きらくなはなし

ワーカーズライブ:春一番の姉妹

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 春一番の姉妹

これまでガールズヘルスラボに書いてきた小説の中で、たぶんいちばんほめられました。うれしい。ありがとうございます。
そして『良い百合』という言葉でほめてもらっている場面をたくさん目撃しました。今までもときどきそう言ってもらうことはあったのだけど、わたしは人の関係性に対してかなり大ざっぱ(とてつもなく大きくて仕切りのない「好き」という箱にあれもこれも入れちゃって、中で浮遊してる)なので、あっ百合に入れてもらえるんだ、って実感するとくすぐったかったです。名前がつくと照れちゃう感じして、すぐ「わたし名前がもうユリだからね〜」とか言ってしまうんだ……。

余談だけど、男性の同性愛を薔薇に例えるのに対して女性のそれ(いまは同性愛関係に限らずもっと広範囲に使われてますね)を百合と呼ぶ、と知ったとき、綺麗な名前だな、と同時に「うまいこと言う!!」とひとりひそかに盛り上がったんですよ、だって、それは、そのー、ユリって、おしべの先んとこ(葯っていうんだっけ?花粉の袋)をちょん切ったりひっこ抜いたりしてポイッと捨てちゃうじゃん!?

……でも、どうやらそこは関係ないみたいで、うそでしょー、と思ってます、いま。そう、いま検索してちがうと知った。えーーーまじかよーちがうのかよー。余談おわり。

 

過去を振り返ると、わたしもいろいろありました。
さくらちゃんだったことも、みずほちゃんだったことも、あったと思う。忘れられない女の子が何人もいます。忘れない、というだけではあまりに無意味で頼りなく、どうか幸せに暮らしていますようにといつも祈っています、無意味なことに少しも変わりないのに。

最近はキャストどうしがあまり仲良くならないようにシステム作ってる店も増えた気がするけど、ちょっと前は距離感近いところはもうどっこまでも近かったんですよ。同じ毛布をわけあってうたた寝したりとか普通にしてた。いや、あれはわたしのいた店の待機室の狭さが半端なかったというだけかもしれないな。異様にせまかったので……。
その店はいろいろといいかげんでした。求人には『寮完備』って書いてあるんだけど実体はそのせっっっまい部屋のことだったもん。夜中に店閉めてみんな帰ったらここで寝ろや、を『寮完備』と書く。アクロバティック〜。
いまでは他にもいろいろとんでもない働き方をさせられていたことが分かるけど、当時はそういうものなのだと思って受け入れていました。摘発されていた可能性もあったわけで、その点はこわい。
でも、つらい思い出ではないです。

脱線しちゃった。

はっきりとカップルになっている恋愛関係じゃなくても、女性たちの間の憧れや友情など肯定的な感情、それゆえにときに生まれる相反するかのようなチクチクしたもの、そういうものたちが織りなす物語が幅広くまとめて『百合』と呼ばれるのだとしたら、風俗店ってそういうものいっぱいある(ように外から見える)かもなあ、と思います。女子校みたいに。
仲良くなったり、ならなかったり、意識しながらとうとう直接は言葉を交わせなかったり、憧れながら負けたくなかったり、助け合ったり、突き放したり、やっぱり手をつないだり。だけど、プライベートではつながらなかったり。あとたま〜につまらない(と本人たちも思ってる)ことで熱いバトルが起こったり!

勤務時間内だけ極端に距離感が近くなる場合がある、っていうのがけっこう大きいかもしれません。
私物のヘアアイロンを仲良い子に貸してあげたら「なにこれめっちゃいい!サラサラ!」と喜ばれたのであたしがいない時も勝手に使ってね、と言ってアイロンの持ち手にその子の名前をマッキーで書き足した(とったとられたにならないよう置きっぱにする私物には名前を書く)ら、次に出勤したとき彼女の手によって名前の間にハートのマークが足され「シーナ♡リサ」みたいになっててコンビ名かよってめっちゃうけたんだけど当のリサちゃんがたまたまいない日だったものだからひとりで肩を震わせた話とか、なんていうか、わたしにはちょっとしたかわいい思い出のひとつみたいなもの、
この世界独特の、なんだろ、閉鎖性とか秘密っぽさみたいなものも手伝って、ドラマチックに捉える人もいるかもしれない。そういうのを、「百合だ!」って呼ばれて消費されるとしたら、どうなんだろ。

……ってことを、ちょっと考えました。
どうだろ。でも、あんまり嫌な感じはしない。

たとえば刑事もののテレビドラマやなんかで、風俗業やホステス業がそれこそその閉鎖性や神秘性や、さらに不誠実だったりお金にだらしがない人間であろうというマイナスイメージを利用したうえで、物語を進ませるためのパーツとして雑に利用されているケースは溢れています。ふーん、と思っています。さぞかし使いやすくて便利でしょうなあ、って。

でも、じゃあ、同じことなんじゃないのって言われるかもしれないけど、そんなに嫌じゃなかった。関係性だけを面白がられたり、閉鎖性や被差別性をスパイスにされることを想像すると、たしかにとても嫌なんですよ、だけど、今回言われた限りではわたしはそういう感じをぜんぜん受けなかったです。

「女の友情は(男のそれに比べて)もろい」とか、「女の絆は男が現れれば簡単に壊れる」とか、「女ばかりの場所は陰湿で残酷」「女から女への恋心は単なる通過儀礼」「または男の(セックスの)良さを知らないから」といった一面的で有害な思い込みにNOを突きつけるものとして『女たちの物語』は力強く、また不可欠な存在だと思っているから、百合という言葉を褒め言葉だと受け取れるのかもしれません。
わたし自身は物語を読んだり見たりする時、ガールズラブでもボーイズラブでもどっちでもないズラブでも伝統的な異性愛でも「ズ」がふたりじゃなくても性愛的なラブストーリーじゃなくても、似たようなテンションで読んで同じ棚に入れてしまうタイプですが、それでも女の物語が生まれにくかったり、作り手の意に反する形の評価や消費をされやすかったりする感じはなんとなくわかる。なので、女どうしの関係性を描いた作品がもっと力を得て自由になれたらいいな、という気持ちもあります。
今回わたしが書いたものを読んで、すてきな百合だね、と言ってくれた人(女性がほとんどでした)が、ああ何らかの肯定的な力(良さ、とか、わかりみ、というやつかな)を感じてくれたのかなあ、と思うと、正直にうれしいです。

女が女の愛情を信じられる世界であってほしい。それを取るに足りないもの、弱くもろいものだということにして力を奪い、別の力に従属させようとする存在から自由になりたいと、これまで仲間であった女性たちとの思い出を通じて、そう思います。

 

余談その2。その待機室が異様にせまかった店では辛い経験もして(店長に性的な関係を要求されるなど)、結局さいごは無欠から飛んだのですが、しばらく経ってからふと思い出して検索してみたらホームページがなくなっていて、すぐさま匿名掲示板を訪ねてみたらかつて働いた女の子らしき書き込みで「祝!○○(店長の名字)落ちぶれ〜!(IKKOさんかよ)」とあり潰れたばかりだということがわかったので、他にもたくさん悪事を働いていたのかと腹が立ちながらもほっとしました。
あのときへこんでたわたしに「アイス食べたくない?」と言って外に連れ出して話をしてくれた女の子のことも、ずっと忘れてないです(3月か4月で、まだちょっとアイスには寒くて、やっぱさみーよ、って言いながらその子はパナップ食べてた。わたしはなに買ったか忘れた)。

2017-03-14 | カテゴリ: weblog, きらくなはなし, まじめなはなし | |  

 

ワーカーズライブ:水はあなたを知っている

ガールズヘルスラボにて、3月のワーカーズライブを担当しました。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 水はあなたを知っている
http://t.co/J5byP0833S

今回はわたしのスケジュール管理の甘さによりたいへんわずらわしい感じの仕事が多数重なってしまい、また性風俗について書かれた本など読んだこともあり切ない話や職業差別のからんだ話は書きたくない! 偏見とかもうしばらく考えたくない!甘くて緩くてどうでもいい話がだらだらと書きたい! と思い、傷つけてこないお客さん、と、仕事仲間として扱ってくれる店長、を登場させました。2大「我々がどんな気合いで取り組んだところで得られるものでもない、しかし得られた場合は飛躍的に業務の効率が上がる」存在です。ふふ。

店長にはこの人のようにきっちりと敬語を使って接してくれる系統の人も、もっとフランクにこちらのことも「源氏名+ちゃん」で呼んでくるような人もいます。どちらが良いとかではないのですが、最も発言権を持つ者の人柄というのが職場全体をたやすく左右する感じはどこにもあるものではと思います。現在の勤務先の店長はエレガントな敬語派で、キャストの退勤時に居合わせると「ありがとうございました」と頭を下げて見送ってくれるほどですが、面と向かって個人的な話をしていると月に2回くらい何かの折にひとことだけ崩したりして、貴重なものを見たようなありがたい気持ちになります。

一件だけ呼び捨てにしてくる店長がいましたね。わたしは恋愛関係にある相手であっても呼び捨てを好まないのですが、なんとびっくり不思議なことに、いやではなかったです。あれはなんだったんだろうか。キャラクターということなのでしょうか。あの人でなければ初日で飛んでいたことでしょう。たしかに、とても明るい愛おしそうな抑揚で呼ばれていました。
彼はちょっとびっくりするほど人が良く、しかしそれゆえプライベートの女性関係が立て込んでいそうな人でした。それをキャスト一同が「いつか刺されないといいけどね〜」などと言いながら暖かい目で見守る店でした。そんな職場環境はあとにも先にもそこだけでした。

ミネラルウォーターの銘柄がいろいろ出る話にしたのは、わたしが女性のセックスワーカーに対して自覚している偏見のひとつに「水が好き」「硬水を平気で飲める人が多い」があるため、そこからの連想です。わたしもコントレックスを常温で飲めるタイプです。いちおうメジャーなところから選びましたが、ミネラルウォーターに興味のない方にはウザかったことと思います。参考までに以下の表を置いておきますね。興味のない方は「うぜえ!」と思ってください。こんなにいっぱい書いたっけ。書いたんだな。あといろはすとボルヴィックがあればコンビニで買える水はだいたい網羅するでしょうか。いやだめだ森の水だよりとかまだいっぱいある。

  • クリスタルガイザー 38
  • 六甲のおいしい水 84
  • エビアン 304
  • ヴィッテル 305
  • ペリエ 400
  • ゲロルシュタイナー 1310
  • コントレックス 1468
  • クールマイヨール 1612
    (椎名こゆり調べ 単位は mg/l)

原稿を書くにあたり、わたし自身は発泡性の水を好まないためゲロルシュタイナーの500mlサイズがどのくらいコンビニエンスストアに置かれているものか自信がなかったのですが、ガールズヘルスラボ主宰のタミヤさんがわざわざセブンイレブンに足を運び、あったよ、と教えてくださいました。たいへんお世話になりました。ごめんねありがとう。ちなみに椎名が仕事中に飲む水で気に入っているのはフィジーウォーター(105mg/l)です。立ち上がれ俺のコラーゲン!と念じることによりストレスが発散される効果があります。

タイトルが最後まで決まらず、いつか議論を呼んだ有名な本からつけました。そうです、パシッたりパクッたりしてこの原稿はできているのです。
水にありがとうと言えば美しく凍る、というのはフィクションだと今日では多くの人々が認識していますが、風俗嬢はみな病んでいる、とか、風俗に行く男はみな浮気性、とか、風俗店の従業員はみなコワモテ、とか、あとヘルスのサービスくらいじゃ性病なんてうつらないとか風俗行ったことなければHIVなんて心配ないとか俺だけは大丈夫とか、そういうあれやこれやだって幻想だという点では似たようなものです。まことしやかに語られるとつい素直に信じてしまう、というのは人間のいいところでもあり、しかし後にいくらでも思い直しときには考えを改めることもできる、それはもっといいところだと思います。あれ、偏見とかしばらく考えたくなかったはずが。やれやれまあいいか。

 

【読んだ思い出】尼のような子/少年アヤ〔2〕

〔1〕からのつづき

直筆サインは、厳密に言うとお手製らしきはんこだった。著者直押しサイン。その下にアザラシの小さなシールが貼ってあり、サイン本につきものの薄紙をはさんだ向こうには、おみくじが挟んであった。かわいい。

アヤちゃんに会いたいなあ、と思いながら読んだ。大小さまざまな「サゲ」がページから溢れんばかりで、ああそういえばこんなこと話していたなあ、と懐かしかった。そのひとつひとつがすべて、アヤちゃんの手で慎重に丁寧に盛りつけされていた。

自虐ネタ、なんて気軽に言うけれど、自分の負の部分やそれが生んだ思い出を示しながら、見た人に負の感情でなく可笑しみや納得、思わずふふっと吹き出すような快い気持ちをもたらすのは、とてもとても難しいことだ。
アヤちゃんは今みたいにいろんな媒体で活躍する前から、自分の「サゲ」に対して正直で誠実な言葉を選ぶ人だった。
正直で誠実で、それでいて詩的な繊細さを纏っていて、切ないのに笑顔にさせられてしまう。
一見突拍子もないことを言っているようでいて、切実さがしんしんと胸に迫る。

どうしてか、わたしが一生懸命隠している「誰にも知られたくない格好悪い私」のことも、どこか少しだけ許されたような気持ちになる。そこから出てはダメ、人に知られてはダメあなたは醜いから、と暗い部屋から出ることを禁じたのもわたしだけど、窓くらい開けてもいいわよ、と言えるような気がする。

誰の人生だって、ほんとうはサゲ話の連続だ。格好つけてキレイぶって余裕ぶっても、生きてるだけでサゲ通しだ。見られているのは、他人のサゲ話を笑っている時のわたしなのだ。

などとマジメぶったことを考えるフリをしながら、あはは、うふふ、うんうん、と読んだ。アヤちゃんかわいいなあ、アヤちゃん好きだなあ、わたしに好きって言われてもたいした足しにならないかもだけど、だったらなおさら大声で好きって言っちゃうなあ、と。

テーブルに放置していたら、すかさずマミさんも読んでいた。冒頭の数ページをめくったところで「この子、いつかドン・キホーテで露出狂に遭った子!?」と言ったので、ずっと前にわたしが見せてあげたブログをしっかり覚えていたらしい。

自分の感性に対してとても素直な子、とマミさんはアヤちゃんを評していた。それは、文章の書ける若い世代の人には珍しいように思うから、これからもどんどん書かせてもらえるといいわね、と。そして最後に「肛門科の医者ひどい、ヤブめ、同じ目にあうがいい」と付け加えていた。わたしもまったく同意見です。

2014-04-08 | カテゴリ: weblog, きらくなはなし | タグ:  

 

【読んだ思い出】尼のような子/少年アヤ〔1〕

発売日に手に入れるためamazonで予約しようかと思ったけれど、なんとなくしそびれた。
気持ちのよい休みの日に出かけていった本屋さんで買いたいな、と思ったのだ。
それもターミナル駅の大型書店より、そのへんの○○書房がいい。
近くには古い大学があり、おそらくそこへ通う男の子がぎこちなくエプロンを着けて働いている本屋さん。

書名とISBNのメモを渡すと、では入荷次第お電話しますんで、とレジにいた男の子は言ったけれど、発売日の3月3日にしかし電話はかかってこなかった。
twitterには購入した人の感想などがちらほらと現れ、いいなぁと思いながらそれを見ていた。
読んでよかった、面白かった、と興奮気味のツイートを見るとうらやましくて、薄目で眺めるようにした。
次の日も電話はかかってこなかった。その次の日も、一週間が過ぎても。

3月12日、レジには別の男の子がいた。
あのう、お願いしていた本のことで、と声をかけると、難しいことを頼まれたらどうしよう、という表情になり、
椎名と申しますがと名乗ると、あっ、あっ、と言ってレジの下からボール紙で出来た箱を取り出した。
それから銀色の目玉クリップで束ねられた伝票のようなものを一枚ずつめくっては「椎名、しいな、し……」と一生懸命に探しはじめた。

椎名様、と書かれた紙は、ついに見つからなかった。

あっ、とまた彼は小さく呟き、今すべて確かめ終えたばかりの伝票の束をもう一度持ち直した。
そして改めてまた最初から一枚ずつめくり始めた、しいなしいな。
5枚ほどめくられたところで、わたしはなんとかしなければという義務感のようなものに駆られて言った。
あの、お願いしてたんですけど、別のところで手に入ったので。入荷がまだのようなら取り消していただこうかと思ったんです。お金も払っていないので、あの。
あっ、あー、と彼は言い、握りしめた伝票の束をほんの少し上下させた。
キャンセルできますか、すみません。そうわたしが言うと、あっ、はい、と言ってから少し間があり、ぺこりと頭を下げた。
お願いします、とこちらもおじぎをした。
その間わたしは彼の目を見過ぎないように、なんとなく頬から首筋の辺りに視線を置いていた。色白で、きめの細かい肌の男の子だった。彼はずっと、わたしではなく、わたしのコートの袖口についている白いファーを見ているようだった。

店を出て、地下鉄に乗った。
今のできごとをアヤちゃんが知ったらなんと言うかしら、と思った。

ネット上で知り合った頃アヤちゃんはまだ学生さんで、韓流スターを熱烈に愛し、新大久保のことをよく話していた。わたしとはこれといった共通点も見つからなかったけれど、アヤちゃんはとても輝いて見えて(その頃からたいへんに文章がすばらしかったのだ)、話しかけずにはいられなかった。
やれ電器屋の店員が可愛かっただの、縁結びのお守りを買いたいだの、夜中にとりとめのない話をした。

その中でも、自分の苦い思い出やテンションの下がるような出来事を「サゲ」エピソードと呼んで多少自虐的にユーモラスに語ることが、アヤちゃんはほんとうに上手だった。その面白さに、まわりに集まった女の子たちも安心して自分の過去の経験を披露しては笑い合う光景がよく見られた(サゲを集めたイベントまでやっていたと思う)。

わたしも楽しくなって、むかし街中で暴力に遭い、駆け付けた警察官の前でわんわん泣いたエピソードなど話した。保護されたあと、パトカーで家へ送り届けてもらう途中で若いお巡りさんが運転を誤って車体を盛大に擦ってしまい、乗っていた一同で「ああっ……」としょんぼりしたということも。
聞かされたアヤちゃんは、降りかかった受難を自らに留めず警察官まで巻き込んで厄を払ったんですね、最高にかっこいい、みたいに言って面白がってくれた。嬉しかった。

ねえアヤちゃん、買えなかったよ。予約してたのに買えなかったよ、もう世に出てから10日が経とうとしているのにわたしったらまだ一文字も読めてないよ。そう言ったなら、ちょっとこゆりさん、せっかくの初書籍を勝手に変なサゲに巻き込むのやめてよ〜!って言って笑ってくれるかな。
そんなことを考えているうちに有楽町に着いたので、電車を降りて三省堂書店に行き、尼のような子を探した。それはとてもあっけなく売られていたので、「著者直筆サイン本」の腰巻きがついたものを、えいっ、と手に取ってレジへ向かった。

〔2〕につづく。

2014-04-07 | カテゴリ: weblog, きらくなはなし | タグ:  

 

【読んだ思い出】誰も懲りない/中村珍

感想ともいえないような「読んだ思い出」程度のおぼえがき。なのでネタバレはありません。

寝る前に読むのに適した話じゃなかったかもしれない、と思いながら寝る前にベッドで読んだ。
目を覆いたくなるような受難が描かれてる話って、どうしても内容紹介に「壮絶な」とかついてくるし、そうすると物語の本文よりもその「壮絶な」ってところが何もかもを喋らされるというか、とにかく壮絶な話なんですよってことが大事なことになっちゃってる売り文句をつけられがちだなあ、と思うことがある。
そういう売り文句とセットで世に出されてしまうのはその方が売れるからなのだろうけど、「ほらこんなに壮絶だよ!」って売られるさまや、「これしきの壮絶で感動するかばーか!」って受け取られているさまを見るとなんだかしらける。たいていの著者は壮絶くらべにエントリーするため本を著したわけではないと思うから。
『誰も懲りない』はそういう目にあわないといいな、知ってる範囲内ではあんまりあってなくてよかったな、って思いながら読んだ。

江國香織に「流しのしたの骨」という作品があってわたしは好きなんだけど、途中から頭の片隅で「流しのしたの骨」のことをぼんやり思いながら読み進めていた。
みんなで感想を書くサイトとかでは「ほっこりしました」「家族とはこうあるべきだと思いました」なんて言われてることも多いけれど、でも家族、家庭というものの閉鎖性や独自性を相当シビアに書きあらわした作品だと思う。家庭のことって、何が普通で何が普通じゃないとか、どこまでが正常でどこからは異常だとかそんなことこの世のだれにも言えやしないよね、ははん、って。江國香織はその本についてのインタビューか何かで「よその家というものは、たとえお隣であろうとも海外よりも遠い」みたいなことを言っていた。
家族というものも、そこで培われる個人とその価値観も、人が無邪気にぼんやりイメージするよりずっとグロテスクだし残酷なものだ。ほんとうはみんなそのことを知っている。温もりも安らぎも、そのグロテスクなものの中に息づいている。

読み終わって、これといった感想を言葉にまとめられないまま眠ったら著者が夢に出てきた。
珍ちゃん(と夢の中で呼んでいた)とわたしは他に誰もいない大きな家に軟禁されていた。誰に閉じこめられているのかは分からなくて、ただその家にはどこにも窓やドアがないのだった。
珍ちゃんはダイニングのテーブルに紙をひろげ、ペン一本でいろいろな食べ物の絵を描いた。そうするとまるで子供が夢見る魔法のように、絵の中の食べ物は実物に変わる。もちろん上手に描いてくれるから生まれる食べ物のクオリティも高く、なのでわたしたちは飢えずにすんだ。
ところが厄介なことに珍ちゃんの魔法の手は、出来上がった食べ物に触れるとたちまち腐らせてしまうという力も同時に備わっていた。しょうがないのでわたしが食べさせてあげた。「一口のサイズがなんか合わないんだよねー」と言われながら。
ときどきささいなことでケンカをすると、珍ちゃんは「もうマクドナルドしか描かないから!!」と言って、つぎつぎにハンバーガーを描いては出した(わたしがハンバーガーを苦手なことは現実と同じだった)。得意そうに「いぇーいムッダーナ!!」とはしゃいでみせる珍ちゃんは、とても憎たらしくて最高に可愛らしかった。最後は雪だるまの絵をたくさん描いてくれて、わたしが機嫌を直したところで夢は終わった。

ムッダーナのくだりは、以前わたしが現実の世界で中村珍さんとお喋りしたときに「マクドナルドのことムッダーナって呼ぶと偉そうで愉快だね」みたいな他愛ない話をしたので、そこからの引用だと思う。楽しかったので覚えている。雪だるまの絵は『誰も懲りない』本編の、登志子さんが学校を辞めたあたりに出てくる雪だるまのことをわたしはひと目でたいへんに気に入ったので、それでだと思う。

目が覚めて、ああわたしのものさしは珍さんのこと好きなんだな、と納得した。

あと、どうしても途中で「LUNA SEAの河村隆一が上原多香子のソロをプロデュースしたことがあった」という忘れきっていた記憶が甦ってきたよね。これはしょうがないよね。

2014-03-19 | カテゴリ: weblog, きらくなはなし | タグ:  

 

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