むかしのはなし

梅ちゃんが怒った夜のこと

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わたしが以前に盗撮された時のことを書きます。整理しながらなのでちょっとずつになるけど。

盗撮された経験は何度かあるんですが(なんということだよ!)、いちばん思い出深い(というのはおかしいですが)回のことを。初めて客に面と向かって「あなた盗撮してますよね?」と問い詰めた時のこと。コンデジでした。家具の隙間のようなところにうまく置かれてて、でも途中で気づいた。
(コンデジ=コンパクトデジタルカメラ。デジカメだけどあのレンズの大きな立派なやつじゃなく片手で持って撮れるような、あれです)(昔あゆがCMしてたようなのね)

やっぱり一瞬迷ったよ。客に指摘するか、それとも見なかったことにするか。でも、あまりにもそれまで過ぎた時間は長くて、わたしはもういろんなサービスをしてて、顔だってしっかり映った確信があった。言ってどんな反応が返ってくるかを考えると怖かったけど、あのう、これ何ですか?と言った。
客はしらばっくれた。何でもないよ置いてるだけだよ、と。わたしはひるんだ。でも引き下がっちゃいけないと思った。さっき出した勇気を無駄にドブに捨てられない。置いてるだけなわけないじゃないですか。客は開き直った。俺を疑ってるの?これはダメだ。わたしは全裸で立ち上がり携帯に手を伸ばした。

電話に出たスタッフの「はい、シーナさん。ご延長でしょうか?」に、違います、と言う。「はいかいいえでお答えください。助けが必要ですか?」「……はい」「了解すぐ行きます」これはキャストに「お客さんが○○しようとした」などと状況を説明させて客を刺激・逆上させないための配慮だと思う。

新規の客だったので、車がすぐそこにつけていた。それでもドライバーさんが部屋に来てくれるまでの数分間が、この上なく長く長く長く感じた。客は舌打ちをし、テーブルを爪で叩き、そしてわたしの顔を見て「金で買われた女なんだから黙って股開いてりゃそれでいいんだよこのガキ!」と唾を飛ばした。

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2012-04-13 | カテゴリ: むかしのはなし | |  

 

伊藤くんのこと

twitterで、なにか穏やかで優しい話をしたくなって、だらだらと書いた 。
いろんな人に好きと言ってもらえたので、ここにとっておきます。

伊藤博文くんの話してもいい? #

きのう夢に伊藤博文くんが出てきた。2年間同じクラスだった。伊藤くんはとにかく勉強が出来て、外見もそれっぽくやせ型で黒縁のメガネ、運動はあまり得意じゃないし大声では笑わないし女子には近寄らないという、絵に描いた優等生だった。 #

名前が総理大臣なことは、誰も大っぴらにはからかわないけど「……ねぇ?(笑)」という感じで。ちょっと気を遣わないタイプの先生は「お前すごい名前だな!ちゃんと勉強せんと恥だぞガハハ」なんて笑ったりしてた。最初の自己紹介の時に、ちょっと嫌そうに小さな声で名乗った顔を覚えている。 #

伊藤くんはクラスの「地味め・高偏差値・インドア」なグループの男子とあっさり仲良くしていて、わたしはなんというかちょっとキャピッとした位置にいたので接点はそうなかった。でもあるとき、話がまどろっこしく分からないと評判の先生の授業の後に、ふと広げっぱなしの彼のノートを見てしまった。 #

ノートの隅っこに書かれた「正」の字は、まぎれもなく先生が「要するに」と言った回数だった。すぐにピンときたのは、わたしも同じことをしてたから(ひとっつも要されてないんだよ!)。「今日は××回だったね」とこっそり話しかけて、それからわたしたちはちょっと仲良くなった。 #

ある時、ジェンダーフリーの授業というものがあった。学校のカリキュラムだったのか、当時の担任の考えで設けられたものだったかは分からない。男らしさ女らしさって何?男女平等って本当はどういうこと?みたいな議題で、自由に意見を交わす授業だった。 #

(ちょうどその頃「男女混合名簿」が議論されていて、わたしたちのクラスは試験的に一学期だけ導入されてみたりでちょっと翻弄されていた。でも男女の間にあまり壁のない、男子と女子という分かれ方で対立したこともないクラスだった。) #

担任教師は、なぜ会社員に男性が多いかから考えてみようか、と言った。女性は途中でやめるから?いや、そもそも就職の時点で男子の数が多い?大学に進む人の比率は?と話が進み、誰かが「男子の方が成績がいいからかなー」と言った。そこで担任は「伊藤、どう思う」と意見を求めた。 #

伊藤くんはそういう場面でどんどん意見を言うタイプではなくて、そのときもだいぶ時間を置いてから話し始めた。そして、仮説はいろいろ立ててみても結局はよく分かっていないんです、僕はそういうことを真剣に考えたことがない、というようなことを話したあとで、うんと間を置いた。 #

だいぶ時間が過ぎた。終わりなの?とみんなが思った頃伊藤くんは「ただ僕は、自分よりも椎名さんの方がずっと頭がいいと思ってます」と言った。とにかく驚いた。「だけど、だから働くべきとかは言いたくなく…」とかいろいろごにょごにょ言い、そのうちに下を向いて座った。担任がただ微笑んでいた。 #

そのあとしばらく伊藤くんはわたしと目を合わせてくれなかった。あんまり話もしてくれなかった。女子の間で「伊藤くんって話したらいい人なのかも」「かわいいとこあるかも」の声が出たことが恥ずかしかったんだと思う。そして「ていうかユリちゃんのこと好きなんじゃないの」の声も。 #

ここで書けるのはこのくらいかなあ……。 #

名前についてはだいぶ打ち解けてから「あのねえ、いくらうちが伊藤だからって、やっちゃうことはないだろうって言いたいよね親に!」「……でも、ちょっと後悔してる気配もあるからまあ許すしかないかな」と困ったような笑顔で話してた。それが本当にとてもかわいかった。 #

 

twitterに書いたのはここまで。

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2011-09-20 | カテゴリ: むかしのはなし | タグ:  

 

夢について:白い塔の子ども

子ども時代、くり返し見る夢がわたしにもあった。

何度も何度も見る夢の定番は、きっと「何者かに追いかけられる夢」と「落っこちる夢」だと思う。どちらも、絶体絶命もうだめだ、ってところで目が覚める、っていう、あれ。怖い夢を繰り返して見ることは子どもによくあるようだけど、脳や精神の成長となにか関わりがあるのだろうか。いつのまにか見なくなって少しさみしかったり、とうに大人になってから不意打ちで一度だけやってきたりというのも、夢の「スパルタ教育」によく見られる手法のようだ。

わたしの場合は、塔のてっぺんから落っこちる夢だった。たしか、小学校にあがってすぐのころから見始めたんだったように思う。何度も見たけれど、それは怖いものではなかった。
どのくらいの高さだったかよく覚えてはいないけれど、何の柵もない白い塔のてっぺんから下を見ていた。静かで、落ち着いた光景だった。ふと空中へ足を出した。怖さなどなかった、落ちるかもなんて考えもせずただ一歩前に出ただけだった。
そして身体は落下した。真っ逆さまには違いないのだけれど、そのスピードはごく遅くて、わたしはふわりふわりと徐々に地面へと近づいてゆく。落ちている最中には仰向けだった。ほとんど平行な状態で、落ちるというよりも空気の中を沈んでゆくような感覚。——このままだとどうなるのかな。高いところから落ちると死んでしまう、ということくらいは知っていた。でもやっぱり怖くなかった。あまりにも気持ちのよいひとときだったのだ。
やがて、まもなく着地だと自然にわかった。少しは緊張したんだと思う、けれど衝撃はなくわたしの身体はそっと、羽毛のようにやわらかなクッションに受け止められた。あ、痛くない。やったぁ。そう思ったところで、スッと終わった。目覚めたわたしは単なる敷き布団に抱かれてそこにいた。

それから時々、夢の中でその塔の上にいることがあった。二度目からは、わたしはその空中散歩(自由に移動はできないし、お散歩というにはあっという間だけれど)をちょっと楽しむようになっていた。いつでも心地よい気分だったし、空はきれいだった。

あるとき、何度目かに訪れた塔は、それまでと様子が違っていた。
学校の友だちが、おおぜいそこにいたのだ。「この中の誰かが飛び降りなければならない」ということのようだった。誰もが絶望していて、天気は悪く、塔の下は草も生えていない焦げ茶色の砂地だった。いいよー、と言ってわたしは前に出た。だってどうせわたしはケガしないもの。痛くもないし、ただ下まで行ったら目がさめるだけなんだもの。そして、「ああ、これのためにわたしは、何度も何度も落ちたんだ。今までのあれらは、練習だったんだ」と納得した。みんながわたしを止めたが、わたしはきかなかった。いいからいいから、だいじょうぶなんだってば。そして笑顔で落ちた。
その瞬間、「もしもこれがお話だったら、『今日に限って普通に落ち、死ぬ』となるのではないか?」ということに思い至った。でもまあいいや。もし死んでしまったとしても、目を覚ませばいいだけだわ。
わたしは死ななかった。いつも通りにふんわりと着地し、今日くらいは立ち上がってみんなに手を振って無事を知らせよう、というのもかなわずあっさりと目が覚めた。

そしてその夢は姿を消した。その点についてはお話のようだわ、と思った。最後だけいつもとちがい、お別れになる、ってところ。そういうパターンのお話は本でよく読んでいた。あのふわふわをもう味わえないことは残念だったけど、特に惜しみはしなかった。子どもの暮らしは「これがさいご」の連続みたいなものだったし。

わたしは順調に年をとり、10歳を過ぎた。6歳の頃のわたしを知る大人が、みな目を細めて大きくなったね、と言ってくれるような、順当なよい子の年のとり方をした。そしてある夜、それが起こる。

あの塔にいた。

そこには学校の友だちもいた。そればかりか、大人たちもいた。そしてやはり「誰かが飛び降りなければならない」のだった。
わたしのするべきことは以前と変わらなかった。しかし、それを大人に知られてはいけない、と思った。自分の家族はこの中にいないようで、子どもはみんなわたしの友だちだけれど大人は面識のない人ばかりだった。かといって大人たちがわたしを黙って行かせるはずはない。何を言っているんだと叱られ、見張られてしまうだろう。けれど他に道はないのだ、ここから落ちて死ななかった実績があるのはわたしだけなんだから。多少身体が大きくなってしまったことが影響するかもしれない、とも思った。でも特に問題ないだろう、そうであってほしい。
わたしはできるだけ自然に、塔の縁へと近づいていった。怯えているみんなに気づかれないようにそっと。そしてある地点から一気に走った。走って飛び降りたのも初めてだったけど、なりふりかまっていられなかった。とにかく落ちろ、落ちればすべてがうまくいく。

ふわん、といつも通りのやわらかい感触が身体を包んだ。やった。昔と変わっていない。やはりこのまま地面まで落ちて、そっと着地して夢は終わるのだ。
その時、不安がよぎった。「待って」という声が聞こえたのだ。待って、ユリちゃん。はっきりと頭に浮かんだのは、わたしを追いかけて落ちる人たち、の姿。

だめ!これができるのはわたしだけかもしれないのに、あなたたちは落ちられるか分からないのに、落ちて無事でいるか分からない、いいえきっと無事じゃない。わたしは焦った。ついさっき自分が踏み出したあの塔のてっぺんを見ようと身体を起こした。みんなは、みんなはどうしてる? どうか黙ってみていてほしい、その場で呆気にとられていてほしい。しかしなんと身体はまったく自由にならない、ふわふわと優しく包まれているのに、自分の意思で首を持ち上げることはただの1センチもできなかった。
どうしよう、どうしよう、さっき聞こえた風の音は、あれは友だちの悲鳴ではなかっただろうか? もはやわたしはパニックだった。子どもが大人が、海に入るペンギンのようにばたばたと落っこちてゆく様が、確信を伴って頭から離れなかった。死んじゃう! 本当に死んじゃう、みんなどうして、だけどそれは、わたしのせい、わたしが、飛び降りたから、わたしが、わたしが殺した!!!!

やがて身体が地面に着いた。いつも通り、約束通り、ふんわりとあたたかく。
そして目が覚めた。
とにかく怖かった。目が覚めた安堵感よりもさっきまでの恐怖が勝り、それに「味方だと思っていた夢に裏切られた」というショックまで加わって、わたしは深く傷ついていた。すぐそばでは母親が眠っていて、その寝息がやっと心を落ち着かせ、同時にとてつもない罪悪感におそわれた。おかあさんごめんなさい、と強く強く泣いてあやまりたい気持ちだった。なにをあやまるのか分からないままで。

それはわたしが生まれて初めて見た「怖い夢」だった。
それ以来二度と塔に行くことも、どこかから落っこちることもなかった。

夢を分析してなにか納得しようとは思わないけれど、あの塔で起こったことは今でも時々思い出す。——まだ、どこかに建っているんだろうか。もしもそこで誰かが助けを待っているなら、わたしはまた飛び降りに行くだろうか。
もしまた連れていかれることがあったなら、時間がかかっても話してみよう。わたしを信じて、目を閉じて20数えてほしい、そう頼んでみたらどうなるだろう。時折そんなことをちょっと考えて、大人のわたしはベッドに入る。おやすみなさい、小さなわたし。パチン。

2011-06-08 | カテゴリ: たわいないはなし, むかしのはなし | |  

 

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