まじめなはなし

ご報告とわたしの気持ち〔2〕

〔1〕からのつづきです。

——都写美は休館中でーすwwwざーーーまあみそしーーるーーーーwwwwwww

すみません、これは原文のままです。最初に受信ボックスを開いたときはいらいらっとしたんです。知ってるし!休館中とか知ってるし!!夏ぐらいから知ってるし!!って。
でもこれ、いわゆるエアリプとかではなくて、メールフォームから(つまり、直接わたしだけの目に触れる方法で)送られて来たんです。しかも携帯電話のいわゆる「本アド」で!
もしかしてだけど、わたしが万が一そのことを知らなくていつまでも返事が来ないとくよくよしたら可哀想だと思い、しかし普通に「もしもしご存知ですか」と親切にするのはなんだか恥ずかしく、それでこんな照れ隠しをしてるんじゃないの。
そういうことだろッ?

でも、このぶんだとこの方の優しさ、好きな人にちゃんと伝わっているのかどうか心配になります。身近なお友達はよくわかっているのかな、そうだといいです。
あと「ざまあみそしる」ってすっごくかわいいですよね。ざまあみそしる vs ざまあみそづけ だと、わたしはみそしるのほうが好きです。
よしもとばななの短編集に、「ざまあみそしる〜!」でオチがつくような話があったようななかったような。うろ覚えです。
今後積極的に使っていきたいです。

——あなたは女性でしかもセックスワーカーで、人権が増えていいですね。人間というのは平等だと思っていました。

いいえ、人間というのは平等です、あなたの思い違いではないです。あなたは間違っていない。
人権って、よくわからないんですけど、ひとりにひとつ、誰のも同じ大きさで同じ重さらしいです。ただ手で持ったり秤に乗せたりできないし、目で見ることもできないので、まれに「同じ大きさなんてうそだろう、あの人のはきっと小さいだろう」と思い込んでしまう人がいるみたいなんです。「あなたのは、軽いもんね」とかこともあろうに「え、ないよね」と思われるのって、とても困ります。あるものをないと思い込まれて、でも見せてあげることもできなくて、しょうがないから「あるんですけどー」って言ったりします。それしかないので。
そして女性だったり、セックスワーカーだったりすると、どうもそういう機会が増えるようです。
そのため「あるんですけどー」を言ってるのがよく聞こえるから、あれれあの子はいくつも持ってるのかな?増やしてるのかな?と思われるかもしれないんですが、ひとつしか持っていません。

あなたの持つそれは、いかがですか。元気ですか。わたしがたくさん持っているように見えるのは、いいですね、と思うのは、あなたもまた「ないでしょ」と言われているのではないかという考えが頭をよぎりました。わたしの方が恵まれて見えるだなんて、かなり脅かされている可能性が高いのではと。
でもあります。あなたの人権はあります。今までもずっとあったし、これからもずっとあります。
それをないように扱う人がいたら、その人は間違っていますし、あなたが辛い目に遭わされているなら、助けを求める権利がいつでもあるはずなのです。目の前に誰もいないのなら、わたしに求めてもいいですよって、本当は言えたらいい。でもそこまで言うことができません。ごめんなさい。

——売春婦をセックスワーカーと言い換えるのはなぜですか。きれいな言葉に言い換えて本質を覆い隠すのは、盗撮を芸術と言い換えるのと同じくらい卑怯なことではありませんか。

セックスワーカー、をまるできれいな言葉のように思われるのは、これまで蔑称として長年使用されてきた「売春婦」という言葉に含まれるような蔑みの念をあなたが感じにくいからではないでしょうか(物足りない場合は、肉便器、などというアイディアもあるようですね)。

セックスワーカーという言葉は性別を語りません。売春婦、娼婦、風俗嬢、これらはどれも「女である」という意味を含んでいますよね。でも、セックスワーカーは女性だけじゃありません。女性も男性もいます、どちらにも属さない方もいます。
では、性風俗産業従事者、とかそういう感じじゃだめですかね?と思われるかもしれません。
ただ、そうですね例えば、お店の受付にいるいわゆる黒服さんボーイさんと呼ばれる方、デリバリーヘルスなら運転や電話受付の業務にあたられる方、それから成人向けの映像作品を作っている方、など。わたし個人は、性産業従事者という言葉だとこのようなより広い意味を指したイメージが浮かびますので、英語のsex workerをそのままカタカナ書きにした「セックスワーカー」という言葉を用いることが多いです。利用客と実際に相対して性的サービスを行う人間のみに限定して指したい場合って多いのですが、それにぴったりあてはまる言葉が日本語にはどうも見当たらなくて。

2014年末のいまセックスワーカーという言葉が用いられる場合、そこに蔑みのニュアンスは込められていないことの方が多いです(例外はたくさんあります)。
ただし、この先のことはわかりません。
使われ方次第で、未来にはやはり蔑みのこもった言葉になってしまっている、そんな可能性もなくはないのでは、と心細くも思います。
言葉の運命は人の口にかかっています。
わたしにとってはこれは、本質を覆い隠した言葉ではなく、覆い隠すものを取り除いて本質のみに近づけた言葉です。今これを読んでいるあなたにとっては、いかがですか。
どうぞ、あなたはあなたの信念に沿った言葉でわたしたちを呼ぶことができます。わたしはわたしの信念に沿って、お返事するかどうかを決めます。

——風俗で働いていらっしゃるのなら、写真を撮られるよりも危険な目に遭う可能性がたくさんあるのではありませんか?盗撮くらいのことをなぜ怖がっているのか、知りたいです。

写真を撮られるより危険な目(危険に順位って、あんまりはっきりつけられませんが)にあう可能性はあります。怪我をさせられること、金品を盗られること、薬物を投与されること、身内や別の職場に仕事を明かされること、そして一番てっぺんには「殺されること」。
全部だめです。どれもあってはならないことです。そしていわゆる堅気の仕事なら危険な目から免れられるかというと、そうではないです。
だからどれに対しても「NO」と言います。「やっていいと言っていないことをやらないでください」と言います。

いま挙げた中では、怪我と盗みは軽微(ってなんだろな?と思いますけど)なものならありました。薬物は未遂でした。殺されたことは幸いにしてまだありません。
やった人にはそれぞれ言い分(ストレスのせいだとか、キミを愛してるからとか)がありましたが、わたしが店に訴え出ることができ、男性スタッフが登場したケースに関しては最終的にみなさん謝罪をされました。警察に言わないでくれと懇願までなさった人もいました。
本心はわかりません。ですが口先だけであれ申し訳ありませんでしたという言葉が出てきたのは「風俗の女の子だからってなんでもしていいわけではない。好き勝手に暴力を働いたらそりゃあ警察に言われても当然で、こちらに分はない」という共通認識のおかげでしょう(男性が現れるまでは強気な態度だったというところは置いておいて……悔しいですが)。
わたしはこの認識にがんばってほしいので、すくすくと育って欲しいので、言葉を尽くします。「やっていいと言っていないことをやらないでください」と言います。言い続けます。

——これだけ文章が書けるコが、なぜ風俗で働いているのですか?大学はどちらを出られてます?すみません、とても興味があるもので。なんだかかまいたくなりますね(/ε\*)

わたしにかまう時間で「それなりの学力があったであろうお嬢ちゃんが風俗だなんて、何か面白い理由があるに違いないゾ☆」というご自分の中にある偏見とそれをむき出しでぶつけてしまった失敗によくよくかまってさしあげてください。

——セックスワーカーという仕事は特殊だと思いますが、男の立場からしていえば天使の仕事としかいえません。感謝があるのみです。

どういった意味合いで「天使」という言葉を選ばれたのか、わたしの汲み取れない意図がおありなのかもわかりませんが、わたし個人はその形容をストレートな賛辞としては受け入れられません。わたしたちは人間です。意思があり感情があり突けば痛いですし血が出ます。
わたしたちのキスもハグもオーラルサービスも、服を脱ぎ甘い声を出すことも、すべては労働です。奉仕ではありません。時には心や愛情を込めた、労働です。
ただの労働を美化や神聖視されることに対し、不安を覚えるセックスワーカーは多いと思います。それは蔑視と表裏一体であると、身をもって知っているからです。感謝を表していただきながらこのようなことを告げるのは心苦しいですし、蔑視などしているおつもりもないと思います。が、セックスワーカー本人に面と向かって言うのにふさわしい言葉では、残念ながらない場合があると、感謝してくださる方だからこそ知っていただきたいのです。感謝というお言葉は確かに受け取りました。ありがとうございます。

——セックスワーカーに人権などありはしないと思います。一度、ご臨終になられてはいかがでしょう。

セックスワーカーに人権は、あります。いまSTAP細胞のことを思い出さないでください。
そしてセックスワーカーに人権があることで、セックスワーカーでないあなたの人権に、その価値になにか変化がもたらされるように思えるならばそれは錯覚です。大丈夫です。
臨終の件につきましては、明確な時期を申し上げられませんが、あと70年ほどお待ちいただければ確実かと思います。

——現役で働いているあなたに辛い経験を語らせて、私はただリツイートするだけで、まるで当事者の声を搾取するかのような気持ちになります。申し訳ないです。

な、なにをおっしゃいますやらそんな!お気になさらないで下さい、なんにもなんにも。わたしはそんな風には感じてないですよう。
だってあの記事は3日間で80,000くらいのページビュー数がありましたし、そのう、本当に気にすることではないですよ。ぜんぜん。でもこういうお気持ちを複数の方がくださっていて、じんわりと温まりました。ありがとうございました。
いま改めて確認したら12万に増えていました。もっとかっこいい記事をいっぱい書いておけばよかった。あと本当にわたしはGoogleアドセンスを貼っておけばよかったですね!ざまあみそしるー!!!

ここからは個人的なお喋りです。

iからはじまる3ドット9文字@gmailの方

わたしも美術館とか博物館、好きですよ。ミュージアムショップについつい長居してしまいます。
慌ただしいであろう時間帯にサッとおたよりしてくださってありがとうございます。その瞬発力というか、尊敬します。お気持ち、よく伝わりました。

iからはじまる4文字@gでもyでもない方

お客さんでいちばん多いのはおそらく赤いマルボロだと思います。
わたしの持っているお客さんではJPSなどもよく目にします。
わたしがベッドで最も吸っている副流煙はたぶんパーラメントでしょうか。

jからはじまる8文字@gmailの方

わたしの祖母がボタニカルアートを趣味にしていたことを思い出しました。母も静物画を描いていたような話をちらりと聞いたことがあります。わたしも幼い頃は植物とぬいぐるみしか友達がいませんでしたので、日陰の植物なんかには親しみを持っています。ドクダミとか。

9_14文字@ヤホーの方

あの、呼んでください。名前。うふふ。椎名さんでもこゆりさんでも、お年が近いようなのでこゆりちゃんでもいいですよ。
誰かにいやな思いをさせて、でも自分は忘れ去ってしまっているようなことが、そうと気づけてもいないくせに背後からやってくるとき、ありますね。わっと叫んで机につっぷしたくなるような気持ちになります。うう。
身体を気遣ってくれてありがとう。あなたもお風邪など召されませんように。お仕事が充実すること、陰ながら祈っています。本当にお疲れさまです。

ここまで長いエントリをお読みいただきありがとうございました。
もしもわたしが何かよくない思い違いをしていたり、言葉の使い方を大きく誤っているところがあればいつでも教えていただきたく思っています。ですがいつにも増して黒く重たい言葉も多く受け取り精神面での疲労を感じていますので、今後お返事や交流についてはこれまで以上に慎重になるつもりでいます。わたしのお手紙をきっかけにして多くの方がご自身の考えを見つめてくださったこと、お友達やネット上で行き合ったどなたかと意見を交わしてくださったこと、得難い経験でした。

どうぞよいお年をお迎えください。わたしもいつも通りの年末を、黒豆を煮たり抹茶ババロアを作ったり、店長の「年始はいつお会いできますか?(=いつご出勤してもらえます?)」というメールに「んー、わかんない♡」と返事したりする年末を過ごします。おこられます。

2014-12-30 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

ご報告とわたしの気持ち〔1〕

東京都写真美術館へ質問した件ですが、担当者の方よりすでにお返事をいただいております。心配してくださっている方、お知らせが遅くなってごめんなさい。回答の内容は先だってニュースサイトで取り上げられた際に書かれていたものと特に変わりありません。
とても不安な気持ちで送信し、もしお返事いただけるとしたら年明けかしらと思っていましたので、すぐに対応して下さったことに安堵しました(24時間と経たないうちのお返事でした)。

わたしの希望としてはかなうのであればもう少しやり取りを続けたく、お返事のお返事も、既に送信しています。現段階で受け取っているメールをこのブログにコピーペーストすることが望まれているかもしれませんが、いたしません(掲載の可否を伺うこともしていません)。

メールの公開から、さまざまなご意見やご助言をいただきました。twitterだったり直接のメールだったり、たくさんの人にいろいろと気にかけていただきました。わたし自身の目に入ったご意見(や、ご意見と呼ぶべきかわからないけれどさぞかし仰りたかったのであろう叫び)に接して、考えたことをできる範囲で書きます。

年末の休暇時期でなくてはできなかったことと思いますので、今後ここまで時間を割けることはないかと思います。そのぶんできるだけたくさん書きました。

なお、こうして掲載するにあたり、わたしの手で一般的な言葉を選びできるだけ意味を損なわないよう書き直させていただいたものもあります。距離感その他があまりにも適切でないと、読んだ方の気持ちを乱してしまいそうでいやだったので……そしてわたし自身も穏やかな気持ちでいたいからです。

——被害者を想っての行動ではなく、ご自身の身の心配ありきだということにがっかりしました。この件での被害者はタイの女性たちですよ。抗議したいのならもっと彼女たちの気持ちに沿うべきだと思います。
——なぜ勝手にタイの女性たちの代弁をしているのですか。彼女たちの本当の気持ちなど、わかるはずがないではありませんか。ご自分のされたことのみに対して怒るべきだと思います。
——結局のところ、椎名さんのお気に召さないのはかいつまんでどういった点でしょうか?文章が長くてよくわかりませんでした。

はじめのお2人でちょっとよく話し合ってもらってもいいですか? ここで待ってますから。だめですか。ふふ。
文章が長いのは仰る通りです。電話とかもすぐ長くなってしまう方です。すみません。できるだけかいつまんでみますね。

1)相手が認めていないことを、認めていないと十分認識した上で、(生まれた国や性別や職業や立場からくる)互いの権力の差に乗じて執拗に行った写真家への憤り

2)しかもそれを日本で公開した上、私は暴力的な行為によってこれらをつくりましたよとまるで自慢のように公言した写真家への憤り

3)美術館がそれを展示したことと、当時専門家(的な方)から問題点の指摘などもなされなかったこととでその写真たちに「お墨付き」が与えられてしまったことに対する戸惑い(このあたりはまだはっきりとわかっていませんが)



4)この件で写真家の行為に嫌悪感を表明している方がこんなにたくさんいるにも関わらず、日ごろ自分が働く中で「相手が認めていないことを、認めていないと十分認識した上で、権力差に乗じて執拗に」やってくるお客さんの数、撮影したり録音したり私物の荷物を漁ったり本番行為を求めてゴネたりその他いろいろルール違反の行為におよぶお客さんの率を考えると、今ひとつ理屈が合わなくない?パソコンの前では思い遣りの心を持つ人が、生身のセックスワーカーの前ではそうでなくなるってこと?というなんだか追いかけたくない巨大なモヤモヤへの恐怖

そして今回わたしは 3)の疑問を東京都写真美術館へ直接お伺いするためメールを送りました。その際ネット上で誰でも読める状態にしたことで、
わたしのメールを「件の写真家を批判している人々の意見まとめ」だとか、
わたしのことを「批判派のみんなを代表して矢面に立つ覚悟を決めた人」だと解釈した方もいらっしゃいました。がわたしにそのような考えはありません。わたしが行ったことは、あのお手紙は、きわめて個人的な気持ちを綴ったきわめて個人的な行いです。まとめサイトではございません。広告収入も残念ながら得られません。

被写体となったタイの女性たちに代わって写真家を糾弾する使命を負ったなんてこと、一切考えていません。
わたしはわたしの立場で「こういうことがまかり通るのって怖いな、困るな」と思ったので、わたしの立場からいえることを言いたいです。
わたしの立場から言えることとは、「拒否する相手に無理やり何かするのはいけない」し「明日は我が身ってことですか、それは嫌ですやめてください」です。

——タイと日本の風俗では事情が違うと思います。なぜ自分語りをなさるのでしょうか、哀れみを誘うためですか。あれはいらないですよね。

わたしの「明日は我が身ってことですか、それは嫌ですやめてください」に対して、それだけでは「一体何が嫌なのですか?」と思われてしまいそうでしたから、明日は我が身の内訳を後半に書きました。
美術館に対し「それをアリにしちゃうと、日本のセックスワーカーも脅威にさらすことになると思うんですけど、どうですか?」とだけ言っても不親切だと思ったからです。
「日本の風俗でも勝手に写真とか撮る人いるんだ……」という感想をいくつか拝見しましたので、いらないというほどのことはなかったと思いますよ。働いたことがなかったら、わからないことですもの。

——写真を撮ることは、加害、というほどのことなのでしょうか。撮ってもいいと言うつもりはないのですが、果たして人権という言葉を振りかざすほどの被害なのでしょうか。

写真であろうと何であろうと、相手が嫌がっていることを、嫌がっていると知りながら強行する、やめてと言われてもやめない。それは相手の意思を無視することです。自分の欲求にくらべて価値のないもの、取るに足りないもの、尊重するに値しないものだとし、そしてその認識を本人に突きつける行為です。お前は私より格下だ、お前の意思は認めない、お前より私が貴い。そう宣告する行為です。
突きつける側に権力がある場合、これはきわめて強い圧力で、相手を支配する行為です。相手の尊厳を奪うことだと思うのです。
そしてこういった被害に遭う可能性があるのは、わたしであり、あなたです。
可能性の高い低いはあるかもしれませんが、完全に逃れられると保障された人はいません。わたしは「明日は我が身ってことですか」と怯えていますが、ほんとうは誰の身にも起こりうることです。堅気と呼ばれるお仕事であっても、立場や権力の差から尊厳までも軽んじられること、あると思うんです。絶え間なく降ってくる小石を棒一本でよけようと必死な人は、顔が分からない遠い場所から見ると棒切れを振り回す元気な人に見えるかもしれませんが、誰にも近くに来てもらえなければいずれ力尽き、あきらめてしまうかもしれません。「もっと早く知っていれば」という側になることも、またこわいことです。

——被害に遭った方にはお気の毒ですが、写真を撮るという行為は、そして芸術というのは、元々暴力的なものなのです。
——確かに人権は大切で、そのことに異論はありません。しかし「これはやりすぎ」という線を引かないことで素晴らしい作品が生まれるのです。現代アートというものはそういうものなのです。
——この世から芸術が失われたら、椎名さんの人生もつまらない、味気ない無味乾燥のものになると思いますよ。

もともと暴力的なのであればなおのこと、その暴力が生身の人間に向かわないために、また向かってしまった時に被害を受けた人が最大限に保護されるために、何かできることはないのでしょうか。どこにもひとつも、ないのでしょうか。
まるでわたしが芸術のすべてを拒絶しているかのように受け取られたのかもしれません。でも、そうではないので芸術と人権の二者択一を迫られるのは不本意です。
そして、問題になっている作品が果たして芸術と呼ぶに値するものなのかそうでないのか、あるいは別の名称がふさわしいのか、といったお話は、わたしの疑問とはあまり関係のないことです。
(美術館で展示されたことによって芸術作品だというお墨付き、肩書きが与えられたのではと、そのことに戸惑ってはいます)
あの作品が何のカテゴリに属しているかは、関係ないのです。芸術と扱う人がいる、いいや現代アートだと言う人がいる、いやいやあんなのはただの趣味だと評する人がいる。わたしの抗議の内容は変わりません。変えようもないのです。
嫌がる相手に無理やり○○するのはいけない、というのは、芸術でもアートでも悪ふざけでもロックンロールでも変わりないです。

芸術のない人生はつまらない、芸術には力がある、それは本当のことなのでしょう。ですが芸術がやったことだからと「嫌がる相手に無理やり○○する」の片棒を担がせてそれを認めていれば、いずれ芸術なり何なりは信頼を失うような気がして、それはいいことだとは思えません。

——あの方は、もともとそういう人なんです。狂気の天才、とでも言いましょうか、界隈では常識です。そして確かに天才なのですよ。本人はこういった批判も覚悟していて、それでもこうするしかなかったんだと思います。
——過去に彼が発表した写真集を見てください。なんなら私がプレゼントしたっていいと思っています。作品を見ればきっと気に入ってもらえると思います。一点だけでなく、彼のすべてを見て判断してください。

「もともとそういう人」から受ける暴力と、そうではない人から受ける暴力とで痛みの種類や傷の深さは変わるでしょうか。
あの人はもともとそういう人なのだ、仕方がないんだ——そういうふうに被害者が自分に言い聞かせて心を癒そうとするケースはたくさんありましょうが、外側から投げかけるとすればそれはとても暴力性のある言葉ではありませんか。「狂気の天才」によって傷つけられた人がいたなら、正気の人が手を差し伸べるしかないと思うのです。

彼のいろいろな面(すべて、というのはちょっとおこがましいので)を目にしたら、好きになれるところもあるかもしれません。
とても気に入る写真もあるかもしれませんし、別のインタビューなりを読んだり実際にお会いしたりしたら、魅力的な方だな、と思う可能性もないとは言えません。
でも、そうなれば今回の件がなかったことになるかというと、ならないです。彼のあの言動から受けた恐怖はなくなりませんし、展示に対して誰もなにも言わなかったんだろうか、ざわざわ、という戸惑いもなくなりません。

——彼が筋骨隆々とした黒人の男性に辱められる様を余すところなく撮影し、そして芸術でござ〜いと公共の美術館に展示すればいい。タイの女性たちにやらせればいいんですよ、それが無理なら椎名さんに。そうでなければフェアじゃない。

まじめに答えますね。おそらく、おそらくこれは同情や、怒ってくださる気持ちの表現だとは思うんですけど、嬉しくありません。
「おあいこだから」で解決することでは全くないからです。そんなことで「フェア」にされてはたまりません。そんな被害にあってもいい人なんてこの世のどこにもいませんし、「僕も同じ目に遭いますので、あなたを蹂躙させて下さい」とか言われてもびっくりするだけです。
もしこれが真に受けて答えるべきものではなく、「件の写真家が自分より腕力の強い相手に無理やり性的な暴力を振るわれている姿でも想像して溜飲を下げておきなよ」という意味なのだとしたら、そんな言葉で慰められると思わないでください。

——肖像権の侵害は親告罪です。被害者が訴えなければどうにもならないので、大変言いにくいのですが諦めた方がよろしいかと思います。

仰る通り今回のことは、被害者が訴えるのは著しく困難です、不可能に近いことです。被害者が訴えなければどうにもならない類のことが、訴えにくい人々を選んで行われました。
しかしわたしが自分の感じた憤りや悲しみや恐怖を美術館に対してあんなにもみっともなく表明しそれをどなたでも読めるようにしたのは、肖像権を侵害したとして撮影者に損害賠償を請求するためではありません。
よくある言い方ですが、多くの人に考えてほしい、どういった意見を持つかご自分の中で検討してほしい、と思ったからです。
それが、いずれどこかでわたしや他のセックスワーカーやそれ以外の人やこれから生まれてくる人が、理不尽で一方的な暴力からまもられることにつながるんじゃないかと思ったからです。
ありえないくらい遠い、まったく目処のつかないお話ですが、いつか少しでもつながればという思いをこめてやったことです。
それは、諦めるなんて、できないことです。

 

長くなりましたので分けます。〔2〕へつづきます。

【12/30 23:16追記】——————————-
冒頭の「ニュースサイトで取り上げられた際に」というのがどの記事を指しているのか不明瞭ですみません。該当の記事は書き方に引っかかるところがあり(わたしも写真家さんも匿名の扱いなのに、なぜか意見を述べただけの別の方のお名前のみが明記されていたため)、積極的に紹介するのを躊躇してしまいました。
かわりに松沢呉一さんがお書きになったこちらの記事を紹介します。
娼婦の無許可撮影をするゲス写真家は今に始まったことではない-『危険な毒花』と『月蝕』
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2014-12-30 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

東京都写真美術館に送付したメールの内容

東京都写真美術館へ、メールにてわたしの気持ちを伝えさせていただきました。作者ではなく美術館へ働きかけるのは、今後別の芸術家によって似た事案が起こる可能性を低めたい思いからです。暴力を用いた作品の発生よりも、それが世に認められることの方がまだいくぶん防げるのかなと思うからです。
作者本人へ直接コンタクトを取ることは恐怖心に襲われてかなわないものの、美術館に宛ててであればなんとか実行できたから、というのも理由のひとつです。お手紙の内容をこちらに載せておきます。

【12/31追記 その後東京都写真美術館からはお返事をいただきました
【2015/12 追記 あとからこの話題についてお調べの方向けに、流れを簡単にまとめたものはこちらです

 

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東京都写真美術館 ご担当者様

突然このような長いメールを送付いたしますことを、どうかお許しください。
椎名と申します。××区に住むいち都民です。
本日は、過去に貴美術館にて行われた展覧会についてお尋ねしたいことがあり、お手紙をさせていただく次第です。

伺いたいのは、2007年12月22日から2008年2月20日に行われた「日本の新進作家 VOL.6:スティル/アライヴ」という展示中、大橋仁氏の作品についてです。(URL併記)

もしかしたら既に、この件でどなたかからの問い合わせをお受けになっているかもしれません。
と申しますのは、去る12月20日に「タブロイド」というニュースサイトに掲載された大橋氏のインタビュー記事においてこの展示についての言及があり、その内容がインターネット上で話題となり(あまり良い意味ではない方です)、現在大勢の方が意見を交わしているためです。
(http://www.tabroid.jp/news/2014/12/matsumoto4.html)

前出のURLの記事を読みますと、大橋氏の撮影手法は「撮影を禁止されている場所だと認識した上でゲリラ的に撮影を強行し、咎められると何も分からない観光客を装う」といったものだと分かります。

これに対し、物を盗んだり身体に怪我こそ負わせないものの倫理面で問題がある手法だとわたしを含めた多くの方が感じ、疑問の声を上げています。
撮影されたのはタイで性風俗業に従事している方々(以下、セックスワーカー、という呼称であらわします)で、女性です。仕事中に外国人の男性から突然カメラを向けられフラッシュを焚かれ、パニックに陥ってもなお撮られ続け、その写真は日本へ持ち帰られて「芸術作品」として展示される……これは彼女たちの尊厳を無視した行いではないか、とわたしは憤りを感じ、また当該の作品が日本の美術館で展示され多くの人々の目に触れたことが、結果として彼女たちの人権をさらに侵害することとなってしまったのではないかと、不安に感じております。

そこで、わたしから伺いたいことは3点ございます。

1)このような、暴力的ともいえる手法で撮影された作品群であるということ、展示を企画された方もご存じであったと思います。実現に際して、「これは倫理面で問題があるかもしれない」もしくは「これは倫理面で物言いがつくかもしれない」といった懸念や不安はおありでしたか?
どのようなお考えのもとで展示を行う判断に至ったのか、その過程を伺いたく思います。

2)展示が行われた2007年〜2008年当時、大橋氏の撮影手法について、またそうと知りながら作品を展示することに対し疑問を呈する声がどなたかから寄せられたでしょうか?
もし対応なさったできごとがありましたら、可能な範囲で、どのようにお返事をなさったのかも教えていただけると幸いです。

3)仮定の話で心苦しいのですが、これがわたし個人としては最も切実な質問ですので、何卒お答えいただきたく存じます。
もしも今後、同じように日本国内で働くセックスワーカーを許可なく撮影した写真があったとして、それらもまた作品として展示される可能性はありますか?

7年前のことで当時のご担当者さまが現在おいでかどうかも存じ上げませんし、お忙しいところ、また年末年始の非常に慌ただしい時期にも重なりたいへん恐縮ですが、ご回答をいただきたくお待ち申し上げております。

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ここからは、わたしが個人的に美術館の方々へお伝えしたいこととなります。

わたし自身もまた、セックスワーカーのひとりです。
俗に、風俗嬢、と呼ばれる者です。都内の風俗店に勤務しております。
普段明るい場所で声を発する機会を得にくい職業ですし、意見を述べることも憚られる場合が多いですので、このようなお手紙を差し上げることには、とても勇気が要りました。
それでも今回こうしてキーを叩いているのは、同じセックスワーカーとしてタイの女性たちが気の毒だから、という気持ちからではありません。

わたしたち東京のセックスワーカーもまた、お客様から無断で(もしくは無理やりに)写真を撮られる被害が後を断たないのです。
特に、東京都条例の改正に伴って、店舗型の風俗店(お店の中にある個室内でサービスを行う店です、そのため直接の接客に当たらない男性の従業員が同じフロアにいます)から無店舗型の風俗店(派遣先のホテルなどでサービスを行う店です、そのため接客する従業員と利用する客が一対一になります)へ移行が進んだ結果、無断撮影や録音などの禁止されている行為に及ぶ人が増えたのだろうという考え方が業界の中にあります(もちろん増えたといってもごく一部で、大体は安全な方なのですが)。

わたしも無断撮影の被害に遭った経験が複数回あります。

ほとんどの場合で、データを破棄してもらうことはかないませんでした。衣服を身に着けていない状態で、部屋に男性とふたりだけですので、抗議をすることは大変難しいのです。「うるさいな、顔は撮ってねえよ」と大きな声で怒鳴りつけられて諦めたこともありました。助けを呼ぶ相手のいない場所で、セックスワーカーの立場はたいへん弱いものです。

多くのケースは、個人で楽しみたいと思ってその場の出来心(という言葉は使いたくありませんが……)でなされたかもしれませんが、「作品に協力を」という言葉とともに計画的に写真を撮られたことも、あります。忘れることのできない記憶です。

(——中略。ここには当時の客がわたしの同意を得ず行った撮影の手口を具体的に詳しく記述したため、模倣する人が出るととても嫌ですので公開しません)

撮られているあいだじゅう、少しでも強く眉を寄せ、少しでも大きく口を開けようとそればかり考えていました。快感に歪んだ表情を装って、せめて少しでも普段のわたしの顔と違うふうに写ればと、足掻いていました。笑ってしまうような無駄な努力ですが、必死だったのです。

あの時のわたしの写真は、今ごろどこにあるのだろう。ふとそう思うことがあります。
どこかで突然目にする可能性も、絶対にないとは言えない。街のコンビニの成人向けコーナーで、ネットオークションの商品として、はたまたわたし自身を脅迫するための道具として、いつか再会するのかもしれない。
そんな悪い想像の中に「公共的な美術館」という種類が、加わってしまったのです、今回の大橋氏のことによって。東京都写真美術館へは二度ほどしか訪れたことがありませんが、おぼろげな記憶の中にある展示室で悲鳴を上げる自分の姿がまぶたに浮かぶのです。

それは、大きな落胆と恐怖です。

「かつて無断で撮影された自分の写真が美術館に展示されていた」なんていうことがわたしに、そして他の何万人ものセックスワーカー(その中には未成年の方もいらっしゃいます)の身に、起こりうる可能性はあるのかしら。しかもそれを芸術だとして人々が「観賞」し撮影者を称賛するなんていうことが。この恐怖を払拭できずに、先ほどの3つ目の質問を立てるに至りました。

セックスワーカーは密室の中でも弱いですが、社会の中でも身を潜めねばならないことが多くあります。時にはその職業名のみで、どんな不当な扱いを受けようとも自業自得であると扱われてしまうこともあります(逆にやたらと持て囃されるような場面もあります)。性産業には賛否があることはよく知っていますし、社会の中でどうあるべきかなどということはわたしには判りません。ですが、わたしたちはどなたにどう思われようと、ただこの街で働き、暮らしています。
日々の生活の中で公共の施設(区役所、警察署、投票所……)に足を踏み入れる時、どうしてだかどこかソワソワと落ち着かない気持ちがよぎることが、稀にあります。それはひとりの都民みたいな顔をしていていいのかしら、というような、わたしを笑わないでください、というような、卑屈さとも遠慮とも異なる説明しづらい感情です。
ですが今日、わたしはそれを振り払い、ひとりの都民の顔でこのメールを送信しようと思います。

芸術っていったいなんなのか、わたしはよくわかりません。ですが、それはセックスワーカーを含めた人間みんなの基本的人権を脅かすような方法をとらずとも存在するものだと、信じたいのです。

勝手な身の上話を長々と送り付けて読ませるような形となったこと、たいへん心苦しく、また気持ちがショックを受けた状態で綴りましたのでまとまらない乱文となり恥ずかしく思っております。切実な思いを少しでもあらわしたかったこと、わかっていただけたらとてもとても嬉しいです。
目を通して下さり、本当にありがとうございました。
重ねてになりますが、前述の質問についてご回答をいただきたく、心よりお願いを申し上げます。

 

2014年12月25日
椎名こゆり
http://goodnightsweetie.net/

 

追伸
この件について胸を痛めている同じ職業の仲間や、その他気にかけてくださっている方々と共有するために、このメールは貴美術館へのお手紙ではありますが、わたしのウェブログにも一部を除いて掲載することをお許しください。
また本来でしたらお電話を差し上げて用件とともにメールアドレスを伺うべきところ、人づてに聞いて送り付けてしまったことも、ごめんなさい。

 

【12/26追記】
本文中にURLを併記していましたが、うちひとつはこの件で取り上げている無断で撮影された作品群そのものの写真(展示されている壁面を撮影しており、比較的鮮明に見える)へのリンクが含まれていたため、削除しました。不本意なことをしてしまい反省しています。

2014-12-25 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

ワーカーズライブ:元気ですか

ガールズヘルスラボにて、10月のワーカーズライブを担当しました。

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前月に御苑生さんが書かれたSex Workerが観るSex Work映画〜番外編「入院しています」を読んで、名前にまつわる何かを書きたい、と思っていたのです。

 セックスワーカーにとっての「本名」というものの重さ、それがどんなに重要なものか、当事者にとっての切実さに比べて一般的には理解されていないのかもしれない、と思います。そうです、日頃お客さんが何の躊躇いも気兼ねもなく軽〜く聞いてくるからです。ふふ。
twitterで本名を守るセキュリティの話をした時も、「なぜです?別にいいじゃありませんか」と言われたことがあります。あれこれ細かく説明する気力がなく「お客様が全員良い人とは限らないですから……」という答え方をしましたが、納得していただけなかったようでした。具体的な想像が全くできなかったのでしょう、本名にはさまざまな使い道があるということ。それを教えることでなにを明け渡すことになるかということ。

本名は、それ単体では大した意味を持つものではありません。わたしがタカハシカヨコだろうとカワムラエミコだろうと、世界の大多数の人には関係ありません。ですが、それが勤務先と源氏名と、そして顔と。紐付けされた途端、大変デリケートな情報になってしまいます。気にしすぎだと笑われようと、誰も守ってくれはしませんし、用心しすぎて怪我をすることはありません。
接客中、「じゃあまず名前と出身を言って」と、なにかのインタビューのように言われたことがありました。わたしはすぐに「盗撮もしくは録音されている」と警戒しました。実際には何もされておらずただの趣味の一環であったかもしれませんし、客を疑うとは、と責める人もいるかもしれません。しかし、わたしの警戒を間違ったものだと言われる筋合いはないのです。

それに、せっかく源氏名を用意して、対価に応じた範囲内で、お客様の私的な領域を出来る限り守った上で一回使い切りフレッシュパックの親密な関係を後腐れなく提供しようとしているというのに「本当の君が知りたい」などという安っぽい言葉で雑な化粧をした好奇心を満たしてさしあげるような義理も、ありませんしね。

 

本名の重さを分かっているセックスワーカー同士が、それを交換し合うこともとても珍しいことです。全員良い人と限らないのは、働いている人だって同じですし、挨拶以上の人付き合いをしないと決めている人も少なくありません。自分のことを話したくない人も、いずれこの仕事を辞めたらその期間のことはなかったことにしたい、そこで知り合った人とのつながりもなくしたい、という人もいますし、その気持ちはどんなときも尊重されるべきです。
なので「友だちになろう」というニュアンスを表現すること自体がとても難しく、名前を教え合って友人関係を発展させられる機会なんていうのはもう、いろいろと条件が揃って風が吹いたときだけに起こる、とても得難いものなのです。

わたしにも何度か、そういった経験があります。この原稿の女の子たちのように、遠慮し合いながらも本名を交換し、親密になれたこと。

ですが、わたしの場合は、苦い結末が待っていました。
その女の子(Aちゃんとしましょうか)はまだとても若くて、素直で心優しくて、「擦れていない」という言葉がどこまでもあてはまるような女の子でした。だから誰からも愛されていたし、わたしも可愛く思っていました。Aちゃんを含めた当時の仕事仲間はとても仲良くなり、待機室でいろいろな話をし、いくつかの個人情報を明かし合い、仕事の後にご飯を食べに行ったり、プレゼントを交換したり、その年頃の女の子が友だちとするようなことをしていました。

ある日、わたしの個人情報がネットの掲示板に書き連ねられている——罵詈雑言とともに——のを、別の女の子(Bちゃんですね)が発見しました。それはわたしが、待機室でしゃべったことでした。

書き込んだ犯人は特定できました。Aちゃんの大ファンのお客さんでした。彼女は、わたしとの雑談で知ったことを全く悪気なくその人にしゃべってしまっていたのです。彼女の熱心なファンだったお客さんは常々、あの子がいるせいでAちゃんが指名ランキング上位になれないね、とAちゃんに言っており、優しいAちゃんは「そんな風に言わないでほしい、シーナちゃんはとてもよくしてくれるのだから」と一生懸命に反論し、その話の中でわたしのことをいろいろと話したのだそうです。わたしを慕ってくれていたBちゃんは泣いて怒り、あんたのせいでシーナさんは取り返しのつかないことになった、責任を取れ、とAちゃんを責めました。いったい何の目的で秘密をベラベラとしゃべったのか、と問い詰められたAちゃんは、やはり泣きながら「シーナちゃんを嫌わないで欲しかったから」と答えました。

自分の個人的なことが強い悪意を持って晒されている様を目の当たりにするのは、たいへんに恐ろしく、おぞましく、嫌悪感と恐怖に満ちた経験でした。例えばわたしの年齢設定が21歳なのに対し本当は24歳であるということ(これは業界の習慣としては比較的良心的な部類に入るサバ読みで、またほとんどのお客様方も気にしない程度のものです)が暴露され、ババア、くそババア、更年期ババア、などと書かれていたあたりが比較的薄味な例です。
人間は、自分が絶対に脅かされない安全地帯にいると分かっていると、抵抗なく軽やかに他人を侮辱する言葉を紡げるようになるのだなとわかりました。
Aちゃんは自分のことも何ひとつ包み隠さずお客さんたちに喋ってしまっていたのだろうか、と思うと、責めることはできず、かといって「気にしないで」なんて言うことも、できませんでした。

わたしはその店をやめました。
店の備品のバスタオルを口に押し当てて、ごめんなさい、ごめんなさい、と泣きじゃくるAちゃんの姿を今でもはっきりと覚えています。
ほとんど同時にBちゃんもその店を去りました。内輪揉めでブチ切れして泣き叫んだ人、として同じフロアに入居する他店の人々の間でも有名になってしまい、居づらくなったのかもしれません。

 

今回の原稿では、ハードルを越えてプライベートに一歩踏み込みあうことを、美しい瞬間として書きました。ですが、手放しで「心を開くって、友だちになるっていいね」とまとめることはできません。そのことも表しておきたくて、この文章を書きました。セックスワークはその専門性により同業の者たちが情報を共有することがとても有用な仕事だと思うのですが、にも関わらずたいへんに孤立しやすい状況にあります。そのままならなさの根元には、さまざまな形の悪意や蔑視を向けられる機会が非常に多い職業だということが関わっているように思います。ストーリーは創作ですが、背景にある現実の問題についてひととき思いを馳せていただければ、とても嬉しいです。

 

余談です。後半に出てくるお客さんは、わかりやすい「なにやらみっともない人」として書きましたが、でもこれってきっと、接待系の業務にあたる人なら年齢や性別に関係なく覚えがあるであろう、平凡なやり取りなんですよね。びっくりしますね。本番強要や暴力行為に比べればまったくかわいいものですし、どんな甘え方をしようと自由ではあります。しかし正直なところこういうもの言いをされて優しい気持ち、あるいは能動的にプレイを楽しみたい気持ちになれるとは、やっぱり、言いがたい……ので、「一緒に気持ちよくなりたい」と本当に思っておいでなのであれば、おすすめできません。甘えたいが、お前のいる地面まで降りてやる義務はないぞ、という態度は、だいたいうまく行かないものです。

特に「俺は紳士なので嫌がることはしないのだ」とわざわざ宣言なさる方は多いのですが、大切なのは嫌がることをしないと言うことではなく、実際にしないことです。それは嫌なのです、と相手が表明したときに、反論や抗議や制圧の前にまず「ごめんなさい」と言うことです。それから説明をしても、誤解をとく時間はあります。これができない方が多いのです、それなのに「嫌がることはしない」とだけ押し付ける(そこには「だから自分に好意を持て/特別なサービスをしろ」というニュアンスが含まれています)ことのみっともなさ、わかっていただけるでしょうか。

あなたが嫌なことをしたくないが、気づかないうちにしてしまわないとも限らないし、嫌なこととは人それぞれにあると知っている。だからどうぞ率直に言ってくださいね、我慢しないで教えてくださいね。わたしたちのほとんどは、そういう気持ちでいます。お客様側の方も少し持ってきてくださるととてもありがたいですし、言語であれ肉体であれ、よいコミュニケーションはそういう気持ちのある場所にのみ生まれると、わたしは思います。

2014-10-10 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ: ,  

 

ワーカーズライブ:彼女はアイドル (You are an Idol)

ガールズヘルスラボにて、6月のワーカーズライブを担当しました。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: You are an Idol

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仲の良い女性2人のやりとり、というのがわたしは好きで、それは街中でふと断片的に耳に入ってくる会話でもなんだか詩のようであったりしますし、創作の物語のモチーフとしても、好きなもののひとつです。

とくに「パッと見た感じだけでいえばタイプの違う、仲の良い2人の女性の会話」というものにひかれます(自分も日々行っているはずのことであるにもかかわらず、物語を見出したくなるのです)。それも、思慮深いしっかりものと、やや危なっかしくて個性的な正直もの、という組み合わせがつい目に付きます。

子供の頃、待合室にはゴシップ週刊誌か幼児向け絵本かハードカバーの小説しかなかった近所の歯医者さんで、それでも表紙の色彩のあかるさに小学生にも読めるかもと希望をみて手に取ったのが、吉本ばなな(現・よしもとばなな)の「TUGUMI」でした。がんばって読み進めようとしていたら、院長先生(かれはクラスメイトのお父さんでもありました)が、それ、持って帰っていいよ、と言ってくれた本。あれも、たしかそうですね。

最近では竹内佐千子著「2DK」が好きです。「あんたはきなりちゃんに似ている」と言われ、ええーわたしあんなにはじけているかしらと思ったのですが、見渡すとわたしの人生のどの時代にも、こむぎちゃんのような頼れるチャーミングな女の子がそばにいてくれているので、もしかしたらそうなのかも、と思い直しました。寝起きの悪さと、ぼーっとしてお茶をこぼすことは確かに心当たりがあります。目を開けたまま眠ることはまだできません。

 

さて、わたし自身の話をすると、愛梨ちゃんと同じように、「お客さんに刃物を向けられた」経験が、残念ですが、あります。まだ仕事を始めて間もない頃のことでした。やはりお客さんの方としては刺したり切ったりしたいわけではなく、あまり考えずにとった行動だったのだろう、と想像しています。
その時はわたしの考える力が弱く、冗談のふりをして切りつけられる可能性や偶然のふりをして切りつけられる可能性に思い至るより前に「なんて変なことをする人だろう」「どう対応すればいいんだろう」あたりでひたすら困惑するのみにとどまったため、愛梨ちゃんのように警戒を見取られて逆上される、といった事態は免れました。
数日経ってから、自分はなんて怖い目にあっていたのか、と気がつきました。
いま同じことが起こったとしたら、最初から恐怖にすくむことでしょう。

 

ガールズヘルスラボ主宰のタミヤさんからは、公開の際にtwitterでこのような言葉を寄せていただきました。

追い討ちをかけるような心ない言葉、というのは、セックスワーカーなら誰しも覚えのあることでしょうし、そうでない人にとってもまたよくあることではないでしょうか。しかしそれにまで立ち向かってゆく力というのは、なかなか湧いてこないものです。せめて、せめて、多くの人がそれぞれにとって「彼女」のような存在を得ることができれば、と願います。

弥生ちゃんが同業者なのか、非セックスワーカーなのかは、はっきり分かるように書きませんでしたが、ありがたいことにわたし自身はその両方のすばらしい友人に恵まれています。彼ら彼女らに話を聞いてもらえたときの安心や、わたしを不当に傷つけたできごとに対し一緒に怒ってもらえたときの感謝は、心の中で積み重なってわたしだけのシェルターとなっています。

 

それから、愛梨ちゃんが見たがっていた7時からのテレビは、たぶん鉄腕DASHです。あんなふうな、同じ秘密基地を持つ近しい男の子どうしが語らうようなやり取りも、また好きな物語のひとつです。

 

2014-06-03 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ: ,