まじめなはなし

よりそいホットライン

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「よりそいホットライン」開設のお知らせ

0120-279-338(フリーダイヤル・つなぐ・ささえる)

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被災地の方々のためのホットラインとして始まった「よりそいホットライン」が、3月11日から31日まで全国24時間で電話を受け付けているそうです。無料です。
「性暴力・DV」を扱う女性の専門回線が設けられています。 (ガイダンスが流れたら3を押すとつながります)他にセクシュアルマイノリティ回線などもあります。

【よりそいホットラインのウェブサイト】
http://279338.jp/yorisoi/

主催:一般社団法人社会的包摂サポートセンター (URL
委託協力:共生社会をつくるセクシュアル・マイノリティ支援全国ネットワーク

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24時間、どんな人の、どんな悩みにも、という言葉に安心感と尊敬をおぼえます。
もうひとつ、3月22日木曜日の25:00から25:55まで、4夜連続で、TOKYO FM 80.0MHzにて「よりそいホットライン開設スペシャル 聴かせてあなたの声」が放送されています。

ustreamはこちら
過去の放送も聴くことができます。

セックスワーカーは特に、ひとに話しにくい悩みや困りごとを抱えていることが多いように感じています。身近ではない相手だから、話すことで気付きを得られることもあるかもしれない。ひとりでは解決できない場所にいるひとの役に立つことを思って、ここに情報を載せました。
電話をかけてみようかな、といま思った方が勇気を出せるように、その悩みがよい方向へ向かうように、わたしも願っています。

2012-03-20 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

HPVワクチンの話(3)接種しました

0210aa
↑むだにはしゃいでみた

(2)のつづき

ようやくここまで来ました。実践編です。
0210b予約時間の少し前にクリニックに到着。問診表と体温計、そして「HPVワクチン(ガーダシル®)を接種される方へ」という文書を渡されます。よく読みましょう(でもたぶん打とうと思っていろいろ調べてきた人にとっては知っていることばかりだと思うので、復習みたいな感じです)。
同じものがアップロードされているのを滋賀県庁のサイト内で見つけました。
ガーダシル®を接種される方へ / pdf:152KB

体温を測って、問診表に記入。受付の方に渡します。
問診表内に記入する必要のある個人情報は、

  • 住所と電話番号
  • 氏名(受ける人が未成年の場合は保護者の氏名も)
  • 生年月日と年齢
  • 最近病気しましたか?お薬のアレルギーがありますか?など各種予防接種でおなじみの質問

です。「性体験がありますか? (いいえ/はい)」みたいなマルをつけねばならなさそうなイメージがあるかもしれませんがそんなことは聞かれません。婦人科だと初経年齢とか妊娠歴とかきかれること多いけど、そういうのもここではないです。
0210ba次に診察室に呼ばれて、医師と問診をします。
わたしは体温がちょっと高かったので(基本的に37.5℃を超えている人は受けられないガイドラインのよう。確かインフルエンザもそうだよね)、「風邪っぽい予兆みたいなものは特に感じていませんか?」と確認がありました。平熱が37℃前後であること、今日も特に不調がないことを伝えてオッケー。
それから、シーズンなのでインフルエンザの予防接種を受けていたため、日数が充分にあいているかの確認。インフルエンザは1週間の間隔が必要なんだって。
0210cまた、性体験後の女性が接種する意義についての考え方と、定期的な検診の大切さをもう一度おさらいし、 接種のスケジュールや費用についても丁寧に説明していただきました。
そして刺してもらいます。うふふ。
「今まさに刺しまーす!って体でいいかしら?あ、箱も入れるといいかな?ちょっとここで持ってて☆」と気を遣ってくれるすてきな看護師さん。接種するときはこうして肩に近いところのお肉をぐぐっとつまんでもらいます。
さきほどもらった文書に「接種後に、注射による恐怖、痛みなどが原因で、気を失うことがあります」という超こわい記述があるのだけど(これビビるよね!おそろしいよね)だいじょうぶです。そんなに痛くはない。ただの注射です。針がありえないほど太いとかそんなサプライズがあったらどうしようかと思った。ふつうだよ!

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でも確かに、HPVってインフルエンザや風疹やなんかに比べたら圧倒的に得体がしれないし、まだ若い、というよりも幼いひとたちにしてみればすさまじい緊張や恐怖があるかもしれない。いったい何をされてしまうんだろう、って。どうせ理解できないだろうと説明をないがしろにするのはよくないけど、でも何をどこまでどんなふうに説明すればよいのか難しそう。なぜセックスがからむだけで物事は難しくなってしまうんだろう。いやセックス難しいしな。というかセックスを取り巻くさまざまなものたちが難しいんだわ。

そういうことを悶々と考えてるうちに終わってました。上の写真はわたしのカルテと、終わった後のグッズ一式。万が一アレルギー反応などが起こった場合のため、接種後30分は院内で安静に待ちます。ソファでゆったりとiPodの音楽を聴きながら、いただいた冊子を眺めて過ごしました。
「ガーダシルを接種された方へ」接種後の注意点や副反応の説明がかかれています。日本でガーダシルを製造販売しているMSD株式会社がつくっているもので、可愛らしくカジュアルな雰囲気。
30分経ったら、体調に変化のないことを確認して、今日はおしまい。翌日まで過激な運動はできません(元々ぐうたらなのでしません)。お風呂は、接種部位をゴシゴシしなければ大丈夫。赤みや痛みの出る人は多いみたいで、看護師さんのおひとりからも「わたしの娘が接種したときは、筋肉痛にそっくりになったって言ってたわよ」とアドバイスがありました。わたしの場合もその日の夜からぷっくりとした赤い腫れと引きつれるような感覚が出て「これのことね……!」とほくそ笑んだものです。たしかに筋肉痛に似てた。それから、熱っぽくもなりました。あとかゆい!すごくかゆかった!そしてかゆいところを触れると熱々だった。

発熱やかゆみは、1〜10%未満の頻度で起こるそうです。わたしの身体がワクチンを「なんか敵が来たぞーやっつけねばー!」と認識しているんかね。2〜3日でなくなりました。
0210g領収証。ぜんぶで3回接種しますがこれはまとめて支払った金額です。費用は各医療機関によって変わると思います。後日わたしの母親に「あれってさーいくらしたの?」ときかれて答えたところ「そうか……いい時代になったけど……金はかかるんだわね……」と言っていました。うむ。高いか安いかということはひとくくりに言えないけれど、がんになった場合や、ワクチンを接種せずこまめに検診を受けた場合など、いろいろな可能性を考える必要がありそうです。

余談ですがわたしの母親は、わたしが婦人科で見聞きしたことの話をよく聞いてくれます。若いころ婦人科系統の病気を患いとても苦労をしたので、現代の医療のようすを聞き「ああ、今の人はもうあのような思いはしないで済むのだ」と知ることがうれしいようです。「いい時代になった」とよく言っています。彼女が初めて婦人科へ行ったのは40年ほど前のこと、膀胱炎になったときだったそうですが、「婦人科」というものにかかったことが家族に知れてたいへんな大事件になったそうです。恥を知れと激しく叱責され(嫁入り前の娘が行ってよい場所ではないということらしい)、今でも思い出すと悲しく辛くなるといいます。それがたった40年ほど前のことだとは……。

0210h

写真を撮ってブログに載せてもよいか訊ねたときに、「どんな選択をするにせよ、最初の一歩は知ることから始まる。ひとりでも多くの人が納得いく結論にたどり着くために、まず存在が正しく知られなければなにも始まらない。どうぞあなたの言葉でお友だちに語ってあげてください」と、先生から言葉をいただきました。そしてそばにいた看護師さんから「本当は、あなたのように定期的にがん検診に来るタイプじゃない方の人にこそ、知ってもらわなくてはいけないのだけどね」と。

 

わたしの話はこれでおしまい。

 

わたしはこれらの文章を、みんなもするべきだ!とかあなたもした方がいいわよ!という気持ちで書いたわけじゃない。もし自分と同じ年齢・状況の友だちがいたとしてもただやみくもにに勧めることなどできないし、もしも重篤な副反応が出たとして責任を取ることも当たり前だけどできやしない。わたしがこの先子宮頚がんにかかることもあるかもしれないし、その時「高い注射までしたのにどうして!?」とは言えないってことをわかって、今回こういう選択をした。
その判断に賛成できないと思う人もいるだろうと思うし、やらないことにしている人に何か口を出したいわけではまったくない。
ただ、同じ「やらない」にしても「何だかよくわからないしやらない」と「考えてみて、やらないことにした」では全然違うものだ。

これは個人的な感覚だけど、とくに女の人が人生や性について、時に自分ではない誰かのために遠慮をしたり、決定権を完全に持てていないようなことが、目立っていないところに実はあるなぁと感じることがある。わたし自身はどちらかというと声が大きい方かもしれない(こんなブログを書いているくらいだから)。それでも、「なにか」に対して遠慮している瞬間は、やっぱりある。

HPVワクチンがインフルエンザや他の病気のそれと同じように受け入れられてはいない側面には、やっぱり「セックス」でうつる、ということが大きく関わっていると思う。わたしたちの脳みそはどうやらその言葉に弱く、しばしば考え尽くすことができなかったり情報を仕入れることに積極的になれなかったりするみたいだ。多くの人の人生に何らかの形で登場するものなのに、一定の距離を取っていなければならないような雰囲気を感じることが確かにある。
(がんを予防できるワクチンとは、いったいそれはどんなものなんだろう)
そんなあたりまえの関心さえ、なにかあまりほめられたものでないとされるような、慎まなければならないかのような意識が女の人のこころにありそうなことがわたしは心配だった。だから「やった場合はこんな感じだったよ」ときかれてもいないのにしゃべってみよう、と思った。

0210hこの冊子の最後のページには「大切なお友達にも伝えてあげてください」という言葉とともに結婚と出産をイメージするイラストが描いてあるけれど、健康でいたいのは結婚と出産をするためじゃないし、なにもその2つをやるかどうかだけが女の人生の分かれ道じゃない。その2つのイベントを経た人だって、テンプレートにのっとって自動的にそこへ運ばれたわけじゃなくそこには必ず「選択」があった。選択の連続で人生は続く。その決定権を、よくわからない力に委ねることなくその女の人自身がしっかりと持っていられますように。迷い悩んだときには、助けになる存在がそばにありますように。いつでも、自分の人生に関わることについて「知る」こと「選ぶ」ことを遠慮せずにいられますように。

そういう思いで、乱文ながら今回のことをインターネットに書きました。
わたしの経験したことが、あなたの選択の資料のひとつになればとてもうれしいです。

快く撮影を許可して協力してくださったクリニックの方々に心から感謝しています。
ありがとうございました。

2012-02-12 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

HPVワクチンの話(2)

(1)のつづき

わたしがHPVワクチンの接種は自分に関係ないとみなしていたのは、ひとえに「まだセックスをしていない10代前半の人のためのもの」というイメージのためだった。セックスしてないどころか性的サービス業に従事している自分には関係ない、どうせ感染しているのだから無意味だと考えていた。

本当にまるっきり無意味なんだろうか。その思いが芽生えてしばらくいろいろ探したのち、この論文に行き当たった。
「産科と婦人科」2010年9月号

抜粋したものをここで見ることができる。
産科医療のこれから

ワクチンに対する考え方は本当にその人ひとりひとりで異なるものだし、特にHPVについては「これが正解、これが世界標準」というようなものがまだあるわけじゃない。しかし「処女なら打ちなさい、そうでないならあきらめなさい(極端な言い方をすると)」なんて単純なイメージは全くの誤りだと知った。

つづきを読む

2012-02-12 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

HPVワクチンの話(1)

わたしが子宮頚がんというものを強く意識し始めたのは、2010年のことだった。

前の年の終わりに日本でサーバリックスの接種ができるようになったニュースに対しては、ようやくだ、よかった、という感想を持ったものの、自分には(この先子どもを養育しない限り)直接関係のないこととして受け止めていた。「10年遅いよ」と思った。
わたしはもう、大人になってしまったから。10年前ならば間に合ったのに。という気持ち。

ところが、このことについてもっと考える機会がもたらされることになる。2010年の夏、子宮頸がんがもう一歩わたしのそばへ近づいてくる出来事があった。
それこそ10年ほど前から好きで見ていたウェブサイトを運営している女性の日記ブログに、その病名は出てきた。少し前から、病院でのごはんやベッドの写真、入院するよという記述などがあって「今日はお泊まり!」だとか「思ってたよりボリュームあって太っちゃいそう」なんて元気にお茶目に書いてくれてはいたのだけれど、どうしたのかな、とちょっと心配していたところだった。そして、記された「子宮頚がん」という文字に、わたしは息を飲んだ。 つづきを読む

2012-02-12 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

空から甘い実が落ちてくる

朝まで働いてくたくたになり、ベッドの中で最近好きなアプリ(みつばちになり花から花へハチミツを集め飛ぶという、運動神経をまったく問われない点がわたしに向いているグラフィックの美しいゲーム)をちょっと遊んでから眠りにつき、お昼ちょっと過ぎに目を覚まして、サイドテーブルのiPhoneを引き寄せてtwitterをぼんやりと見ていたら、そこに「ありがとう」という文字がいくつもいくつも、次々に流れてきた。それでスティーブ・ジョブズの訃報を知った。

わたしが初めてAppleの製品を見たのは近所に住んでいたお兄ちゃんの家でだと思う。パソコンというものは物々しくてかわいくないけどリンゴのマークはかわいい、と思った。高校生でG4を使い、それからiPod、iPhone。

だから、いろいろ素敵なものをありがとう、という気持ちももちろんあるし、あの気性の激しさとあどけなさや繊細さが同居したセクシーさ、圧倒的な鼻持ちならなさ、知り合いだったらきっと絶対いやなのに見ている分には惹き付けられるめちゃくちゃさを魅力的だと感じてもいたんだけど。
わたしはあの人に、それとまたちょっと違う形の思い入れも、まったく勝手に持っていた。
似たような病気を持っている、という理由で。

病名はぜんぜん違うし、わたしの持っているものはずっとずっと大したことはない格段に気楽なものだ。痛みや苦労は比べものになりはしない。幸いここ数年は安定しているし、昨日も今日も自由にヘラヘラと生きている。ただ、治療していく中でとる方法や、生活に強いられる不自由さの種類に、おそらくよく似た性質のものがあるのではないかなと思う、ということ。それに思い至って以来、なんとなく彼に対して「アップルのすごい人」以上の親近感を勝手に持ち始めた。

子ども時代に別の病気を患ったとき、医師に「エリザベス・テイラーという外国のきれいな女優さんも、同じ病気になったことがあるらしいよ、だからきみもきっと美人さんになるから、どうかがんばってくれ」と力技で励まされたことがあった。言葉にするのは難しいけれど心の重荷がいくらかおりたことを覚えている。そうか、わたしもがんばって大切に治してゆこう、ではないけれど、そんなような不思議な気持ち。
名前しか知らなかった大女優よりももうちょっと身近にそう思わせたのが、AppleのCEOだった。

調子が良くなくて気分がささくれているときや、病院のベッドで不安な時間を過ごすあいだ、傍らにあのタートルネックを着たジョブズ(みたいないけ好かない人)があらわれて「それ、痛いよね。わかるわかる……ざまぁ」とニヤニヤする姿を想像して時をやり過ごしたことがある。病院では圧倒的に時間がゆっくりと進むものだからひとり遊びができなくては辛い。もはや現実を離れた「きむずかしやのスティーブおじさん」というひとつのキャラクターがわたしの中に生まれた。外国の絵本に出てくるような、色鉛筆で描かれたスティーブおじさんは口をゆがめてわたしを笑う。

そしてときどき本物の彼の姿を見る機会には(もちろんインターネットでだけど)、黒いタートルネックに包まれたその身体をなんとなく見つめてしまった。ここにもあの痛みが、いいえきっと何十倍もの忌々しい痛みが襲ったことがあるんだろう、とつい想像してしまった。もうできるだけありませんように、ずっと穏やかでありますように、と祈ってみたりもした。まったくばかげているとわかりながら。
こんなに圧倒的な人であっても病気は等しく襲ってしまうんだなあ、という当たり前にも程があることを考えたりもした。

この先もしもひどい発作があってうんうん唸っている時、今度は雲の上、虹の彼方からきむずかしやのスティーブおじさんがやってきて「お、やってるね」と言ってくれる、そのくらいの余裕がわたしにあったらいいなあ。おいしそうなリンゴをひとつ投げてくれて、でもきっと運動神経のないわたしはそれを受け取れず床に落としてしまうだろう。眉をひそめて「愚鈍な人間め」と怒られる。取らせる気もない剛速球だったくせに。そうだったらいい。

世界中の人が悲しんでいて、その景色で彼が単なる経営者とはぜんぜん違う人だったんだなあと思った。なんだか、ロックスターのお葬式みたい。知らない人には何事だろうと思われながらも、初めて会ったけれど同じことを想っているとよくわかってる大勢の人たちと、一緒に街へ出て悲しみを口にする、とても淋しい中ででも少しずつ何かを埋め合うような光景。
ほとんどの人は実際に彼と対面したことなどありもしないのに、それでも「もう二度と会えない、二度と分かち合えない」悲しみがそこにあるんだと思う。
愛されて旅立った人を見送るためには、残された人々がともに泣いたり「悲しいですね」と語り合える場所がかならず必要なのだと思った。わたしの場合は今回それがiPhoneだったので、何から何までお世話になって、と言うしかないね。

あまりに規模が大きいから、悲しみの力をあまりよくないことに使おうとする人が出てしまったり、ご遺族の悲しみが邪魔されないといいなと思う。もっともっと一緒にいたかっただろうと思う。
それから、彼の存在に勇気づけられていたたくさんの患者さんたちが、どうか力を落とさずにいられますよう。

2011-10-09 | カテゴリ: まじめなはなし | |