むかしのはなし

来々週には愛し愛されて10年後には彼氏になりたい

さいきんわたしのくせに真面目なことばかり書いていてほとほとうんざりぽんなので読んでも何の役にも立たないどーーーーーでもいいことをダラダラと書きなぐりデトックスします。。役に立たないってもう言ったからね!

 

大みそかの夜……いかがお過ごし?(ミル姉さん)
わたしはもうなにもしません。もう決めたもん。なにもしない。だいたい日付の感覚はあまりない生活をしているので、ふとNHKのニュースで「今年も残すところ」とか言ってるのを聞いてキョトンとするばかりの毎年です。むかしむかし年中無休の店に勤めていたときは、お手当てにつられて働いたこともあったけど……いまにして思えばがんばってたなーって思う、ほんとに。官公庁がお休みしてるような日付って極端に普段と客層が変化したよね。スイッチの入っていないピンクローターをあばら骨あたりにグリグリと押しつけられ「ねぇイク?イッていいんだよ?」と迫られた、そんなわたし史に残る思い出もあれたしかお正月のことだった。やばかった。

家の中にひたすらこもることで浄化される疲れってない?
はー豆を煮てパンを焼いて(部屋を暖める目的を大いに兼ねている)たまにテレビでアメ横の様子を見て「ううぇ〜人すごい〜」とかのんきに言ってたいわいつまでも。ゆく年来る年をしみじみした気分で観ましょうかなんて思ったのに蒼白い雪の中に佇むお寺の美しい映像にうっかり「ほげ〜寒そうすぎてムリ〜」とか言って台無しになりたい。昔の大みそかの映像をYouTubeで見たりしたい。ああWが出た年の紅白がまた見たい。触覚がピヨンと生えたあの可愛すぎる若草色(だったっけ……)の衣装が。スキスキスキスはむげんだい〜。

何年前のことか忘れちゃったんだけど、11月くらいにね。
もう何度目か呼ばれてるちょっと仲のいいお客さんに呼ばれたときね、お風呂セットしながら「アタマのなか♪ほとんどっ♪彼〜氏〜♪」って歌ってたの。ちょう機嫌よく口ずさんでたの。

なんだろ、わたしはこれから起こることが楽しみでほんのりときめいているのであなたも緊張しないでくださいね、というメッセージをうっすらと伝えるためのちっちぇー作業っていうか、曲は別にそれじゃなくても明るければなんでもいんだけど、その人が「20代のころはいわゆる『モーヲタ』でして」って言ってたことあったから、でもなんかそのときモーニング娘。の歌をとっさに何も思いつけなくって季節的にちょうどよかったプッチモニになっちゃったっていうなんかそんな感じ。聞こえても聞こえなくても、拾ってくれてもくんなくても別にどっちでいいようなもうまじでちっちゃい些細などーでもいいことなんだけど、その人クククッて笑いながら「シーナちゃんも彼氏がほしいの?クリスマスまでに」とか言って。拾って。んーまさかそんなこと言うわけないよねごめんね、的なニュアンスまで含めて言って。だからわたしもウフウフ笑ってさあ、その時なんかちょっと魔が差して、通じるかどうか分かんない、たぶん通じなさそーな発言を「試しに」みたいなノリで言ってみちゃって。

「ちがうんですよーあのねー。彼氏が欲しいっていうか、んー、どっちかっていうと彼氏になりたいんですよ、わたしは」って。わっかんないよねふつう。

そしたらお客さんがああ!!!って顔して「あの、わかります、わかるよ!」ってパッと目とか開いちゃって、なんかもうこれ以上言葉でなんにも言ったりはできないけどすっごい共感してて、その共感をすっごい信じられる!って状態?みたいの?ができあがっちゃって、ふたり静かにそのちょっとした『わかり合えた感』を噛みしめたの。その数秒間がちょー楽しかった。すっごいにっやにやしながら。あはは。

これってお互いが「ぴったりしたいX’MAS!」を知ってて聞いたことあって、ある程度理解してるっていうか、あの頃のプッチモニの感じをぼんやりとでも好きでなければ持てない感覚だよねきっと。似たような回路を持っている同士というか。あ〜趣味の集まりから芽生えた恋愛ってやっぱいいかも……有野さんの奥様もゲーム好きってWikipediaに書いてあった……などと余計なことポヤ〜ッと思ってた。

あとねー、別のとき別のお客さんが、突然「ホームページによるとあなたは後藤真希さんと同じ誕生日ということでしょうかッ」とかなんかそういう独自のポイントになんらか見いだしたっぽくて、やたら興奮してたことがあって……そこはプロフィールに誕生日ついてる店でね、やめたほうがいいと思うんだけどそういうの、生年月日とかだだ漏れなのよくないもん、いや嘘つけばいいんだけどみんながみんな危機回避能力あるわけじゃないしあったとして回避しきれない常軌を逸した相手ってたまにだけどずえっっっっっったいいるからさ、んでわたしは思いつきで10月20日って適当に記入してたからそういうことになっちゃって。ただああいうのはあった、なんかこう、あたしゴマキと誕生日が一緒で〜、みたいに、こう、話がね。何分間か間を持たせるのに使えることもあるかもっていう。そういうチマチマした打算ていうか。

でね、でね、もう適当にそうなんですよーとか言って笑っておくより他になかったんだけど、「えっと時々カラオケで歌いますよ」とか小さなサービスをついてさしあげたりして和やかに会話してたの。なんかその人それまで全然しゃべってくれなかったのが突然すごい喜んだからわたしも嬉しくなって。何かの曲のフリをちょろっと歌ってみせてあげて「あー懐かしい」なんて言ってみたりして。そんで「だって高校生の頃1万回歌いましたもん」とか言ったらさ、その人真面目な顔して「高校3年間で10000回ですか?それでは月あたり277回に」とか言い始めちゃったの。そう。そいでいやーやばーいどうしよーってなって、慌てて訂正して。嫌味とか揚げ足とかは全然思わなかった、そういうんじゃなくて、あーそういうところを厳密に扱うタイプの人だ!!わたしとは全然違う回路なんだ!!って思って。

ちがうんです、そのう、仲の良かった友達と何度も何度も練習して歌った思い出がほんとうに楽しかったなって記憶に残っていて、もう1万回にも感じてしまうほどに繰り返し思い出してはあの頃を愛しく思っている、っていうことを、言いたかったんですー。みたいなね。そりゃもう一生懸命に言い訳したの。真面目に。ははっ。

そしたらお客さんはやっぱ真面目な顔して、「シーナさんはとても文学的な表現をされるのですね、僕はそういう感性がありませんから尊敬します」って言ったの!予想外の文学扱いがきてもうあせっちゃって。それからなんだかんだ学生時代の話とかしたのかな。ごっちんを好きになったきっかけとかも話してくれて、あーその時のそれわたしも覚えてます、かわいかったですよねえ、なんつったりして。

だからさー……なんだろ?
同じような回路があったり全然ぜんぶ違う回路があったり、別にどっちがいいとかじゃないんだけど。どっちもどっちでコミュニケーションの楽しいとことか難しいとことか、うまくいったりいかなかったり普通にどっちもあるんだけど、なんかお客さんと「ちょっと昔の話」ができるってなんかいいな……と思ったの!これが本題!
あとハロプロってやっぱりすごいよねー。あ、ごめん、これがいちばん大事なことだわ。これ本題。

年齢が19歳とか20歳とかだったときはさ、あ、えっと、営業用の? だったときはさあ、そういうことってあんまりなかったもん。それが20代後半くらいになってきたら「10年前の話」みたいのができるようになって、それがけっこうおもしろいなって。これで店変わったり客層変わったらまた違うんだろうけど。んー10年前に物心が付ききっていた人どうし、で話ができるって言ったらいいのかな。にぎわうmixiを知ってる人どうしって言ったらいいのかなー。レミオロメンの粉雪ってたぶん10年前じゃない? 誰か言ってたよこないだ。あの曲思い出すと2005年の冬の思い出とか、居た場所とか、あった出来事とかつきあってた人のこと一緒に思い出して、思い出すんだけど、でもしかしそれはそれとしてやっぱ頭の中は結局コナァァァァァ!!!に支配されちゃう人どうし、の変な連帯感って、なんか、なんかあるじゃん……!!(笑)あ、 10年前の僕らは胸を痛めて愛しのエリーなんて聴いてた感といってもいい。ふふふ。
愛し愛されて生きるのさのときはさ、「10年前」を思い出すとか不可能だったから、子供だったから。10年前っていうのの捉え方自体がよくわかんなかったしうまく想像できなかったけど。今は分かる気する。10年前のすごく近いところも、すごく遠いところも、あとそれでも夢から夢といつも醒めぬままなんだってところも。手を繋げた時は過ぎてしまったってことも。

「10年後」ってどうなんだろー。10年後の何月にまた会えるの信じて〜、みたいなロマンチックさ? ときめき? みたいのって、ある? わたし10年後とか言われるとついついシビアなことを先に思い浮かべちゃいそう……視力とかきっとそろそろ落ち始めてるのかな……みたいな。あとB型肝炎ワクチンの抗体まだ効いてるかなーとか。あはは。いったいいつから10年後よりも10年前が甘酸っぱい言葉になっちゃったんだろう。

あとねあとね、10年前とは言わないけどたぶん2007年頃、わたしが本当に仲いい女の子とバラライカとかロボキッスとかあとあれ、好きすぎてバカみたいを歌ってた頃、あっでもこれ放課後のカラオケとかじゃなくて深夜のデリの待機室なんで。うん。そうその頃にはさ、2015年にお客さんと「誰がなんと言おうとやっぱり加護ちゃんの歌はうまい」「そうだそうだー!」なんて話してるって想像できなかったよね!!つい最近した。そういう話。すっごいしみじみしちゃった。未来にきちゃったなって。ウチらが住む未来だぜレツゲーダッ。

mixiっていまどんなムードなんだろう。足あとってまだあるんだっけ、なくなったんだっけ、なんなんだったっけ。なんかこの足あとどうこうって話題自体がひどく古いような気がする。

あー加藤くん元気かなぁ。
加藤くんてねー、ちょっと年が上の友だちがいたの。mixiの名前をときどき変えて笑いをとってたんだよ。なんかね、自他共に認める非モテキャラとしての地位を確立していた男の子だったのね。電話すると「もしもしこちらブサイク」とか言って出てた。はは。
あの、ある日突然mixiの足あとリストに「エミネム」って出てきて、クリックしたら加藤くんだったんだよね。それだけのことで延々と笑い転げてた。んで加藤くん友達が多いもんだから、渾身のダサいTシャツにボサボサ髪でさらに変顔して写った加藤くんの写真、それを雰囲気だけはアーティストっぽく今でいうインスタみたいにオシャレ加工した写真があって、下に「エミネム(83)」とかってまるでおじいちゃんみたいになってて、それにもまた笑わずにいられなくて。もうそんなことばっかやってんの。加藤くんのホームに行ったらみんなこぞって文句を書き込んでたよね。ほんと愛されてた。

大人数で遊びに行ったときについてきた加藤くんの友達の男の子がずっと口説いてきて、その人はわりとモテそうっていうか、モテようとするタイプの人で。わたしはあんまりときめくような感じではなくて、でもまあ、角が立たないように接してたの。そしたらわたしの携帯にメールきて、「ユリちゃんになんて言ってるか知らないけどそいつ彼女いるんだ、ごめん、気を悪くしちゃったら、だから何って感じかも、別に好きになんかならねえよって感じかもだけど、その、ごめん、ブサイクが出過ぎたマネしてごめん」みたいなしどろもどろのメール。あはは。優しかったよ、加藤くん。

元気だといいな。元気で長生きしてほしい。たしかお互いにCDか本か借りたまんまになっちゃったんじゃないかな。
なんかそんな気する。何を貸したのかも全然おぼえてないけど。

あ、アップルパイ焼ける。食べよう。DEAN&DELUCAのアップルパイスパイスのブレンド加減が好きです。シナモンもナツメグもクローブもあるんだから無駄遣いだよ……と遠慮していた日々は無意味であった。
終わります。加藤くんのことを思い出したまま終わります。

2015-12-31 | カテゴリ: たわいないはなし, むかしのはなし | |  

 

わたしにだって言わせない

最近は別館のきのこなブログにも少しずつアクセスが増えて、うれしい限りです。あれは架空の「同業種経験者で話のわかる人」に向かってはしゃぎながらワーワー喋っているようなものなのでだいたいテンションがおかしいですが、そうではない堅気のお仕事の方もけっこうついてきてくださるので嬉しさにひとりニヤついています。ありがたいことです。ニヤニヤ。

そればかりか最近のこれに関しては「勉強になりました」という感想も多くいただき、みなさん本当によい子ですね。いま「よいこ」で変換したら何よりも真っ先に「よゐこ」と出てきて面食らいました。確かによゐこは好きですが、そんなに頻繁に入力する状況なんてあるだろうか。でも出てくるってことはきっとあったんですよ。あったから出るんですよね。しょうがない。いいですよよゐこ。とか言いながら実は代表作であろうたくあんを乗せるコントくらいしか見たことがないんですが、「シュール」と呼んで片付けようとしても後ろからひたひたと追ってくるノスタルジー(青くささって言うの?)とクレイジーが絡み合う恐怖の魅力があの一場面の古い記憶だけからでもわかります。
大人になった今の気持ちで、当時のよゐこの真剣なコントを見てみたいです。そうしたら無人島生活もゲームセンターCXも、なにかまたいちだんとおもしろみが深まるんじゃないかって気がする。

よゐこへの想いを語るコーナーじゃなかったんだった。えっと、どちらかと言われたら断然有野さん派です。

 

面白かった、という感想とともに、セックスワーカーへの差別に対する抗議の意も併せて書き表してくれた人もいて、つくづく感謝を感じました。

そこには、椎名さんが生きるためにセックスワークを選んだそのおかげで、今こうして文章を読める、というふうに綴られていました。わたしの書く物を楽しんでくれていることが分かって、本当に嬉しかったな。

ただ、セックスワーカーを差別してはならない理由を「生きるために働いているから」という点に求めると、食べてゆくのにかかるお金すべてをセックスワークで賄っていないワーカーは差別してもよい、個々のワーカーの働く理由を審査せねばならない、というような理屈がまかり通ってしまうので、注意が必要な表現だと思う、ということだけはお話しさせていただきました。

彼女は昨年末にわたしが例の件で注目されて多くの好意と悪意とを浴びせられていた最中にもたくさんの意見を届けてくれたひとで、それから後もセックスワークについて考える機会を持ってくれていたこと、わたしの書く物を読み続けてくれていたことにまず信頼を覚えましたので、正直に率直にそういう気持ちを話すことができたのです。ご本人はわたしの言おうとすることをすぐに汲み取り理解してくださって、どんな状況や気持ちで働いていても、差別されてはならないと言い直してくれました。

わかってもらえた安心感の中、もうひとつ、自分の中にだけ残る疑問がありました。
わたしについて書かれた文の中の

「彼女は生きるために、セックスワークを選んだ。」

という言葉が、自分でも意外なほど重苦しいなにかをもって心に入ってきたのです。
どうやらその苦しさは、ああその表現は誤解を生むなあ、という懸念、だけとはいえないようで。
なんだろう……。

「違う、そうじゃない」って気持ちでも、なさそうなんですよ。
だって、そう言われてみればセックスワークで得たお金でお米買ってることには間違いないし、ねえ。

ただ、たぶん、自分でそうは思ってないんですよね。そうだとも、違うとも、思ってないんじゃないかな(曖昧な表現になっちゃうけど)。そして「選んだ」ときのことを話したことはないので、もともとなんのために選んだかは誰も知らないはずです。生きるか死ぬかの苦境でなければ選択肢にのぼらないだろう、と思われていたのかもしれません。

この仕事を始めるときに、生きるため性風俗店で働くか、それとも貞操(?)を守って死ぬか、と天秤にかけた覚えとかね、ないんです。まるでそうだったように誰かから言われることはあるから、あれそうだったっけ? と時々思うんだけど、そうではないです。
だからといって気楽な選択だった、ということでもやっぱりなくって、ただ、それどころではなかった。天秤を持ち出してきて量りよくよく検討する、というような余裕はなかった。いろいろはしょりますが、とりあえず四の五の言わずに一度やってみてそれから考えよう、やれるかどうかもわからないんだし、って感じだったように思います(当時わたしはセックスワークについて、素質と素養と訓練を必要とする高度な専門職、というイメージを強く持っていたので、自分には勤まらないという結果になる可能性も予想しました)。

時間をかけてあらゆる方向に考えを巡らせ、やっぱりこうするしかないのだ、もはやわたしにはセックスワーク(そんな言葉もまだ知りません)しかないのだ、という熟慮の末の選択でもなければ、場当たり的で半ばヤケのような勢い任せの選択でもない。どっちでもない。自分の意思によるものだったことも確かですし、追い込まれていたことも確かです。どちらかに振り分けられるようなものではないんです。

その結果、なんとかやれないこともなく、他に検討した方法よりもその時の自分にとっていくらか総合的なメリットがありそうに見え、他人の足手まといにもなることもおそらくは少ないだろう、と結論付いたので、「もう少し頑張ってみよう」を一日ずつ一晩ずつ重ねるうちに気付けばそれなりの年月が流れた、というのが正直なところです。そして今となっては(この「今となっては」は省略できない)仕事にも馴染み、多少の(多少です。キャリアが長いと「天職と感じて誇らしげに働いている」ようなイメージを持つ人もおられるようですが、必ずしもそのような歌舞伎町の女王状態ではありません)愛着や「慣れ親しみ」のようなものはいくらか生まれており、また日々積み重ねてきたスキルやノウハウを捨てる気持ちにもなれず、他にもここでは説明したくないさまざまな理由によって、続けています。

 

でね、セックスワーカーについて「刹那的で先々のことを考えた行動を取れず、堕落してしまった者」もしくは「まっとうな人の道を外れててでも生きのびることを選ぶ、という決断を下した者」って印象をごく当たり前のものとして持たれていることってあるな、とつねづね思ってて。
どちらもありふれたイメージなんだけど、特に後者のようなことを誰かが口にするとき、必ずしも悪意は伴わないですよね。むしろ称賛さえされる場合もある。
「たとえ世間に顔向けできない仕事でも自分自身の力で働こうとしたのだから立派だ」とか、「それほどの辛い事情があった人なのだから慮ってあげないと」っていう優しい感じだったりも、よく、しますね。

でも、ここから伸びた枝が「その人の事情を聞いてから判断するのがよい」って認識なんじゃないかな。事情の中身をこっちで検討した上で当人を尊重するかしないか決めましょうぞ、っていう。
それでもせめて、そのジャッジを心の中に留めておくことができればよいのだけど、それって難しい。すると自然に、審査に落ちた人はみんなの前で大っぴらに差別されて不利益を受けても仕方ない、本人が悪いんだからしょうがないでしょ、という定番の地獄までもうすぐそばに来てしまいます。

(自己決定と自己責任とは決してイコールではありません。自己決定という言葉がまるで全責任を一カ所へ落とし込める裏ワザのように使われていたり、また、自己責任論から守るための裏ワザとして「あの人たちに自己決定権などない」と言われていたり、しますけど。
わたしたちは、主体性をまるきり無視されることにも自己責任論にも、同時にNOと言わねばならない場面がほとんどで、それって別の職種でもいえるんじゃないのかしら、働いてる人って。)

だから、セックスワーカーを「生きるためにその道を選んだのだから」と他人が定義することは、危ないことだと思うんです。事実まったく生きるために選んでそうなった人もたくさんたくさんいるでしょう、だとしても、他人がわたしたちを引っくるめて「だから彼ら彼女らは○○なんですよ!」という理由付けをするために語ってくれちゃうの、ありがたく受け取れないことが多いです。

ではわたしがわたしの口から「わたしは生きるために性労働を選択したのであります!」と言えるか、言いたいか、というと、これがまたよくわからない。
さっきも書いたけど、わたしの場合は事実に反しているわけではありません、そのお金で食べ物を買って家賃年金保険料などを払ってきたわけだから。ただ、その「選択」のときのことはあまりに複雑だし、整理のつかないものだし、自分の言葉で積極的に語れるものじゃないんですよね。特に語りたくもなく。
(あと単にいっぱいいっぱいすぎてもはやよく覚えてないんだよねー! 忘却のみが我が人生です。)

この「特に語りたくもない」に対して、わたしの中に後ろめたさがあるようだ、といつの頃か気付きました。一体またどうして、なんだって風俗なんかを、という質問に何度も何度も何度もさらされるうちに、まるで説明責任があるかのような気分にいつの間にかなる日もありましたし(このゆるやかな催眠はなかなか力がある)、それを果たさないことが不誠実だと言われたこともあったからです。本当は必要ないし、捨てたいものです。こんな罪悪感に蝕まれたくない。でも、掃除したつもりでも気付くとまたうっすら出現しているんですよね。お風呂場のカビのように。

だから、今回自分について「彼女は生きるために、セックスワークを選んだ。」と書かれたとき、
わたしは(あ、その言葉のセレクトは危ないな、そのことがわたしが尊重されるべき理由であっちゃいけないんですよって言いたいな)という苦い気持ちと別に(誰にも話してないことをそういうふうに「語られ」たくない……でも、じゃあ何のために選んだんだっけ?何のためにって、わたしはっきり言える?)という自分への不安めいたものがじわりと湧きました。そして(いやいやいや何のためとかそういう問題じゃないし、真実を語らないなら想像で語られても文句は言えないって思い込みは間違ってる)と、その不安への反発も湧き、たちまち心が濁ったのだと思います。
本人が真実を語らないなら、他人が憶測や想像で好きに言おうとも文句は言えない。いやなら自分の口からはっきり本当のことを言えばいいのだから—— この考え方(あの言葉を書いた人個人から向けられたものでは決してなく、広く世間一般に存在するものとして解釈してください)が、わたしを脅かしたものの正体でした。これは外部から押しつけられた抑圧です。言えなきゃダメなんてことはない。興味を満たす義務はない。そんなことどうでもいいんですよ。

わたしはわたしの「誰にでもは話したくない」「話す相手とその場所をできるだけわたしが選びたい」って気持ちをもっと尊重したいし、しないといけないよ。おもしろい話が聞けるんでしょ?とか、壮絶な物語があるんでしょ?とか、僕に心を開いているなら話せるよね? とか、そういう視線のすべてをホコリのように払い落とす力が欲しい。今はまだ、3ミリくらい切られますから。
コツコツと強くなれるといいんですけど。

 

過去にわたしの身に起こったこと、セックスワークに行き着くまでの具体的な経緯をもし喋れば、見ず知らずの人々はなんと思うだろうか、とボンヤリ考えること、少しはあります。人の数だけ感想があることでしょうね、と当たり前のことを思います。
それじゃあ風俗を選ぶのも仕方なかったね、と思う人もいれば、いや死ぬ気でやればなんとかなったはずだろう、と思う人も、福祉に頼る選択をしなかったのはバカだ、と思う人も、そしてそれをわたしの耳に入る形で言っちゃう人もいるだろうな、って。
でもね……わたし自身にとっては、すべてが、どうでもいいことです。たとえなにを言われようと、優しかろうと厳しかろうと的を射ていようと見当外れも甚だしかろうと、わたしには全てのご意見がどうでもいいことなのです。だって今ある問題を一緒に考えてくれるのならまだしも、過ぎ去りまくった日の出来事についてなにを言ってもらえたって、わたしにできることなんてもう何もないんですもの。
もちろんこれをひとつの事例としてしかるべき知識のある人が使えば、なにか今後に生かす議論が生まれるかもしれませんしそれは有意義なことだと思います。だけど、わたしが個人として説教されるべき話だとは思わない。

自分の選択が正しかったかどうかになんて、もはや少しも興味がありません。
正しかったとも間違っていたとも思いません。
あの日のわたしのあの日の精いっぱいがそれだったんだもん、今さら誰にも何も言われたくないんです。わたし自身にさえもね。

そんなことよりもずっと近くにあるのは、続けてこられた、っていう事実への本人としての静かな驚きと、これからも無事に安全に続けてゆきたい、続けてゆけるといいけれど、という気持ちのほうです(よくやってこられたわ……まじで……)。そして同じ仕事をしている人たちが、わたしとは気持ちも事情も何もかも違っていても、みんな尊厳を傷つけられることなく踏みにじられることなく安全であってほしい、ということです。
それより先に来るものなんて、なにもありません。この先もずっと。

 

 

2015-12-28 | カテゴリ: まじめなはなし, むかしのはなし | |  

 

ヒマワリ、パクチー、カフェオレ色のクマ

ゆきよさんのお通夜に参列することができました。わたしが彼女のことを書いたものがご親族の方の目に留まり、声をかけていただけたのです。

少し迷いました。わたしは初めての場所に出かけることがたいへん不得手(いままでどれほど他人に迷惑をかけてきたことでしょう)ですし、まして埼玉県には全く土地勘がなく夜間で天気は雨、また次の日は大事なお客さんがロングコースの予約を入れてくれていたので、泣いたりして目が腫れたら仕事にならない、という不安もありました。
そしてなにより、友人でもなく仕事仲間でもなく、一時期ちょっと交流してもらったというだけで今となってはただの読者のひとりでしかないわたしが、そんなところに出ていっていいものかどうか、と。

それでもやはり行こうと決めたのは、やはり年上の友だちの助言でした。セレモニーは残された人のためにある、きっと区切りをつける一助になるから、できれば足を運ぶとよいと思う、と。

初めて乗った東武鉄道は知らない駅名ばかりなのでいつでも路線図から目が離せず、乗換案内アプリの示した電車にてんで間に合わず、バス乗り場では後ろ側のドアが開いたことに驚いてオロオロしたりしましたが、なんとか辿り着くことができました。ゆきよさんが高校時代を過ごした街。会場の案内図には「大塚幸代」と案内されていて、ゆきよさんの名前って漢字だとこうなんだ……とまったくばかみたいに今さら戸惑いました。

つくづくわたしは「ゆきよさん」に面倒をみてもらっただけだった。それなりの大人としてライターの大塚幸代さんにも会ってみたかった、そのずば抜けたセンスに生でくらくらしただろうな。そう思いながら中に入ってすぐ、お焼香ではなく玉串奉奠の用意がされているのに気づき、うんと昔にゆきよさんが「ねえ私死んだらどうやら神式の葬式になるらしいよ?この年まで知らなかったんだけどー」と言っていたことを急に思い出しました。持ち方とか回し方とかちゃんとしたお作法があるのだろうけど、全然わかりません。わかりませんという気持ちを瞳に込めてスタッフの方と目を合わせると「これをね、根元のほうを祭壇に向けて……」と丁寧に耳打ちしてくださり、でも結局やっぱりなにがなんだかきちんとできず、とりあえず置いた、という感じになってしまいました。ごめんねゆきよさん、ああしかもわたし御玉串料?でいいの? 入れた袋も思いきり蓮の絵ついてるし全部グダグダだよ、思い出せばよかったのにね、ごめんね、と思って写真を見たら、ゆきよさんはまるで「んああもういいよそんなの!テキトーで!」と言っているような顔で笑っていました。まごついたせいでワッと泣いたりせずに済んで、たすかりました。ただ、忘れているんだなあ、ということがつらかった。

とてもたくさんの人が来られていて、でもわたしを知っている方がいるわけではないのでそっと失礼しようと思ったのですが、片隅に置かれたテーブルに写真が飾られており、そこでしばらくの時間を過ごしました。
ゆきよさんの携わった書籍やお友達との写真、子どもの頃のアルバム、かわいがっていたのであろうぬいぐるみ。ハートをつけた茶色いクマのぬいぐるみはどこかで見覚えがあるもので、そっと触れて話しかけてみました。ゆきよさん、どっかいっちゃったねえ。さびしいねえ。

家に帰ってお引き物の箱を開けたら、そのクマさんによく似た色のタオルが入っていて、なんとなくうれしかったです。故人のぬいぐるみ(を持たない人ならそれに準ずるなにか)(ぬいぐるみに準ずるものってなんでしょうね)を置く習慣、もっともっと広まればいいのに。そのくらい、ぬいぐるみひとつで心がはげまされたのです。

 

次の日には無事にいつもとかわりばえしない顔でお客さんと会いました。普段はいちおうネイルをしているため自爪でいるのをめずらしいねと言われ、ゆうべお通夜に行ったので、と言って少しだけゆきよさんのことを、「以前お世話になったお姉さん」と話しました。彼はわたしが持つお客さん方の中でも人並み優れた育ちのよさ(育ったご実家の経済力、という意味でなく)と共感性の高さを持っている、とわたしはにらんでいる相手なので、話すことにいやな感じはしなくて。でもオフラインで彼女について誰かに話すのは初めてで、それがお客さんなのが不思議な感じでした。わたしの本名も知らない人。

 

ズーズーしくなりなね。
自信を持ちなね。
わたしたち、いま生きてる人を、いま大切にするしかないんだよね。
好きな人に好きと言わないと、いつか必ず後悔することになる。
でも……私なんかに好意を持たれて迷惑かもって気持ちがあると、もう、できないから。
ユリちゃんは自信を持ってね。理由なんていらない。だって女の子は幸福でいなくちゃいけないって、信じてる。

ゆきよさんが言っていたこと、わたしに言ってくれたこととブログやなにかに書いていたこととの区別ももうわからなくなってしまっているけれど、この数日間ずっとたぐりよせてはつなげて並べていたこと。

 

すてきなおともだちだったね、まだまだいきたくはなかっただろうに、かなしいね、いまは。お客さんがそう言った声には若い女への憐れみを楽しむような気配を少しも感じなかったので、わかってはいたけれどほっとしました。つい、この人が突然にいなくなってもわたしがそれを知ることはいつまでもありはしない、悼むことも別れることもできはしない、逆でも、という普通のことをしみじみと考えました。

好きだという言葉はあまり使えない間柄なので、別の言葉を探して、まわりくどく、忙しいでしょうけど身体を大切にして、と言いました。だって昨日まで元気で他愛ない話をしてベトナムフォーとか食べて、きょうも明日もあたりまえに元気だと本人もまわりも思っていたってわからない、人ってあっけないものなのねって思い知ったから。でももうしばらくのうちはあたしを指名してよね、と。

結局ありふれた決まり文句のようになってしまった。

彼は最初にわたしがファンレターを出して知り合った、というところを、すごいね、えらかったね、とほめました。図々しかっただけよ、と答えたけれど。

 

そしてまた突然に急に思い出したのは、いつかゆきよさんも、わたしのことを「えらいね」とほめてくれたことがあったのです。
店のホームページや客に見せるファイル用の写真(その頃はデリバリーでない店に勤めていたので、モザイクのない写真を店頭に出す必要があった)を撮られることはどんな気持ちか、という話をしていた時だったと思う。

ユリちゃんは、写真撮られるの大丈夫なんだねえ。いやわたしが苦手なだけなんだけどさ、自分の顔って、わからないじゃない。永遠に自分で見られないし、どんな顔してるのかって思うと怖いんだよね。鏡を見るのも。
超わかるー!と無邪気にわたしは言ったはずです。鏡に映った顔は左右がはんたいだし、きっと他人が見てる顔と違うと思うし、写真の中で笑ってたりするとこの人誰なんだろうって思う、自分、ってものじゃなくて、それどころか、いきもの、毛を長くのばして顔になにか塗っている変ないきもの、って思うよ。
それで、このへんないきものがわたし、このへんないきものがわたし、って思うときもくて、でもずっとやってると突然一瞬だけその「きもい」が「かわいい」と区別できなくなって笑いが出そうになるから、そこですかさずやめるの。
そいで、もう考えないの。

そんなふうに言ったときじゃなかったかな、ゆきよさんは「ユリちゃん、あなたはえらいですね」と言ってくれたんでした。どうして? ときくと答えずに、ただ、えらいですよ、ほんとえらいです、よしよし、と繰り返して。

力が抜けて、情けなくて、泣き笑いの気持ちで肩を落としました。超わかるーじゃねえよ、バカだなあ。

お客さんがシャワーを浴びているあいだ、ベッドの上でほんとにちょっと泣きました。仕事中になにやってんだ、バカだなあ。

 

お別れができてよかった。
そう思ったことも、本当です。機会をくださったご親族の方に、背中を押してくれた友だちに、心から感謝しています。でも、これから何度もわたしはゆきよさんに会ってしまうと思う。わざと呼び出したり、不意に通りの向こうを歩いているのを見たり、はち合わせて驚いたりするのでしょう。そのたびにウッとなったり、ひりひりしたり、その審美眼をあらためて尊敬したり、ああこういうこと言ってたのかと学んだり、やっぱりちょっと泣いてしまったり、なんだよゆきよ暗いよ元気出せよオイ、わかったわかったかわいいよ、なんて思ったりもするかもしれない。

それはきっと新宿で、渋谷で、池袋で、高円寺で、iPhoneの画面で。

だから、やっぱり、おこられないように、自信の練習、するよ。

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2015-04-10 | カテゴリ: まじめなはなし, むかしのはなし | |  

 

ゆきよさんのこと

大塚幸代さんのことをわたしはゆきよさんと呼んでいた。mixiの登録名が「ゆきよ」だったし。初めてメールを交わしてから、もしかしたらあっという間に10年ほど経ってしまっているかもしれない。それらの短いやり取りは昔のMacや退会してしまったmixiや捨ててしまった二つ折りの携帯電話にちりばめられていて、もうたどることができない。

わたしはまだ本職の風俗嬢ではなかった。身体を壊して堅気の仕事をやめ、療養生活の真っ最中だっただろうか、少し回復してアルバイトを始めた頃だっただろうか、記憶があいまいではっきりしない。ゆきよさんは、もうフリーランスのライターとしてデイリーポータル(その頃はさいごにZがついていたかいなかったか、自信がない)などで活躍されていた。

きっかけが何だったのか忘れてしまったけれど、わたしがゆきよさんにファンレターを書いたのだろう。とかくインターネットが友だちにならざるをえない療養生活(通院以外の外出がままならなかったので)でデイリーポータルはわたしのオアシスであり、彼女の書くものが好きだった。大塚さんの書く文章はセンシティブすぎて、という人もいることは知っていて、センシティブ、と表現されるものを感じ取ることは当時のわたしにもできた。けれど、ゆきよさんの方がうんとうんと先のほうをゆく大人の女性だったからだろう、憧れのお姉さんだったから、その「センシティブ」がわたしを傷つけることはなかった。
むしろ、揺れる気持ちを揺れるまま書き、ものわかりよい割り切った文章でまとめていないところが心強く感じられていた。突然大きく不安定になった人生にうまく慣れられずにいた幼いわたしは、不安定を隠さない彼女が遠くまぶしく、とても自立して見えたものだったから。

そして原稿からはあんなにも鋭く繊細な感性が滲み出ているのに、わたしにくれるメールの書き出しはだいたい「どもどもす〜」だの「ニャニャー!」だので、そのちょっぴりおどけた感じがとても可愛らしく見えて、惹きつけられた。

月に数通ずつ、ゆるいゆるいやり取りをして、しばらくして実際にお会いする機会があった。そのころにはもう自由に外出できる程度に回復していて、時給800円のアルバイトの傍らイメクラの仕事も始めていたと思う。
ゆきよさんはスラリとした長身の可愛いお姉さんで、わたしがユリですと名乗るとにっこり笑って「ああ、はじめましてー!」と言った。

その日わたしはレストローズのワンピースを着ていた。ゆきよさんにほめられて有頂天だったから、よく覚えている。薄い紫か水色のバラ柄にリボンがついたものだったと思う。ワンピースっていいよねえ、女の子の特権だもんねえ、というゆきよさんに、ゆきよさんは着ないのワンピース、と言うと、わたし172センチくらいあるからさあ、売ってるワンピース、着るとだいたい短くなりすぎて、なかなか、だめでねえ。と言って笑った。140センチ台のわたしはチュニックにショートパンツを合わせると、短すぎるワンピースを着ているように見えて「なかなか、だめ」になりがちだということを話した。
「ああ、そっかああ、なるほどねえ、大きいのも小さいのも、いろいろあるんだあ」とゆきよさんはまた微笑んでくれて、やっぱりわたしは有頂天だった。

とりとめのない話をした。洋服のこと、アクセサリーのこと、アイドルのこと。中川翔子さんのブログについてあれはすばらしいねと話した記憶がうっすらとある。しょこたんが「ギザ神」と言ったアイシャドウをついわたしも買ってしまった話とか。渋谷でのサイン会に行きそびれた話とか。当時お守りとしてつけていたピンキーリングをゆきよさんはほめてくれ、サイズをきかれ、0号だよってこたえたら、なにかのツボに入ってくれたらしくゼロってなにそれゼロとかあるんだすごくないウフフと盛り上がったりとか。ダブルユーに対する複雑な気持ちなども話した気がする。
わたしたちが並ぶシルエットは「大人と子ども」のようで、それはそのまま内面の成熟度と同じような気がしていた。ひとまわりも違えばあたりまえなのかもしれないけれど、それ以上にわたしの知らないことをたくさんたくさん持っているふうに見えた。

だからだろうか、わたしも好きだったけど、小沢健二の話だけは一度もしなかった。
それはゆきよさんの聖域のように感じていたから。ランドセルをしょって今夜はブギーバックを、歌詞の意味も大して分からずにきいていたわたしのような子どもが口にしてはならない話題のように思えたんだろう。立ち入ることはできなかった。それに、フェイクやクイックジャパンでの活躍と目の前のお姉さんとは、それらがわたしにとってリアルタイムでないこともあり、うまく結びつかなかった。

 

なんのタイミングだったかもうよくわからないのだけれど、風俗の仕事をしている、ということはなぜだかツルリとカミングアウトしてしまった。
ゆきよさんは驚いてみせたりしなかった。そっかーそうなんだ、と言い、身体にだけは気をつけてね、と言った。

家に帰って、次の日だったろうか。メールが届いた。

「私なんかが言わなくても、ぜったいぜんぜんご自覚あるとおもうんだけど、よくさあ、減るもんじゃなし、って言い方する人いるじゃない。でも、絶対、減るよね……と思う、いろいろ」

今の、2015年の、試行錯誤しつつそこそこの経験と実績を積んでセックスワーカーである自分をある程度(このある程度っていうものの内訳は、ひどく複雑で難しいんだけれど)肯定しているわたしに、なんの交流も友情もない助言を求めたわけでもない見ず知らずの人がこの言葉だけを言ってきたならば、傷つくかもしれないと思う。減る、という言葉で表現されている事柄は風俗業のある一面でしかないし、それはなにも性風俗の職場にのみ存在するものではないし、安全な場所から知ったようなことを言わないでくださいと思うかもしれない。
だけどわたしたちがそれまでに交わしたものたちの上では、このメールはとても嬉しかった。「減るもんじゃなしと時に人は言うが、減る」ということを分かってくれている、というのがまず嬉しかったし、ゆきよさんがわたしの心身を案じてくれているということも素直に嬉しかった。ご自覚あるとおもうんだけど、というなんだかリズムの悪い言葉がとてもいとしく思えた。

そのメールの最後はこうだった。

「あのさ、あのさ、ほんとはいちばんやりたい仕事、とかって……ない?ですか?」

そしてその下にこう書き添えられていた。

(とかいって、私ない!)

ゆきよさんらしい言葉だなあと思えたし、また怒られも泣かれもしないというだけでも、わたしは救われていた。
いちばんやりたい仕事とかまだよくわからないけれど、ライターは楽しい?ときくと、楽しいかどうかって考えると確かに楽しいけれど、いつでも楽しいといえるほどの余裕がない、プロになってからというものとにかく自信がなくってね、それが私のだめなところ、と言っていた。

そのころゆきよさんが「おそらくコスプレイヤーの女の子でちょっと気になるんだけど、どこのなんという子か情報がないんだよね」と何の気なしに見せてくれた写真が、思いきりかつての同僚だった、ということがあった。誰かが個人的にギャラを出して撮影した写真を流出させたのか、安っぽくてきわどい衣装で知っている子が写っていた。彼女は地下アイドルのような仕事から風俗店に勤め、美容整形を受けて女優の道へ進むのが夢だと言って去っていった子だった。
そのことを告げるとゆきよさんは、なるほどじゃあできれば掘り起こされないべきものってことだね、と言い、たしかその場で写真を消去してしまった。なんでもないことのように(たぶんあれは、誰かから調べてほしいと頼まれたものではなかっただろうか)。
自分のことではないし、その女の子ととくべつに仲が良かったわけでも全然ないけれど、心の中の穴が塞がれたような気がして、得がたいできごとだった。

 

けれど、それからわたしたちのゆるいやり取りは急激に頻度が減っていく。
わたしは風俗業をメインの仕事にし、減るもんを減らしながらも働き続けた。そこでセックスワークに伴うたくさんのおもしろさや苦しみやつらい謎に行き当たった。自分なりに考えることがたくさん生まれ、それをネット上に書き綴り始めた。読者ができて、同業の友だちが、先輩ができた。年齢も重ね、15歳年上の人ともいくらかは、少なくとも20歳の時よりはお互いに対等にいられるようになった。椎名こゆり、というペンネームができたころには、ゆきよさんとのメールのやり取りはもう完全に途絶えていた。

ゆきよさんの文章は、変わらず読んでいた。昔に比べると、読んでいて苦しくなったり、心の揺れが迫りすぎて切ないこともあった。そうか、これのことか、と思った。このひとをほうっておけない、ほうっておいてはいけないんじゃないか、という気持ちにさせられることが増えて、ドキドキしながら読んだ。そして、そのほうっておけなさはゆきよさんの変化なのか、以前のわたしには読み取れなかったものなのか、わからなかった。

それでもゆきよさんは憧れのお姉さんであることに変わりなかった。声をかけたいな、と何度も思って、それにはtwitterで話しかけるのがいちばん気楽でいいような気がしたけれど、twitterでのわたしはもうすっかりすべて椎名こゆりであって、ゆきよさんの知る「ユリちゃん」ではなかった。いつかはまた話せたらいいな、きっとできるよね、もしかしたらもっと年を取って、おばちゃんになって、ふたりの内側が「おねえさんとコドモ」でなくなれば。背の高いおばちゃんと背の低いおばちゃん、くらいになれば。そんなことを思って、気持ちをたたんでしまっておいた。

こうして書いていてはっきりとわかる。わたしは怖れていたのだと。

まだ風俗嬢やっているんだよ、と言うのが怖かった。
いつか心配してくれたような未来にはなっていないよ、と説明できる自信もなかった。
ゆきよさんにがっかりされるのがこわかった。
もしもそうなってしまったとき、受け入れられるかどうかとても自信がなかった。

自信がなかったんだよ。自信。じしん。

 

最後のほう、ゆきよさんは何度かわたしに言ってくれた。

女の子は自信を持つに限ると思うんだよねー。
根拠なんかなくてよくて。根拠のない自信を持っている子が、人に大切にされたり、愛されたり、成功したりで、幸福になる気がするんですよ。いやユリちゃんはかわいこちゃんだから大丈夫だとは思うけどさー、やっぱ、時々、ちょっと心配になります、おねえさんとしては。
ズーズーしくね、なりなね。そのくらいで、ちょうどいいんじゃないかと思います。
ユリちゃんの未来が幸福であるように祈ってる。だから、自信を持って。

そんなようなことを。

 

ゆきよさん。わたし、持てなかった、自信。ほかでもないあなたの前で。ごめんなさい。
あんなに言ってくれたのにね。

わたしの知っているゆきよさんは本当にほんの一部だけで、お話できた時間もごく短い。それ以上に近づいたとして仲良くなれたのかどうか、ゆきよさんはわたしのような人を好きだと思ってくれたかどうか、少しも自信がないのだけど、ああ、また自信って言っちゃった。そこからは、なにが見えるのかな。クレージュのアイシャドウはずっと前に廃番になって、後生大事にひとつだけとってあったんだけど去年捨てちゃったよ。もしなにかの拍子でわたしのこと思い出したら、そいでそのうち時間ができたら、またちょっと祈ってくれますか。わたしもわたしの未来について祈るから、一緒に祈ろうよ。ねえズーズーしいってこんな感じで、いい?

 

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Facebookで北尾修一さんという方が書かれていた文章を読み、そこに綴られていたのはわたしの全く存じ上げない面のゆきよさんでしたが、読ませていただくことで気持ちの整理をお手伝いしてくれるように感じられましたので、わたしもこのように個人的な思い出を振り返りました。
北尾さんが「リクエスト」されていた曲、わたしは初めて聴いたのだけれど、すてきだった。

2015-04-05 | カテゴリ: まじめなはなし, むかしのはなし | |  

 

乙女は白昼に血を流す(鼻から)

一日に一度決まった時間に鼻から多量の出血をする、という事態におちいった時期がある。
高校生の頃で、季節は初夏だった気がする。

それはたいてい5時限目の授業中だった。これといった前触れも痛みもなく、ただかすかな違和感の直後ボタボタボタッと鮮血がノートに落ちてくるのだ。それが数日間つづけて起こった。

なにかの病気のサインでは、と友だちも先生も心配してくれたけれど、わたしとしては恥ずかしさの方が深刻だった。近場の耳鼻科に相談すると「粘膜が弱いんじゃないの?」という診断だったし、それにちょうど生理だったので、代償出血ということもあるのかもと思い自分ではあまり大事には考えなかった。
最初の一度こそ自分も周囲も慌てふためいたけれど、2度目からはそっと顔を隠しながらティッシュを握りしめ静かに廊下へ出るようになった。誰もいない廊下の壁にそっともたれて、遠くの教室から漏れてくる声を聞き分けてみたり、空を流れる雲の速さをはかってみたりしていた。

そんなことが日課となった頃、いちばんひどい出血がきた。これまでが「ポタポタ」ならこのときは「ドボドボ」だった。手持ちのポケットティッシュではとても間に合いそうになく、わたしは保健室へと急いだ。不安に胸をざわつかせながら静まり返った廊下を抜け、階段を駆け降りていると人影が見えた。物理の北村先生だった。

北村先生は当時まちがいなく、学校内で最も生徒に怖れられている人物だった。口うるさいわけではないのだが、それはつまりお説教すら存在しないまま容赦ない判定が下されるということだ。10秒でも遅れれば教室に入れない(鍵をかけてしまうところが本気だった)し、レポートも受け取らないし、テストの赤点は決して動かさず、追試は1回しかやらない。泣きつこうものなら表情一つ動かさず「それが何か」「私には関係のないことです」と言い放たれる。

それらは学校によってはさして珍しくないことであろうが、『偏差値は中の上で素行はよい、おとなしいという以外に特色のない地味で小さな高校』ではかなり目立っていた。その進学校っぽい厳しいやり方に加え先生自身が隙のない完璧な人であったことから、生徒たちの間ではもはや気軽に悪口すら言えないような存在になっていたし、おまけに見た目までも怖かった。通常、頭髪の薄い男性教師というのは生徒から笑いのタネにされがちなものだけど、北村先生の場合はかえって箔がついてしまっていた。

階段を走っているのを咎められるかもしれない、と思った瞬間、最後の1段をわたしは踏み外した。わずかな段差なのに、持ちこたえられずべしゃりと床に手と膝をついてしまった。同時に北村先生がつかつかっと駆け寄ってくるのが分かった。
自分のどん臭さを呪いながら立ち上がろうと焦るその間にも血が滴り床を汚す。
あっ、あっ……とうろたえていると、先生は言った。
「ここは私が片付けますから、あなたは早く保健室へ行きなさい」
辺りにはさっきまで先生が両手で運んでいた書類が斜めに傾れて散らばっていた。
「そんなものはいいから行きなさい」
それはいつもと全く同じ、冷酷無比に思えるほど感情を排したあの表情と声色だった。ずびばせん、と言ってわたしはよろよろと立ち上がり、真っ赤に染まった制服の胸元を隠しながら歩き出した。

保健室で下着の上にジャージを羽織って鼻を押さえながら、先生とはいえ他人の男の人に自分の血液を片付けてもらうということのなんともいえない恥ずかしさに思い至り、胸がつぶれた。

でも、助けてくれたのが北村先生で、ちょっとよかったな、とも思った。しゃがみこんで床を拭いている姿さえも冷たくて完璧で、でもこの学校の誰も先生のそんな姿は知らないし一生見ることもないのだ、と思うとなんだかうれしくもあった。実際にはわたしだって見ていないのに。

それ以来、びっくりするほど大量に出血するようなことはなかった。
わたしは時々北村先生と言葉を交わすようになり、そのことで周りから若干の変人扱いをされ、物理の成績が少しだけ上がった。

2014-05-07 | カテゴリ: weblog, むかしのはなし | |  

 

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