おはなしノート

【読んだ本】尼のような子/少年アヤ〔1〕

発売日に手に入れるためamazonで予約しようかと思ったけれど、なんとなくしそびれた。
気持ちのよい休みの日に出かけていった本屋さんで買いたいな、と思ったのだ。
それもターミナル駅の大型書店より、そのへんの○○書房がいい。
近くには古い大学があり、おそらくそこへ通う男の子がぎこちなくエプロンを着けて働いている本屋さん。

書名とISBNのメモを渡すと、では入荷次第お電話しますんで、とレジにいた男の子は言ったけれど、発売日の3月3日にしかし電話はかかってこなかった。
twitterには購入した人の感想などがちらほらと現れ、いいなぁと思いながらそれを見ていた。
読んでよかった、面白かった、と興奮気味のツイートを見るとうらやましくて、薄目で眺めるようにした。
次の日も電話はかかってこなかった。その次の日も、一週間が過ぎても。

3月12日、レジには別の男の子がいた。
あのう、お願いしていた本のことで、と声をかけると、難しいことを頼まれたらどうしよう、という表情になり、
椎名と申しますがと名乗ると、あっ、あっ、と言ってレジの下からボール紙で出来た箱を取り出した。
それから銀色の目玉クリップで束ねられた伝票のようなものを一枚ずつめくっては「椎名、しいな、し……」と一生懸命に探しはじめた。

椎名様、と書かれた紙は、ついに見つからなかった。

あっ、とまた彼は小さく呟き、今すべて確かめ終えたばかりの伝票の束をもう一度持ち直した。
そして改めてまた最初から一枚ずつめくり始めた、しいなしいな。
5枚ほどめくられたところで、わたしはなんとかしなければという義務感のようなものに駆られて言った。
あの、お願いしてたんですけど、別のところで手に入ったので。入荷がまだのようなら取り消していただこうかと思ったんです。お金も払っていないので、あの。
あっ、あー、と彼は言い、握りしめた伝票の束をほんの少し上下させた。
キャンセルできますか、すみません。そうわたしが言うと、あっ、はい、と言ってから少し間があり、ぺこりと頭を下げた。
お願いします、とこちらもおじぎをした。
その間わたしは彼の目を見過ぎないように、なんとなく頬から首筋の辺りに視線を置いていた。色白で、きめの細かい肌の男の子だった。彼はずっと、わたしではなく、わたしのコートの袖口についている白いファーを見ているようだった。

店を出て、地下鉄に乗った。
今のできごとをアヤちゃんが知ったらなんと言うかしら、と思った。

ネット上で知り合った頃アヤちゃんはまだ学生さんで、韓流スターを熱烈に愛し、新大久保のことをよく話していた。わたしとはこれといった共通点も見つからなかったけれど、アヤちゃんはとても輝いて見えて(その頃からたいへんに文章がすばらしかったのだ)、話しかけずにはいられなかった。
やれ電器屋の店員が可愛かっただの、縁結びのお守りを買いたいだの、夜中にとりとめのない話をした。

その中でも、自分の苦い思い出やテンションの下がるような出来事を「サゲ」エピソードと呼んで多少自虐的にユーモラスに語ることが、アヤちゃんはほんとうに上手だった。その面白さに、まわりに集まった女の子たちも安心して自分の過去の経験を披露しては笑い合う光景がよく見られた(サゲを集めたイベントまでやっていたと思う)。

わたしも楽しくなって、むかし街中で暴力に遭い、駆け付けた警察官の前でわんわん泣いたエピソードなど話した。保護されたあと、パトカーで家へ送り届けてもらう途中で若いお巡りさんが運転を誤って車体を盛大に擦ってしまい、乗っていた一同で「ああっ……」としょんぼりしたということも。
聞かされたアヤちゃんは、降りかかった受難を自らに留めず警察官まで巻き込んで厄を払ったんですね、最高にかっこいい、みたいに言って面白がってくれた。嬉しかった。

ねえアヤちゃん、買えなかったよ。予約してたのに買えなかったよ、もう世に出てから10日が経とうとしているのにわたしったらまだ一文字も読めてないよ。そう言ったなら、ちょっとこゆりさん、せっかくの初書籍を勝手に変なサゲに巻き込むのやめてよ〜!って言って笑ってくれるかな。
そんなことを考えているうちに有楽町に着いたので、電車を降りて三省堂書店に行き、尼のような子を探した。それはとてもあっけなく売られていたので、「著者直筆サイン本」の腰巻きがついたものを、えいっ、と手に取ってレジへ向かった。

〔2〕につづく。

2014-04-07 | カテゴリ: きらくなはなし | タグ:  

 

【読んだ本】誰も懲りない/中村珍

感想ともいえないような「読んだ思い出」程度のおぼえがき。なのでネタバレはありません。

寝る前に読むのに適した話じゃなかったかもしれない、と思いながら寝る前にベッドで読んだ。
目を覆いたくなるような受難が描かれてる話って、どうしても内容紹介に「壮絶な」とかついてくるし、そうすると物語の本文よりもその「壮絶な」ってところが何もかもを喋らされるというか、とにかく壮絶な話なんですよってことが大事なことになっちゃってる売り文句をつけられがちだなあ、と思うことがある。
そういう売り文句とセットで世に出されてしまうのはその方が売れるからなのだろうけど、「ほらこんなに壮絶だよ!」って売られるさまや、「これしきの壮絶で感動するかばーか!」って受け取られているさまを見るとなんだかしらける。たいていの著者は壮絶くらべにエントリーするため本を著したわけではないでしょうにと思うから。
『誰も懲りない』はそういう目にあわないといいな、知ってる範囲内ではあんまりあってなくてよかったな、って思いながら読んだ。

江國香織に「流しのしたの骨」という作品があってわたしは好きなんだけど、途中から頭の片隅で「流しのしたの骨」のことをぼんやり思いながら読み進めていた。
みんなで感想を書くサイトとかでは「ほっこりしました」「家族とはこうあるべきだと思いました」なんて言われてることも多いけれど、でも家族、家庭というものの閉鎖性や独自性を相当シビアに書きあらわした作品だと思う。家庭のことって、何が普通で何が普通じゃないとか、どこまでが正常でどこからは異常だとかそんなことこの世のだれにも言えやしないよね、ははん、って。江國香織はその本についてのインタビューか何かで「よその家というものは、たとえお隣であろうとも海外よりも遠い」みたいなことを言っていた。
家族というものも、そこで培われる個人とその価値観も、人が無邪気にぼんやりイメージするよりずっとグロテスクだし残酷なものだ。ほんとうはみんなそのことを知っている。温もりも安らぎも、そのグロテスクなものの中に息づいている。

読み終わって、これといった感想を言葉にまとめられないまま眠ったら著者が夢に出てきた。
珍ちゃん(と夢の中で呼んでいた)とわたしは他に誰もいない大きな家に軟禁されていた。誰に閉じこめられているのかは分からなくて、ただその家にはどこにも窓やドアがないのだった。
珍ちゃんはダイニングのテーブルに紙をひろげ、ペン一本でいろいろな食べ物の絵を描いた。そうするとまるで子供が夢見る魔法のように、絵の中の食べ物は実物に変わる。もちろん上手に描いてくれるから生まれる食べ物のクオリティも高く、なのでわたしたちは飢えずにすんだ。
ところが厄介なことに珍ちゃんの魔法の手は、出来上がった食べ物に触れるとたちまち腐らせてしまうという力も同時に備わっていた。しょうがないのでわたしが食べさせてあげた。「一口のサイズがなんか合わないんだよねー」と言われながら。
ときどきささいなことでケンカをすると、珍ちゃんは「もうマクドナルドしか描かないから!!」と言って、つぎつぎにハンバーガーを描いては出した(わたしがハンバーガーを苦手なことは現実と同じだった)。得意そうに「いぇーいムッダーナ!!」とはしゃいでみせる珍ちゃんは、とても憎たらしくて最高に可愛らしかった。最後は雪だるまの絵をたくさん描いてくれて、わたしが機嫌を直したところで夢は終わった。

ムッダーナのくだりは、以前わたしが現実の世界で中村珍さんとお喋りしたときに「マクドナルドのことムッダーナって呼ぶと偉そうで愉快だね」みたいな他愛ない話をしたので、そこからの引用だと思う。楽しかったので覚えている。雪だるまの絵は『誰も懲りない』本編の、登志子さんが学校を辞めたあたりに出てくる雪だるまのことをわたしはひと目でたいへんに気に入ったので、それでだと思う。

目が覚めて、ああわたしのものさしは珍さんのこと好きなんだな、と納得した。

あと、どうしても途中で「LUNA SEAの河村隆一が上原多香子のソロをプロデュースしたことがあった」という忘れきっていた記憶が甦ってきたよね。これはしょうがないよね。

2014-03-19 | カテゴリ: きらくなはなし | タグ:  

 

2月に読んだ本のメモ

最近買った本をかんたんにメモ。内容には触れません。ネタバレないはず。
椎名家には「カバーのかかっていない書籍は共有財産であり、押しつけがましくテーブルの上に置いておいてよいし購入者にことわることなく読んでもよい」「どんなに短くても感想を言い合って読了とする」という謎のローカル文化?がいつからかあるため、マミさん(椎名の戸籍上の母親。みたらし団子と嵐の大野くんを好む)の感想も一緒に書いておきます。


繊細で可愛くて、愛にあふれたキラキラしてる本!
ああ、並々ならぬ思い入れとともにこの世に送り出された作品なんだなあ、という感じがひしひしと伝わってくる、ちらりと見ただけでも。ノンブルの隣にも小さな絵が添えられてたりするんだよ。
読み終わるにはけっこう長い時間がかかった。内容が難解なわけじゃなくて、なんて言ったらいいんだろうね、絵なの。中身のページひとつひとつが。だから、コマを目で追うんじゃなくて、絵を一枚ずつ見入る感じになって。でも漫画を読み慣れている、読める人にはなんなくできることなのかもしれない。わたしは漫画を読むこと自体がとても不得手(コマや吹き出しをどの順番で読めばいいのかを常に迷っているような状態)で、慣れてない方なんだけど、そのせいか一歩ずつ足元を周囲を確かめながら読み進めていく感じだった。細かく書き込まれたひとつひとつがため息出ちゃう感じ。収録されているのは5編なんだけど、うんと長い物語の中にいたみたいだった。
「不得手」とか言いつつもいつになくご機嫌で買った理由は、作者のともさくらさんのお身内がわたしの友だち、というご縁。その友だちのことまでも眩しく輝いて見えます。よくぞ先生を支えてくださった。そんな気分に。

マミさんのコメント「思ったより難しかった。見るとこいっぱいあるねー。なんか映画みたい。この、なんの説明もなく<外国、たぶんフランス>って自然に、特に屋内の絵でわからせるの、すごいよね。絵描きさんってすごい。この本が最初は真っ白いただの紙なんだもんね。信じられないわ!」
「これは雑誌で連載してたの?」(そうですよ)「りぼんとか?」(あなたりぼんしか知らないんでしょう!OPERAっていうBLのコミック誌だよ)「BL?ボーイズ?……あ、そうかみんな男の人の話だね。言われてみれば。こぐまの子はどんな恋をするのかしらね」
「これが初めての本なの?」(そうだよ。まだうんと若い方だよ)「すごいわねえ。立派ねえ。でも、もっとこう描きたいんだ……って理想とかじれったさもご本人にはあるんじゃないかしら。先が楽しみね」


うおおおおおおお!んああああ!いやだいやだいやだ。怖いよう怖いよう。こわい!でも読んじゃう!いや!でも読んじゃう!これもあれも伏線!?読み返したい……でもダメ!止まんない!あああ一気読みしちゃうううう!!
……そして後味は最悪です。ぼう然とするしかない。
なのに、なんだろう、この、脳みそが満足しているこの感じ——!!!
わたし、ページをめくるのはまあまあ速い方だと思うんだけど、これは速読っぽくパッパッパッて読み方ではなくしっかりきっちり読んでもなおすらすらと読み終わった。それはね、引っ掛かりがないんです、文章に。立ち止まらなくていいの。勝手に連れて行ってもらえるの。するするすると滑らかに読めるの。変な日本語だけど。
登場人物の台詞は必ずしもリアリティ一辺倒じゃなくちょっと舞台っぽい書き方をしてあって、でもなんだかそれがいいの。現実にその年頃の女の人が喋っている言葉そのままを文字にしたら、ぴりりとしないというか……たぶんこんな風には気持ちよく読めないんじゃないかなと思った。
男性の作者が女性の日常を書くものを読むと、作中のおしゃべりの話題や登場するブランド名などの選定が大変だったのでは、などと野暮な勘繰りをしてしまいますが、それも大丈夫。指が止まるような「えー……」と思わせるようなズレはない。なんかさーあるじゃん、それはさすがにヘンだよって言いたくなる案件。キャンメイクとブルジョワとエリザベスアーデン、みたいな並び方してたり、ひどいとLANCOMEのことランコームって書いてたりとかそういう台無しがっかり案件!
なによりも不思議なのは(作者の井上剛さんとは何度かお話させていただいたことがあるのですが)、あんなに優しくてユーモアにあふれた井上さんのどこからこんな緻密な残酷さが紡ぎ出されるのかということです。それが、作家ということ、なんですね。さすがですとしか言えない。ひれ伏すしかありません。

マミさんのコメント「ひさしぶりに一気読みした……どうにも止まらなかった……なんなの……なんなのこれ……」
「10ページくらい読んだところで、あっこれだめだ、途中で閉じることは許されないやつだ、と思って慌てて意を決してしおり挟んでコーヒー入れた。そんで厳かに腹を括って読み始めた。読み終わったらコーヒーそのまんま冷たくなってた」
「女同士の嫌な類の他愛ない井戸端感?その底板めくったところにあるおっかないもの、よくここまで書けるね?しつこいくらいよく書けてるよね。男のどうしようもなさもちゃんと書けてるしもう勘弁してほしい。ああやだ。ああやだもう。なんなのこれ……」


待ちに待ったアヴァール!大好きな珍ちゃんのアヴァール!本当に数少ない「わたしの好きなマンガ」といえる存在。これでおしまいなのは残念だけど、これからもことあるごとに読み返すと思う。お金の話を誠実に真摯に、でも楽しくできるような大人にわたしもなりたいものです。
交際しているわけでもない相手からあんな風に「仕事を辞めてくれ」とお願いをされて困ってしまう、というシチュエーションはわたしも身に覚えがあり、くぅぅ……と思いながら読みました(断る理由は同じではないにせよ)。あと「キャミ」という言葉を使っていきたい。
マミさんのコメント「おおお……おおおおお(60ページを読んで悶絶、のち大笑い)おっしゃる通りでございます!ぐうの音も出ないぜ!!!!」
「珍さんって、きっととても真面目な子なのね、そしてちょっぴり、照れ屋さんかもね」
「中村珍、って、本名?」(ちがうよーそれはさすがに!)「あ、そか。でも可愛いじゃない、ちんちゃん、って。これから流行るかもよ」
「(本を閉じ)ん?……この表紙……表紙だけはちゃんとしたフリしてなかったっけ2巻までは!?うふふ!」

2014-02-24 | カテゴリ: きらくなはなし | タグ:  

 

あのゲームまだやってんの?

「ところで椎名さんモンハンまだやってるんですか?」
と聞かれるたびに申し訳ない気持ちでいっぱいです。すみません。
だいたいそうですね、テツカブラ前後で挫折しました。思ったより早くてびっくりしたでしょう今。いいんですよ正直に言っても。

もともと現代のテクノロジーに適応できていない仕様のわたしは3D酔いを得意としており、どうにか薄目を開けて連続してプレイできるのがだいたい20分、よくがんばって30分というところだったのですが、テツカブラあたりから30分では何もできなくなり。
同じころ青いクマの衣装を一式揃えたのでそれに達成感を得てしまったことも後押しとなりました。また同じころどうにもこうにもやる気のないしょぼくれた人ばかりの村にうっかりとやる気を授けてしまったショックもありました。あの人たちの夢も希望もなさっぷりに共感しまくってたのに!!
そんなこんなでわたしの狩猟生活は緩やかに終わりを迎えたのです。眩暈とともに。

あの村のしょぼくれかげん、ため息かげん、本当に好きだったのに。晴れて人間らしい希望がみなぎったその村にはもうわたしの居場所はありませんでした。

今はときどき思い出したら電源を入れて、キノコ狩りをしておうちに帰って電源を切っています。キノコ狩りはいいですよ。薄目でもできるから。

「ところでこゆりんはまだときレスやってるの?」
これも聞かれます。100%挫折しただろうというニュアンス含みで聞かれます。

ところが続いてるんだな。熱心にやってはいないのですが、一応続いています。レベルは今92です。同じ時期から始めた人の中ではだいぶ低いと思われますし、店の面積もいまだ6×6です。でも一応続けています。
だって、フレンドのみんながかわいいんだもん……。
だってだって、夏には暑いねと言い合い、冬には寒いねと言い合い、ゲームの中のストーブなのに「暖まっていってね」と言い、今日はなにいろの椅子に座った? とか、クエストえげつないねえ! とかテレビってこれかよおぉぉぉお!! とか叫んでみたりするんですよ(厳しいクエストを乗り越えれば限定アイテムのテレビが手に入るということでがんばったものの、いざ配布されてみたらそのテレビのビジュアルがちゃch……いや、シンプルでコンパクトで素っ気なくて一同大ショック事件)。

言い合う、と書いてはみたもののときレスのフレンド機能って別に双方向で会話できるようにはなってないんだよ。STORYシリーズみたいにメッセージボードもないし、相手が自分の店に遊びに来た時にごく短いメッセージを掲げられるくらいなんだよ。なのにみんな工夫を凝らしていろいろ書いてて、その向こう側にいる女の子を想像するとわたしはとても辞められないわけです。アイドルはおまけ。日本のどこかでスマホを握りしめているかわいい女の子たちを想って遊ぶゲームです。
実際のその人が女の子でなくたっていいんです。あのゲームの中でエプロンつけて懸命に刺身を盛っている限り全員乙女ですから。

 

その他最近たのしかったiPhoneのゲームアプリ

最初はツイッターでステキなお嬢さんが「クマトモ」をあそんでいるのがうらやましくてそちらを始めたんですけど、気づいたらついでにDLしたおじさんに夢中でした。おじさんはかわいらしく、あぶなっかしく、健気です。難を言えばきょう現在とっくにレベルがカンストしてしまっていて、ごはんを食べても食べてもいっこうに未来が開けずおじさんが不憫です(バレンタインにアップデートがくるらしいのでそれまでの辛抱だ!)。

 


タワーディフェンスはなんだかんだでこのアプリがいちばん好きかもしれない。何年か前にひととおり遊んで一段落したのですが、最近意を決して課金兵器を入手し(100円で)、新しい世界が開けました。

  • グラフィックが目にやさしい
  • 規則的な効果音を聞いてるとなんとなく癒される気がする
  • なぜ宇宙人は俺たちの羊を狙うのか?なぜ俺たちは羊10頭のためにこんな大それた爆撃で迎え撃たねばならないのか?そのへんがプレイヤーに一切なんにも全く説明されないクレイジーさ

あたりが魅力です。こういう、待ち伏せしてちくちく倒しコツコツお金を貯めて武器を買いドガーン!と吹っ飛ばす、端から敵機が消えてゆくのをニヤニヤと眺めるような陰湿なゲーム大好きです。

2014-02-08 | カテゴリ: weblog, きらくなはなし, たわいないはなし | |  

 

【追記あり】ワーカーズライブ:お肉を食べる日曜日

毎月1日更新のワーカーズライブ、今月はわたしの担当でした。

Worker’s Live!! – お肉を食べる日曜日

このメッセンジャーログ形式には「LINEじゃないの?」とのご意見をいただきがちですが、LINEではないのです。メッセンジャーなんです。なぜなら、俺とパンダが好きだからです。とりわけこのコーナーのことが大好きだからです。みんなも読むといい。そして大人の皆さんはYahoo!メッセンジャーがこの3月で歴史に幕というニュースに過ぎ去りし時の長さを想ってしんみりしてしまえばいいんだよ!我々は今日も年を取っているぞ!

ええと、メッセンジャーがよくわからないナウでヤングな皆さんはパソコン版LINEだと思って読んでくれて大丈夫です。同じです。既読はつきませんが「相手がメッセージを入力中です」みたいな表示が出ます。どうだい便利だろう。

 

ユリコとヒロカズには2年前にも出演してもらったことがあります。

Worker’s Live!! – 彼氏・けじらみ・メッセンジャー

片方が風俗業に就いているカップル、というのをイメージしたとき、この2人のような関係はあまりリアリティがないと受け取られることもあるかな、とも思うのです。「本当に愛しているなら、辞めさせたいと思うはず」「辞めさせないのはお金が目当てだからに決まっている」という考え方がそれなりに普及しているし、そのような考え方に基づくなら、ユリコちゃんは全然愛されてなんかないしヒロカズくんはひどいやつ、ということにもなりかねません。

ある人にとって、パートナーが仕事として自分以外と性的なコミュニケーションを行うことが苦しみであるのなら、そのつらい気持ちそのものを風俗で働く人への差別心と同じに並べることはやはりできません。また風俗で働く人が、パートナーにそれを責められたり退職を勧められなかったために「ということは、自分は愛されていないのだ」と思って落ち込んでしまうケースも、中にはあるだろうしそれもまた辛いことだとも思います。
ですが、現職のセックスワーカーは誰との恋愛も成立しない、交際が継続される場合は愛情そのものが正しくない偽物である証拠だ、というふうに他人が判定することは、これも決してできない、してはならないことだとわたしは思います。

なにを職業としてどう働くか、最後に決定するのは本人の意思、本人の選択で、愛が理由であろうとも他人がそれを曲げさせたり支配することはできません。
(その「本人の選択」がなにかに狭められたり妨げられたりした結果のものだってことも少なくないけれど、そこはまた別の問題で。)
それに現実的な話をすると、風俗で働くに至ったその人ごとの理由を、パートナーの「愛」が補填できるケースって、そんなには、多くないと思うのです(できるならば、もちろんそれはとてもよいことです)。

 

この2人みたいなカップルなど本当にいるだろうか、と思われるかもしれません。でもまったくの荒唐無稽なものでもないはずです。わたしがこの業界で働き始めてから交際した相手はみなさんだいたいこんな感じでした。
仕事中の苦労をぐちってみたり、顧客から感謝を伝えられていっしょに喜んでみたり、馴染みの指名客が身体を壊したときにはひそかに一緒になって心配したり、そんなこともありました。

誤解されたくないなと思うのは、わたしと恋愛関係になった後も「仕事を辞めてくれ」と要求しなかったからといって、わたしの恋人たちが「何も感じていなかった」わけでは決してないということです。
わたしが風俗で働くことを手放しで歓迎していたわけでも、何をしようと個人の自由だからと無関心であったわけでもありません。
彼らの心の中にはそれぞれに、長い時間考えて辿り着いたものや、辿り着かずに積まれた課題があったと思います。わたしと同じくらいに。とてもここへ書ききれないほど多岐にわたって、心配や問題は山積みです。それらもまた、愛ひとつでどうにかできるものではありません。
たとえば、恋愛には肉体関係が伴う場合が多いですから、セックスワーカーとそのパートナーには健康面での課題も生まれます。たとえば、時には友人知人に紹介するにあたって、別の職業についている設定にするような場合もあります。
これらを「セックスワーカーとそのパートナーは衛生管理や健康に無頓着で、友人を騙しても平気でいる非道な人間だからそういうことができるのだ」とすんなり結論づけられることもあります。それはとても悲しく、苦しいことです。

 

内心では大きな苦痛がありながら、わたしの職業選択を尊重するために何も言わずにいるのを見過ごしているとしたらいやだなあ、と思い、そのときどきで交際中の相手にきいてみることがあります。

「わたしが風俗で働いていることが本当はいやですか?」という質問はプレッシャーを与えてしまいそうなので、かわりに「わたしが風俗で働いているがために、あなたにとっていちばんマイナスになっていることはなんですか?」と。

「こゆりちゃんがどんなにお客さんのことを案じていても、満足させられるように心を砕いていても、それをはなから踏みにじることしかしないような人間がいるということ。そういう人が顧客になる可能性をなくせないということ。そこに対して、僕が何もしてあげられないということかなあ」

そんなような答えが返ってきて、嬉しくもあったし、でもなんだかつらくもありました。
わたしもまた、それ(そういう人が顧客になり、こちらを傷つける可能性)に対してどうすることもできない、無力でしかないから。
今はまだ、無力さをわかちあうしかありません。

 

さて、Yahoo!メッセンジャーは3月で終わってしまいますが、msnメッセンジャーは今どうしているのかと思い検索したところ、とっくに終了していました。ああ。我々は今日も年を取っている。

ですがわたしがいちばん懐かしく切なく思うのはいちばん先(2007年)に消えてしまったデリポップです。
デリポップ、青春でした。今でもあのポロリロポロリン♪という音が心で鳴っています。大富豪になったら復活させたいウェブサービスのリスト上位にいつもいるデリポップ。

ニフティはデリポップなき後も「ドーナッツ!」を残してくれているので(超ありがたい)、今でもマイボーやノッキやウーリーに会えます。書籍も出ていて、2冊とも何度も読んで大切にしています。ドーナッツタウンはわたしの心の中にあるよ!!

オンライン絵本「ドーナッツ!」

 

【追記 2/5】( 一部不明瞭な表現があったので加筆修正しました。本文中の「無力さをわかちあう」ことをロマンチックに捉えた肯定的な、賛美するようなご感想を何通かいただき、わかちあえる関係についてよいと感じていただけたのなら、ありがたく思います。しかし、無力さをわかちあうこと自体は決して喜びではありません。わたし(たち)は客となった人からの侮辱や暴力をおそれていますが、誰もがそうであるように事前に回避する手段を持ちません。その不当で不本意なおそれを前にささやかな連帯を得られたとして、「災い転じて福となす」とは違うものなのです。特に第三者から「世にある差別のおかげで絆が深まる」といった評価を受けるのはたとえご冗談であっても非常に悲しく思い、また憤りを感じます。配慮をいただけたらうれしいです。

 

 

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