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電話をするよ

「また指名するよ」と言われることがある。

だいたい、ありがとう、と答える。

それは平凡なよくある言葉だけど、中味はさまざま、いろんな言われ方がある。
「また指名してやるからそしたらやらせてくれるよな」のニュアンスを含んでいたり、
「大儀であった。下がってよいぞ」という挨拶に近い意味であったりもする。

もちろん率直な、楽しかったのでまたご一緒したいです、の時もいっぱいある。
そう言われるのはうれしい。
あちらには娯楽や楽しみで、こちらには仕事で、ということをちゃんと受け入れた上で、あなたのやり方は好きだ、気に入った。そう言ってもらえることは、何よりうれしいことだ。

同じ気に入られるでも、連絡先教えてとか今度飲みに行こうとか俺たち相性いい(それはそうだろう、合わせるために力を尽くしているのだから)からプライベートでどうだいとか言われるよりも、平凡な「また指名するよ」がずっとうれしい。

 

このまえ、服を着て荷物も持ってもう本当にさようならの時に、もしも言ってもらえるならきっとこのタイミングで「また指名するよ」と言ってもらえそうなその時に、お客さんが、
「また……電話を、するよ」
と言った。

電話をするよ。

その言い方が、すごく素敵だった。
彼はよいお客さんで、わたしの私生活を詮索したりないし、あわよくば仕事以上のサービスをもぎ取ろう、というみみっちい試みもしないし、提供したサービスをまっすぐ余さずに受けてくれた人だった。淡々としているというわけでなく、他愛ない世間話や他愛ない愛撫の中に、わたしのことを傷つけないでいようとするごく日常的な(おそらく彼にとって特別なことではないような)気遣い、が敷かれていた。
電話して呼ぶのには間違いない、デリバリーヘルスなんだから。ただ彼の口からこぼれた、指名ではなく電話、という言葉は新鮮にひびいた。

ほんの少しためらったような声と表情と。顔の角度や視線のような、作れはしないその時だけのタイミングのものが、全部瞬間に組み合わされて、素敵だった。
ああ、いいなあ。そう思った。

電話をするよ、と言われて、……うん、あたしも。と答えた。

こちらからかける電話番号なんかもちろんない。
でも、なんとなくそう言って別れた。向こうもそのことを何も言わなかった。

 

帰り道、UAの「電話をするよ」という歌があったなあ、と思って、車の中で聴きながら帰った。

2013-05-04 | カテゴリ: weblog, たわいないはなし | タグ:  

 

エレベーターを降りて

つい先日、仕事中にあったことを書く。

呼ばれたのは、よく行くホテル。東京のデリヘルで働いていれば馴染みがあるであろう、品川駅近辺のメジャーなホテル。

時間はまだ日付が変わる前。エレベーターに乗ってボタンを押す。すぐあとから、やや年配の女性も乗ってきた。どうやら同じ階で降りるらしい。
目指す階に着いてドアが開き、ボタン付近にいたわたしのほうが後から降りることになる。にこやかに会釈して女性が降りた。わたしもそれに応えてからそっと降り、そこにある自動販売機で飲み物を買う。その人に、先に行ってもらうためだ。

お客さんの待つ部屋に入るところは、誰にも見られたくない。
ノックしてこんばんはなんて言いながらおずおずと部屋へ入る姿を見れば、よほどでなければわたしが「詳しくは知らないが、何らかの性的なサービスをして賃金を得に来た女」だとわかるだろうから。それを、不快に感じるか特にどうとも思わないかはそれぞれあるだろうが、少なくとも快く思う人はいないと思うから。だから、気を遣う。こちらとしても、ドアの前で最後に深呼吸をして気持ちを集中させるあの瞬間はできればひとりでいたい。
それでもたまに、お客さんがノックに気づかなかったり寝てしまっていたり(深夜だとたまにあるのですよ)でしばらく開けてもらえず、別の宿泊客が通ってしまうこともある。ちょっと、申し訳なくなる。

時間を稼ごうとゆっくり飲み物を選んで(いるふりをして)いたが、その女性は廊下を歩いてはゆかなかった。わたしから少し距離をおいた後ろで、小銭入れの中をあらためている音がチャリリと聞こえる。
あの人も飲み物を買うところだったのだ。

これでは逆効果だ、後から来られたらドアの前で止まるわたしを見られてしまう。
でも仕方がない。できるだけ早足で歩いて距離を稼いだ方がまだましだろう、と一歩を踏み出す。すると、ちょうどまたエレベーターがこの階で止まる。今日はついていない日だ。

ドアが開き、大柄な男性が降りてくる。エレベーターホールで、3人の人間が交差する。

そのとき、あの年配の女性の声で、
「おつかれさま」
と、聞こえた。

えっ、と思い、でも足が進み始めていたので止めることができず、でも、素直に客の待つ部屋へと行けなかった。

自分に向かって言われたと、なぜか思ってしまった。

ふつうに考えると、降りてきた男性と同じ団体の人で、声をかけた、というのがいちばん納得いく。でもそうならば、男の人のほうがなにも返事をしないのはおかしいように思う。
だけど、わたしが言われたというのは、やっぱりどう考えてもありえない。ただエレベーターに乗っているだけであればわたしはただの「ちょっと荷物の大きなお嬢さん」だし、シティホテルにいる人間の荷物が大きいのはあまりにも普通だ。

もちろん、デリバリーヘルスという存在を大体わかっていて且つちょっと観察力のある人なら、わかるだろうと思う。それか同業者であれば、もうすぐにはっきりとわかる。
でもあの人が、上品な服と眼鏡の、まるで少女マンガに出てくるお嬢様学校の理事長先生に似合いそうな佇まいのあの人が、わたしをデリヘル嬢だとわかってさらに慈悲の心(大袈裟だけどそんな感じのことだと思う)によって、お疲れさま、と声をかけてくれるなんて。
そんなことって。

でも、でも、どうしてか、わたしが言われた、と思ったのだ。その時。
わたしがおめでたいだけかもしれない。それならそれでも。

 

大柄な男性は歩くのが速く、わたしをひょいと追い越して先へ行ってしまった。
わたしはドアに記された番号をもう一度確認して客の待つ部屋の前に立ち、左手でノックをしようとしてでももう一度振り返った。

女性の姿はなくて、まだエレベーターホールにいて一服しているのだろうと思った。
あのう、さっき、わたしに言ってくださったんですか、おつかれさまって。
そう訊いてみたかった。
この街で働くセックスワーカーたちが同業かもしれない見知らぬ誰かとすれ違う瞬間、知ったホテルの前を通過する瞬間、休日に例えば東京タワーを眺めているとき、あてのない祈りのように思う「みんな無事でありますように」が集まって人の姿になってわたしの前に現れたのかもしれないと、そんな風にも想像してみた。
わたしもいつも、その祈りをせずにいられない気持ちを手放せずにいるから。

待っていた仕事は、容易なものではなかった。
客は無口で、わたしと目を合わせず、行為は力任せで、体格差も大きくわたしは疲弊した。神経を尖らせて次にどう出ようかと頭を絞りながら、さっきのゆっくりと優しい「お疲れさま」の言葉をたぐり寄せては何度も頭で再生した。大丈夫だ、と言い聞かせるように。

そしてへとへとになり、また同じエレベーターに乗り、帰った。

 

2013-04-24 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ:  

 

ミラクル☆ロマンティック(有料版)

みんなー、ときレスやってるー?
ときレスはときめきレストランの略です。コナミがお届けする「ときメモ」シリーズ初の女性向け恋愛ソーシャルアプリ、レストランゲームを楽しみながらアイドルと恋愛できるリッチな女性向けアプリなのです!!!

……って言ってみたものの分かってはいません。リッチなアプリってどういう意味なのか聞かないで下さい。今のは全部公式からコピペした。ごめん。

あの、iPhoneアプリのゲームなんですけどね。友だちがやっているのを見てうらやましくなりダウンロードして半月ほど遊んでいます。そしたらね、思っていたより、おもしろくて。
これまで恋愛ゲームの類は一度もやったことがなかったし、特に男性向けのそれに対してはよくないイメージさえも抱いていたのだけど、予想以上におもしろいポイントがいろいろ見つかり楽しんでいます。

ゲームに出てくる女の子のことを心底愛している男性に呼ばれて、同じような服を着せられてそのキャラクターを演じさせられる、みたいな仕事もしたことがあるけれど、そういうことは嫌ではなかった。わたしの「よくないイメージ」の元になっているのは、わたしのことをゲームのように「攻略」してくる人との不毛な時間だと思います。
「ここを強くこすればパラメータ上がってイクはずなのにおかしい。この女バグじゃねえの」みたいな態度をとられたこと、たぶんわたし以外の人もあると思う。それから、あとそうだなあ、電車の中で下着や裸の女の子のアニメーションが映し出されたゲーム機をなんの遠慮もなく広げ、それを懸命に操作している男性に遭遇してびっくりしたことなども、マイナスイメージにつながっていそうです。

「ときめきレストラン」のメインはシミュレーションゲーム(iPhoneだとTeamLavaがリリースしているstoryシリーズのような)で、そこへ恋愛エピソードが変化を添える、というようなものです。いちおうサービスタイム(って言い方どうなの)というかおさわりタイム(もっとよくないと思う)は設けてあるんだけど、初めから着衣の上半身しか映ってないし画面をつつくとくすぐったそうにされる、という、おまけ程度のほのぼのしたものだったので安心しました。心底安心しました。だよねーApple先生そのへん厳しいもんねー。よかったよかった(だってわたしの書いた小説がアプリになった時も「現役風俗嬢が描く」って紹介文がNGでリジェクトされたくらいだぜ)。

このゲーム、自分=主人公は非常に恵まれています。

  • 登場する男の子はひとりではない
  • ゲームが始まっただけで、すでにその全員が自分のことを好き
  • 自分の方も全員に対してまんざらでもない
  • なにもしなくても自動的に仲が深まってゆく
  • しかも全員と深まってゆく

……このように。すごいよね!
わたしはどうにもこういうものに慣れていなくて、キャラクターの造形と名前が一致するのにかなりの時間を要してしまいました。いまだに全員をしっかり見分けることができない。個人の判別はできないけどとにかく全員わたしに惚れている!っていうとんでもない状態。

キャラクターたちは少女マンガに出てくる男の子のような美男子なのだけど、よく分かんない点もいっぱいあるんです。服とか。どういう構造をしているのかよく分からない衣装ばかりお召しになっている。単純に現実の世界に持ってきたら決しておしゃれではないと思う。髪型もなんか、変なヘアバンドなのかカチューシャなのかハチマキなのか分からないものを巻いてらっしゃったりする(でもこれについては、その巻き物がなければもっと区別ができないと思うからあってくれてよかった)。

そして、わたしの中では実はここがいちばんのポイントなんだけど、そのう……

しゃべりが、なんかこう……どこかおっさんぽいんだよ!!

きっとプロの声優さんがやっていらっしゃるというのにこんなことを言ってしまって。しかしおっさんぽく感じちゃうのです。
最初は、絵柄や台詞に対して声が落ち着きすぎていてふけて聞こえるのかと思ったんだけど、たぶんそれだけじゃなくて、その……言ってる内容のせいなのではと。なんて言ったらいいのか、「それっぽすぎる」セリフばかりしかもキメキメでおっしゃるので、かっちりと古めかしく、舞台っぽく聞こえるの。そうだなあ、それこそ、夜空の星を眺めながら「きみのほうがきれいだよ」みたいなことです。様式美ということだろうか。ハーレクインとかってこういう感じなのかな?

でもそれが、なんとなーく面白いのね。
「ありえないシチュエーションで、かわいい男の子がなぜか自動的に自分を好きで、それぞれキャラクターに合致したまるでお芝居のようなセリフを言ってくれて、あれよあれよと仲良くなっていく」
というのが。あぁみんないい人だなぁ……と思わされちゃうのです、なぜか。
ときめかせる、おもしろいと感じさせるにはリアルさは実は必須じゃなくて、こういう「至れり尽くせり感」「もてなされ感」の楽しさっていうのもあるんだなーと思ったのです。ディズニーランドとかもそうだもんね、って。

で、あー、もしかしたら風俗店もそうなのかも、と。そういうものを求めてる男の人もいるのかもしれないな、とちょっと考えました。

わたしはもちろん絵の中の男の子のように美しくないし、ディズニーランドほどの夢と魔法をあげられもしないんだけれど、ちょっとした非日常として「その人の、普段の生活にはとても存在しない言葉」を言ったりするのもひとつの仕事なんだなあ、とは思っています。

それはとても難しいことでもある。相手を褒めろとはどこでもよく言うけれど、ただほめればよいというものでもないですよね。それに、お客さんの思い通りのファンタジーになるわけにはいかないことも多い。彼らの「こうなりたい」「こういう筋書きでいってほしい」という希望には、それは(あちらにその自覚があるかないかは関係なく)(そして圧倒的にないことが多い)わたしたちの権利や尊厳に傷が付くようなことが含まれている場合もよくあるから。そのようなことは仕事ではないし、やるわけにいかないのですが、なまじ途中まで希望通りだったがゆえ最後まで通らないと却って反発するお客さんもいます。

でも、ちょっと意識的にやってみたいな、と思って。
つい先日、実行しました。
相手は選ばないといけないと思い、注意しました。すぐには機会はこなかった。
そしてあるとき、あるお客さんとのプレイ中に、「その人がこれまでの人生で誰からも言われたことのないような、でも全くの嘘とも違う、まるでドラマか小説のようなほめ言葉」を言いました。本当に心にもないことはわたしのロマンティシズムに反するので、わたしがその人についていいなあ、と感じたことを、ただちょっぴり派手めな脚色をして、言いました。しらふではとても戸惑われそうな言葉になりました。歯が浮くとはこのことです。

そうしたら、その人は。
わたしが言ったのと同じかそれよりもさらに少しロマンティックな言葉で、わたしのことをほめた。
ほんの少し止まって考えてから、とてもとても、真剣に。
そしてそれがわたしはすっごーくうれしかった。うれしかったし、そのときの仕事はたぶん、うまくいった。たぶん、あの日のプレイ料金、そのお客さんはもったいなかったとは思っていないだろうと思います。たぶんだけど。

 

高揚やときめき、甘酸っぱいものを夢見る人の多くはそれが恋愛関係に根ざしたものであることを前提とするけれど、それは実際のところ未来のある恋愛でなければ宿らないものではない、とわたしは思っています。時にわたしの仕事は「恋愛の風景を模したもの」を丁寧に作ることだったりするけれど、そこにロマンティックなものをうまく配することでお客さんもわたしもより伸び伸びといられたり、リラックスしてもらえたり、真剣になれたり、プレイがひとつの娯楽としてよりよく機能することはけっこうある。

そしてその装置内でふたり遊んでいるうちに、どちらが作ったものでもないロマンティックだったりセンチメンタルだったりな淡くて甘い力がふっと生まれて、ぽわんと光ることがあります。
すごく、時々。
それはぼーっとしていては見逃しそうなくらい仄かで曖昧な光だけど、遭遇できた時は「あ、いいもの見たな」と思うし、もっとミラクルに「一緒に同じ光を見た」となると、それはもう帰り道に同じ流れ星を見たみたいな気持ちになって、名前も知らなかろうと二度と逢わなかろうと、相手の先の人生に幸福があるようにと祈るような殊勝なことを思ったりも一瞬できてしまったりするので、なんというか、心底おもしろいなあ、と、思います。

  

あとときめきレストランに対していちばん言いたいことは「え?なんでじいやとのイベントがないの!?」です。

 

2013-04-23 | カテゴリ: weblog, たわいないはなし | |  

 

近況:2013年2月

節分の次の日、スーパーで鬼のお面つき煎り大豆が山と積まれて安売りされていました。ただの煎り大豆ならそんな目に遭わなくていいのに、なまじ鬼のイラストなんかがついているせいで「終わったもの」とされる豆たち。
一袋買いました。炊き込みご飯に入れるとおいしいのです。
需要の波がおわったところで、世間のそれとは関係なく自分が欲しいものを安く買えるのは、小さな小さな哀愁感とともに、ほくほく嬉しくなる。不憫なものを助けたささやかな満足感もあるのかもしれません。

先日新しいオーブンレンジを手に入れたせいで数年ぶりの製菓ブームが訪れているわたしはこの冬、クリスマスが終わるとクグロフ型を、バレンタインが終わるとハートの型を物色していました。だいたいそんな人生です。

今回もよい収穫がありました。気に入ったハートの焼き型が少し安く買えたのです。アメリカのウィルトン社のもので、ここのはどれもデコラティブで可愛らしくて大好物です。中でも今回はウーピーパイを焼くための型にひとめぼれをして、ウキウキと持ち帰りました。マドレーヌの型のように一度に何列か焼くことができるものです。ウーピーパイがハートである必要があるかと聞かれると困りますが、そんなことを言ったらウーピーパイなんて食べ物を食べなくたって人間は生きていけます。それでも食べたいと願うのが人間なのですから、ハート型にするためにお金を払うことぐらい大した問題ではありません。
そんなことはどうでもいいんだ。そんなことより問題はその型が自宅のオーブンにギリギリ数センチ入らなかった。ああ入らなかった。入りませんでしたのです。

数センチをギリギリと呼んでいいのか? うるさいわね!

わたしはクグロフ型を抱えて泣きました。失敗をした時にひとつ前の成功例にすがるのはよくないことです。

クグロフのことは涼しい顔してクグロフと呼んでいますが、心の中での呼び名はグーゲルホップフです。最後の「フ」がきいています。めんどうくさくて口にしなくなるより一歩手前にある、そっとひとりで口にしたくなるような名前が好きです。シーガルスクリーミングキスハーキスハー。

最近ではだいぶ増えた感じですが、思春期にわたしが好きでよく聴いていたCDは謎めいたアルファベット名を持つ女性シンガーの作品がとても多かった。Chara、UA、ACO、Samarie。Coccoも入れていいかもしれませんが、YUKIとaikoは断じて入りません(ユキもアイコも安心感のある女性名だから。YUKIのCDはけっこう持っていて、いくつか大好きな曲があります)。NOKKOは、「のっこ」と呼ばれる女の子が幅広い世代で他にもいるであろう点でCharaほど深い謎ではない。カヒミカリィの扱いはわたしにはどうしていいかわからないので保留とさせていただきたいです。
中でも「Chara」という名前はすごいなあと思います。私はチャラです。そんなこと言って許される人は他に居なかった。 でも彼女はどこからどう見てもチャラなのでした。日本人なのに?というような野暮な口出しが引っ込んでしまうほど、それが似合う人。彼女にも名字があるはずなのに、それを忘れてしまうようなあのムード。「ちゃら」という日本語の単語が存在するにも関わらずその意味とは全く関係なく人名の「Chara」を定着させてしまった彼女はただものではありません。

バレンタインの時期にあちらこちらのレシピサイトでこぞって掲載されていた手作りチョコレートの特集を眺めていると、発案者の名前というのがアルファベットだらけで少し戸惑いました。ついに料理研究家界にも、アルファベットガールの波がきたのかと。でも違いました、彼女たちはいわゆるブロガーさんたちで、そのハンドルネームが掲載されていたのです。
いいなあ。わたしもアルファベットの名前にすればよかった。

「はじめから期待してないわ」とiTunesからACOの歌声(※)が流れています。ごもっともだ。おっしゃる通りです。わたしも早くわたしになんの期待もしなくなればいい。そうすればこれくらいなら入るなあ〜なんていかれた目分量で買い物をせず、メジャーを持ち歩くようになるでしょう。なぜ期待という行為を止められないのか。あんな馬鹿げた無意味な行為を。中でもとりわけ、自分自身とそして男性(特にわたしを好きだと言う男)。これらに対する期待は愚の骨頂であると感じた出来事は数知れずあるというのに。笑い話にする以外なんの価値もありません。

ガツッとか音がしてさ、入んなかったの、型持ってポカーンとして、もう本当バカだよね、と話した相手は、しかしわたしを笑ったりはせずにこう言いました。
「それ、こんど持ってくれば」
彼は板金業に勤めており、職場の設備でその鉄製の焼き型を切断してくれると申し出てくれたのです。せっかく気に入って買ったのだから、何とかするよ、と。こういうことがたまにあるから人生への期待がやめられない。

昔たぶんショムニの中で江角マキコが「女の価値は男の人数やその総資産額ではなく、好いてくれる男たちが私のために一肌脱いだ時のヴァリエーション」みたいななんかそんな感じのことを言ってたのをうっすら思い出しました。あのドラマの猫かわいかった。主題歌をIZAMが歌っていたことを突然思い出し、すっかり忘れていたけどもCharaに匹敵する不思議名じゃないか!!と今にわかに熱くなったところです。その雰囲気が今日まで持続し続けているCharaが改めてすごいと思った。IZAM氏が変わってしまったと言いたいわけではありま……す。

たとえば風俗嬢も長年やっているとそれなりに気心の知れたというか、一定の信頼関係をともに築き上げた相手というのがちらほら出てきたりもして、互いのプライベートでのうっかりや理不尽や困ったことなどをカバーしあえることなどもあります。今回みたいなちょっとしたこととか。

現金によって取り持たれた縁であっても、そうして助け合うのは難しくなくできることなんですが(双方がこころがけてさえいれば)、外側からみるとあんまりイメージしづらいかもしれないね、とも思います。非SWの女の子に「お客さんと一体どういう話をするんですか?」と聞かれたことがあり、その子は「『どういう人がタイプなんですか?』とか話してると思った」と言っていて、そんな合コンみたいな話は振られない限りしない、めったにしないけど、えっとえっと、なんだろう、普通の世間話? だよ? としどろもどろで答えたことがありました。わたしたちは意外にふつうのはなしをしていますよ。(我慢に我慢を重ね押し殺した上にふつうのはなしをしてる場合も超よくあるけれども)
で、そんな中(働いていると女性どうしでの助け合いが主だけれど)、たまーに、たまーに、お客さんとのあいだに近所付き合いのようなものがひょっこり生まれる瞬間もある。おもしろいです。

その人は大の甘党なので、型が手元に戻ったらウーピーパイ作ってくるわねと言うと「ハリウッドの教会の人……」とつぶやいていたのでその女優さんにちなんだ食べ物ではありませんよと言っておきました。

 

働く人どうしの支え合いについて先月書いた文章
ガールズヘルスラボ:今度また話そうね

 

※この曲が入ってるアルバムが好きで、装丁(って言わないだろうけど)も含めて好きなのでとっくにiTunes派のくせに手放せないでいる。そういうことの積もり積もった積み重ねでわたしの部屋は片付かない

2013-02-23 | カテゴリ: weblog, たわいないはなし | タグ:  

 

HATSUYUME2013

第一幕

出勤すると店長から「おおシーナよ喜べ、予約でいっぱいである」と告げられる。しかし聞けば予約でいっぱいすぎて移動の時間を考慮するのを忘れていたという。なんだそりゃ。すると電話が鳴り、「シーナの客一同ですけど、なんか大変そうなんで僕たち全員同じホテルにあつまることにしました」と言われる。急かされながら車に乗り込むと新宿から高速に乗り延々走る。いつまでも走る。ぜんぜん着かない。そのうちなんと空が白み始める。おかしい、なにかがおかしい、ぜったいおかしい、ここは何処だ、と大いに疑いながら「行きたくないぉ……」と唸る。

第二幕
しかしいつしか到着し、すべてを忘れてひたすら働く。ほがらかににこやかに半ばヤケになって全力で働く。最後の客(よく見ると香川照之氏にそっくりだった)から、「よくがんばったね!ごほうびにいいところに連れていってあげる」と言われ、気づくと山の中にいた。隣には山歩きスタイルの香川氏とそのファミリー。我々はきのこ狩りに来たのであった。ベテランガイドさんの案内で楽しくきのこを採る。白いきのこ、赤いきのこ、茶色いきのこ、細長いきのこ。小学生の息子さん2人もごきげんで、わたしによくなついて学校の話などしてくれる。味わったことのない種類の団欒である。うれしい。

第三幕
たくさん採れたキノコとともにホクホクで帰宅。 どうやって食べようかレシピを検索していると窓から小瓶(ボンヌママン)が投げ込まれる。「焼いたきのこをつけて食べてください」というメッセージと作り方を書いた手紙が添えられていて、中には野菜とオリーブオイルのペーストが入っていた。きれいなみどり色でおいしかった。自分でも作りたいので買い物に出るとクオカの粉売り場で小柄な男の子がモヤシみたいな青年にカツアゲされていたので後ろからフライパンで殴ったらマンガのようにあっさり気絶した。床が冷たそうだったので近くにあった毛布をかけて帰った。うさぎ柄だった。

 

総評
わたしの2013年=セックス・きのこ・バイオレンス

あと賃金も支払われないのに夢で働くのやめたい。

2013-01-04 | カテゴリ: weblog, たわいないはなし | |  

 

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