おはなしノート

ワーカーズライブ:寒くなくなんて、ない

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 寒くなくなんて、ない

ガールズヘルスラボの連載です。

このサイトの作品についてはすべて「経験を元にしたフィクション」と明記してありますが、今回について補足すると

外国人を接待する目的での利用だと言って仲介人を名乗る日本人から依頼を受け、その人物に対してのみ店の者が「当店は風営法に則っており本番行為は云々」という話をした状態で現場に行かされ、しかし蓋を開けてみたらサービスを受ける外国人は全くそれを理解しておらず日本語も通じず絶体絶命となったピョン♡

……という部分に関しては、わたしの身にかつて実際に起こったことです。
もうどれくらいかなあ、何年も経っていますけど。

 

イレギュラーな仕事ではありますが、全くないということもなく、しかし遭遇してしまったら最後というわけでもなく、たとえば現在わたしが働いている店では、まず確実にお断りする案件です。
ただ、それはある程度の期間勤めてきているからわかることであって、その店がどういった方針で仕事を受けあるいは断るのか、その基準を隅々まで働く前に確かめる術はありません。方針そのものがしっかりと存在しない(店長の気分次第とか)、みたいな店もありますし。

個人的な経験からの印象では、面接時に「外国の方も接客する機会がありますか」と訊ねたときのお店側の答えとして一般的なのは
「いや〜ウチは断ってる。まあやっぱりノーセックスって文化じたい馴染みがないだろうし、通じないと厄介なことになるしねえ、だから安心してください」
です。
ええ、先述の経験をした店でも、入店するときはそう言っていましたとも……。

 

わたし自身は英検2級を持っていて(とはいえその大半は既に忘れてしまっている自覚がありますが、それでも)ちふゆちゃんよりはまだほんの少しだけ、英語ができるはずなのです。

しかし「わたしのようなコールガールであっても、日本では合法のサービスとして本番行為を提供することはできない。オーラルセックスと素股、また店の基準で定めたその他の行為なら問題ないのでその範囲内で楽しんでくれ。あなたの世話係がなんと言ったか知らないが、なんでもできる、好きにできると言ったのであれば残念ながらそれは嘘である、虚偽の申告である、こちらの本来のルールに従っていただかないと困る」という主旨のことを説明することは困難でした。それはもう非常に、困難でした。

やっとのことでなんとか言えたとしたって、「キミの発音なんだかよくわからないよ」とでも言われて無視されたらもうおしまいですしね。

(ただ、この「しらばっくれられたらお手上げ問題」はべつに外国の方ゆえでは一切ありません。
だって日本人のお客様が日々「え〜そんなキレイゴト言ったってさ〜」とか「え〜この値段ならできると思うのが当然でしょ?」とか「カタいこと言うなよ〜」とか言いながらごりごりルールを無視しようとしていることなんて周知の事実にもほどがあるからね☆ 問題は、「言葉が通じず、禁止されていることだと分かりませんでした」という言い訳があとから成立しちゃうな、という危惧が現場でたたかう人間の心を重くさせるという点です。)

 

誤解してほしくないのは、決して

外国人のお客さまからの仕事を受ける店 → 杜撰でいいかげん
断る店 → 安全でしっかりしている

という単純な基準でははかれない、ということです(単純な基準、て書いた瞬間にまたコレのことを思い出した)。
わたしとしてはただ、受けるのならそれ相応のサポートとバックアップをキャストに対してしてほしいなあ、と思っているだけなのですが、うーん……今はまだ、夢物語に近いことかもしれません。
ただでさえ普段から、運命を利用者の良心ひとつに委ねられている部分が大きいですもの。ハァン(ため息)。

店(もちろん先ほどの話の店とは別です)のスタッフが面談した上で引き合わせてくれた外国人のお客さまで、長い間に渡ってよい関係を作ってくださった方もいました。「赴任期間が終わって母国に帰ることになりました」と言われたときは淋しかったけれど、かけがえのない思い出がたくさんできましたし、お別れの時にかけてもらった言葉といただいたプレゼントは今も大切にしています。縁あってめぐり会えてよかった、とおそらくはお互いに思うことができて、たいへん幸せな経験でした。

そう、いろんなケースがあるということです。
この「いろんな」の振り幅がすべてにおいてすごすぎるので、下方を底上げしてほしいというか、危険が取り除かれてほしいところなんですけど、ね。

 

ちなみにちふゆちゃんと仲のいいまりあちゃんは前回のストーリーに出てきたまりあちゃんなんですが、どうして友情出演しているかというとわたしの
『こんなテキトーなノリのスタッフばっかりなのあんまりだからせめて同一人物でありますように!』というわけわからん願望のあらわれです♡でもめっちゃいるよねこーゆー人!(笑)


ほんとそうですね。最高です。まりあちゃんも「ちふゆは最高だから!」っていつも言ってると思う。

 

【追記】
ちふゆちゃんが歌ったLet it go に、最後の決めぜりふ(わたしもここが好きです)を言ってあげたのに全然わかってもらえなかったお気の毒な李さんですが、もしもあのあと、ちふゆちゃんが本当に『英語を入れると日本語が出てくるLINEのアカウント』であのメモの訳にトライしたらどうなるのか、実際にやってみました。

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な、なるほど……。
Take care. については「おっ」と思ったんですが、
You’re awesome. はもうちょっとなにかおしゃれにやってほしかったというか、「ものすごい」を「物凄い」としただけでもものすごい感が倍増ですね。うふっ。

そして肝心の一文はこのありさま。しかし致し方ありません。

 

Google翻訳でもやってみましょう。

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1行目については言うことないんですが、そのう、その後が、なんということでしょう。

これさあ、たぶんやっぱり結局まりあちゃんに訊くんじゃないかな……(笑)。
そしてまりあちゃんはすぐにピンとくるか、それか直接Google検索にかけると思うので、正解にたどりつけると思います。よかったね李さん。

2016-11-06 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ: ,  

 

ワーカーズライブ:奇妙な生き物

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 奇妙な生き物1468242942875

ガールズヘルスラボの連載です。
かっこよくはなくて、得体がしれなくて、社交的でも明るくもなくて、何を考えているのかいまひとつよく分からなくて、でもカーテンの向こうにはなにか優しさがあるとちょっと信用できそうなお客さん、

……って、いいよね。という話をタミヤさんとしてたんですよね。それで「キモさやこわさと紙一重のところにある愛しさ」について考えているうちに爬虫類が出てきてしまいました。きもくてこわくてかわいい。

わたしは爬虫類が好きなほうなので、生きているイグアナがいるお家なんぞに呼ばれた日にはテンションがぶち上がってしまいそうですが、基本的にペットがいるお家でデリヘルを呼ぶときには一言申し出てくれたらありがたいなあと思います(だいたいのお店は電話で確認してるけど、忘れちゃったりもするし、あと飼い始めたときとかね)。犬や猫ならいいというものでもないんです。アレルギーがあるコンパニオンが来てしまって、その場でとんぼ返りしなくてはならなくなったらそれは三者全員の損失になっちゃう。わたし自身は犬も猫も鳥も、大好きなのにアレルギー反応が出てしまうなんとも淋しい身体なので、玄関先で不穏なにおいを察知する→かわいこちゃんが「だれかきた!だれ!だれ!」と飛び出してくる→ああっ撫でたい!!→しかし一刻も早く立ち去らなくては→ああああ撫でまわしたい!!!→ポカンとしているお客さん→すごすごと帰る という思い出がけっこうあります。

そういうとき、「じゃあ別の部屋に入れておくから」「うちの子はおとなしいから」「掃除ぐらいしてるから」ってよく言われるんだけど、そういう問題ではないって分かってほしい。触れ合わなければ大丈夫だと思われていることもあるけれど、決してそうとは限らないものですよね(わたしは「一緒に住んでいた彼女と先日破局し、飼っていた猫さんは彼女が連れて行った」という部屋で具合がわるくなってしまったことがあります)。
帰ることを告げたとたんにさりげなく悪態をつくのもやめてほしいものです……(お宅は客を選ぶんですか、とか)(俺が不細工だから逃げるんだろう、とか)(細工の具合はどうでもいいけど失礼な人からは逃げたいものですな♡)さすがにそんな人はたくさんはいないけど。もしかしたら、アレルギー全般を気合いの問題だと思っていて、自分がチェンジされたかのような屈辱感を感じたのかもしれません。そこまで説明して差し上げる時間はないので、耳を塞いで後ずさりするしかないよ。すごすご。


「俯瞰祭」ってなんかいい言葉。
わたしは、どうだろうなあ、仕事中にちょっと客観的になってることも確かにあるとは思うんだけど、だいたいはそれどころではないような気もします。それか、高速で絶え間なくばばばばばっとスイッチングしてるかもしれない。サブリミナル的に挟み込まれる俯瞰の図。
すべて終わってドアを閉めた瞬間、シュン、と切り替わってものすごく突き放した視線で振り返っちゃったり。
良くない意味で気の抜けないお客さんといて、内心でずっとピリピリ警戒しながら、その場で対策を練り演技プランを立てては即実践し、結果をみて次の手を考えて、という感じになっている余裕ゼロのときになぜか「あーあ、この人ぜったい似たようなことでたくさんの女の子に嫌われてきたんだろうなあ」なんて0.01秒思ってしまったり。これはたびたびありますね。

機嫌を損ねないようにこちらに不利な要求をはねるとか、そういうことがメインの仕事になっちゃってるとき。交渉していると相手には感じさせないように、交渉しなくちゃならないとき。
そういうときは、とっさの俯瞰や客観視の果てに従順と寛容が混ざってよくわからないものになってしまうことがある気がします。
無関心の強い支えによって従順になれることもとても多い。それから、諦念も。あきらめの気持ちがわたしを優しい女にすることはよくあります、お客さんにも、お店にも。

それにしてもホームページの売り文句に「従順」と書かれるって、おそろしいよね。

ああそれから、これは良心的なお客さんとでも起こるけど、触れ合っている最中に「人間ってへんな生き物だなあ」としみじみすること、これはとてもよくある、椎名あるあるです。
なんでこんなカタチして、なんでこんな動きするんだろう、って。ずっと見てるとちょっと気持ちわるくて、ちょっと神聖で、ちょっとやっぱり可笑しい。
仕組みを知ればきっと納得するような合理的な理由があるんですよね。だいたい人体っていつもそう。それどころか、なんてすごいんだろうって途方に暮れてしまうほどの宇宙みたいなシステムが、このちっちゃな骨と肉と皮のところ、細胞のひとつひとつに詰まってる。一方でまだまだ謎のまま、てんで可笑しいまんまの謎もちょっとあるところもおもしろいです。人体の小宇宙〜みたいなテレビ番組けっこう好きです。

そしてまりあちゃんが言ってたみたいな、「お互いを思い出すこともなく、運命にかかわることも特にない」くせに「この人の興味と快感が欲しい」。っていうやつ、この辺は個人によってとても違ってくるところだと思うけど、わたしにはしばしば自然に起こることなので、変なの、っていつも思います。変でおもしろい。お客さんがわたしの身体やなんかにふとした執着を見せてくれるときも、ああおもしろいな、って思うことは多いです。とっくに射精してしまっていても、身体のどこかをそうっと、宥めるように撫であうことってよくありますよね。なんでさわりたいの、と聞いてしまえばたぶんあまり考えずに「きみがかわいいからだよ」とか「おれ男だからしょうがない」とかのすぐ言える答えをツルリと答えて済まされてしまうんじゃないかと思うけど、それでは説明しきれていない気がして。
ちがう人間の皮膚がくっついたときになぜか生まれる不思議な気持ちよさが、家族でも恋人でもないわたしとであっても得られることを知っているから手を伸ばすのではないかしら。満員電車ではだめなのに。そのくせ、多くの人は「愛する気持ちがあってこそスキンシップはよいもの」「築いてきた絆があってこそセックスは」と言いたいように見えます。
ほんと、へんな生き物です。

 

ずっと前のことだけど、それまでわりと淡々とサービスを受けていたお客さんが、すっかり着替えてあとは帰るだけ、となったわたしに向かって「いま自分の心に『帰したくない、名残惜しい』って感情が生まれてきて驚いています」と言ってくれたことがありました。
女性との性的な接触によって快感を得る目的で利用したつもりだったし、相手については自分の性的興奮をそがない容姿でありさえすればそれ以上は興味がなかった、と。けれどわたしに対して「いろいろしてくれてどうもありがとう、もっと一緒にいたい、好かれたい」という気持ちが生まれた、プロに対していわゆる擬似恋愛を求めたり、さらに恋愛感情を持ってしまう人をどこかで下に見ていたけれど、自分にもエモーショナルな衝動が起こることがわかってびっくりしている、考え方が変わる気がする。
そんなようなことを、さらりと笑顔で言ってくれた。
嬉しかったです。その人が、会ったことのなかったご自分と出会うところに一緒にいられたことも、もっといたいと思ってくれたことも。

知らないへんな生き物どうしでさわりあって笑顔になって、ときどきお互いにふと自分を客観的に見ちゃって可笑しくなったりもして、そしてなんだかんだで幸福感など感じちゃったりするなんて。この生き物あなどれません。ちょっと、いえかなりきもいし、どうにもこわいですし、そしてどこかかわいい。

いろいろ大勢の人にとっての「ゆきずりのへんな生き物」になる身としては、せめてできるだけ寛容で気のいい生き物でありたいものです。

2016-07-13 | カテゴリ: weblog, たわいないはなし | タグ: ,  

 

ワーカーズライブ:99 / 100

ガールズヘルスラボにて、3月のワーカーズライブを担当しました。
毎月1日更新のワーカーズライブですが、うっかり入院&プチ手術するという失態をおかしてしまったため今回に限り一週間延期をさせていただきました。すみません。
外見に傷が残る類のものではありませんでしたので失職や移籍の心配(審美的な面での問題で、セックスワーカーの病気やケガにはこの問題がついて回ります)もありませんでした。お知らせした方々にはご心配をおかけしました。もうすっかり元気です、口座の残高以外は。

入院前にだいたい頭の中で考えていたものは全然違うストーリーだったのですが、術後の湯船に浸かれない期間がわたしの予想よりも少し長く、書いている途中で自分がつくった登場人物の入浴シーンが羨ましすぎて気も狂わんばかりに嫉妬してあばれてころげてワンワンさめざめ泣いてしまいそうでしたので、全部やめました。入浴の離脱症状でしょうか。
かわりに書いたのがこれです。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 99 /100ghl1603

口コミや店に連れてくるというのではなく、こういう個人的な形でわたしに直接お客さんがお客さんを紹介してくれるということ、ときどき驚かれますが何度かあります。わたしに明かされなかったケースもきっとあると思うので、もっとあるんでしょう。一体どうしてそういう話になるのか、どういう心理でわたしをシェアしているのかは理解していませんが、とくに嫌ではありません。
お友達だったり、会社の同僚だったり、上司から部下も部下から上司も、いろいろあります。複数人で来るお客さん方と同じように「これってあとで全部『男子会』で喋られるのかな……」と思うとやりにくいことこの上ないのですが、どうしたことか、こういう個人的紹介で出会ったお客さんはだいたい安全性が高いというか、乱暴だったり無理難題を押しつけてこない方がほとんどなので、もしかしたらあちらも「悪さをしたらチクられる」と思っているのかもしれませんね。

 

トモヤくんがしていたような根掘り葉掘りの質問攻撃、中高年だけに伝わるウザ芸のようなイメージがありますが、20〜30代の若い方でもやっぱり、あります。
なのに、わたしの答えにはそれほど興味がある様子ではなく、ただひたすらにデータを集めることに必死になっているような……そんなときなぜと問うと、しばしば返ってくる同じ答えがあります。

本当の君を知りたいから。素の君でいてほしいから。

じゃあ聞くけど、あんたにとって本当って何?
——なんてもちろん言い返しはしません。ただ、心の中で「フーン」と思うだけです。古田新太の顔をして。

「素」を求められることの多さは、セックスワークを経験していない方にもなんとなく想像してもらえるのではないでしょうか。
風俗店のレビューサイトでは、その客の期待と比較して声が小さかった場合は「やる気がない」と書かれ、大きかった場合は「演技がハデ」と書かれ、丁度よかった場合は「素で感じていた」と書かれがちです。
会話が盛り上がった場合は「心を開いて話してくれた」、盛り上がらなかった場合は「無駄話をされたので時間稼ぎだろう」、会話自体が上手くいかなかった場合は「なんか暗い」。

「僕の前でだけは仕事を忘れて素になっていいんだよ」という言葉も、たいへんありふれています。ありふれすぎて「伝えたいこの想い〜♪」みたいなひとつの決まり文句になってしまっています……聞かされる方にとっては。
でも、もしも本当に「仕事ではない、素」であるとしたら、なぜ目の前にいるこの他人と親しく話し、それどころか性的な行為をしようとしているのかの説明がつきません。本当はお客さんの側も気がついている事実です(例外もありますね……)。

わたしたちが求められて精一杯差し出す「素」とは、「そのお客さんの求める満足からできるだけギャップがなく、かつ自分の不利益や危険につながらない態度を『素』として演じる」ことです。なので、わたしたちは「よりよい素」を演じるための努力をします。
名前も年齢もその他のプロフィールも、これまでしてきた恋の思い出も、今この瞬間の心模様も。
努力がうまく実れば万々歳ですが、これを「詐欺だ」「騙された」と解釈し、好まない人もいるでしょう。それならそれで、はじめから「素」を求めず、素を暴くための質問もせずに別の会話を楽しむこともできます。「この子は仕事とは関係なく俺に好意や恋愛感情があるから行為を楽しんでいるのだ」と思い込むことだけが、性的サービスの楽しみ方ではないですし、それをよく知って遊んでくださる人もたくさんいます。
ただなんの義理もない他人との濃密な接触を求め(もちろんこれは正当です、対価を払っていればね!)ながら同時に「素」を要求し、さらにそれが本心であるかどうかを疑い証明しろと迫る人も、後をたたないんですよね。それはあまりにもサービス労働のさせすぎじゃないかしら、と思います。

 

わたしが個人的に「素」を求めて楽しもうとするお客さんに気を許さないのは、その流れで恋愛感情を求められるのがとてもやっかいだからです。
性的なコミュニケーションは恋愛感情を持つ相手とのみ行いたい、という希望を個人が持つとき、それは誰にも口出しできないもので、尊重されるべきものです。当然ですよね。
でも、それがいつの間にか「恋愛感情の介在しない性的なコミュニケーションは誰にとっても不当/不自然/不本意」というものに変わってしまっていることがよくあり、これはとても危険です。女性限定で適用されたりもしますね(女には性欲がないから、恋愛感情のみがセックス欲求の根拠であるということでしょうか。よくわかりません)。

なぜこのすり替わりが危険なのかは、あとはもう「好きでもない相手と、金のためにそんなことするなんて」に簡単になっちゃうからです。恋愛感情に基づかないセックスをする人間が、しない人間よりも間違っていて汚れていて劣っていて見下されるべきだ、という規範があっという間に全員をふるいにかけて蔑みや差別心を楽々と作ってしまうからです。見当違いの哀れみや憎しみなども作りますね。そしてわたしのメールボックスに「はじめまして、死ね」というお便りが舞い込むわけです。心配しなくても待ってればいつかちゃんと死ぬのにねえ。

 

わたし個人に限っていえば、業務上のセックスであっても「恋してる相手ではないから」という理由で仕事に苦痛を感じたことは一度もありません(口が臭いからという理由ならば何百回もあります、そりゃあもう!)。もちろん相手に好感を抱ければぐっと負担は減りますが、それは「いい人だな〜」「常識があるな〜」で十分です。それが最高の状態です。

これはただのわたしの話で、わたしのあり方です。
信じられない、と思う人もいるでしょうし、自分は仮にセックスワークに就くとしてもそういう価値観では働かないだろうなあ、と思う人も、実際に違った考え方で長く働いていらっしゃる人もいるでしょうし、口には出さないけど正直ドン引きだわーと思う人も、自分とは違うけどちょっと分かるとこあるわーって人も、もうどんな人だっているでしょう。どんな人がいたって別にどうだっていいでしょう。それぞれの人が別の誰かの価値観に戸惑うかもしれません、理解しがたいかもしれません。しかし蔑む権利などはありません。
大切なのは誰のあり方がより「普通」でより「当たり前」か、そんなランキングじゃない。そんな物差しでなにを測れるというのでしょう。大切にすべきは、誰のあり方も、他の誰かに侵されないということの方です。

初対面の人から対価をもらって行うセックスに試行錯誤している人も、婚姻届を提出するまではセックスをしないことで愛情を示すと心に決めている人も、誰に蔑まれるいわれもありません。「そのようなことをする/しない あなたはおかしい」と言われる筋もなければ言える筋もまたありません。誰だってです。
それでも何か言いたいなら、誰かを「普通じゃない人間」と扱うことで得られる安心や自信がいまどうしてもあなたに必要なのなら、どうぞ胸の中だけで言ってくださいな。

 

トモヤくんは、どんなにクオリティの高い接客を受けたとしても風俗店では満足できない、「お客さん」として楽しめないタイプの人だったかもしれません。自分の欲求や願望の自覚とか、自分以外のセックスの多様性について考えるとか、そういうことに関してまだ子供だったかもしれません。だけど別れ際の彼は「すごいね」という言葉ひとつの中に、自分の戸惑いをすべておさめました。
「当たり前で普通」の物差しを手放すことはできなくても、それをアリサに向かって振り下ろすことをしませんでした。

だから「好き」という言葉こそ絶対に口にすることはできなくても、部屋を去る最後のときまで何が彼にとってプラスになるのかを彼女は考えていた。人間性を見限った客に対しては、なかなかしたくない努力です。
快適とは言えないしすごく難しい仕事だっただろうし必要最低限の仕事をとうにオーバーしていたけど、きっとあとから思い出すのが嫌な記憶にはならないと思います。しっかしよく働いたよね……。

セリザワさんがどういうつもりで「社会勉強」と言ったかはわかりませんが、たぶんこの人は物差しを持たない、信じない人のような気がします。それではないところでアリサちゃんを「好き」なのでしょう。
そういう人と何かを積み重ねていくと、時々は「好き」という言葉を誤解の恐れなく使えたり、保険証に載っているのと同じ年齢を知られても平気だったり、します。それでなにかが測れるなんて思っていない相手だから。「素」を勝ち取ったなどと思っていないから。
そんなふうな、部分的で外には出ない、名前のつかない好きと好きの両想いがふと生まれるときのあやふやな面白さを「ふーん」と味わっているときくらいが、もしかしたらわたしの素の部分かもしれません。唇の端を少し持ち上げて、ふーんハハッ、と。
なんにせよ古田新太っぽさはあるんですけど。

でもでもでもでもよりによってその年齢をうっかりバラした罪は重いよ!!!ダメ!絶対!!
今度お詫びになにか買ってもらいましょう。

2016-03-18 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ: ,  

 

スティグマの腕に抱かれて (2) 偏見と寝て多様性の夢を見る

前記事からのつづきです。

わたしは思いつく限りの選択肢から、候補を2つに絞りました。
「いやだわ、あなたは普通の女性と幸せになるべき方でしょ」と演歌のような態度で固辞するか、もしくは「少し考える時間をください……」と言ってひとまずこの場をしのぎ、店に事情を話してよい対処法の教えを仰ぐか、です。

後者の方がより波風が立たず、自らを「普通ではない女」と名乗る必要もなく、スタッフの知恵も借りられてよいように思いました。しかし、残念ながらその店には頼れるスタッフの心当たりがありませんでした。見た目だけで戦意を奪えるような腕っぷしの強い人も、理詰めや交渉術で戦える頭脳派タイプの人も、業界トラブルに精通した手練手管の黒服タイプの人もいなかった。そしてそのどれでもないけれどキャスト女性の安全だけは何に替えても守るぞ、という人も、いそうになかった。
力になってもらえる見込みがないことは、日頃の勤務を通して悟っていたのです。
せいぜい、以後その客から指名が入っても「すいませんシーナ嬢はご予約様で埋まってま〜す。ガチャン」と留守番電話のように繰り返し、「義務は果たしたのでどうなろうと店の責任ではない」と言われることになるだろう、と予想できました。それでは幸せを前に足が竦んで逃げ出してしまったわたし(と思われることでしょう)を追いかけようと、客の闘争心に火がついてしまうかもしれません。力尽くでまた姿を現したとして、どこにせよそこが店の管轄外であることは確かです。そうなれば何が起ころうと助けを求めることは金輪際できません。

「どこか田舎の小さな町で、この仕事をしていたことを知らない人とささやかな家庭を築くのがわたしの夢なんです。どんなに傲慢なことか分かっています、愛する人を欺くことだとも分かっています。けれども一度このような世界に身を置いた事実は消せない、わたしにできることはこの秘密を墓場まで持って行くことだけです」

なにやらそんな風なことを言ってわたしは穏やかに、しかし揺らぐことのない決心を秘めた気持ちで微笑みました。彼が無様にフラれる筋書きだけはなんとしても避けるべきだと思い、私のことは忘れて下さい、みたいな路線に賭けたのです。どれひとつ取っても本心ではないし、ちゃんちゃらおかしいし、おぞましい嘘ですし、いつの時代だよ最終章劇場版です。でも全力で取り組まなければ通用しないと思った、そういう緊張感に満ちていました。我に返れば本当に不本意なセリフなのですが、必死でした。

その後、多少の紆余曲折のあと、最終的に彼はわたしを諦めました。わたしは職場を失うことにはなったものの、肉体的には無事でしたし、受けた実害は最小限で済んだと思っています。もちろんもっと優れたやり方があったかもしれませんが、今さら何を言っても仕方がありません。

 

こんなふうなこと。
こんなふうに、世の中にある偏見や差別感情を利用して接客を円滑に進めたこと、ステレオタイプでネガティブな風俗嬢像を利用してこの身を守ってもらったこと……きっと何度も、あります。そのような場に立たされたわたしは、嘘をつくことができてしまいます。あのとき「心根はかわらない」という言葉は、偏見と蔑視だらけの彼のセリフの中で仄白く輝きわたしの胸をチクリと刺しました。だけどそれをも否定した。

わたしは自分を含めたセックスワーカーが不当な扱いを受ける社会を望みません。それはそうです。
けれども情けないことに、このような言動を自分に許さずに生きる強さはありません。
お客さんたちに気持ちよくお金を払ってもらい、悪感情を未然に封じこめ、自分に刃が向くことを回避する——なによりも、そちらを優先して日々働いています。
なぜ自分のみならず他のセックスワーカーを貶めるような卑怯な真似を、と思われるかもしれません。しかし、わたしを非難して一件落着と思われるのも不本意です。
密室の中で相手(それもどのような言動をするかの予測に手がかりの少ない他人です)の機嫌を損ねることにはリスクがあり、未知なるリスクのすべてを丸ごと背負うのはわたしです。あなたに替わってはもらえない。

(後者のケースレベルのサバイバル術が必要となるお客さんばかりってことじゃもちろんないですよ!!大部分の人は「苦界の女を銭で買う」ではなく「それを仕事にしている人からサービスを受ける」と捉えていると思うし、もし聞けばこのぶっ飛んだ時代錯誤感に絶句すると思います。差別的な感情を平気で表に出すような人は、個々の危険性は高いものの人数で言えば稀な存在です)

 

マサキさんは「『セックスワークは生き延びるための手段』と思いたかったのは自分ではないのか」とご自身に向かって問うてくださいました。
わたしもまた「『セックスワークは生き延びるための手段』ということにしておいて欲しいのは自分ではないのか」と問わずにはいられません—— が、堂々と答えることができません。
いつかはそうじゃない社会になってほしい、などと心から思ってみたところで、短期的に、その場の感情として、ないことにはできません。

このようなわたしの弱さと過去におかしてきたこと、そして自己弁護を書き綴ること、読めば快くない思いをされる人もいらっしゃると思います。ですが、書いておきたいと思いました。
マイノリティが、マイノリティ自身の言葉として、偏見の強化や差別の再生産を担ってしまう場面がある、そうすることでしか担保されないものが確かにそこにある。

セックスワークならではの問題ではありません。全然ない。セックスワーク以外のカテゴリ(職業のほかにもセクシュアリティ、病気、障害、国籍、年齢、家族構成、生育歴、身体の特徴など、いっぱいいっぱいありますね)で当事者とされる人の中にも、同じような気持ちの味を知っている方はいらっしゃることでしょう(わたしは持病の話をするときにも、屈辱的な哀れみをシャットアウトするため自ら謙りや自虐的な冗談を口にすること、やっぱりありますよ)。
こちらを傷つけてくるもの、壊したいもの、それを鎧や踏み台にすることの矛盾と情けなさ、少しの白々しさを含んだ苦しみ。個人でどうにかできる重さを超えています。
これを見ない振り、知らない振りは、やっぱりできない。かといってもう二度としませんと詫びることもまたできないわたしのみっともない姿を、せめて隠さずに書き表すことくらいしか今はできそうにありません。わたしがひとりでできることは、それくらいしかないのです。

 

マサキさんが“脳内裁判所”に立っていらしたとき、わたしは原告団のひとり、あるいは裁判員のなかのひとりとしてそれを見つめているかのようでありながらも、同時に傍聴席のすみっこでじっと顔を伏せていました。わたしもおなじなんだよ、と思いながら下を向き、隣に行きたいなあ、とぼんやり思っていました。とんだ分身の術です。なんかずっと昔に笑う犬のなんとかで内村さんが全登場人物をひとりで演じて時代劇やるコーナー[1]なかったでしたっけ? あんなふうになってたよね。
2015年のはじまりには勝手な裁判めいたものに片っ端から連れ出されては一方的に品評されていたわたしですが、2016年のはじまりにも裁きの場所にいたこと、だけど今度は自分の足でそこにいて、そしてひとりではなかったはずだということ、憶えておきたいです。

マサキチトセさん(@GimmeAQueerEye)のお書きになったものをネット上、また書籍で読ませていただく機会はこれまで何度もあり、憧れと敬意を抱いている方のひとりです。LGBTやクィア、セックスワークなど多岐にわたる分野において、勉強させていただいたものはとても大きいと感じていますし、それらに関心を持ち始めた方に紹介したいアカウントでもあります(以前から思いを寄せていらっしゃる方は既にご存知のことでしょう)。クィア英会話も楽しいよ!
今回はわたしのつたない文章を読んでいただいた上さらに考えられる機会を得られて、ひときわ嬉しいことでした。
この記事を書く勇気を持てたのは、ひとえにマサキさんのおかげです。ありがとう。どうかこれからも。

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以前の記事ではこの話題のきっかけとなったものについては伏せていましたが、のちにご本人が言及してくださっていたので紹介することにします。

差別しているわたしがそこにいた – c71の一日

「椎名さんの書いていることがあまり理解できなかった」と正直に書いてくれて、それでもなおセックスワーカーとそこにある問題について考えようとしてくれていること、ありがたく思います。
個人的にお話させていただいた際も「もう間違いたくない、傷つけたくない、正解を知りたい」と言ってくれましたが、しかし当事者のわたしもこのようにもがきあがいているわけで……がっかりさせてしまうかもしれませんが、当事者が答えを持っている、『正しい』考え方を教えてあげられる、というものでは決してないんですよね。少なくともわたしはこんなにグダグダですし、正解、という言葉でまとめて解決できるものだとも、思ってはいません。どんなふうに生きていたい? という問いかけに「これが正しい解答です」を作っては決してならないように。

今回マサキさんやわたしやその他多くの人がこの問題について考えることができたのは、c71さんがわたしに対して、せっかく味方になってあげているのに口答えされるなんて心外だわきまえろ、といった態度(残念なことですが、珍しくないですよね)を取らずに耳を傾け続けてくれる、と信じて指摘するに至れたからです。c71さんにもまた、感謝しています。

「私は偏見などないから差別もしないよ」と宣言してくれる人よりも、「私の言動に偏見を感じたらいつでも教えて」と言って実際に教わり、考え、学びつづける意思を表してくれる人にわたしは安心を感じます。すべての偏見を自覚しているわけじゃない人とでも、話を聞く気持ちを持ってもらえるならばなにか語り合えるかもしれません。
個人の持つ偏見の数をかぞえてその重さを糾弾し合うためではなく、ひとつずつ見つけ解体して手がかりを拾い、お互いが、ひいてはみんながもう少し自由に、楽に話せるようになるためそうしたいのです。もうあとちょっと、いろいろ楽になったっていいと思うもん。

それらはマイノリティとされる人だけが背負う役目ではないと思います。何もかもを当事者性の高い人が担わされるのは無理(負担が大きすぎます)というものですから、さまざまな立場の人が輪になって語らうことになるでしょう。断絶せず一緒にいられるために、マジョリティとしているときのわたしもまた、誰かが「それはそうじゃなくてね……」と教えたい気持ちを持ってくれたときに手のひら返しの恐怖で口を噤ませない、そういう存在でいたいなと思います。

あの歌でしかチューリップ[2]を知らない人が「チューリップってぜんぶ赤か白か黄色のどれかなんだな」と思い込んだとして、それを無知だ愚かだと罵りたくはありません。
ただ、わたしのはこんな色です、とピンク色のチューリップを差し出したとき、「そんなの認められない、作り物だ」とか「私は寛容なので認めたいと思う。大切なのは特殊な例であるという自覚と謙虚さだ」「一般的な3色とは分けて考える必要があるだろう」「赤か白のどちらかを目指す努力もせずに権利ばかりを主張するのはいかがなものか」と言われるのではという恐れが、わたしにこのチューリップを人目から隠させます。
あなたはいつか、わたしの庭でいろんなお花を眺めながら並んで歩いてくれるでしょうか。わたしはあなたのお庭に招いてもらえる人になれるでしょうか。水をあげ続けていればいいのでしょうか。しまわれた球根たちもいつか芽を出す場所を得る日があるでしょうか。春への思いだけが遠くへ飛んでゆきます。

 

ところで上のリンク、わたしの記事のサムネイルが完璧だなー♡

 

  1. 検索したら「ひとり忠臣蔵」でした……ってことは討ち入りシーンとかあったの?見たかった!
  2. チューリップって、花の色や形から大きさから咲き方までものすごーくバリエーションがあり、目にする機会がないわけでもないお花なのでその多様性を多くの人が知っているのに、「チューリップ」とだけ言ったときのイメージはわりと統一されていて、すごい存在だな、ってよく思います。バラもそうですね。
2016-01-08 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

スティグマの腕に抱かれて (1)「セックスワークは生き延びるための手段」ということにしておいて欲しいのは自分ではないのか

昨年末にわたしが投稿したこちらの記事を読んで、マサキチトセさんが執筆してくださったものです。

あの文章は言葉を伴った反響をいただくことが少なく、もちろん気軽に感想を述べやすい話題ではないことは百も承知なのですが、わたしの話が「非当事者は黙れ、何も言うな」と受け取られているのだとしたらちょっとこまるな、と思っていたところでした(「知ったような口を利かないでくれ」というのと「黙れ」とは違いますよね)。
べ、別に誰ひとりよゐこの話に乗ってくれなかったから淋しいとかじゃ、ないんだからね!

マサキさんの記事には、椎名さんの文章を読んで自分の中にあった偏見や暴力性に気づいた、というように書かれていました。けれど、わたしはそれを読みながら、ずっと共感していた。そうだよね、わたしもだよ、と思っていました。やっと思い知ったか、ではなくて、です。

 

セックスワークは、辛い境地で苦渋の決断をもって選択される。
セックスワークは、糧を得るためにやむなく、時に開き直って選択され、しかし働いている者は誇りを持ってその苦悩込みで仕事をまっとうしている。
同情に値する壮絶な人生を必死で生きているのだから、嘲笑するのは知的な態度ではない。

——「セックスワークに偏見はない。差別もしない」と言ってくれる人が、実はこのような認識でいることは少なくありません。その人はおそらく積極的にわたしたちを傷つけようだなんて思っていないし、力になれることがあるなら協力したい、と思ってくれていることもある。
次のページを開けば(これらに当てはまらない場合はお金のためにモラルを捨てた頭の悪い人か、よほど性的に逸脱している気の毒な人なので、福祉からこぼれた可哀想なしかし強く健気な弱者、としてのセックスワーカー枠からは、まあひとまず除外って感じかな)と書かれているかもな……!? と心のどこかでは警戒しながら、しかしわたしはわざわざページをめくりはしません。

風俗嬢なんてみな楽して金を儲けたいだけのバカ女だろう。
若さや美貌をチラつかせるだけでちやほやされ、汗水流して働く人々を腹の中で笑っているに違いない。

あっという間に年を取って見向きもされなくなるとも知らずに何も考えず股を開いて、とはいえまともな仕事には適応不可能なのだろうから仕方ないか。社会の底辺ってヤツも必要だ。

—— 一方で、こんな風に思っている人々も、まだ、います。そればかりか堂々と公言して憚らない場合も少なくありません(さらにすごい版の「売春婦は犯罪者、その罪を恥じ今すぐ死んで詫びてみせろ」という主旨のメールをわたしも時々いただきます)。比べると、先に書いたようなタイプの偏見がだいぶ「マシ」に見えますね。
この手の人々がみんな、前者のタイプに変わってくれるなら……ちっとも正しくないしちっともありがたくもないし長い目で見ればおそろしいけれど、でも……いまこの場に限れば、どんなに楽になるか。どんなに直接の罵詈雑言や暴力が減るか。

もう、そんなんだったら言っちゃうしかなくない? と、わたしも思うんです。言っちゃうよね。「不本意ながらそれでも日々の糧を得るため、家族を養うために必死で働いている人だっているのですよ」って。
「生き延びるためだ、とその仕事を選ぶ辛さがわかりますか」って言うのと、黙っておく(余程白い目で見るなどしない限り相手、そして周囲は同意だとして疑わないでしょう)のとどっちがいいかなんて、誰か答えられるんでしょうか。
マサキさんの記事にあった『少しばかりの違和感』は、わたしも確かに知っているものです。心地の悪さを感じながらもわたしたちを守ろうと言葉を尽くしてくださる人に向かって「その守り方では不完全なのです」と指摘するだなんて、できればしたくないことです。つらいことですし、難しいことです(しかし今回わたしは別の方に向かってそれをしたのですが)。

 

それにわたしもまた、ピンポイントで誤解を解きたいような場面でこの方法をとったこと、全くないだなんてとても言えないのです。

たとえばわたしたちの収入に遠慮なく好奇の目を向けてくるお客さんというのは昔からいるものだと思いますが、今やセックスワークが必ずしも高収入とは呼べなくなってしまったことを彼らは知りません。ただ漠然と、正社員として会社勤めをする女性の5倍くらいの額を「風俗嬢」の肩書きと同時に、全員が自動的に手に入れているのだと想像している、そんな浮世離れした人もなぜかまだちらほらとおられます。
そのような人から無邪気な妬みを含んだ視線を浴びせられそうになったとき、反論だとは思われないように切り抜けて場の空気を保つことが、たしかにあります。

 

「ねえねえ、稼いだおカネとか何に使ってんの?」
「えー?(笑)なんだろ、まず生活費かな」
「は?」
「あっ!もしかして、ホストクラブで何十万円も使って遊んでるとか思われちゃってましたー?ぷー(笑)」
「いや、別にそういう訳じゃないけど。ちょっと聞いてみただけだよ、かなりもらってるんでしょ」
「そうだったらいいんだけどね〜。昔はそういう格好いいお姉さんもいたって聞いたりするけど。今はお家の事情とかでこの世界に入って、生活費と少し貯金できるくらいギリギリ稼いで、って子の方が多いんじゃないかなあ。お客さんの数減ってるし、お店の数だけやたら増えてるし」

(「格好いい」という形容詞にちっぽけな抵抗が込められています)
(「店は増えてる」というのは、都内のデリヘルを使う男性だと風俗ポータルサイトなど見つつ「店いっぱいあるなー」と思った経験のある人は多いはずなので、同意できる事柄を最後に持ってくることで少しでもわたしの言うことを否定せずにいてもらえたらな〜というささやかな心理戦です)(効果があるかはさっぱりわかりましぇん)

「ふーん……いや、無駄遣いしてるとは最初から言ってないよ? けどさ、ほら、自分の店を持つための資金とかでもないの? だって、言っちゃ悪いけど長くやるようなコトじゃないでしょ。今はよくてもどーすんの、将来」
「うん。そりゃあね、いつまでもできる仕事とは、あたしも思ってはないんだけど、でも……でもね、今はいいかなって。まあたまには嫌なこともツラいこともありますけどォ?(笑)、とりあえずこの仕事一生懸命やりながら考えたいっていうか。あーそろそろ××さん(客の名前)来てくれるころかなあ、なんてこっそり楽しみにしたりしながらね、ふふっ」
「へーそっか。ま、なんもできないけど応援してるよ。あれだな、金持ってる男つかまえて上手いことやれたらいいな、それが一番いいよ、うん、それまでは俺のこと癒してね」
「ふふ、心配してくれてありがとう。お風呂いこっ!」

……なんてね、まあなんか、こんなふうに。

 

こんなことも、ありました。顧客のひとりから結婚を申し出られたときのことです。それは、ある日突然に記入済みの婚姻届を持参してわたしの前に置き、俺のところに来なさい、幸せにしてやるから、というものでした(突然の婚姻届、業界外の方には奇妙かもしれませんがちらほら聞きますし、わたしも何度か経験があるのでこれ自体は未曾有の珍事件というわけではないようです)(日常茶飯事だとは言わないしもちろん普通にこわいけどね!)。
年齢はわたしより30歳ほど上で、結婚の話が出ても不自然ではないほどお互いになにかの情を感じていたかというと、そうではありません。接客した回数で言えば「常連さん」ではあるものの、ご指名への感謝以上の好意を示した覚えもありませんでした。彼の方も、比較的よくある「僕たちは恋愛感情で結ばれてる!他の客は引っ込め!」といった勘違いをしている様子ではなく「身請け(いつの時代だよ)して不自由ない暮らしをさせてやるので足を洗え」「秘密は守ってやるから安心しろ」といった態度でした。

これはまずい、どうしよう、と思いましたが、しかしどのようなスタンスでこの場を切り抜けるかを今すぐに自分だけで決断しなくてはなりません。親子ほど年の離れた相手にいきなり婚姻届を出してくるだけで証拠は十分かもしれませんが、普段の会話からもこの方は思い込みが激しくてカッとなりやすい性格、ドラマチックなことが好きで、ご自分に絶大な自信を持っているタイプだとなんとなく感じていました。生意気な女は多少頬を打ってでも「教育」すべき、と思っていることも、かつて披露された武勇伝の内容から把握していました。
下手にプライドを傷つけたら惨事が起こるかもしれない……と怯えました。

彼は「君はたしかに訳あって苦界に身を沈めたが(いつの時代だよ第二章)、心根は普通の女と何も変わらない、俺の目は確かだ」と怒鳴るように言い、感情が昂ぶったのかそれとも演出なのか、ガラスのテーブルを拳でドンと叩きました。怖かった。いよいよ何をされるか分からない、と思ったわたしは内心で震え上がり、さらに神経を研ぎ澄ませました。

 

 

長くなったのでページを分けます。→ 次号「どうなる椎名の絶体絶命!『苦界』は『くがい』と読むんだね!」に続きます。

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