、なんでこんな動きするんだろう、って。ずっと見てるとちょっと気持ちわるくて、ちょっと神聖で、ちょっとやっぱり可笑しい。
仕組みを知ればきっと納得するような合理的な理由があるんでしょうよ。だいたい人体っていつもそう。それどころか、なんてすごいんだろうって途方に暮れてしまうほどの宇宙みたいなシステムが、このちっちゃな骨と肉と皮のところ、細胞のひとつひとつに詰まってる。一方でまだまだ謎のまま、てんで可笑しいまんまの謎もちょっとあるところもおもしろいです。人体の小宇宙〜みたいなテレビ番組けっこう好きです。
そしてまりあちゃんが言ってたみたいな、「お互いを思い出すこともなく、運命にかかわることも特にない」くせに「この人の興味と快感が欲しい」。っていうやつ、この辺は個人によってとても違ってくるところだと思うけど、わたしにはしばしば自然に起こることなので、変なの、っていつも思います。変でおもしろい。お客さんがわたしの身体やなんかにふとした執着を見せてくれるときも、ああおもしろいな、って思うことは多いです。とっくに射精してしまっていても、身体のどこかをそうっと、宥めるように撫でられることってよくありますよね。なんでさわりたいの、と聞いてしまえばたぶんあまり考えずに「きみがかわいいからだよ」とかのすぐ言える答えをツルリと答えて済まされてしまうんじゃないかと思うけど、それでは説明しきれていない気がして。
ちがう人間の皮膚がくっついたときになぜか生まれる不思議な気持ちよさが、家族でも恋人でもないわたしとであっても得られることを知っているから手を伸ばすのではないかしら。満員電車ではだめなのに。そのくせ、世間の多くの人は「愛する気持ちがあってこそセックスはよいもの」「好きな人とするからいいんだ」とか言いたがるように見えます。
ほんと、へんな生き物です。
ずっと前のことだけど、それまでわりと淡々とサービスを受けていたお客さんが、すっかり着替えてあとは帰るだけ、となったわたしに向かって「いま自分の心に『帰したくない、名残惜しい』って感情が生まれてきて驚いています」と言ってくれたことがありました。
女性との性的な接触によって快感を得る目的で利用したつもりだったし、相手については自分の性的興奮をそがない容姿でありさえすればそれ以上は興味がなかった、と。けれどわたしに対して「いろいろしてくれてどうもありがとう、もっと一緒にいたい、好かれたい」という気持ちが生まれた、プロに対していわゆる擬似恋愛を求めたり、さらに恋愛感情を持ってしまう人をどこかで下に見ていたけれど、自分にもエモーショナルな衝動が起こることがわかって驚愕している、考え方が変わる気がする。
そんなようなことを、さらりと言ってくれた。
嬉しかったです。もっといたいと思ってくれたことも普通に嬉しかったけど、その人が、会ったことのなかった自分と出会うところに一緒にいられた(しかもこれ以上ない近くで)のがこの仕事ならではだな、と。
知らないへんな生き物どうしでさわりあって笑顔になって、ときどきお互いにふと自分を客観的に見ちゃって可笑しくなったりもして、そしてなんだかんだで幸福感など感じちゃったりするなんて。この生き物あなどれません。ちょっと、いえかなりきもいし、どうにもこわいですし、そしてどこかかわいい。
大勢の人にとっての「ゆきずりのへんな生き物」になる身としては、せめてできるだけ寛容で気のいい生き物でありたいものです。