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【お願い】取材や出演などのご依頼について

さっきあんなにワアワア言ってた人がまだ何か書くようです。今年のうちに言いたいことをぜんぶ言う作戦です。

前回はわたしの本業、風俗業での2017年の話をしました。それと別に、「椎名こゆり」の名前の方で今年を振り返ると、こちらではトークショーなどイベントの出演依頼やインタビュー取材の依頼、そういうお話をいただくことが増えたなあと思います。

そして、そのすべてをお断りした年でした。

声をかけていただいたことはありがたく思っているのですが、お受けできるものがひとつもなかったのです。
わたしのプライバシーについてどのように取り扱っていただけるのか、という点について、あまり考慮されないままお誘いをくださった件が多かったように感じています。そのため、納得いく形でお引き受けすることができず、すべてをお断りすることになりました。

「顔写真は提供できません」「店とそこでの名前は公表しません」「知らない人の前で被害経験を語りません」ということをわざわざ言わなければならないのか……と思い、落ち込んでしまったのも正直な気持ちです。
でも、わたしにとっていつの間にか当たり前になった感覚だというだけで、セックスワークを取り巻く問題について興味を持ったのがごく最近、という方には難しいことかもしれない。性犯罪など取り扱いに注意が必要なトピックについて考える期間がまだ浅かったり、ふだん関係の薄いお仕事に携わっている方にとっては誰かから指摘されて気づくことが多いものかもしれない、と思い、どこかで機会を見つけて書いておこうかなと思っていました。なので今やります。

次に引用するのは、ある方にわたしから差し上げたメールです。主催するイベントのトークショーにゲストとして登壇して欲しい、というご依頼へのお返事です(一部書き換えており、お名前なども架空のものです)(見りゃわかるよねごめんね!)。長いお手紙をいただいたのですがお断りせざるを得ず、なぜだめなのか、ということを詳しく説明させていただいたので、他の方にも読んでもらえたら何かの役に立つかもしれない、と思って載せることにします。

《以下引用》

(株)当欠エージェンシー パネ山マジ太郎 様

この度のお話、残念ながらやはりお受けすることができません。
大切なイベントにお招きくださるほどですから、わたしが何者なのかということは多少ご存じかとは思いますが、この「椎名こゆり」という名前は書き物のお仕事をする上でのペンネームであり、本業である派遣型風俗店での勤務にあたっては別の名前(いわゆる源氏名です)を使って仕事をしております。
源氏名でのわたしと「椎名こゆり」が紐付くことはあってはならないことですので、椎名として活動するにあたって顔や姿をはじめ、諸々の個人情報は明かしておりません。

性的サービスの仕事は、しばしば客となった方から強い執着を持たれることがあり、そのリスクは個人の努力や工夫で避けきれるものではありません。
お客様の数は多いので、中には○○を愛好する方も、△△に関心のある方もいるでしょう。
(注:○○や△△には今回のイベントに関連するテーマや社会問題が入る)
わたしに対し特別な感情を持ってはいない人であっても、見覚えのある顔だとわかった途端に「自分はあの女を買ったことがあるぞ」と高揚し、あることないこと話したくなるのも、人間の感情の動きとしてありえるでしょう(「奇遇」に遭った人は魔が差しやすいものですよね)。
なにかの拍子に偶然が重なる可能性は充分にあり、そのときわたしが被る不利益は予測がつきません。所属する店の外で起きたトラブルは、店も面倒をみてはくれません。
安心して働き続けるためには、筆名、源氏名、本名、そして顔などの見た目、これらを繋げられないよういつも個人で注意を払う必要があります。
もちろん、「テレビのドキュメンタリー番組であるような、磨りガラスでできたついたて越しでも出演したい!」のように思う人もいるかもしれません。まったく無頓着で、そういったリスクについては起こってから考える、という人もいないとは言いきれません。ですが、多くの場合で「東京のセックスワーカーが、東京のイベントで、顔を出して壇上に上がりものを言う」ことは、おそらく経験者ではない方が思い描くよりもずっと難しいことであり、危険を伴うことなのです。今後同業の方にコンタクトを取られる折には、どうか思い出していただけると幸いです。

身に余るお誘いでしたのに、このようなことを申し上げてすみません。こういったお誘いや取材依頼の類は多いのですが、わたしたちの身の安全にお気遣いをいただけるケースがあまりに少なく(むしろ蔑ろにされることが多く)、同じような形で活動している現役のセックスワーカーたちもおそらく同じ思いをしていると思うのです。
末筆ながら、イベントの成功をお祈りいたしております。
《引用おわり》

この件はイベントへの出演依頼、というものでしたが、研究でも調査でも取材でもおなじです。
セックスワーカーの意見が聞きたい、と思ったときに、わたしのことを思い浮かべてくれる人がいる、そのこと自体はたいへんうれしいことです。いろいろ書いてきてよかったなって思えます。わたしにできることがあるならしたい、というのは本当の気持ちです。誰にもなにも頼まれたくない、というわけではありません。

しかし、その「できること」というのにはそれぞれ範囲があり、人が想像するよりも実際は狭かったりするものだ、ということです。それぞれに違うできることの範囲を尊重してほしいのです。

とくに舞台に上がること、本に掲載されること、テレビに出演すること……これらについて、お断りしたときに「なぜ嫌なのです? 皆さんこぞって出たがるのに」「チャンスを与えてあげているのに」といったニュアンスを返されると、とりわけつらいものです。ちょっと卑屈な見方をすれば、日の当たらない隅っこにいるあなたを表舞台に引き上げてあげると言っているのに断るのは生意気、と思われているのかもしれません。もしそうなら、その感覚こそがわたしたちを閉じこめていると気づいてください。

いかにわたしの書くものに共感したかを強調し「あなたが味わった辛い目をたくさんの人に知ってもらいたいのに」「声を上げる場所を作ってあげるのに」というのもそうです。「人々の気づき」「人々の学び」のために、とよく言われますが、そのために前に出た人が差し出すものは何か、それによってなにを失う恐れがあり、どうすればできるだけケアできるか、そういうことに考えを至らせた上で相談してくれている、と感じられない場合、頼まれた側は「これは搾取では」と警戒します。「貴重なご体験」とはどういう意味なのか、誰にとって貴重なのか、と思います。

セックスワーカーとしての意見を求めるのであれば、セックスワーカーが置かれている立場やさらされている状況についてもご一考の上で声をかけてくだされば幸いです。
「何でも協力するから気軽に声かけてね!」とは決して言えませんが、なにかありましたらご連絡ください。

以前からときどき依頼をいただくものには学生さんの卒業論文もあります。そちらについては、申し訳ないのですが現在すべてお断りしています。これまでいくつか協力させてもらう機会があったのですが、心身ともに疲れることがとても多かったので……。

このあたりのことはとても分かりやすく説明されている文章がありますので、MEMEさんとマサキチトセさんのブログを紹介します。どちらも“LGBT”を取り上げた研究に関して書かれたものですが、セックスワーカーに関してもまったく同じことが言えると思いました。(特にさまざまなマイノリティについての)多くの研究や調査において、そういうことが起こっているのだろうと思います。


MEMEさんの記事中に「本人の性格が悪いなどということではなく(むしろ良い子なかんじ),ただお作法を教えられていない&全然勉強していない(本とか読んでない)という印象を受ける例が私の場合多かった」とありますが、わたしも同じことを思います。あーほんとそれ! って感じです。
「やっているのは学生だが,しかしバックには研究のプロたる大学教員がついているわけで,それなのに」ともあり、わたしは(自分が大学生であったことがないために)指導教官という大人がついている、ということに考えが至らず「まだ学生の人がたったひとりでがんばっているのだから」といった変な義務感をもってしまい、ずいぶん無理難題であったりちょっと失礼であったりする要求(だと知ってぶつけているわけではないんだと思います)に応えてきてしまった、と反省しています。

お受けしてよかった、と感じている「調査」もごくわずかながらあります。その中に大学の教授をしていらっしゃる方からのインタビュー調査があり、それを経験してようやく「ああ、『調査』の対象となるときは本来このくらいしっかりとした配慮があるものなのだ、ああ、それはそうだ!」と、本当にようやく気づくことができたのです。そのときのインタビューを録音したものと、元にして書かれた論文はわたしも持っていて(ちゃんと渡していただけたので)、すごく時々聞き返す(読み返す)とほんのり元気が出ます。わたしの当事者性を尊重し、堅苦しい雰囲気ではないながらも敬意と慎重さをもって質問してもらえている、つまりマサキさんの翻訳記事にあるようなことがしっかり守られているからです。
調査や研究をする人とされる人との間には、マイノリティとされる人を対象とする場合はなおさら、どうしても立たされている場所の違いから力の差のようなものができます。でも、それを越えて良いコミュニケーションを作り上げることもできるのだと知れた経験でした(しかしそのためには、調査や研究をする側の人の知識と心がけが不可欠です)。

2017-12-31 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

ざまあよりも楽しいこと

久しぶりに自分のブログにアクセスしたら、昨年の今ごろはスケートのアニメにドボンとはまっていた文章が出てきて懐かしさと自分への「わかるわかる」にむせび泣きました(それにしても勢いだけで書いていて訳が分からないところも多すぎたのでこっそり書き直したりした。だせえ)。もちろん今も思いきりはまったままです。刺さったものが抜けないんです。幸せです。

今年のわたしはというと、吐く吐く詐欺にこそ遭いませんでしたがやはりそれなりにお客さん方に翻弄されて疲れ果て、同僚やスタッフさんと苦笑いしながら「来年もよろしくね」と言い合ってお別れしたところです。『客が財布を開けたらば3800円しか入ってなかった事件』とかありました。それなりのホテルのそれなりの部屋であっても油断できませんね。本人は「おかしいぞ!?」と騒いでいましたが、「今夜行ったお店を順番に思い出してみて」と優しく語りかけてみたところ数時間前の記憶がすでに曖昧モコモコのフワフワだったので、そのお金は落としたりスラれたりしたわけでなく、全てお酒になってお腹の中にあるのだろうとわかりました。そこまで酔っているといつの間にかわたしのせいにもされかねないな、と思い「どこかのお姉さんにあげちゃったんじゃありません? モテるんですね♡」とよく考えると理屈が不明なことを言ってサラッと失礼しようと思ったのですが、電話でいいからと叫んで懐から立派なお色のクレジットカードを出してしまったため断る権利が消滅してしまいました。本当は3800円のところ5万円持っていると思い込んじゃう(&見知らぬデリ嬢の前でカード番号を平気で読み上げまくれるほどセキュリティ意識が損なわれている)ほどへべれけであるという事実は変わらないため「まさかこの人吐かないかな大丈夫かな」とスリリングな時間を過ごしました。しかしこんなに酔っていてはとても身体は反応しないだろうに、それでも他人のぬくもりがほしかったのだな、柔らかい肌に触れて眠りたかったのだな、と思い、優しく接しようとつとめましたが、蓋を開けてみたら確かに泥酔しているのに下半身は絶好調、そのうち調子に乗って「お金あげるから」と禁止事項を求めてきたので(3800円くれるつもりなのかな???)と思いました。本人も気がついたようでばつが悪そうにしていましたが、ここで「カードで」と言ってくれれば小さな笑いが起こったのに惜しかったです。

待って、そんな話をしにきたんじゃなかった。

1年の仕事を振り返って、思うことがあります。

「やっぱじわじわ増えてるよね、盗撮」です。

同業のひとたちにとってはとっくに昔から切実な迷惑行為(なんて言葉じゃ足りない)だしツイッターなど見ていてもよく話題になっていたけれど、今年は本当によく見聞きしました。毎週毎週遭遇するってわけじゃないけれど、勤めている店の他の女の子にも、他店の友達にも、そして自分にも、何度かそういう話がありました。小型カメラが普及しているということだとしたら、来年はもっと増えるのかもしれません。

わたしがこの業界に入った頃はまだスマートフォンという言葉もなく、「大きい荷物の客に気をつけろ、鞄の口が開いててレンズが見えるかも」「怪しいときは電気を消せ」なんてお店から言われたのを覚えていますが、いま思えば平和な時代だったと言いたくなってしまうほどです。
(実際にそういう入念な下準備で乗り込んでくる盗撮犯が少ないけれど存在したわけで、平和なんかじゃないよね)

体位を変えてほしいと言って女の子に後ろを向かせた隙に携帯電話で撮っちゃう、というのもよくありました。ピローン♪ と音が鳴って、「いま撮ったでしょ」と言うと「え?何が?」とシラを切ったり、「消したから大丈夫だよ〜」とうそぶく人が時々いたものです。でも店のスタッフが確認するとSDカードの中にちゃんと入ってるっていう。せこい手口だと笑われるかもしれませんけど、そういう人いっぱいいたんだよー!

時が流れ(スマホの普及、無音カメラアプリの時代を経て)、いまわたしたちが悩まされているのは、はじめから隠れて撮るために作られた小型のカメラによる盗撮です。身の回りの日用品、文房具やお菓子やはたまた飲み物などに偽装したカメラがいろいろと、普通に売られていて誰でも買うことができます。長い時間録画できて、しかも部屋が暗くてもじゅうぶん鮮明な画像が撮れるようですね。もうため息しか出てきません。勝手にどんどんテクノロジーしないでほしいものです。
撮った動画がリアルタイムでスマホに転送されていたケースもありました。盗撮が発覚した場合に「使用したカメラを没収し、身分証のコピーをとって出入り禁止にする」みたいな対応をするお店もけっこうあると思うんですが、それだけでは足りない時代になってきたのかもしれません。

スタッフが部屋にやってきたとき、慌てるよりもきょとんとしている人が多いように思います。発覚することを恐れながらやっている人ばかりではなく、バレるなんて想定もしていない(または、バレたところで店が介入するようなことじゃないと思ってる?)人がけっこういるということなのかな。「○○(店名)の者です。お話を伺いますので本日のサービスはこれにて終了させていただきます」とまで言われてもまだ理解できず「なんだ君は」と偉ぶっていた人もいました。

そして証拠を突きつけられもう逃げられないとなると、そこで初めて謝るんですよね……スタッフに。わたしではなくて。「すいませんでした」「勘弁してください」「会社にだけは」って。今後の自分の処遇だけに興味があるのだと思います。彼らにとって失敗とは、してはならないことをしたことではなく、それが店にバレてしまったことなのでしょう。
若い人、中年の人、一見の人、常連の人、いろいろです。でもまだわたしに向かって自分から頭を下げた人はひとりもいません。

今年は「何年も指名し続けてくれて、良い関係を築けていた(と、わたしは思っていた)お客さん」からも盗撮をされました。これにはさすがにびっくりしました。
彼に気づかれぬよう店にSOSを出すとき、やられていると分かっているはずなのに「でも、でも、何かの間違いでは」「わたしの勘違いでは」という思いを拭えずにとても混乱しました。情けないほど、しっかりできませんでした。彼のことを考えていた時間、身体のクセやプレイの好みを観察して把握し、どうすればもっと喜んでくれるだろうかと試行錯誤を繰り返してきた数年間とその間ずっと抱いてきた感謝の気持ち、自分の仕事を気に入ってもらえていると感じた嬉しさなどが、すべて一瞬でなくなってしまった。それがすぐには受け入れられず、腹を括れなかったのだと思います。
それから、自分がしようとしていることが彼の心や生活にどんな変化や影響を与えるだろうかということも、考えられなかったし考えたくないのに、考えようとしてしまうのでした。「こんなにいい人なのに」と。明らかな禁止行為をした人に向かっていい人もなにもないのにねえ。
幸いわたしは普段店から「盗撮に関しては不審なモノや行動があった時点で男子スタッフに丸投げしてくれてかまいません、万が一勘違いであっても紛らわしい行いで恐怖を与えた責任はお客様にある、と考えるようにして勇気を出してください」と言われていたため、最も守るべきものは彼でなくわたしだ、店は味方についてくれるはずだ、と心を立て直すことができ、最後には「助けてください」と言えました。言えてよかったです。

 

そもそもなんのためそんなことを、と思うかもしれません。何のためなんでしょうね? わたしも分かりません。

趣味で、という人はいると思います。趣味としてあとで見返して楽しむために裸の女性(または、自分がサービスを受けた時の、というところに意味がある人もいるかもしれません)の画像や動画が欲しい、でも、撮らせてほしいと頼んでもどうせ無理だから/嫌われるに違いないから/相応の謝礼などを払うことになっても嫌だから/頼んだと知れたらそれだけでブラックリストに入りそうだから/カメラを意識していない自然なものがいいから/などなど、の理由で、気づかれないようこっそり撮ってしまえ、と思いついてしまった人、いるだろうなと想像します。

それから、撮った画像や動画をなにかに利用する人もいると思う。人が見たがるようなものをインターネットにアップロードして、お金に換えることもできる時代です。または同好の士からいいねをもらって心を満たす、あの人はさすがだと尊敬を得る、こいつウケるぞと一目置かれる、という使い道もあるでしょう。目にする機会がないとピンとこないかと思いますが、街中で盗撮した女性の画像を載せてワイワイ盛り上がっているツイッターアカウントは実は腐るほどあります(本当に腐って土に還ってくれればいいのですがそうはいかないらしいので、これのことかと思った際は通報してもらえたらと思います)。
デリヘルを呼んで隠しカメラで生配信、という手段を選んで、逮捕された人もいると聞きます。

それから、これはわたしが勝手に想像しているだけなのですが——撮る、ということそのものに意味がある人。画像や動画に使い道があるわけではなく、ただ相手に知られず撮影に成功することを楽しんでいる人、いるんじゃないかなあと思うんです。
本当なら嫌がられるはずのことを、まんまとやってのけているってこと。ざまあみろ、という気持ちが心躍らせ、高揚させるのではないかしら。
もしかしたら彼らにとって、わたしたちはどこか気持ちの良い存在ではないんだと思います。
ちょっと服を脱いで触らせるだけでこっちに何万円も払わせて、別の男やイケメンにならやらせてるはずのことを「規則なので」と断ってくる、生意気なあいつら。
何も考えておらず頭も悪いくせに女だというだけで金になって、きっとめちゃくちゃ儲けてて、人生チョロいとほくそ笑んでいるに違いないのに世間からは「事情があるはず」「頑張っている」と擁護され可哀想な弱者の顔をする、癪に障るフーゾクジョーたち。
いつもあんなに笑った顔を見せて楽しそうにしているのに、食事に誘っても連絡先を聞いてもなしのつぶて、俺のことどう思ってるのか問い詰めてもいい返事をしない、自分が幸せにしてやると言っているのにどうしてそれが分からないのか、でもお店を通して呼ぶとちゃんと来る、納得いかないあの子。
もっともっといろんな形があるとは思うけど。

「ざまあ(笑)」という気持ちが、やってやった、という達成感や優越感が、彼らをほんのひととき癒しているんじゃないか、と、ふと思ったのです。そしていつの間にか抜け出せなくなってしまうんじゃないかって。
そういう意味のことを直接言われたわけじゃないです。わたし自身が何度か被害に遭ってみて、そしてその後の顛末を知った(もちろん本人と接触はしないので、店の者や対応してくださった弁護士さんや、時に警察の人を通じて聞いた範囲内ということになります)上で抱いた勝手な感想ですし、盗撮する人の心の内を想像してみたってなんの足しにもなりません。たぶん来年も撮られるんだろうなと思うと気が重いです(むしろもっとテクノロジーがイノベーションしやがって見破れないケースが増えるかもしれません)。でも、ついつい考えてしまうんですよ、こんなにも気分の悪いことを。本当なら対等なはずの人から舐められ見くびらればかにされる、とっても迷惑で、恐怖なことなのに。本当にいやなことなのに。

盗撮していて、やめたい、と思っている人。
やりたくないことをやめられなくて苦しんでいるなら、それは心身の不具合かもしれません。話を聞いてくれる人も見つけにくいでしょうし、親しい人にほど話せないことだろうと思います。医学的なことは分かりませんがこの世にはいろいろな依存症があって、攻略法を考えている人たちもたくさんいると思うんです。ひとりで勝てる敵ではないとしても、戦う方法を知っている人がいるかもしれません。あなたがあなたをちゃんと助けてあげてください。そのために他人に助けを求めてください。「これで最後だから」といってデリヘルを呼ばないでください。わたしたちは何もしてあげられません。
それから、見つかってもろもろ失うことを心のどこかで望んでる人、あなたも必要なのはデリヘルじゃないです。「見つかったらやめられる」という考えもだめです。そこには必ず、すっごく傷つく人がいます。あなたの破滅願望のために人を人間不信に陥らせないでほしいんです。

盗撮していて、やめる必要を感じていない人。
あなたが盗撮によって得ているもの、お金だったり愉しみだったり、その代わりになるものをわたしがあげることはできないので、やめろと言ってもしょうがないことですよね。だからわたしはただあなたを憎むことしかできません。
憎みながらも一応、盗撮よりももっと楽にお金になることや、もっとおもしろいって思えることに巡り合えたらいいねって思います、いちおうね。いますぐ探しに行ったら間に合うかもしれません、盗撮はいつか必ず見つかるので、それより先にやめられた人だけがしれっと生きていけるのです。しれっと生きていくことが幸せかどうかはわたしにはわかりませんが、清廉なフリしてしれっとやっていくルートをたぶんあなたは望みますよね。だとしたら見つかるより先にやめるしかないんじゃないでしょうか。ていうかやめろ。しょうがないことでも言うわ、言うだけタダだもん!

「ばれなければ、誰も傷つかない」派の人。
心優しいあなたが道路に飛び出した子犬を助けようと自らの危険を顧みず身を挺し、不幸にも事故に遭って命を、または一命はとりとめたものの以前のような暮らしができなくなり、お家に戻れなくなったり、周りの人とスムーズに意思疎通ができなくなってしまったとします。そのとき、あなたのスマホとメモリとハードディスクに入ったあのデータやそのデータが誰にも見られなくなるシステムを開発してから言え。クラウドにもハンマーとドリルで穴を開けてください。わたしはむちゃくちゃなことを言っています。でもあなたも同じくらいむちゃくちゃです。いつでも引き返せると思っているのはあなただけです。

どちらさまもよいお年を。ざまあみろって思う楽しみよりも大切な楽しみが、来年にはみつかりますように。

 

2017-12-31 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

ワーカーズライブ:ずっとこのまま

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: ずっとこのまま

11月のワーカーズライブを担当しました。
同業の(とプロフィールに記載されている)方の書いてくれた感想をこっそり拝見すると「いるよねこういう客。困るよねぇ〜」と言ってもらえていて嬉しかったです。しかしそうでない方からは「気楽に読めるやつかと思ったのにホラー」「怖いやつは怖いと言ってくれ(笑)」みたいな声がちらほらあり、そのー、なんだ、ごめーーーん。怖がらせるつもりはなかったんだよう。というか完全に「ヤバい客あるある早く言いたい〜」みたいなノリでいたよね。うふふ、申し訳ない。あれかな、業界に慣らされちゃったかな、それともモルダーあなた疲れてるのよみたいなことかな。

……でも、ちょっと思ったんだけど、わたしももしかしたら、自分が風俗嬢であることを明かしていないときに他人の話としてこれをきいたら、「こっわ〜!」と思ったり言ったりするかもしれないのかもなあ。いやどうかな。うまく言えないけど、そんなふうに思いました。

こういう、セックスワーカーのフィクションを書いているときは、「わたしの仕事を知っているひとたち/同業経験がある人もそうでない人も(おそらくは3:7くらいで)混ざってて/とっても仲のいい人も、すこしだけ仲のいい人も、友達の友達、って感じや通りすがりの人も混ざっている/性風俗業界に対しては懐疑的な人もいる(が、そこで働く人に憎悪を表明している人はいない)/と一緒に和やかにおしゃべりしてる中で、わたしがいつか人から聞いた話をしゃべって聞いてもらってる」みたいな気持ちで文章をつくっています……うーん、たぶん。はっきり説明しづらいけど。
それで、そのときには、普段のわたしの日常生活ではそれなりに出番が多いはずの「仕事のことは明かさずに、で、明かさないものだから自分でも半ば忘れて社会生活を送っているわたし」は、もうすっかり隠れて、出てきてくれないんですよ。ちゃんといることはいるんだけどね、わたしはいいよ〜、って感じで部屋から出てこないし口も出してこないしアドバイスもしてくれないの。

そういう自分にもし読んでもらったら「こわいねえ」って言うでしょうか。いやどうだろうな。わかりません。

 

それはそれとして、でもさー、こういうの、実際は別に風俗じゃなくたってありますよね、つきまとわれ問題、ストーカー問題。わたしもありますもん、まったく別の仕事をしていたときに、お客様からつきまとわれて業務にも私生活にも支障が出たこと。相手の職務と自分の立場を利用した迷惑行為に困らされる……と表現すれば、もうたやすく想像できる単なる「接客業あるある」ですよね。

むしろほら、尾行されてるときに一対一じゃないうえさらにこっちは鉄のかたまりの中にいるわけですよ、だからまだ安全性が高いといえるのではないだろうか。さらに堅気の接客業と違って本名の書かれた名札とかはつけてないわけだし、運転してる人は3連続同じ方向に曲がる程度の知識は持っていて、上司はたぶん同様の状況に対応した経験とか持ってるわけですよ。ほらほら、怖くなくなってきたでしょう。どうかな。どうかな。だめ?

(……これって「堅気の接客業」の非常時の守りが弱くてやばいってことですよね。本名の名札、あれ本当に必要だろうか。判別できれば戸籍にのってる名前じゃなくたって用は足りるのでは)

あとお友達に「最後どうなったのか分からないから怖いんだよ〜!」って言われちゃったよね。なるほどそうだわ。これはですね、お客様が『やってはならないこと』をやってしまったら、そこから先は店の出番なんですよ。粛々と対処はされるでしょうけど、その内容をミユさんが具体的に細かく知ることはないと思うんだ……とりあえずわたしの場合は、今まで働いてきてだいたいいつもそうだったので。
ミユさんは誰にも守ってもらえないって思ってたけど、そんなことないと思うよ。だってデリヘルだとよく「カギ開けとくからノックしないで入ってきて」とか「部屋のインターホン押さないで入ってきて」みたいな注文する人もいるんですよ。理由はいろいろあって、隣近所を気にしてだったり、出張で泊まってるホテルで隣が同じ会社の人だから〜的なことだったり、到着を待つ間に寝落ちしそうだから女性に優しく起こしてほしい(もう寝ちまえよなあ!)とかもあります。それのバリエーション、客の図々しさが跳ね上がった版でしょう、カギを渡されて使わされるって。

そりゃあ店としては喜ばしいことじゃ全然ないし「そのころちょっと相談してくれていれば……」とはなるだろうけど、その場でテクニカルに回避したり力強く突っぱねたりできなかったこと、すぐに店に言えなかったこと、そうできるだけの経験値も立場も持ってなかったこと……それって、『やってはならないこと』じゃ、ないですよね。
自分の経験からそういうことを察して、カナコさんが言ったのが「悪くてもいいけどたぶん悪くない」です。きっと。

守ってもらうべき場面では守ってもらいましょう。堂々と助けてもらいましょう。わたしたちはいろいろな危険に遭う可能性の中で仕事をしていて、雇う側が知らんぷりを決め込んでよいことではないはずです。警察にしてもそうです。もし客が『やってはならないこと』をやったときは、それによって目の前に危険が迫ったときは——たとえそれがわたしたち自身が招いたかのように外野から見えたとしても——助けられる権利、安全確保に協力してもらう権利があるはずですもの(もっと言っちゃうと、わたしたちの身ではとても大きな恐怖や危険であっても、店のスタッフが相対すれば全くそうとは限らなかったりするものです)(男性スタッフが出て行くと、さまざまな「力の差」がガラリと変わるということですね)(心強くもありますが、悔しくやるせないことです)。

……なんて言ってはみたものの、ですよ。
そういう準備のない店や気持ちのないスタッフに当たってしまう可能性は、やっぱり、あるんだよ。そしてそれは、実際にトラブルに遭う前にすべて見抜けるわけじゃない。どの程度やってくれるか、正確に知ることはあまりに難しいです。やれやれだよ。祈るしかないなんて悔しく頼りないことですが、これもまた、性風俗業に限らない問題ですよね。
好意がきっかけであろうと、親切を受けたことがきっかけであろうと、つきまといは加害行為ですからやってはなりません。そして相手の職務と自分の立場を利用した加害は特に卑劣です。
さらに、運悪く危険を回避しきれず被害が甚大なものになった場合に『やってはならないこと』をやった者ではなく「そういう仕事をしていたわけだから」「好意を持たせたのだから」とやられた方の者がより責められ、それをもって一件落着かのように扱われる、そういう問題も忘れてはいけません。

 

ほとんどの安全面で、派遣型(デリヘルのことだよ)よりも店舗型の方に分があるといわれます(し、実際そうだなと思います)。でも、「帰り道を狙ったつきまとい」については、店舗型に勤める人にも降りかかる危険です。
超当たり前だけど出勤する場所が割れている上、出勤・退勤時間がホームページに出ているので尾行がかんたんなのです。ホテル型(受付があり、近隣のホテルで接客する)の場合だと衣装ではない服を見られるので、その日お相手した客が出来心を起こしてそのまま近くで待ち伏せ……なんてことも、デリヘルより容易にできてしまいます。

わたしの話を少しさせてください。おばあのむかし話を聞いてくれんかの〜。
あれはもう10年前、アタシが渋谷のホテル型の早番で働いていた頃のことじゃ。よく帰り道に109やマルイに寄って、お手洗いで数分過ごしてから駅へ向かっておったもんじゃ……喋りづらいから若返るぞい。無駄なことなんだろうと思いながら、わたしって小心者だな、と思いながら、それでもやめられなかったのを覚えています。
ある日、帰り支度をしてお給料をいただいたときにスタッフから「さっき近所のお店さんから連絡があったんだけど、なんか変なオジサンがウロウロしてるって〜。ちょっとキモいから駅の手前まで送るわ〜」と言われたことがありました。そういう不審者はすーっごく珍しい存在ってわけじゃないから、そうなんだ〜イヤですねえ、すみませんがお願いします〜、いいのいいの、ついでに買い出しあるし〜。ってな感じで、スタッフと一緒に店を出たんです。
こーゆー店の女の子をジロジロ見る趣味のヤツか、それとも現金ひったくろうとしてんのか分かんないけど、どっちにしても迷惑だね、と言い合い、そして楽しく談笑しながら歩いていたら、なんだか背後で変な気配を感じた。その瞬間スタッフにバッと肩を抱かれ、後ろでは別のスタッフが男を取り押さえていて、ええっやっぱり変な人がいたんだわ怖い!……と、その不審者の顔、見たことがある……自分の指名客でした。
目的やなんかは省略しますが、はじめからわたしが狙われていて、スタッフはぜんぶ知っていたようです。こっわー。
10年くらい(もしかしたらもっと)前の話です。その店の現場のスタッフは手練手管の人が揃っていて頼りになりましたが、まもなく警察に摘発されて消滅しました。私たちが会ったことのない偉い人が逮捕された流れでそうなったらしいという噂でしたが、本当のことはわかりません。働いてる人、びっくりするほど何も知れないんです。

スタッフさんたちともそれきりになりましたが、最後(になるとは、わたしは思っていませんでしたが)の時に、あの日隣を歩いてくれた人が「日ごろの感謝だよ」と言ってちょっとしたプレゼントをくれました。そして、どこに行っても頑張ってね、どこに行っても大丈夫だからね、と言われました。おいおいもういらないみたいなこと言うなよ〜! と大いにスネましたが、もしかしてこの人辞めちゃうんだわ、と勝手に察して、ありがとう、と言いました。
それからすぐ、店の電話は繋がらなくなりホームページは404になりました。

彼がくれた優しさこそ、もしかしたら吊り橋効果みたいなものだったかもしれません。理不尽な目にあう現場を目の当たりにしたゆえの、同情のようなものだったかもしれません。でも、その言葉は10年経って初心者でなくなった今も、わたしをちょっとずつ支えています。

悔しく頼りない世界でなにかとりあえずの支えになるものがあるとしたら、大丈夫だ、と言ってくれる人です。守るよ、とあらわしてくれる人です。その場限りの優しさでもいいし、「それが仕事だから」でもいい。わたしもそう言える存在でありたいし、それはなにも同業者じゃなくたっていいのです。

そういうことが書きたくてこの話が思い浮かんだんだな。と、いま分かりました。

 

【わたしがやっていた/今もやってることなど】
無駄かもしれないし、やらないよりはましかもしれない

  • 地下鉄の入り口/出口を毎日ランダムにする
  • 待っていたホームに最初に来た電車を見送る
  • 電車を降りたあと、ホームから出ていく最後のひとりになる(駅の規模や作りによるかも)
  • 差し入れは店の中で処分する、自宅に持ち帰らない(特にぬいぐるみとお花)
  • なんか怖いなと感じるお客さんのことはそれとなくスタッフに(愚痴の形でいいので!)知らせておく
  • 人柄に問題がなさそうでも、自分に会うために借金をしている客とは距離を置く(いきなり切ると刺激しそうな場合は3回に1回予約を受ける、とかでも)
  • NGや出禁やもろもろの対応を渋る店には見切りをつける
  • 接客の記録はつけておく(警察に相談する場合、時系列の記録が絶対ほしくなる)
  • 客が個人情報を喋った場合はそれもメモしておく
  • 親身に話を聞いて力になってくれた警察の方の名刺をお守りとして隠し持ち、心の安定を得る(今日も持ってるよ!)
2017-11-18 | カテゴリ: きらくなはなし, まじめなはなし | タグ: ,  

 

ワーカーズライブ:春一番の姉妹

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 春一番の姉妹

これまでガールズヘルスラボに書いてきた小説の中で、たぶんいちばんほめられました。うれしい。ありがとうございます。
そして『良い百合』という言葉でほめてもらっている場面をたくさん目撃しました。今までもときどきそう言ってもらうことはあったのだけど、わたしは人の関係性に対してかなり大ざっぱ(とてつもなく大きくて仕切りのない「好き」という箱にあれもこれも入れちゃって、中で浮遊してる)なので、あっ百合に入れてもらえるんだ、って実感するとくすぐったかったです。名前がつくと照れちゃう感じして、すぐ「わたし名前がもうユリだからね〜」とか言ってしまうんだ……。

余談だけど、男性の同性愛を薔薇に例えるのに対して女性のそれ(いまは同性愛関係に限らずもっと広い広い範囲に使われますね)を百合と呼ぶ、と知ったとき、綺麗な名前だな、と同時に「うまいこと言う!!」とひとりひそかに盛り上がったんですよ、だって、それは、そのー、ユリって、おしべの先んとこ(葯っていうんだっけ?花粉の袋)をちょん切ったりひっこ抜いたりしてポイッと捨てちゃうじゃん!?

……でも、どうやらそこは関係ないみたいで、うそでしょー、と思ってます、いま。そう、いま検索してちがうと知った。えーーーまじかよーちがうのかよー。余談おわり。

 

過去を振り返ると、わたしもいろいろありました。
さくらちゃんだったことも、みずほちゃんだったことも、あったと思う。忘れられない女の子が何人もいます。忘れない、というだけではあまりに無意味で頼りなく、どうか幸せに暮らしていますようにといつも祈っています、無意味なことに少しも変わりないのに。

最近はキャストどうしがあまり仲良くならないようにシステム作ってる店も増えた気がするけど、ちょっと前は距離感近いところはもうどっこまでも近かったんですよ。同じ毛布をわけあってうたた寝したりとか普通にしてた。いや、あれはわたしのいた店の待機室の狭さが半端なかったというだけかもしれないな。異様にせまかったので……。
その店はいろいろといいかげんでした。求人には『寮完備』って書いてあるんだけど実体はそのせっっっまい部屋のことだったもん。夜中に店閉めてみんな帰ったらここで寝ろや、を『寮完備』と書く。アクロバティック〜。
いまでは他にもいろいろとんでもない働き方をさせられていたことが分かるけど、当時はそういうものなのだと思って受け入れていました。摘発されていた可能性もあったわけで、その点はこわい。
でも、つらい思い出ではないです。

脱線しちゃった。

はっきりとカップルになっている恋愛関係じゃなくても、女性たちの間の憧れや友情など肯定的な感情、それゆえにときに生まれる相反するかのようなチクチクしたもの、そういうものたちが織りなす物語が幅広くまとめて『百合』と呼ばれるのだとしたら、風俗店ってそういうものいっぱいある(ように外から見える)かもなあ、と思います。女子校みたいに。
仲良くなったり、ならなかったり、意識しながらとうとう直接は言葉を交わせなかったり、憧れながら負けたくなかったり、助け合ったり、突き放したり、やっぱり手をつないだり。だけど、プライベートではつながらなかったり。あとたま〜につまらない(と本人たちも思ってる)ことで熱いバトルが起こったり!

勤務時間内だけ極端に距離感が近くなる場合がある、っていうのがけっこう大きいかもしれません。
私物のヘアアイロンを仲良い子に貸してあげたら「なにこれめっちゃいい!サラサラ!」と喜ばれたのであたしがいない時も勝手に使ってね、と言ってアイロンの持ち手にその子の名前をマッキーで書き足した(とったとられたにならないよう置きっぱにする私物には名前を書く)ら、次に出勤したとき彼女の手によって名前の間にハートのマークが足され「シーナ♡リサ」みたいになっててコンビ名かよってめっちゃうけたんだけど当のリサちゃんがたまたまいない日だったものだからひとりで肩を震わせた話とか、なんていうか、わたしにはちょっとしたかわいい思い出のひとつみたいなもの、
この世界独特の、なんだろ、閉鎖性とか秘密っぽさみたいなものも手伝って、ドラマチックに捉える人もいるかもしれない。そういうのを、「百合だ!」って呼ばれて消費されるとしたら、どうなんだろ。

……ってことを、ちょっと考えました。
どうだろ。でも、あんまり嫌な感じはしない。

たとえば刑事もののテレビドラマやなんかで、風俗業やホステス業がそれこそその閉鎖性や神秘性や、さらに不誠実だったりお金にだらしがない人間であろうというマイナスイメージを利用したうえで、物語を進ませるためのパーツとして雑に利用されているケースは溢れています。ふーん、と思っています。さぞかし使いやすくて便利でしょうなあ、って。

でも、じゃあ、同じことなんじゃないのって言われるかもしれないけど、そんなに嫌じゃなかった。関係性だけを面白がられたり、閉鎖性や被差別性をスパイスにされることを想像すると、たしかにとても嫌なんですよ、だけど、今回言われた限りではわたしはそういう感じをぜんぜん受けなかったです。

「女の友情は(男のそれに比べて)もろい」とか、「女の絆は男が現れれば簡単に壊れる」とか、「女ばかりの場所は陰湿で残酷」「女から女への恋心は単なる通過儀礼」「または男の(セックスの)良さを知らないから」といった一面的で有害な思い込みにNOを突きつけるものとして『女たちの物語』は力強く、また不可欠な存在だと思っているから、百合という言葉を褒め言葉だと受け取れるのかもしれません。
わたし自身は物語を読んだり見たりする時、ガールズラブでもボーイズラブでもどっちでもないズラブでも伝統的な異性愛でも「ズ」がふたりじゃなくても性愛的なラブストーリーじゃなくても、似たようなテンションで読んで同じ棚に入れてしまうタイプですが、それでも女の物語が生まれにくかったり、作り手の意に反する形の評価や消費をされやすかったりする感じはなんとなくわかる。なので、女どうしの関係性を描いた作品がもっと力を得て自由になれたらいいな、という気持ちもあります。
今回わたしが書いたものを読んで、すてきな百合だね、と言ってくれた人(女性がほとんどでした)が、ああ限定的でない何らかの肯定的な力(良さ、とか、わかりみ、というやつかな)を感じてくれたのかなあ、と思うと、正直にうれしいです。

女が女の愛情を信じられる世界であってほしい。それを取るに足りないもの、弱くもろいものだということにして力を奪い、別の力に従属させようとする存在から自由になりたいと、これまで仲間であった女性たちとの思い出を通じて、そう思います。

 

余談その2。その待機室が異様にせまかった店では辛い経験もして(店長に性的な関係を要求されるなど)、結局さいごは無欠から飛んだのですが、しばらく経ってからふと思い出して検索してみたらホームページがなくなっていて、すぐさま匿名掲示板を訪ねてみたらかつて働いた女の子らしき書き込みで「祝!○○(店長の名字)落ちぶれ〜!(IKKOさんかよ)」とあり潰れたばかりだということがわかったので、他にもたくさん悪事を働いていたのかと腹が立ちながらもほっとしました。
あのときへこんでたわたしに「アイス食べたくない?」と言って外に連れ出して話をしてくれた女の子のことも、ずっと忘れてないです(3月か4月で、まだちょっとアイスには寒くて、やっぱさみーよ、って言いながらその子はパナップ食べてた。わたしはなに買ったか忘れた)。

2017-03-14 | カテゴリ: きらくなはなし, まじめなはなし | タグ: ,  

 

小さな暖炉の前の椅子

ここを読んでくださっている方にはそろそろおなじみ、2014年末のできごと について、当時から尽力してくださっていた方々とお話する嬉しい機会が最近ありました。
いろいろと心の中のものを書き出したのでよい整理になり、ログが流れていくのがもったいないのでここにまとめておきます。

今になってはたと思い至ったのですが、あのとき誰が何をしてくれていたのか、というのが、当時のわたしにはほとんど見えていなかったんです。何らかのかたちで動いていると把握していたのは自分以外にもセックスワーカー(引退後の方を含む)が多く、そのため当事者だけで矢面に立っているかのような心許なさは大きかった。じきに精神的負担の大きさに、もう無理!となり、もっと知りたいことはあるけれど、もう無理だな、という状態でわたし自身はいったん区切りをつけました。それでよいのだと言い聞かせる他なくなった、というか。

アクションを起こしてくださった方がいたことは、知っています。ただ、その後どうなったのかを知る機会がなくて。「知りたいし、言ってくれて大丈夫なので教えてください」とどこへ申し出ていいのかも分からないまま時間が経ってしまったので、それはちょっと気になってはいます。

いま初めて言うことだと思うけど、当時大きなメディアの取材も受けたんですよ。ただ、質問の問いの立て方がもう完全にズレていて(同じ女性としてどう思いますか?とか……)、つくづく悔しくて、一度は断って、でもどうしてもって真剣にお願いされて、そうかここからひとつずつ説明していくしか道はないのか、と思ってできるだけ答えた。絞り出して答えました。これでもけっこうがんばってたんだよー!
……あれは、どうなったのかなあ。実はわかりません。それきり連絡をいただいていないので。

そんなこんなで、あのときのいろいろは確かにわたしからいろいろなものを奪ったのだけど、せめて学んだことというのもいくつもありました。

 

【セックスワーカーへの中傷にもいろんな背景がある】
【それぞれに真意があり、その裏には苦悩がある(こともある)】

性的なアイコンだから、スキャンダラスな存在だから、指をさして蔑んでも世間から非難されにくいのでストレス解消にうってつけ。そういう理由で指をさしてくる人はいて、比較的見えやすい遭いやすい脅威です。だけどそれだけじゃない。
確信を持って「あなたがやっていることは犯罪(※)だ、犯罪者としての自覚を持て」「あなたのような邪な人は社会にとって害悪なので発言するな」と言われることもありました。わたしがひとりの人としてなにかを主張している、まわりがある程度それに耳を傾けている、それは異常事態であり、世の中の秩序を乱していると。彼らの心を乱しているのは「世の中が風俗嬢をひとりの人間として扱うこと」や「性風俗業があること」そのもののようでした。わたしの発した言葉の内容については、あまり関心がないように思えたのです。

性産業に直接関わっていなくとも、それに対する気持ちによって苦しんでいる人がいる。知ってはいたけれどはっきり目で見た、自分に向けられる形で。その経験は重かったです。

(※……この指摘は正しくありません。わたしの仕事は派遣型性風俗店のコンパニオンと呼ばれますが、これは犯罪にあたらないものです。様々な業種の中には現実には違法行為(≠犯罪)とされる可能性を含むものも一部あり、しかしわたし自身は業務の内容によって働く人の権利の部分に差がつけられるべきではない、たとえば所属する店がどこをつついても適法だ、権力がどんな「さじ加減」「物は言いよう」の運用を駆使してこようとも鉄壁だ、と証明できた人だけ職業差別から守ってあげましょう、それができないなら犯罪者です。とかそういうのは変だなと思っています。ただここでは「風俗店に勤務すること=犯罪」という認識は誤りである、ということだけしっかり記させてください)

(付け加えるとしたら、あまりに捉え方が雑すぎて「ああ、買売春やセックスワークにまつわる問題についてまじめに議論する気はないのですね」とすぐにわかるような『誤り』ですよね)

この社会にセックスワーカーがいるということ自体に居心地の悪さを感じたり、「私もあなたたちと同じ人間ですけど」と主張する姿や、それが一定の理解をもって取り合われているさまを見て耐え難いにくしみを抱かされる人、ばかやろう調子に乗るな死ね売女(一句詠めました)、と思わずにいられない、言わずにはいられない人というのが確かにいて、一緒に生きている。同じスーパーのレタスの山に手を伸ばしているし、同じ自動改札にピッてしてる。
それはわたしとしてはひたすら怖いことですが、納得もしました。
むき出しの悪意を侮辱的な言葉にのせてぶつける行為自体は嫌悪しつつも、その苦しさ(わたし自身は未体験のものなのに)自体はまるっきり分からないわけではない、そんなふしぎな感覚がしました。
たぶんそれは、そういう憎しみを形成したもの、個人にもたらしたもの、植えつけたものの正体をわたしもなんとなく認識したことがあるから……ではないかと思います。
それらはムクムクと伸び縮みしながら常にわたしたちをまとめて包もうとしますね。

救ってあげたいだとかそんな図々しいことは決して思えないけど、ただその苦痛がせめて無関心になれば楽になれる人がきっとたくさんいるのかもしれない、とは思ってた。
かといって、わたしにできることは何もないのです。悪意から適切な距離を取るための努力だけでいっぱいで、向き合うことはできない。いちいち紐解こうとすると、目の前にある日々の仕事に「やりづらいなー」って気分になってしまって支障が出ちゃいそうで、それがとてもいやでした。

わたしにとって大切なことは、自分の前に来た人になにか少しいいものを持って帰ってもらうこと(ほわっとした言い方ですが決して優しさいっぱい夢いっぱい♡なイメージではなく、まあ一旦そういうことにしておくと個人的に業務がやりやすいのです)。だけどお客さんにも色々な人がいます。有料で性的なケアサービスを受けるということと精神的な折り合いがつかず、性風俗を憎悪しながら性風俗を利用する人も中にはいますし、そこで出会ったコンパニオンの身体はすべて自分の自由にしてよいものと勘違いしている人、わたしのことをなぜか生きている人間ではなくオブジェクトだと思っているかのような危険な人も、稀にはいます。
最大限に身の安全を考え、警戒をしながら、それらをきれいな仕草で完全に包み隠すこともしなくてはならない。その作業に、「これは悪意を向けられて当然の仕事」という意識はものすごく、じゃまです。忘れたふりをしなくてはなりません、けっこう大変です。でも客となった人に精いっぱいのことをする、その人の心身をできる限りかけがえのないものとして優しく扱う時間をつくる、それでしかまた自分の自尊心みたいなものも守られないのです、わたしは。そのためにはやはり、まず自分の心を守らなくてはいけない。

だから、これ以上はやめようと思ってやめました。矢面に立たされたことは仕方ないとして、いつまでもそこにいることないですし、いられないと思いました。もっとできることがあったのでは?と漠然と悔やむ部分もありながら、しかし間違っていたとは思っていません。

……でもね。
でも、問題からうまく距離を取って、矢面からせめてもの安全地帯に退避して心身を守るというその大切なこと不可欠なこと、それって、加害する側のものにとって、とてもとても都合がよいんですよね。静かであるということが、許されているということになる。問題ないものになる。だって誰も文句つけてこないけど?世の中うまく回ってますけど?と言わせてしまうことになる。「そういうもの」であり、正しいということになる。
もともとの関係が対等じゃないから。

 

【では侵害に疲れて抗議をしないでいると、なにが待っているか】
【そこにもまた侵害があるだけ】

それを心底思い知らされるような出来事が、昨年(2016年1月)ありました。たくさんの方が指摘していた通り、これらの件は地続きの問題を含んでいると思います。もうね〜悲しいとか悔しいとか腹が立つとか、そういうののもっと上の言葉はないのかよ!いくつかいい感じのやつ作っておいてよ昔の人!!ってくらい悲しくて悔しくて腹立たしかったです。
今もです。
(この事件のことです – Don’t exploit my anger! わたしの怒りを盗むな

矢面地点からそっと逃げて茂みの陰ですり傷をなめてたら空から巨大な爆弾が落ちてきたぞドーン!ボカーン!!みたいな衝撃でした。おっとわたしがメソメソと傷ついていたあれはいま思えば竹でできたほっそ〜い矢みたいなものだったな!ってなりました。
なんにしてもライフがひとつ減ることに変わりはないんですけど。矢でも死ぬもんね、人は。

 

【専門家への期待は、かなわなかった】

美術館に問い合わせをしたとき、そしてその内容を公開したとき、わたしの心の中には「無知な自分が問題提起をしていいのだろうか」という不安とともに、それを振り払うだけの期待がありました。
こんなことが起こった、困ったことになった、どうしたら……という声をあげれば、んーなんて書くのが正しいのかな、その道に詳しい人たち、専門家の人たち——つまり、普段のお仕事で人権問題や性差別や写真芸術や諸々を取り扱っている方が、その知識でもってなにかヒントを示してくれるんじゃないかって。
わたしはなにも判断ができない、主観による主張しかできない。だけど、セックスワーク当事者にとって切実なこの恐怖や不安を、そうでない人にも想像しやすいように具体的に表現することなら少しできる。「取っ掛かり」になら、なれる。そうすればきっとそれぞれの専門知識がある人が具体的な説明をしてくれて、そしてわたしを含めた大勢の人が新しいことを知り、考えることにつながる。だったら最初の取っ掛かりとなる価値がきっとあるはず。そう思ってた。

でも、そうでも、なかったんですよ。何ひとつ全くなかったとは決して思わないです!でも、思ったよりずっと少なかった。
特に芸術に関わる立場の人(仕事にしている人とか、愛好している人も)が、アートの名誉と言えばいいかな、そういうものを守るために何か話してくれるかもしれないって思っていたんです。人が嫌がることでも何でも芸術と言いふらせばオッケーさ、という考え方ですべてができている業界だと思わないでくれ、という話になるのでは、って思った。
でも、思ったほど、そうでもなかった。
これはわたしが勝手に期待していただけのことで、そうならなかったからといって仕方のないことです。しかしそれだけで済ませてよいものかどうか疑問が残っています。

《わたしの予想に反して彼らのところまで届かず、リアクションを得られなかった》では、ないからです。リアクションはあったのです。

まず聞こえたのは「あの人(ことの発端となったアーティストたち)はそういう人だから仕方がないだろう」というたくさんの声。中には「仕方がないだろ(笑)」というニュアンスのものも見られました。

それって、本当にあの写真を撮った人やワークショップを企画した人が「あの人はああいう人だから、いくら我々が議論をしても無駄骨になるだけだ」「あきらめたほうが無駄な傷を負わないよ」と思っていたわけじゃなくて……外野から波紋を起こされようとその内容が「セックスワーカー?とやらの、なんか知んないけど人権とか? について、なんやかんや言われてるらしいわ」なら、放っておいても大丈夫だわい。というのに近かったんじゃないかなと思ってます。
脅かされていない名誉は、そりゃあ守る必要ないですよね。だから起こったことを見るよりも先に「ほほう、セックスワーカー自身がみずからの人権を主張する世の中になったとは時代も変わったものですな、興味深い現象ですな」みたいなことを言う人すらいたんだと思う。アートの名誉を守るために自分で動き話すより、その方がかっこ悪くないということなのかな。

そして「いちいち被写体の許可をとっていたら写真表現自体がダメになる」「『倫理的なことを言っても通じない』ことを芸術と呼ぶのだ、認識を改めろ」という意見もありました。後者は美術家の方から直接わたしに向けて届けられた言葉のひとつです。
あきれましたし、淋しかったです。それで、ああ、わたしは何か期待をしていたんだな、と思って、もうやめよう、二度と自分以外に期待なんかしない、するもんかい、ってちょっと思った。
(すぐに忘れちゃったけど。それは自分だけでもそこそこのことができる見込みのある人が言うことだもんね。わたしは誰かと協力しないとなんにもできないし、やっぱりこれからも、相手を選びながらもちょびっとこっそり他人に期待、しそうです。だめなら落ち込み、かなえば喜び、で生きていきそうです)

 

【終わった話、にならない理由】

わたしはメールフォームをオープンにしているので時々おたよりをいただくんですけど、あの件に関して何かを書いてくれる人が、まだ、いらっしゃるんですよ。2016年でもまだいくつかいただきました。そしてそういうときって必ず「終わった話を蒸し返して申し訳ないんですが」って書いてくれてるんですよね。ふふ。
やだー終わってないよ!!あなたがあなたの中に生まれたことをそうやって書いて、わたしに送ってくれたって以上、それが続いてるってことそのものだよ。っていつも思ってます。蒸し返してわるいかな、なんて思わないでください、大丈夫です。ずっととろ火がついてるのでいつでも蒸したてふかふかだよ。

わたしのツイッターをずっと読んでくださってる人はぴんと来ると思うのだけど、昨年の春には、社会学におけるフィールドワーク、の名でひどいことをしたり書いたりされたこともありましたね。あのときメールくれた人もいた。わたしがリプライを送って、お返事してもらえなくて、それを見ていてくれた人。何も出来ないけど確かに見ました、と言ってくれた。
ありがとう。あれうれしかったです。
それから、わたしの文章を読んでいるうちに「突破口が見えた」って書いてくれたひともいた、これはもう、うんとうれしかった、セックスワークを考えるにあたっての誠実な姿勢が文面から伝わってきて、本当にうれしかったです。自分を疑ってくれているあなたをわたしは信じます。思いがけずこんなところでお返事してごめんなさい。

そりゃあ……「終わった話」にできたら、すごくいいですよ。そういう時代がかつてあった、まともに話も聞いてもらえなくて当然なころもあったのよ、って昔話にできる日がくればいい。でも今は、そんな景色はとても見えない。

つい最近になって、東京都立写真美術館の方とお話する機会を持ってくれた方がいらっしゃいました。
お話してくれた学芸員さんによると、写真家本人から美術館に対し、謝罪の言葉があったそうです。そしてそれは美術館に対する謝罪ではなく、この件で不快に思った方全体に対する謝罪であった、と。
ならばなぜその「全体に対する謝罪」を美術館に向かって行うのか、わかりません。今日までわたしが知らずにいたのかと思っていちおう探してみたのですが、ご自身のブログで一度釈明(わたしはあれを謝罪ではなく釈明、もっといえば弁解だと受け取っています)された文章以外には見つかりませんでした。
たぶん、なにがまずかったのか、どういった点が批判されてしまったのか、今でもはっきりとは認識されていないんじゃないかな、でも形式的にでも謝らないとまずい状況に追い込まれてしまったのかも、と個人的には思っています。
わたし自身は彼から謝ってもらうべき者ではないので、「あいつがあやまるまでおこるぞプン!」みたいな気持ちではない(そう思ってる人もいそうですが、ちがいますよ)ですし、仮に彼が認識を改めたとすればすべてが解決するかというとそれも違います。そういうことでも全然ないです。
(まるっきりどうでもいい、ということではなくて、一部のエリアで失われたかもしれない彼の名誉や信用がこの先挽回される機会が全くなくてかまわない、というふうには思っていません)

ただ、このままだと別の人たちによって同じようなことが何度でも起きることは十分考えられるし、それを避けようとして短絡的な方向に向かう(たとえば性的なニュアンスの濃い作品がとりあえずやたら疎まれるとか)(セックスワーカーの存在を単なるめんどくさいタブーとして隔離するとか)(権威のないアーティストたちが理不尽な制約を課されるとか、いろいろ)のはいやだな、とかは思っています。

わたしにできることがまだあるのかどうか分かりません。
でも、ちょっとあるかもしれない、と思いながらずっと考え続けます。こうしてブログに書くことも「これにて終わりです」とはずっと言わないだろうと思っています。セックスワーク自体をいつか引退するとして、それで終わりにもならない。
そう、本当は終わりにできたらいい、だけど、いまは終わらせるわけにいかない。終わらせてなんかやるもんですか。
いつかのいつかには本当に終わらせなくちゃならない、そのために、わたしたち(って言ってもいいよね?)は続けます。
探し続けます。
細々と、しつこく、できるだけ明るく、できるだけしぶとく。あなたにもいつでもきてほしいです。胸から抜いた矢を暖炉にくべてお待ちしております。とても小さな部屋ですがなぜか無限に椅子が置けます。おやつにお芋も焼いてます。

2017-02-23 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

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