2017-12

【お願い】取材や出演などのご依頼について

さっきあんなにワアワア言ってた人がまだ何か書くようです。今年のうちに言いたいことをぜんぶ言う作戦です。

前回はわたしの本業、風俗業での2017年の話をしました。それと別に、「椎名こゆり」の名前の方で今年を振り返ると、こちらではトークショーなどイベントの出演依頼やインタビュー取材の依頼、そういうお話をいただくことが増えたなあと思います。

そして、そのすべてをお断りした年でした。

声をかけていただいたことにはありがたく思っているのですが、お受けできるものがひとつもなかったのです。
わたしのプライバシーについてどのように取り扱っていただけるのか、という点について、あまり考慮されないままお誘いをくださった件が多かったように感じています。そのため、納得いく形でお引き受けすることができず、すべてをお断りすることになりました。

「顔写真は提供できません」「働いている店やそこでの名前(源氏名)は公表できません」「知らない人の前で被害経験を語りません」ということをわざわざ言わなければならないのか……と思い、落ち込んでしまったのも正直な気持ちです。
でも、わたしにとっていつの間にか当たり前になった感覚だというだけで、セックスワークを取り巻く問題について興味を持ったのがごく最近、という方には難しいことかもしれない。性犯罪など取り扱いに注意が必要なトピックについて考える期間がまだ浅かったり、ふだん関係の薄いお仕事に携わっている方にとっては、誰かから指摘されて気づくことが多いものかもしれない、と思い、どこかで機会を見つけて書いておこうかなと思っていました。なので今やります。

次に引用するのは、ある方にわたしから差し上げたメールです。主催するイベントのトークショーにゲストとして登壇して欲しい、というご依頼へのお返事です(一部書き換えており、お名前なども架空のものです)(見りゃわかるよねごめんね!)。長いお手紙をいただいたのですがお断りせざるを得ず、なぜだめなのか、ということを詳しく説明させていただいたので、他の方にも読んでもらえたら何かの役に立つかもしれないな、と思って載せることにします。

《以下引用》

(株)当欠エージェンシー パネ山マジ太郎 様

この度のお話、残念ながらやはりお受けすることができません。
大切なイベントにお招きくださるほどですから、わたしが何者なのかということは多少ご存じかとは思いますが、この「椎名こゆり」という名前は書き物のお仕事をする上でのペンネームであり、本業である派遣型風俗店での勤務にあたっては別の名前(いわゆる源氏名です)を使って仕事をしております。
源氏名でのわたしと「椎名こゆり」が紐付くことはあってはならないことですので、椎名として活動するにあたって顔や姿をはじめ、諸々の個人情報は明かしておりません。

性的サービスの仕事は、しばしば客となった方から強い執着を持たれることがあり、そのリスクは個人の努力や工夫で避けきれるものではありません。
お客様の数は多いので、中には○○を愛好する方も、△△に関心のある方もいるでしょう。
(注:○○や△△には今回のイベントに関連するテーマやモチーフとなるもの、取り上げられる社会問題が入る)
わたしに対し特別な感情を持ってはいない人であっても、見覚えのある顔だとわかった途端に「自分はあの女を買ったことがあるぞ」と高揚し、あることないこと話したくなるのも、人間の感情の動きとしてありえるでしょう(「奇遇」に遭った人は魔が差しやすいものですよね)。
なにかの拍子に偶然が重なる可能性は充分にあり、そのときわたしが被る不利益は予測がつきません。所属する店の外で起きたトラブルは、店も面倒をみてはくれません。
安心して働き続けるためには、筆名、源氏名、本名、そして顔などの見た目、これらを繋げられないよういつも個人で注意を払う必要があります。
もちろん、「テレビのドキュメンタリー番組であるような、磨りガラスでできたついたて越しでも出演したい!」のように思う人もいるかもしれません。まったく無頓着で、そういったリスクについては起こってから考える、という人もいないとは言いきれません。ですが、多くの場合で「東京のセックスワーカーが、東京のイベントで、顔を出して壇上に上がりものを言う」ことは、おそらく経験者ではない方が思い描くよりもずっと難しいことであり、危険を伴うことなのです。今後同業の方にコンタクトを取られる折には、どうか思い出していただけると幸いです。

身に余るお誘いでしたのに、このようなことを申し上げてすみません。こういったお誘いや取材依頼の類は多いのですが、わたしたちの身の安全にお気遣いをいただけるケースがあまりに少なく(むしろ蔑ろにされることが多く)、同じような形で活動している現役のセックスワーカーたちもおそらく同じ思いをしていると思うのです。
末筆ながら、イベントの成功をお祈りいたしております。
《引用おわり》

この件はイベントへの出演依頼、というものでしたが、研究でも調査でも取材でも同じことです。
セックスワーカーの意見が聞きたい、と思ったときに、わたしのことを思い浮かべてくれる人がいる、そのこと自体はたいへんうれしいです。いろいろ書いてきてよかったなって思えます。わたしにできることがあるならしたい、というのは本当の気持ちです。誰にもなにも頼まれたくない、というわけではありません。

しかし、その「できること」というのにはそれぞれ範囲があり、人が想像するよりも実際は狭かったりするものだ、ということです。それぞれに違う、できることの範囲を尊重してほしいのです。軽く見積もらないでほしいのです。

とくに舞台に上がること、本に掲載されること、テレビに出演すること……これらについて、お断りしたときに「なぜ嫌なのです? 皆さんこぞって出たがるのに」「チャンスを与えてあげているのに」といったニュアンスを返されると、とりわけつらいものです。ちょっと卑屈な見方をすれば、日の当たらない隅っこにいるあなたを表舞台に引き上げてあげると言っているのに断るのは生意気、と思われているのでは? とも思えてきます。もしそうなら、その感覚こそがわたしたちを閉じこめていると気づいてください。

いかにわたしの書くものに共感したかを強調し「あなたが味わった辛い目をたくさんの人に知ってもらいたいのに」「声を上げる場所を作ってあげるのに」というのもそうです。「人々の気づき」「人々の学び」のために、とよく言われますが、そのために前に出た人が差し出すものは何か、それによってなにを失う恐れがあり、どうすればできるだけケアできるか、そういうことに考えを至らせた上で相談してくれている、と感じられない場合、頼まれた側は「これは搾取では」と警戒します。「貴重なご体験」とはどういう意味なのか、誰にとって貴重なのか、と思います。

セックスワーカーを「面白い、興味深い」と見る人がたくさんいるのは知っています。しかし「面白いところだけよこしてくれればいいです、リスク管理は適宜ご自分でいいようにしてください、こっちは素人なので」という姿勢で持ち込まれた話には乗れるわけがない。セックスワーカーとしての意見を求めるのであれば、セックスワーカーが置かれている立場やさらされている状況についてもご一考の上で声をかけてくだされば幸いです。

「何でも協力するから気軽に声かけてね!」とは決して言えませんが、なにかありましたらご連絡ください。

以前からときどき依頼をいただくものには学生さんの卒業論文もあります。そちらについては、申し訳ないのですが現在すべてお断りしています。これまでいくつか協力させてもらう機会があったのですが、心身ともに疲れることがとても多かったので……。

このあたりのことはとても分かりやすく説明されている文章がありますので、MEMEさんとマサキチトセさんのブログを紹介します。どちらも“LGBT”を取り上げた研究に関して書かれたものですが、セックスワーカーに関してもまったく同じことが言えると思いました。(特にさまざまなマイノリティについての)多くの研究や調査において、そういうことが起こっているのだろうと思います。


MEMEさんの記事中に「本人の性格が悪いなどということではなく(むしろ良い子なかんじ),ただお作法を教えられていない&全然勉強していない(本とか読んでない)という印象を受ける例が私の場合多かった」とありますが、わたしも同じことを思います。あーほんとそれ! って感じです。
「やっているのは学生だが,しかしバックには研究のプロたる大学教員がついているわけで,それなのに」ともあり、わたしは(自分が大学生であったことがないために)指導教官という大人がついている、ということに考えが至らず「まだ学生の人がたったひとりでがんばっているのだから」といった変な義務感をもってしまい、ずいぶん無理難題であったりちょっと失礼であったりする要求(だと知っていてぶつけているわけではないんだと思います)に応えてきてしまった、と反省しています。

お受けしてよかった、と感じている「調査」もごくわずかながらあります。その中に大学の教授をしていらっしゃる方からのインタビュー調査があり、それを経験してようやく「ああ、『調査』の対象となるときは本来このくらいしっかりとした配慮があるものなのだ、ああ、それはそうだ!」と、本当にようやく気づくことができたのです。そのときのインタビューを録音したものと、元にして書かれた論文はわたしも持っていて(ちゃんと渡していただけたので)、すごく時々聞き返す(読み返す)とほんのり元気が出ます。わたしの当事者性を尊重し、堅苦しい雰囲気ではないながらも敬意と慎重さをもって質問してもらえている、つまりマサキさんの翻訳記事にあるようなことがしっかり守られているからです。
調査や研究をする人とされる人との間には、マイノリティとされる人を対象とする場合はなおさら、どうしても立たされている場所の違いから力の差のようなものができます。でも、それを越えて良いコミュニケーションを作り上げることもできるのだと知れた経験でした(しかしそのためには、調査や研究をする側の人の知識と心がけが不可欠です)。

2017-12-31 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

ざまあよりも楽しいこと(仕事中の盗撮被害について)

久しぶりに自分のブログにアクセスしたら、昨年の今ごろはスケートのアニメにドボンとはまっていた文章が出てきて懐かしさと自分への「わかるわかる」にむせび泣きました(それにしても勢いだけで書いていて訳が分からないところも多すぎたのでこっそり書き直したりした。だせえ)。もちろん今も思いきりはまったままです。刺さったものが抜けないんです。幸せです。

今年のわたしはというと、吐く吐く詐欺にこそ遭いませんでしたがやはりそれなりにお客さん方に翻弄されて疲れ果て、同僚やスタッフさんと苦笑いしながら「来年もよろしくね」と言い合ってお別れしたところです。『客が財布を開けたらば3800円しか入ってなかった事件』とかありました。それなりのホテルのそれなりの部屋だったので笑ってしまいましたが、油断できませんね。本人は「おかしいぞ!?」と騒いでいましたが、「今夜行ったお店を順番に思い出してみて」と優しく語りかけてみたところ数時間前の記憶がすでに曖昧モコモコのフワフワだったので、そのお金は落としたりスラれたりしたわけでなく、全てお酒になってお腹の中にあるのだろうとわかりました。
そこまで酔っているといつの間にかわたしのせいにもされかねないな、と思い「どこかのお姉さんにあげちゃったんじゃありません? モテるんですね♡」とよく考えると理屈が不明なことを言ってサラッと失礼しようと思ったのですが、電話でいいからと叫んで懐から立派なお色のクレジットカードを出してしまったため断る権利が消滅してしまいました。本当は3800円のところ5万円持っていると思い込んじゃう(&見知らぬデリ嬢の前でカード番号を平気で読み上げるまでにセキュリティ意識が損なわれている)ほどへべれけであるという事実は変わらないため「まさかこの人吐かないかな大丈夫かな」とスリリングな時間を過ごしました。しかしこんなに酔っていてはとても身体は反応しないだろうに、それでも他人のぬくもりがほしかったのだな、柔らかい肌に触れて眠りたかったのだな、と思い、優しく接しようとつとめましたが、蓋を開けてみたら確かに泥酔しているのに下半身は絶好調、そのうち調子に乗って「お金あげるから」と禁止事項を求めてきたので(3800円くれるつもりなのかな???)と思いました。本人も気がついたようでばつが悪そうにしていましたが、ここで「カードで」と言ってくれれば小さな笑いが起こったのに惜しかったです。

待って、そんな話をしにきたんじゃなかった。

1年の仕事を振り返って、思うことがあります。

「やっぱじわじわ増えてるよね、盗撮」です。

同業のひとたちにとってはとっくに昔から切実な迷惑行為(なんて言葉じゃ足りない)だしツイッターなど見ていてもよく話題になっていたけれど、今年は本当によく見聞きしました。毎週毎週遭遇するってわけじゃないけれど、勤めている店の他の女の子にも、他店の友達にも、そして自分にも、何度かそういう話がありました。小型カメラ(と、それを用いたハウツー)が普及しているということだとしたら、来年はもっと増えるのかもしれません。

わたしがこの業界に入った頃はまだスマートフォンという言葉もなく、「大きい荷物の客に気をつけろ、鞄の口が開いててレンズが見えるかも」「怪しいときは電気を消せ」なんてお店から言われたのを覚えていますが、いま思えば平和な時代だったと言いたくなってしまうほどです。
(実際にそういう入念な下準備で乗り込んでくる盗撮犯が少ないけれど存在したわけで、平和なんかじゃないよね)

体位を変えてほしいと言って女の子に後ろを向かせた隙に携帯電話で撮っちゃう、というのもよくありました。ピローン♪ と音が鳴って、「いま撮ったでしょ」と言うと「え?何が?」とシラを切ったり、「消したから大丈夫だよ〜」とうそぶく人が時々いたものです。でも店のスタッフが確認するとSDカードの中にちゃんと入ってるっていう。せこい手口だと笑われるかもしれませんけど、そういう人いっぱいいたんだよー!

時が流れ(スマホの普及、無音カメラアプリの時代を経て)、いまわたしたちが悩まされているのは、はじめから隠れて撮るために作られた小型のカメラによる盗撮です。身の回りの日用品、文房具やお菓子やはたまた飲み物などに偽装したカメラがいろいろと、普通に売られていて誰でも買うことができます。長い時間録画できて、しかも部屋が暗くてもじゅうぶん鮮明な画像が撮れるようですね。もうため息しか出てきません。勝手にどんどんテクノロジーしないでほしいものです。しかし正当な理由で必要とする人もいるのだ、とも思い、だとするとそれはやはり他人から侵害されている人が証拠を作るためだろうなあ、とますます心が苦しい。どこもかしこも大変かよ。

撮った動画がリアルタイムでスマホに転送されていたケースもありました。盗撮が発覚した場合に「使用したカメラを没収し、身分証のコピーをとって出入り禁止にする」みたいな対応をするお店もけっこうあると思うんですが、それだけでは足りない時代になってきたのかもしれません。

スタッフが部屋にやってきたとき、慌てるよりもきょとんとしている人が多いように思います。発覚することを恐れながらやっている人ばかりではなく、バレるなんて想定もしていない(または、バレたところで店が介入するようなことじゃないと思ってる?)人がけっこういるということなのかな。「○○(店名)の者です。お話を伺いますので本日のサービスはこれにて終了させていただきます」とまで言われてもまだ理解できず「なんだ君は」と偉ぶっていた人もいました。その無自覚さ、とても怖かった。

そして証拠を突きつけられもう逃げられないとなると、そこで初めて謝るんですよね……スタッフに。わたしではなくて。「すいませんでした」「勘弁してください」「会社にだけは」「妻子がいまして」って。家族構成どうでもいいっつうの。今後の自分の処遇だけに興味があるのだと思います。彼らにとって失敗とは、してはならないことをしたことではなく、それが店にバレてしまったことなのでしょう。
若い人、中年の人、一見の人、常連の人、いろいろです。でもまだわたしに向かって自分から頭を下げた人はひとりもいません。もし下げられたとして「じゃあ最初からするなよ」と思うだけではあるんですが、それでも悲しいことだと思います。とことん舐められているわけですから。

今年は「何年も指名し続けてくれて、良い関係を築けていた(と、わたしは思っていた)お客さん」からも盗撮をされました。これにはさすがにびっくりしましたし、精神面のショックが大きかったです。
彼に気づかれぬよう店にSOSを出すとき、やられていると分かっているはずなのに「でも、でも、何かの間違いでは」「わたしの勘違いでは」という思いを拭えずにとても混乱しました。情けないほど、しっかりできませんでした。彼のことを考えていた時間、身体のクセやプレイの好みを観察して把握し、どうすればもっと喜んでくれるだろうかと試行錯誤を繰り返してきた数年間とその間ずっと抱いてきた感謝の気持ち、自分の仕事を気に入ってもらえていると感じた嬉しさなどが、すべて一瞬でなくなってしまった。それがすぐには受け入れられず、腹を括れなかったのだと思います。
それから、自分がしようとしていることが彼の心や生活にどんな変化や影響を与えるだろうかということも、考えられなかったし考えたくないのに、考えようとしてしまうのでした。「こんなにいい人なのに」と。明らかな禁止行為をした人に向かっていい人もなにもないのにねえ。
幸いわたしは普段店から「盗撮に関しては不審なモノや行動があった時点で男子スタッフに丸投げしてくれてかまいません、万が一勘違いであっても紛らわしい行いで恐怖を与えた責任はお客様にある、と考えるようにして勇気を出してください」と言われていたため、最も守るべきものは彼でなくわたしだ、店は味方についてくれるはずだ、と心を立て直すことができ、最後には「助けてください」と言えました。言えてよかったです。

 

そもそもなんのためそんなことを、と思うかもしれません。何のためなんでしょうね? わたしも分かりません。

趣味で、という人はいると思います。趣味としてあとで見返して楽しむために裸の女性(または、自分がサービスを受けた時の、というところに意味がある人もいるかもしれません)の画像や動画が欲しい、でも、撮らせてほしいと頼んでもどうせ無理だから/嫌われるに違いないから/相応の謝礼などを払うことになっても嫌だから/頼んだと知れたらそれだけでブラックリストに入りそうだから/カメラを意識していない自然なものがいいから/などなど、の理由で、気づかれないようこっそり撮ってしまえ、と思いついてしまった人、いるだろうなと想像します。

それから、撮った画像や動画をなにかに利用する人もいると思う。人が見たがるようなものをインターネットにアップロードして、お金に換えることもできる時代です。または同好の士からいいねをもらって心を満たす、あの人はさすがだと尊敬を得る、こいつウケるぞと一目置かれる、という使い道もあるでしょう。目にする機会がないとピンとこないかと思いますが、街中で盗撮した女性の画像を載せてワイワイ盛り上がっているツイッターアカウントは実は腐るほどあります(本当に腐って土に還ってくれればいいのですがそうはいかないらしいので、これのことかと思った際は通報してもらえたらと思います)。
デリヘルを呼んで隠しカメラで生配信、という手段を選んで、逮捕された人もいると聞きます。

それから、これはわたしが勝手に想像しているだけなのですが——撮る、ということそのものに意味がある人。画像や動画に使い道があるわけではなく、ただ相手に知られず撮影に成功することを楽しんでいる人、いるんじゃないかなあと思うんです。
本当なら嫌がられるはずのことを、まんまとやってのけているってこと。ざまあみろ、という気持ちが心躍らせ、高揚させるのではないかしら。
もしかしたら彼らにとって、わたしたちはどこか気持ちの良い存在ではないんだと思います。
ちょっと服を脱いで触らせるだけでこっちに何万円も払わせて、別の男やイケメンにならやらせてるはずのことを「規則なので」と断ってくる、生意気なあいつら。
または、何も考えておらず頭も悪いくせに女だというだけで金になって、きっとめちゃくちゃ儲けてて、人生チョロいとほくそ笑んでいるに違いないのに世間からは「事情があるはず」「頑張っている」と擁護され可哀想な弱者の顔をする、癪に障るフーゾクジョーたち。
それか、いつもあんなに笑った顔を見せて楽しそうにしているのに、食事に誘っても連絡先を聞いてもなしのつぶて、俺のことどう思ってるのか問い詰めてもいい返事をしない、自分が幸せにしてやると言っているのにどうしてそれが分からないのか、でもお店を通して呼ぶとちゃんと来る、納得いかないあの子。
もっともっといろんな形があるとは思うけど。

「バカ女め、ざまあ(笑)」という気持ちが、やってやった、という達成感や優越感が、彼らをほんのひととき癒しているんじゃないか、と、ふと思ったのです。そしていつの間にか抜け出せなくなってしまうんじゃないかって。
そういう意味のことを直接言われたわけじゃないです。わたし自身が何度か被害に遭ってみて、そしてその後の顛末を知った(もちろん本人と接触はしないので、店のスタッフや対応してくださった弁護士さんや、時に警察の人を通じて聞いた範囲内ということになります)上で抱いた勝手な感想ですし、盗撮する人の心の内を想像してみたってなんの足しにもなりません。たぶん来年も撮られるんだろうなと思うと気が重いです(むしろもっとテクノロジーがイノベーションしやがって見破れないケースが増えるかもしれません)。でも、ついつい考えてしまうんですよ、こんなにも気分の悪いことを。本当なら対等なはずの人から舐められ見くびらればかにされる、とっても迷惑で、恐怖なことなのに。本当にいやなことなのに。

盗撮していて、やめたい、と思っている人。
やりたくないことをやめられなくて苦しんでいるなら、それは心身の不具合かもしれません。話を聞いてくれる人も見つけにくいでしょうし、親しい人にほど話せないことだろうと思います。医学的なことは分かりませんがこの世にはいろいろな依存症があって、攻略法を考えている人たちもたくさんいると思うんです。ひとりで勝てる敵ではないとしても、戦う方法を知っている人がいるかもしれません。あなたがあなたをちゃんと助けてあげてください。そのために他人に助けを求めてください。「これで最後だから」といってデリヘルを呼ばないでください。わたしたちは何もしてあげられません。
それから、見つかってもろもろ失うことを心のどこかで望んでる人、あなたも必要なのはデリヘルじゃないです。「見つかったらやめられる」という考えもだめです。そこには必ず、すっごく傷つく人がいます。あなたの破滅願望のために人を人間不信に陥らせないでほしいんです。

盗撮していて、やめる必要を感じていない人。
あなたが盗撮によって得ているもの、お金だったり愉しみだったり、その代わりになるものをわたしがあげることはできないので、やめろと言ってもしょうがないことですよね。だからわたしはただあなたを憎むことしかできません。
憎みながらも一応、盗撮よりももっと楽にお金になることや、もっとおもしろいって思えることに巡り合えたらいいねって思います、いちおうね。いますぐ探しに行ったら間に合うかもしれません、盗撮はいつか必ず見つかるので、それより先にやめられた人だけがしれっと生きていけるのです。しれっと生きていくことが幸せかどうかはわたしにはわかりませんが、清廉なフリしてしれっとやっていくルートをたぶんあなたは望みますよね。だとしたらバレるより先にやめるしかないんじゃないですか。ていうかやめろ。しょうがないことでも言うわ、言うだけタダだもん。やめろ。今すぐやめろ。

「ばれなければ、誰も傷つかない」派の人。
心優しいあなたが道路に飛び出した子犬を助けようと自らの危険を顧みず身を挺し、不幸にも事故に遭って命を、または一命はとりとめたものの以前のような暮らしができなくなり、お家に戻れなくなったり、周りの人とスムーズに意思疎通ができなくなってしまったとします。そのとき、あなたのスマホとメモリとハードディスクに入ったあのデータやそのデータが即時破壊されるシステムを開発してから言え。クラウドにもハンマーとドリルで穴を開けてください。わたしはむちゃくちゃなことを言っています。でもあなたも同じくらいむちゃくちゃなんですよ。いつでも引き返せると思っているのはあなただけです。やめろ。

どちらさまもよいお年を。ざまあみろって思う楽しみよりも大切な楽しみが、来年にはみつかりますように。

 

2017-12-31 | カテゴリ: まじめなはなし | |