まじめなはなし

【読んだ本】男しか行けない場所に女が行ってきました/田房永子

↑このリンクはアソシエイトです

田房永子さんの「男しか行けない場所に女が行ってきました」、迷ってる同業のひとがいるのでは、読んで嫌な思いするかもと恐れて手に取れないでいるのではって思ってる。だってこれまでわたしたちをカジュアルに侮辱してふんぞり返るような本が、似た感じの触れ込みでいっぱい世に出てきてるから。#

わたしもしばらくそれが気になってしまって手に取れなくて、でも田房さんが書くものなら泣くほど傷つきはしないだろうって、この前意を決して購入して読みました。これまでのご著書を読んでいなければ絶対にそうはしなかった、できなかった。#

まずこの「男しか行けない場所に女が行ってきました」ってタイトルがさあ、その男しか行けない場所に最初からいる女のことをハナから無きものにしてるんじゃないかって思って警戒するよね!笑。#

でね、やっぱり、無傷ではいられないというか、それってその言葉で書くべき?とか、そんなふうに言わないでよ、っていう部分がひとつもないわけにはいかない、それは誰が書いたってそうはいかないと思う。でも「風俗を体当たり取材したルポでーす!」って顔してる別の本とはやっぱりどこか違った。#

この本を書くにあたっての田房さんの葛藤が「経験していないことに口を出すことの下衆さを免罪してもらうアピール」としてではなく伝わること、セックスワーカーを特別な目で見るご自分を自覚し、それに関しても読み手に許しを要求してこないことが当事者としては安心して読めて嬉しかったです。#

でも、うーん、同業の女の子におすすめするかって言われると、自信ない、どうだろう、とても迷います。ある程度のキャリアがあって、性風俗業と自分との関係がいくらか安定してたり、あとこれまである程度失礼な本を読んじゃってきた人なら平気かなあ(ひどい基準だよ!)……あー分かんない。ごめん。#

(ここまでtwitterの転載)

 

この本はしばしば「女性目線」が新しい、という言い方で語られているけれど、わたしは風俗の「中の人」だもので「女だから行けない、見ることのない場所がどうなっているのかを『女性目線』で知ることができる」ことはなにも魅力ではありませんでした。それらについては既にあらかた見知っていて、へえ〜そんなのがあるんだ、という発見などないから。
そして「失礼な本」たちの威力はすごくて、ただでさえ他人の言葉から偏見や見下しを読み取るのはつらいのに、しかもそれが活字となり出版され書店に並んでいる事実にも打ちのめされるので遭遇してしまった際のダメージといったら目も当てられないよね。グハァ。それでもこの本を(びくつきながらも)読みたいと思ったのは、やっぱり「この人の書くもの好きだな」「正直に書く人だな」って気持ちをあらかじめ持っていて、希望が持てたからでした(ちなみにわたしが読んだことのあるご著書は「母がしんどい」「ママだって、人間」です)。

「私を含めたごく普通の一般人にはなかなか分からないが〜」のような前置きとともに、自分とは種類の違う無関係な男女が集まる場所として性風俗や水商売を描いた上で「彼らは〜である」と断定するような文章。それを読んでしまった時の暗く悲しい怒りがじりじりと燃え上がることは、この本ではなかったです。田房さんは性風俗を、すでにこの社会に当たり前に存在し多くの人々に楽しく利用されているものとして書いていたし、ご自身もまたその社会の一部であることも、きちんと書かれていたと思う。風俗嬢に対して引け目を感じることも、同時に蔑みの目を捨てきれないことにも正直だった。正直のポーズに隠したつもりで罵詈雑言を投げつけてくるタイプのあれ(あるよね?)とも違う、シンプルな正直さ。

一方で、たとえば23ページの風俗の種類表はちょっとあまりに大ざっぱすぎて「いやいやそれは……」と思ったり、それから「そのフレーズ、本当に必要?」とか「その書き方、本心なのかな(あるいはむしろ正直さの発露なのかな、と迷う)」と思わされた部分も、ちょこっとありました。

(148ページ)現役を引退したAV女優のひかるさんがかつて、AVは事情があってやっているだけで必要がなくなればすぐ辞めたい、と「ハッキリ」語っていた、その言葉を引用した直後に「ひかるさんはきっと今も、優しくて素敵な女性にちがいない。」という文が来てそれがこの章の締めとなっているところ。
これでは、AVの仕事ときっぱり訣別したひかるさんの意志がその優しさや美しさと関連付いているように読めてしまわないか? と思い不安になりました。

推測になってしまうけど、ここで彼女の「返済が終わったらすぐ辞める」という言葉を持ってきた意図、わたしは「切なさ」かなって思って。素敵な彼女がかつては裸を見ることもできるようなごく近い場所に、信じられないようなことだけど確かにいたんだということ、でも時が過ぎ今はそんな世界から離れてどこかの土地でただただ「きれいな女の人」として幸せに暮らしているのだろう、そうであってほしい、ということ……こう対比させることで過去のことが美しくすこし切ない夢のように浮かび上がるから。そこへ、田房さんからひかるさんへの、“知る術もないけれど、どうか元気で——”という気持ち、感傷的だけど切実に願う気持ちをこめたかったんじゃないかって。
でも読者の偏見を助長するって言うと大げさだけど、実際そういう目的でセックスワーカーの内面について知ったように書く人は存在するので、同じものとみなされる可能性に心がウッとなったのでした。感傷めいたセリフで雑にまとめて結局偏見を上塗りした文章ももよくあるし。

(153ページ)「まあ、全体的に異常だけど」という言葉からの3行がうまく読み取れなくて、「全体的に」というのが何を指しているのかもう少し書いてくれたらって思いました。他人(の体)に興味があってしょうがなくて、女性器を舐めるのも大丈夫と明るく、おそらくはちょっと得意げに語るかなちゃんに対し、彼女におどろき、惹かれながらも警戒もしている田房さん。そのムードや気持ちはすごく伝わってきたんだ。
でも、あの3行を読むとまるで「風俗店と、そこにいる風俗嬢は異常だけど、そこへ行く男達はまったく異常ではない」っていうよーく見かけるアレとそっくり丸かぶりのように読めちゃって、えっ? そう言いたいわけじゃないよね!? という疑いが拭いきれなくて、もどかしかった。

など、こういう細かい部分を言い出すときりがないというか、わたし個人の感性と能力に基づいた読解の結果による感想なので著者の過失とは言えない(本来の意図を知りようもないし)し、あげつらうようになるのはいやだなと思ったのだけど……ただ、読もうかどうしようか迷っている人へなにか参考になるだろうかと思って、ここに少し書いてみました(同業の女性に積極的に勧めることはできない、という意見は変わりません)。

「男しか行けない場所」とやらについては知っちゃってるから、それを「女性目線」とやらで書いたからって魅力にならない。とさっき書いたけれど、わたしが見ている日常を永子さんが見て、それがどんなものか表したものを読めることは、やはりおもしろかった。
わたしたちは同じ場所にはいないので同じ風には見えないの当たり前なんだけど「こっちからはこうだよ!」というのを、きっと、たぶん彼女はわたしにも聞こえるように言おうとしてくれてるんだって感じ取れる。そういう人は今のところとても少なくて、風俗についてああですこうですと書いておきながらそれが風俗で働く人自身の目に触れることなど少しも考えていないようなものばかりが澄ました顔している段階です(想定していないのか、それとも見られたところでかまわないのか、それともどうせ反論できないだろうし問題ない、と考えてるのかはわかりません)。

「そっかーそっちからはそんなふうに見えるんだね、でもね、それね、こっちからだとこんななんだよ、あのね、でもねそれでもね……」ってこっそり手紙(反論じゃない、抗議じゃない、でも全部肯定でもない)を書きたいような気持ちがちょっぴり芽生えた気がしてる。それは、風俗で働いたことのない友だちとわたしの仕事の話をしている時の、できれば傷つきたくない、傷つけたくない、と慎重にロープを握りあいながら(そしてときにはやっぱり傷つきながら)もできるだけ正直でいたいと、そしてもっと仲良くなりたいのにと思って心細く微笑みあうあの気持ちに似ています。

 

***
ところでこの本はマミさんの食いつきがすごかったよ!「おもしろすぎて一気に読んだ!」と言っていました。そしてお互いに心に残ったフレーズを言い合ってしばらく笑ってた。「自称29歳(笑)」「近藤の崖の下に近藤(笑)」「小池キッス(笑)」「MAX松野明美(笑)」と言ってはンフンフと笑う母……あ、あと小此木さんに好感を持った点も意見が一致しました。
そのうち、ふと昔のことを思い出したみたいで、そういえばうんと若い頃友だちから、セックスしたくて頭がおかしくなりそうな時があるの、私変かも、って相談されたことがあった、あの時動揺せずにせめて変じゃないよって言ってあげられればよかったわ、という回想をきき、わたしも何も言えはしなかったけど、そのお友だちのところへも永子さんの思いが通じたらいいなってぼんやり思いました。
またマミさんは「母がしんどい」で幼いエイコちゃんがお母様に角材を持って追いかけられていたシーンが非常にショックで今も強く覚えているようで、あのエイコちゃんが仕事を見つけて自立してこんなにしっかりがんばっているのね、よかった、という点に安堵していたようす。

なおこの文章中で田房永子さんのことを田房さんと呼んだり永子さんと呼んだり揺れているのは、わたしは田房さんのことを頭の中で作家さんとしては「田房さん」と呼んでいるのだけど、
既刊を読んだことでその人となりやこれまでの人生を少しお話していただいたような気持ちになっていて、さらに以前ツイッターでお話……しかもどうしたら臭いを気にせずフェラチオすることが可能か? 口から吸い鼻から吐く呼吸の特訓か!!みたいなだいぶくだけた(でも深刻だよね!)話におつきあいいただいたりした(さらにそこへ割り込んできたまったく知らない男性からの不快なリプライに対しともに戦った)ことにより、女の人生を生きる先輩としては永子さん、と思っているところもあり、頭の中がブレブレだからです。今読み返して気づいた。

本当は、エイコさん!って呼びたい感じ。

2015-02-18 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ: ,  

 

ヨンへの気持ち〔2〕

〔1〕のつづき。
東京都写真美術館は、わたしが送ったのと同じ通数のメールを返してくださっています。
お返事をくださる、ということだけで少なくとも「無視するつもりはありません」というメッセージだけは、しっかりと受け取っています。公共機関がわたしを無視しないってことが、たったそれだけの普通のことがなんでこんなに泣けるくらい身にしみるのか。さあー、どうしてでしょうねえ(相棒の右京さんみたいに読んでほしい)。


東京都写真美術館の責任範囲- [娼婦の無許可撮影を考える 7 ] 松沢呉一のビバノン・ライフ

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今のわたしは、この記事に書かれていることについてああ、そうだ、そうだなあ!と思って考えているところです。特に2についてはまったく考えが及んでいませんでした、思いつけなかった。わたしにとって美術館というのはとても大きな存在で、そこへ働きかければわたしの見ている4について何か変わるんじゃないかみたいなイメージを持ってしまってたんですけど、そうとは言えないと学びました。3については、なんていうか、4への気持ちそのものですよね……(これまでを読んでいる方にしか分からない書き方ですみません)こうして自分以外のひとの言葉で目の前に出てくると、本当に弱い。苦しくなります。4はわたしにすごく強くて、ちょっと睨まれただけでもう竦んでしまう。

「芸術だからといってこれは行き過ぎですよ!これだから芸術なんかやってる男はダメなんですよ云々」とわたしに言ってきてくれた方は何人かいらっしゃいました。でも、その「これは行き過ぎ」って誰がどうやって判定しているものなのか。
例の写真が展示された当時、美術館には意見が寄せられなかったそうですね。「行きすぎた行為」だとは誰も言わなかったわけです。「これだから芸術家は」の問題だとはわたしは思わないです。
(ただ、観賞しに来たお客さんが美術館に対して何か意見することは困難だろうとも思います。それから、これは友人と話していて気づかされたことなんだけど、関係者だからこそ指摘できない、っていうこともきっとありますね)
展示に際してはおそらく大橋氏の手によってアンケートボックスが設置されていてそこには否定的な意見もあったようですが、これが何に対するものであるかは今のところわかりません。「ものすごく怒ってるのもあった」という言葉に、誰かが指摘してくれていたかもしれない……と思うとささやかな希望が胸に灯ります。しかし直後の「面白かったよ」が同時に目に入ってあっという間に消えちゃいそうになるので、風よけの囲いが必要です。

——そうそう、あれが2007年! たしか、展示スペースにアンケートボックスが置いてあって。自分も感想、書きましたよ。

ホント? 嬉しい嬉しい。最終的に、2、300枚かな。けっこうな数が集まって。写美がアンケートボックスの設置を認めてくれたのも大きかったね。老若男女が書いてくれたよ。ものすごく怒ってるのもあったし、ただ『ウンコ!』とだけ書いてあるヤツとか。オレの意図を理解してくれた人もいたし、色んな意見をもらえたね。面白かったよ。

——大橋 仁、人類の明るい繁栄のため全財産をはたいて酒池肉林を撮り収める。 | TOMO KOSUGA – Part 2

松沢呉一さんの「セックスワークを考える – 娼婦の無許可撮影を考える」シリーズは、この問題を考えたい人すべてに読まれるべきことがたくさん書いてあって、特にわたしとしては「これだから芸術なんかやってる男はダメなんですよ」とか思っている人の目に入るといいなあと思っています。あと「芸術は全て犯罪だからあきらめろ」とか「勝手にタイ人のセクシャルワーカーを代弁するな」とか「あなたのように自分の意見を持っている風俗嬢なら尊敬しますよ」とか。そうやってわたし(たち)の4への気持ちを見ない振りする人、見ない振りでこれからもやっていくべき、それが結局は全員にとって幸せだ、と思っている人に。

一部は有料ですが、分厚くない文庫本一冊ぶんくらいの値段です。10冊買ってもなかなか得られない気持ちを得ることができたのでわたしはとても買ってよかった。

 

もう何年も前だけど、源氏名が「ナナ」だったことがあります。
そのお店はわりとあっという間に潰れてしまいました。お給料は安いし駅から歩くしホテルも遠いし女の子は数える程しかおらずそれなのにタオルは常に足りないし(つまり隅から隅まで資金力がなかったのですね)という店でしたが、待機室(兼事務所、兼撮影スタジオの狭い部屋)になんとこたつがあった。いかにも旧式の、あちこち塗装が剥げている大きめのこたつ。仕事を終えて疲れ果て、ここで一休みしているうちに眠り込んでしまう、という形の「店泊」をしょっちゅうしている女の子がいました。
わたしがコートを着て帰ろうとしていると「奈々ちゃん、帰るの、お疲れ、またね、気をつけてね、またねえ」と、3割は夢の中みたいな声で言って。玄関でブーツをはいてもう一度振り返ると、こたつ布団に埋もれたまま1円にもならないはずの笑顔をちゃんと作って手を振ってくれていた。

一度くらい一緒にお泊まりしたらよかったよ。一緒にこたつで寝て、遠慮してちょっと浅く体勢をとったりして、次の日には若干頭が痛くなったりすればよかったよ。

 

ナナへの気持ちナナへの気持ち

収録アルバム:インディゴ地平線
2012/7/11 | フォーマット: MP3

 

2015-01-16 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

ヨンへの気持ち〔1〕

去年最後にした買い物は、中村珍さんの漫画でした。
今年最初にした買い物は、久保みねヒャダこじらせナイトのスタンプでした。
充実の自宅バカンスが伺えますね。すばらしいです。kindle本もいっぱい買った。
抹茶ババロアをまた作ろうと思ったら抹茶が全然足りなくてしかたなく黒ごまババロアにしてみたり、
「さらば恋人」の2番の歌い出しをど忘れして気持ちが悪いので大至急検索してくれというマミさんの要求に応じたり、その流れでYouTubeに半日を捧げたり、
おそらく泥酔したお客さんからのまったく意味がわからないが全編赤ちゃん言葉なメールをシカトしたり、翌朝に「すまん!一生の不覚!忘れてくれ!」と来たので「なんのことでちゅか♡」と返信してあげたり、そんなふうにして過ごしたお正月でした。

前回書いたこれこれその前ほどじゃないけれど反響が大きくて、いろいろなご感想を読みました。

その中には、読んで気分が悪くなった、というものもあって、それはわたしへ向けられた言葉たちがあまりに暴力的なために見ていて辛くなったり、途中で読めなくなったり、過去に同じような目に遭った記憶が甦ってしまったり、というものでした。

胸が痛くなりました。
ごめんなさい。

そのまま載せることはわたしも憚られて、それであんなふうに口調だけでもととのえてお見せしたのだけど、それでもやっぱり重いものに変わりはないし、ショックを与えてしまったことがとても苦しいです。

ああいうの、わたしが慣れているとは言わないけれど(慣れられるものとは思わないし)、セックスワーカーがなんか言った時あるある、なんです。わたしとしては「このアプローチは初めて見たなあ」というものはなかった。

セックスワーカーとして発言した人間がそのあと目にする風景を少しだけ公開したい、そんな気持ちがありました。嫌悪する人がいる、発言の内容ではないところに罵詈雑言をぶつけたり、自分の無知をはばかることなく掲げながら何もかも説明しろと甘えてくる人にしばしば遭遇する、という現実を示したかった。それはなぜなのか?ってことを考えてもらえたらいいなと思うから。それはセックスワーカーではない人を助けることにもつながるのではないかしらと思っているから。よく書いてるけど。
だから、罵詈雑言に分類されるようなものも、わたしのメールボックスに人知れず埋もれたのち消去される運命をたどる前に一度くらいは白日の下に晒されてみていいと思ったの。
でもそれだけでは「わたしたちはみんなをムカつかせる日陰者、自分の意見を持つべきでない」という結論になりかねないから、返事もした。拳の代わりにわたしを殴るためだけのツールだったかもしれない言葉を、でもどこまでもあくまでも言葉として受取り言葉を返信することで、わたしたちは罵られてしかるべき存在ではないよ、と言いたかった。

そうしたら、見ず知らずの優しい方はもちろん、わたしをよく知っているひと、会ってお茶を飲んだり日頃仲良くしてくれているお友達には特に大きなショックを与えることになってしまい、本当に申し訳なかったと思っています。ごめんね。超ごめん。

 

それから、「丁寧に答えないでちゃんと怒ればいいのに」っていうのも、ありました。

もっと感情をあらわにぶちキレてくれればいいのにそうでないから読んでいて辛い、とか(気持ちはわかる)丁寧に答えると相手は調子に乗るぞ、とか、こういう姿勢をよしとすると暴言を受けている側にどこまでも毅然とした態度を求める風潮を後押ししてよくない、筋の通っていない悪口を取り合ってはいけない、とか。

耳が痛いです。でもね。

なんでもいいからストレスを解消したいだけで、でも目の前に殴ってもよいものが見当たらないのでさし当たり目に付いたこの女をバカにしよう、って感じのもの、あまりにも意味を持っていなさすぎて返事ができないようなものはね、あれでも一応省いたんです。
「ご臨終になられてはいかがでしょう」これもけっこう迷いました、原文はご想像の通りで、ほんとにただ手軽な暴言をぶつけてきただけなんだろうなと思う。でもそんな言葉にもお返事する形をとったのは、それを通して何かを表せそうな気がしたからです。おい「られそうな」とか「気がした」じゃ意味ねえんだよ寝ぼけてないではっきり言えよ。といま非常に思いましたのでこれから書きます。

どんなに汚い言葉を投げつけられても、わたしたちは対等な存在同士です。
言った人がいて、言われた人がいて、ふたりは同じ人間です。対等なままであり続けます。
激しい言葉で罵れば、一時的に気力を失わせ黙らせることはできるかもしれない。でも、口を塞げたからといってその言葉が正しいことになるわけではありません。ある言葉でもって相手の心を完璧に踏みにじることに成功したとしても、それを投げつけた人が格上だということではありません。

そういうようなことを言いたかった。投げつけられてしまう側の人に言いたかった。
誰のどれほどの悪意を持ってしても決して覆せないはずのものを、わたしたちの誰しもがあらかじめ持っている。

「差別発言を放つ者たちを広い心で受け容れ、赦している」という主旨でわたしを、おそらくはほめようとした方がいらっしゃいました。しかしこれはいけません。
とんでもないことです。穿った見方で恐縮ですが、わたしを美化し天使的ポジションにおくことで発言者を迷える子羊にして責任をうやむやにして話をまとめようったってそうはいかないぞ。
売春婦に人権なんかねーよ死ね。そんな言葉を広い心で受け容れることなどできやしません。わたしにそんな慈悲の力などありはしません。「殴られている」と「拳を受け容れている」は全然ちがいます。わたしたちは同じ人間で対等だと言いましたが、同じ重さの人権を持っていても行いの貴賎には差が出ます。この発言をわたしにぶつける行いは愚劣です。ただ、わたしに死ねと言った人は別の場所では死ねと言われる人であるかもしれないな、とぼんやり思う、思うだけです。

もちろんはげましのおたよりもあり、全部読ませていただいています。ありがとうございました。

今回のいろいろにおいて、最もわたしを動かしているのはここで挙げた 「4)」なんです。自分でも思い知りました。いちばん深くて、いちばん口にしにくい4への気持ち。
4について何かを表明している人は少ない。たとえば今度のことで「負けないでがんばってください!」と言ってくださる方はいても、4にまつわることにふれた言葉は極端に少なかったです。それが不満だ見て見ぬふりだ、というのもちょっとちがいます。だって4に対してかける言葉、あまりなさそうだから。わたしも大した言葉を持っていません。

長すぎるので分けます。〔2〕につづきます。

2015-01-16 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

ご報告とわたしの気持ち〔2〕

〔1〕からのつづきです。

——都写美は休館中でーすwwwざーーーまあみそしーーるーーーーwwwwwww

すみません、これは原文のままです。最初に受信ボックスを開いたときはいらいらっとしたんです。知ってるし!休館中とか知ってるし!!夏ぐらいから知ってるし!!って。
でもこれ、いわゆるエアリプとかではなくて、メールフォームから(つまり、直接わたしだけの目に触れる方法で)送られて来たんです。しかも携帯電話のいわゆる「本アド」で!
もしかしてだけど、わたしが万が一そのことを知らなくていつまでも返事が来ないとくよくよしたら可哀想だと思い、しかし普通に「もしもしご存知ですか」と親切にするのはなんだか恥ずかしく、それでこんな照れ隠しをしてるんじゃないの。
そういうことだろッ?

でも、このぶんだとこの方の優しさ、好きな人にちゃんと伝わっているのかどうか心配になります。身近なお友達はよくわかっているのかな、そうだといいです。
あと「ざまあみそしる」ってすっごくかわいいですよね。ざまあみそしる vs ざまあみそづけ だと、わたしはみそしるのほうが好きです。
よしもとばななの短編集に、「ざまあみそしる〜!」でオチがつくような話があったようななかったような。うろ覚えです。
今後積極的に使っていきたいです。

——あなたは女性でしかもセックスワーカーで、人権が増えていいですね。人間というのは平等だと思っていました。

いいえ、人間というのは平等です、あなたの思い違いではないです。あなたは間違っていない。
人権って、よくわからないんですけど、ひとりにひとつ、誰のも同じ大きさで同じ重さらしいです。ただ手で持ったり秤に乗せたりできないし、目で見ることもできないので、まれに「同じ大きさなんてうそだろう、あの人のはきっと小さいだろう」と思い込んでしまう人がいるみたいなんです。「あなたのは、軽いもんね」とかこともあろうに「え、ないよね」と思われるのって、とても困ります。あるものをないと思い込まれて、でも見せてあげることもできなくて、しょうがないから「あるんですけどー」って言ったりします。それしかないので。
そして女性だったり、セックスワーカーだったりすると、どうもそういう機会が増えるようです。
そのため「あるんですけどー」を言ってるのがよく聞こえるから、あれれあの子はいくつも持ってるのかな?増やしてるのかな?と思われるかもしれないんですが、ひとつしか持っていません。

あなたの持つそれは、いかがですか。元気ですか。わたしがたくさん持っているように見えるのは、いいですね、と思うのは、あなたもまた「ないでしょ」と言われているのではないかという考えが頭をよぎりました。わたしの方が恵まれて見えるだなんて、かなり脅かされている可能性が高いのではと。
でもあります。あなたの人権はあります。今までもずっとあったし、これからもずっとあります。
それをないように扱う人がいたら、その人は間違っていますし、あなたが辛い目に遭わされているなら、助けを求める権利がいつでもあるはずなのです。目の前に誰もいないのなら、わたしに求めてもいいですよって、本当は言えたらいい。でもそこまで言うことができません。ごめんなさい。

——売春婦をセックスワーカーと言い換えるのはなぜですか。きれいな言葉に言い換えて本質を覆い隠すのは、盗撮を芸術と言い換えるのと同じくらい卑怯なことではありませんか。

セックスワーカー、をまるできれいな言葉のように思われるのは、これまで蔑称として長年使用されてきた「売春婦」という言葉に含まれるような蔑みの念をあなたが感じにくいからではないでしょうか(物足りない場合は、肉便器、などというアイディアもあるようですね)。

セックスワーカーという言葉は性別を語りません。売春婦、娼婦、風俗嬢、これらはどれも「女である」という意味を含んでいますよね。でも、セックスワーカーは女性だけじゃありません。女性も男性もいます、どちらにも属さない方もいます。
では、性風俗産業従事者、とかそういう感じじゃだめですかね?と思われるかもしれません。
ただ、そうですね例えば、お店の受付にいるいわゆる黒服さんボーイさんと呼ばれる方、デリバリーヘルスなら運転や電話受付の業務にあたられる方、それから成人向けの映像作品を作っている方、など。わたし個人は、性産業従事者という言葉だとこのようなより広い意味を指したイメージが浮かびますので、英語のsex workerをそのままカタカナ書きにした「セックスワーカー」という言葉を用いることが多いです。利用客と実際に相対して性的サービスを行う人間のみに限定して指したい場合って多いのですが、それにぴったりあてはまる言葉が日本語にはどうも見当たらなくて。

2014年末のいまセックスワーカーという言葉が用いられる場合、そこに蔑みのニュアンスは込められていないことの方が多いです(例外はたくさんあります)。
ただし、この先のことはわかりません。
使われ方次第で、未来にはやはり蔑みのこもった言葉になってしまっている、そんな可能性もなくはないのでは、と心細くも思います。
言葉の運命は人の口にかかっています。
わたしにとってはこれは、本質を覆い隠した言葉ではなく、覆い隠すものを取り除いて本質のみに近づけた言葉です。今これを読んでいるあなたにとっては、いかがですか。
どうぞ、あなたはあなたの信念に沿った言葉でわたしたちを呼ぶことができます。わたしはわたしの信念に沿って、お返事するかどうかを決めます。

——風俗で働いていらっしゃるのなら、写真を撮られるよりも危険な目に遭う可能性がたくさんあるのではありませんか?盗撮くらいのことをなぜ怖がっているのか、知りたいです。

写真を撮られるより危険な目(危険に順位って、あんまりはっきりつけられませんが)にあう可能性はあります。怪我をさせられること、金品を盗られること、薬物を投与されること、身内や別の職場に仕事を明かされること、そして一番てっぺんには「殺されること」。
全部だめです。どれもあってはならないことです。そしていわゆる堅気の仕事なら危険な目から免れられるかというと、そうではないです。
だからどれに対しても「NO」と言います。「やっていいと言っていないことをやらないでください」と言います。

いま挙げた中では、怪我と盗みは軽微(ってなんだろな?と思いますけど)なものならありました。薬物は未遂でした。殺されたことは幸いにしてまだありません。
やった人にはそれぞれ言い分(ストレスのせいだとか、キミを愛してるからとか)がありましたが、わたしが店に訴え出ることができ、男性スタッフが登場したケースに関しては最終的にみなさん謝罪をされました。警察に言わないでくれと懇願までなさった人もいました。
本心はわかりません。ですが口先だけであれ申し訳ありませんでしたという言葉が出てきたのは「風俗の女の子だからってなんでもしていいわけではない。好き勝手に暴力を働いたらそりゃあ警察に言われても当然で、こちらに分はない」という共通認識のおかげでしょう(男性が現れるまでは強気な態度だったというところは置いておいて……悔しいですが)。
わたしはこの認識にがんばってほしいので、すくすくと育って欲しいので、言葉を尽くします。「やっていいと言っていないことをやらないでください」と言います。言い続けます。

——これだけ文章が書けるコが、なぜ風俗で働いているのですか?大学はどちらを出られてます?すみません、とても興味があるもので。なんだかかまいたくなりますね(/ε\*)

わたしにかまう時間で「それなりの学力があったであろうお嬢ちゃんが風俗だなんて、何か面白い理由があるに違いないゾ☆」というご自分の中にある偏見とそれをむき出しでぶつけてしまった失敗によくよくかまってさしあげてください。

——セックスワーカーという仕事は特殊だと思いますが、男の立場からしていえば天使の仕事としかいえません。感謝があるのみです。

どういった意味合いで「天使」という言葉を選ばれたのか、わたしの汲み取れない意図がおありなのかもわかりませんが、わたし個人はその形容をストレートな賛辞としては受け入れられません。わたしたちは人間です。意思があり感情があり突けば痛いですし血が出ます。
わたしたちのキスもハグもオーラルサービスも、服を脱ぎ甘い声を出すことも、すべては労働です。奉仕ではありません。時には心や愛情を込めた、労働です。
ただの労働を美化や神聖視されることに対し、不安を覚えるセックスワーカーは多いと思います。それは蔑視と表裏一体であると、身をもって知っているからです。感謝を表していただきながらこのようなことを告げるのは心苦しいですし、蔑視などしているおつもりもないと思います。が、セックスワーカー本人に面と向かって言うのにふさわしい言葉では、残念ながらない場合があると、感謝してくださる方だからこそ知っていただきたいのです。感謝というお言葉は確かに受け取りました。ありがとうございます。

——セックスワーカーに人権などありはしないと思います。一度、ご臨終になられてはいかがでしょう。

セックスワーカーに人権は、あります。いまSTAP細胞のことを思い出さないでください。
そしてセックスワーカーに人権があることで、セックスワーカーでないあなたの人権に、その価値になにか変化がもたらされるように思えるならばそれは錯覚です。大丈夫です。
臨終の件につきましては、明確な時期を申し上げられませんが、あと70年ほどお待ちいただければ確実かと思います。

——現役で働いているあなたに辛い経験を語らせて、私はただリツイートするだけで、まるで当事者の声を搾取するかのような気持ちになります。申し訳ないです。

な、なにをおっしゃいますやらそんな!お気になさらないで下さい、なんにもなんにも。わたしはそんな風には感じてないですよう。
だってあの記事は3日間で80,000くらいのページビュー数がありましたし、そのう、本当に気にすることではないですよ。ぜんぜん。でもこういうお気持ちを複数の方がくださっていて、じんわりと温まりました。ありがとうございました。
いま改めて確認したら12万に増えていました。もっとかっこいい記事をいっぱい書いておけばよかった。あと本当にわたしはGoogleアドセンスを貼っておけばよかったですね!ざまあみそしるー!!!

ここからは個人的なお喋りです。

iからはじまる3ドット9文字@gmailの方

わたしも美術館とか博物館、好きですよ。ミュージアムショップについつい長居してしまいます。
慌ただしいであろう時間帯にサッとおたよりしてくださってありがとうございます。その瞬発力というか、尊敬します。お気持ち、よく伝わりました。

iからはじまる4文字@gでもyでもない方

お客さんでいちばん多いのはおそらく赤いマルボロだと思います。
わたしの持っているお客さんではJPSなどもよく目にします。
わたしがベッドで最も吸っている副流煙はたぶんパーラメントでしょうか。

jからはじまる8文字@gmailの方

わたしの祖母がボタニカルアートを趣味にしていたことを思い出しました。母も静物画を描いていたような話をちらりと聞いたことがあります。わたしも幼い頃は植物とぬいぐるみしか友達がいませんでしたので、日陰の植物なんかには親しみを持っています。ドクダミとか。

9_14文字@ヤホーの方

あの、呼んでください。名前。うふふ。椎名さんでもこゆりさんでも、お年が近いようなのでこゆりちゃんでもいいですよ。
誰かにいやな思いをさせて、でも自分は忘れ去ってしまっているようなことが、そうと気づけてもいないくせに背後からやってくるとき、ありますね。わっと叫んで机につっぷしたくなるような気持ちになります。うう。
身体を気遣ってくれてありがとう。あなたもお風邪など召されませんように。お仕事が充実すること、陰ながら祈っています。本当にお疲れさまです。

ここまで長いエントリをお読みいただきありがとうございました。
もしもわたしが何かよくない思い違いをしていたり、言葉の使い方を大きく誤っているところがあればいつでも教えていただきたく思っています。ですがいつにも増して黒く重たい言葉も多く受け取り精神面での疲労を感じていますので、今後お返事や交流についてはこれまで以上に慎重になるつもりでいます。わたしのお手紙をきっかけにして多くの方がご自身の考えを見つめてくださったこと、お友達やネット上で行き合ったどなたかと意見を交わしてくださったこと、得難い経験でした。

どうぞよいお年をお迎えください。わたしもいつも通りの年末を、黒豆を煮たり抹茶ババロアを作ったり、店長の「年始はいつお会いできますか?(=いつご出勤してもらえます?)」というメールに「んー、わかんない♡」と返事したりする年末を過ごします。おこられます。

2014-12-30 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

ご報告とわたしの気持ち〔1〕

東京都写真美術館へ質問した件ですが、担当者の方よりすでにお返事をいただいております。心配してくださっている方、お知らせが遅くなってごめんなさい。回答の内容は先だってニュースサイトで取り上げられた際に書かれていたものと特に変わりありません。
とても不安な気持ちで送信し、もしお返事いただけるとしたら年明けかしらと思っていましたので、すぐに対応して下さったことに安堵しました(24時間と経たないうちのお返事でした)。

わたしの希望としてはかなうのであればもう少しやり取りを続けたく、お返事のお返事も、既に送信しています。現段階で受け取っているメールをこのブログにコピーペーストすることが望まれているかもしれませんが、いたしません(掲載の可否を伺うこともしていません)。

メールの公開から、さまざまなご意見やご助言をいただきました。twitterだったり直接のメールだったり、たくさんの人にいろいろと気にかけていただきました。わたし自身の目に入ったご意見(や、ご意見と呼ぶべきかわからないけれどさぞかし仰りたかったのであろう叫び)に接して、考えたことをできる範囲で書きます。

年末の休暇時期でなくてはできなかったことと思いますので、今後ここまで時間を割けることはないかと思います。そのぶんできるだけたくさん書きました。

なお、こうして掲載するにあたり、わたしの手で一般的な言葉を選びできるだけ意味を損なわないよう書き直させていただいたものもあります。距離感その他があまりにも適切でないと、読んだ方の気持ちを乱してしまいそうでいやだったので……そしてわたし自身も穏やかな気持ちでいたいからです。

——被害者を想っての行動ではなく、ご自身の身の心配ありきだということにがっかりしました。この件での被害者はタイの女性たちですよ。抗議したいのならもっと彼女たちの気持ちに沿うべきだと思います。
——なぜ勝手にタイの女性たちの代弁をしているのですか。彼女たちの本当の気持ちなど、わかるはずがないではありませんか。ご自分のされたことのみに対して怒るべきだと思います。
——結局のところ、椎名さんのお気に召さないのはかいつまんでどういった点でしょうか?文章が長くてよくわかりませんでした。

はじめのお2人でちょっとよく話し合ってもらってもいいですか? ここで待ってますから。だめですか。ふふ。
文章が長いのは仰る通りです。電話とかもすぐ長くなってしまう方です。すみません。できるだけかいつまんでみますね。

1)相手が認めていないことを、認めていないと十分認識した上で、(生まれた国や性別や職業や立場からくる)互いの権力の差に乗じて執拗に行った写真家への憤り

2)しかもそれを日本で公開した上、私は暴力的な行為によってこれらをつくりましたよとまるで自慢のように公言した写真家への憤り

3)美術館がそれを展示したことと、当時専門家(的な方)から問題点の指摘などもなされなかったこととでその写真たちに「お墨付き」が与えられてしまったことに対する戸惑い(このあたりはまだはっきりとわかっていませんが)



4)この件で写真家の行為に嫌悪感を表明している方がこんなにたくさんいるにも関わらず、日ごろ自分が働く中で「相手が認めていないことを、認めていないと十分認識した上で、権力差に乗じて執拗に」やってくるお客さんの数、撮影したり録音したり私物の荷物を漁ったり本番行為を求めてゴネたりその他いろいろルール違反の行為におよぶお客さんの率を考えると、今ひとつ理屈が合わなくない?パソコンの前では思い遣りの心を持つ人が、生身のセックスワーカーの前ではそうでなくなるってこと?というなんだか追いかけたくない巨大なモヤモヤへの恐怖

そして今回わたしは 3)の疑問を東京都写真美術館へ直接お伺いするためメールを送りました。その際ネット上で誰でも読める状態にしたことで、
わたしのメールを「件の写真家を批判している人々の意見まとめ」だとか、
わたしのことを「批判派のみんなを代表して矢面に立つ覚悟を決めた人」だと解釈した方もいらっしゃいました。がわたしにそのような考えはありません。わたしが行ったことは、あのお手紙は、きわめて個人的な気持ちを綴ったきわめて個人的な行いです。まとめサイトではございません。広告収入も残念ながら得られません。

被写体となったタイの女性たちに代わって写真家を糾弾する使命を負ったなんてこと、一切考えていません。
わたしはわたしの立場で「こういうことがまかり通るのって怖いな、困るな」と思ったので、わたしの立場からいえることを言いたいです。
わたしの立場から言えることとは、「拒否する相手に無理やり何かするのはいけない」し「明日は我が身ってことですか、それは嫌ですやめてください」です。

——タイと日本の風俗では事情が違うと思います。なぜ自分語りをなさるのでしょうか、哀れみを誘うためですか。あれはいらないですよね。

わたしの「明日は我が身ってことですか、それは嫌ですやめてください」に対して、それだけでは「一体何が嫌なのですか?」と思われてしまいそうでしたから、明日は我が身の内訳を後半に書きました。
美術館に対し「それをアリにしちゃうと、日本のセックスワーカーも脅威にさらすことになると思うんですけど、どうですか?」とだけ言っても不親切だと思ったからです。
「日本の風俗でも勝手に写真とか撮る人いるんだ……」という感想をいくつか拝見しましたので、いらないというほどのことはなかったと思いますよ。働いたことがなかったら、わからないことですもの。

——写真を撮ることは、加害、というほどのことなのでしょうか。撮ってもいいと言うつもりはないのですが、果たして人権という言葉を振りかざすほどの被害なのでしょうか。

写真であろうと何であろうと、相手が嫌がっていることを、嫌がっていると知りながら強行する、やめてと言われてもやめない。それは相手の意思を無視することです。自分の欲求にくらべて価値のないもの、取るに足りないもの、尊重するに値しないものだとし、そしてその認識を本人に突きつける行為です。お前は私より格下だ、お前の意思は認めない、お前より私が貴い。そう宣告する行為です。
突きつける側に権力がある場合、これはきわめて強い圧力で、相手を支配する行為です。相手の尊厳を奪うことだと思うのです。
そしてこういった被害に遭う可能性があるのは、わたしであり、あなたです。
可能性の高い低いはあるかもしれませんが、完全に逃れられると保障された人はいません。わたしは「明日は我が身ってことですか」と怯えていますが、ほんとうは誰の身にも起こりうることです。堅気と呼ばれるお仕事であっても、立場や権力の差から尊厳までも軽んじられること、あると思うんです。絶え間なく降ってくる小石を棒一本でよけようと必死な人は、顔が分からない遠い場所から見ると棒切れを振り回す元気な人に見えるかもしれませんが、誰にも近くに来てもらえなければいずれ力尽き、あきらめてしまうかもしれません。「もっと早く知っていれば」という側になることも、またこわいことです。

——被害に遭った方にはお気の毒ですが、写真を撮るという行為は、そして芸術というのは、元々暴力的なものなのです。
——確かに人権は大切で、そのことに異論はありません。しかし「これはやりすぎ」という線を引かないことで素晴らしい作品が生まれるのです。現代アートというものはそういうものなのです。
——この世から芸術が失われたら、椎名さんの人生もつまらない、味気ない無味乾燥のものになると思いますよ。

もともと暴力的なのであればなおのこと、その暴力が生身の人間に向かわないために、また向かってしまった時に被害を受けた人が最大限に保護されるために、何かできることはないのでしょうか。どこにもひとつも、ないのでしょうか。
まるでわたしが芸術のすべてを拒絶しているかのように受け取られたのかもしれません。でも、そうではないので芸術と人権の二者択一を迫られるのは不本意です。
そして、問題になっている作品が果たして芸術と呼ぶに値するものなのかそうでないのか、あるいは別の名称がふさわしいのか、といったお話は、わたしの疑問とはあまり関係のないことです。
(美術館で展示されたことによって芸術作品だというお墨付き、肩書きが与えられたのではと、そのことに戸惑ってはいます)
あの作品が何のカテゴリに属しているかは、関係ないのです。芸術と扱う人がいる、いいや現代アートだと言う人がいる、いやいやあんなのはただの趣味だと評する人がいる。わたしの抗議の内容は変わりません。変えようもないのです。
嫌がる相手に無理やり○○するのはいけない、というのは、芸術でもアートでも悪ふざけでもロックンロールでも変わりないです。

芸術のない人生はつまらない、芸術には力がある、それは本当のことなのでしょう。ですが芸術がやったことだからと「嫌がる相手に無理やり○○する」の片棒を担がせてそれを認めていれば、いずれ芸術なり何なりは信頼を失うような気がして、それはいいことだとは思えません。

——あの方は、もともとそういう人なんです。狂気の天才、とでも言いましょうか、界隈では常識です。そして確かに天才なのですよ。本人はこういった批判も覚悟していて、それでもこうするしかなかったんだと思います。
——過去に彼が発表した写真集を見てください。なんなら私がプレゼントしたっていいと思っています。作品を見ればきっと気に入ってもらえると思います。一点だけでなく、彼のすべてを見て判断してください。

「もともとそういう人」から受ける暴力と、そうではない人から受ける暴力とで痛みの種類や傷の深さは変わるでしょうか。
あの人はもともとそういう人なのだ、仕方がないんだ——そういうふうに被害者が自分に言い聞かせて心を癒そうとするケースはたくさんありましょうが、外側から投げかけるとすればそれはとても暴力性のある言葉ではありませんか。「狂気の天才」によって傷つけられた人がいたなら、正気の人が手を差し伸べるしかないと思うのです。

彼のいろいろな面(すべて、というのはちょっとおこがましいので)を目にしたら、好きになれるところもあるかもしれません。
とても気に入る写真もあるかもしれませんし、別のインタビューなりを読んだり実際にお会いしたりしたら、魅力的な方だな、と思う可能性もないとは言えません。
でも、そうなれば今回の件がなかったことになるかというと、ならないです。彼のあの言動から受けた恐怖はなくなりませんし、展示に対して誰もなにも言わなかったんだろうか、ざわざわ、という戸惑いもなくなりません。

——彼が筋骨隆々とした黒人の男性に辱められる様を余すところなく撮影し、そして芸術でござ〜いと公共の美術館に展示すればいい。タイの女性たちにやらせればいいんですよ、それが無理なら椎名さんに。そうでなければフェアじゃない。

まじめに答えますね。おそらく、おそらくこれは同情や、怒ってくださる気持ちの表現だとは思うんですけど、嬉しくありません。
「おあいこだから」で解決することでは全くないからです。そんなことで「フェア」にされてはたまりません。そんな被害にあってもいい人なんてこの世のどこにもいませんし、「僕も同じ目に遭いますので、あなたを蹂躙させて下さい」とか言われてもびっくりするだけです。
もしこれが真に受けて答えるべきものではなく、「件の写真家が自分より腕力の強い相手に無理やり性的な暴力を振るわれている姿でも想像して溜飲を下げておきなよ」という意味なのだとしたら、そんな言葉で慰められると思わないでください。

——肖像権の侵害は親告罪です。被害者が訴えなければどうにもならないので、大変言いにくいのですが諦めた方がよろしいかと思います。

仰る通り今回のことは、被害者が訴えるのは著しく困難です、不可能に近いことです。被害者が訴えなければどうにもならない類のことが、訴えにくい人々を選んで行われました。
しかしわたしが自分の感じた憤りや悲しみや恐怖を美術館に対してあんなにもみっともなく表明しそれをどなたでも読めるようにしたのは、肖像権を侵害したとして撮影者に損害賠償を請求するためではありません。
よくある言い方ですが、多くの人に考えてほしい、どういった意見を持つかご自分の中で検討してほしい、と思ったからです。
それが、いずれどこかでわたしや他のセックスワーカーやそれ以外の人やこれから生まれてくる人が、理不尽で一方的な暴力からまもられることにつながるんじゃないかと思ったからです。
ありえないくらい遠い、まったく目処のつかないお話ですが、いつか少しでもつながればという思いをこめてやったことです。
それは、諦めるなんて、できないことです。

 

長くなりましたので分けます。〔2〕へつづきます。

【12/30 23:16追記】——————————-
冒頭の「ニュースサイトで取り上げられた際に」というのがどの記事を指しているのか不明瞭ですみません。該当の記事は書き方に引っかかるところがあり(わたしも写真家さんも匿名の扱いなのに、なぜか意見を述べただけの別の方のお名前のみが明記されていたため)、積極的に紹介するのを躊躇してしまいました。
かわりに松沢呉一さんがお書きになったこちらの記事を紹介します。
娼婦の無許可撮影をするゲス写真家は今に始まったことではない-『危険な毒花』と『月蝕』
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2014-12-30 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ: