まじめなはなし

ワーカーズライブ:彼女はアイドル (You are an Idol)

ガールズヘルスラボにて、6月のワーカーズライブを担当しました。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: You are an Idol

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仲の良い女性2人のやりとり、というのがわたしは好きで、それは街中でふと断片的に耳に入ってくる会話でもなんだか詩のようであったりしますし、創作の物語のモチーフとしても、好きなもののひとつです。

とくに「パッと見た感じだけでいえばタイプの違う、仲の良い2人の女性の会話」というものにひかれます(自分も日々行っているはずのことであるにもかかわらず、物語を見出したくなるのです)。それも、思慮深いしっかりものと、やや危なっかしくて個性的な正直もの、という組み合わせがつい目に付きます。

子供の頃、待合室にはゴシップ週刊誌か幼児向け絵本かハードカバーの小説しかなかった近所の歯医者さんで、それでも表紙の色彩のあかるさに小学生にも読めるかもと希望をみて手に取ったのが、吉本ばなな(現・よしもとばなな)の「TUGUMI」でした。がんばって読み進めようとしていたら、院長先生(かれはクラスメイトのお父さんでもありました)が、それ、持って帰っていいよ、と言ってくれた本。あれも、たしかそうですね。

最近では竹内佐千子著「2DK」が好きです。「あんたはきなりちゃんに似ている」と言われ、ええーわたしあんなにはじけているかしらと思ったのですが、見渡すとわたしの人生のどの時代にも、こむぎちゃんのような頼れるチャーミングな女の子がそばにいてくれているので、もしかしたらそうなのかも、と思い直しました。寝起きの悪さと、ぼーっとしてお茶をこぼすことは確かに心当たりがあります。目を開けたまま眠ることはまだできません。

 

さて、わたし自身の話をすると、愛梨ちゃんと同じように、「お客さんに刃物を向けられた」経験が、残念ですが、あります。まだ仕事を始めて間もない頃のことでした。やはりお客さんの方としては刺したり切ったりしたいわけではなく、あまり考えずにとった行動だったのだろう、と想像しています。
その時はわたしの考える力が弱く、冗談のふりをして切りつけられる可能性や偶然のふりをして切りつけられる可能性に思い至るより前に「なんて変なことをする人だろう」「どう対応すればいいんだろう」あたりでひたすら困惑するのみにとどまったため、愛梨ちゃんのように警戒を見取られて逆上される、といった事態は免れました。
数日経ってから、自分はなんて怖い目にあっていたのか、と気がつきました。
いま同じことが起こったとしたら、最初から恐怖にすくむことでしょう。

 

ガールズヘルスラボ主宰のタミヤさんからは、公開の際にtwitterでこのような言葉を寄せていただきました。

追い討ちをかけるような心ない言葉、というのは、セックスワーカーなら誰しも覚えのあることでしょうし、そうでない人にとってもまたよくあることではないでしょうか。しかしそれにまで立ち向かってゆく力というのは、なかなか湧いてこないものです。せめて、せめて、多くの人がそれぞれにとって「彼女」のような存在を得ることができれば、と願います。

弥生ちゃんが同業者なのか、非セックスワーカーなのかは、はっきり分かるように書きませんでしたが、ありがたいことにわたし自身はその両方のすばらしい友人に恵まれています。彼ら彼女らに話を聞いてもらえたときの安心や、わたしを不当に傷つけたできごとに対し一緒に怒ってもらえたときの感謝は、心の中で積み重なってわたしだけのシェルターとなっています。

 

それから、愛梨ちゃんが見たがっていた7時からのテレビは、たぶん鉄腕DASHです。あんなふうな、同じ秘密基地を持つ近しい男の子どうしが語らうようなやり取りも、また好きな物語のひとつです。

 

 

【読んだ思い出】尼のような子/少年アヤ〔3〕

本の感想でもないんだけど、読み終わって考えたことのメモです。

88ページの前半を読んで、それだいたいフォトショップだよう、ムダな落胆することなんてないよう、ははは。

とだけ最初は思ったんだけど。
もしかしたら「ああ、この時アヤちゃんが風俗だなんて大それた道に行かなくて本当に良かった。やはり心根がしっかりしているからやっていいことと悪いことの区別はついているのだ、よかったよかった」みたいに安心する人もいるのかもしれないね、いるんだろうな、と思い、少し苦い気持ちになった。

セックスワーカーの顔写真は、幸せそうには見えないことがほとんどだろう。無理もないことだと思う。
なぜなら多くの人は、その人がセックスワーカーであるという時点で幸せだとはあんまり思わないからだ。きっと幸せとは言い難いだろうな、と思っている(これは必ずしも蔑視や差別心ではなく、空想するのに使う材料がそういうものばかりしか世間にないからそうなっちゃうこともあろうとわたしは思ってる)ことの方が多いからだ。不幸なんだろうなと見なしている相手の顔は不幸そうに見える。シンプルな仕組み。

151ページに出てくる絵本の描写と同じことだ。

読み古されたミッフィーの絵本が重なり、妙に哀愁を放っている。

「読み古されたミッフィーの絵本」それ自体は、ちっとも哀しい存在ではない。
例えば『最も幸せな絵本とは、最もボロボロになった絵本です。最も淋しい絵本とは、だれにも読まれずきれいなままの絵本です』こんな風にでも言えば、背の部分は朽ち見返しは取れかけ、すでに意味を成していないセロハンテープがペタペタ貼られたような絵本が途端に輝き始めるものです。
でも不安かつ複雑な思いで訪れた病院の待合室で見た「読み古された絵本」だから、「妙な哀愁」があるのだ。胸の内を含めたニュアンスを描写するために、その絵本は哀愁あるものとして存在したのだ。

「あの日見た男の子たちの笑顔の危うさは……」もこれと同じことで、感じた「危うさ」「空虚さ」は、他でもない書いた本人の内面が投影されたものだ。
アヤちゃん自身はそれに気づいているし、よく分かっていると思う。後に続く『いまも胸に深く沈んでいる』という文章は「あの時はどうかしてたなあ、あんな風に思い詰めて人の道を踏み外さないようこの先も注意しなくちゃ」という意味ではないなと思う。はっきりと書かれている以上の著者の内面をわたしが勝手にどうこう言うのはお行儀が悪いけれど、たぶん、「あんなモデルみたいにキレイな男の子があれだけのサービスをして○○円なんだ。働くって、一体なに?」というような物思いだとわたしは解釈した。

この本の元となったブログも長く読んできているし、夜中のツイッターで心底くだらなくて心底楽しい話をし合った仲でもあることに多大な優越感を感じているわたしだけど、それなりの年齢に達した分別顔の大人でも知らず知らずに上から目線や特別視が滲んで隠せていないことがよくあるというのに、そういったものをアヤちゃんから感じたことは一度もない。
もちろん距離はあって、壁がある。でもそれは「未知である」「自分は経験していないことである」という壁だ。他人の職業だからあるところ以上には立ち入らない、という壁。

それはアヤちゃんの知性だなあと思い、尊敬している。

だから、

決してセックスワーカーを蔑視するわけではないし、なれなかったからといって僻んでいるわけでもないが、

これは、書いてくれなくてよかったのになあ、と(セックスワーカーとしてのわたしは)思った。巷にどんどこあふれている、持ち上げるふりや自分をおとすふりをしてセックスワーカーを下に見る文章に表面が似てしまうのがすごくいやだった。書きたくて書いた文じゃないよね、気配りだよね。でもそんなふうに言わなくたって大丈夫なのに、わかってるのに、と思った。
思ったんだけど、でも、でも、やっぱりそれって現実的ではないんだよね。そうして書かないと「セックスワーカーを差別しているのか」ということにされてしまう可能性がある、んだよね。アヤちゃんはニュートラルでいるだけなのに、まわりはそうと受け取ってくれないことが充分に考えられる。
そしてこのことをわたしが指摘できるというのも、現役のセックスワーカーであるから持つ、いわば特権なのかもしれない。

なんだか、悔しいな。

 

そんなようなことも考えたから、いちおう書き残しとく。
この本を読んでたのしかったってことは変わらないよ。

【追記・4/10】
引用部分を分かりやすく編集しました。
またこの文章の主旨は著者への抗議や批判ではまったくないことを、念のために改めて明言します。
わたしがここで述べているのは、
・たとえわたしの前で「アヤちゃんが風俗なんかに堕ちなくてよかった」と言う人がいたとして、その人もわたしと同じようにアヤちゃんの幸せをただ願っているという事実が胸に痛い
・いつもセックスワーカーにニュートラルに接してくれているアヤちゃんに余計な「世間へのフォロー」を書かせてしまう見えない圧力を思い胸が痛い
・しかし「フォローなんて余計だ、差別の意図がないことは明白なのに、かえって嫌味にきこえて悲しい」などと偉そうに言えるのはわたしが当事者であり友人であるから、なのかも

といった答えのないモヤモヤです。モヤモヤメモです。よろしくお願いしまモヤ。

2014-04-09 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ: ,  

 

【追記あり】ワーカーズライブ:お肉を食べる日曜日

毎月1日更新のワーカーズライブ、今月はわたしの担当でした。

Worker’s Live!! – お肉を食べる日曜日

このメッセンジャーログ形式には「LINEじゃないの?」とのご意見をいただきがちですが、LINEではないのです。メッセンジャーなんです。なぜなら、俺とパンダが好きだからです。とりわけこのコーナーのことが大好きだからです。みんなも読むといい。そして大人の皆さんはYahoo!メッセンジャーがこの3月で歴史に幕というニュースに過ぎ去りし時の長さを想ってしんみりしてしまえばいいんだよ!我々は今日も年を取っているぞ!

ええと、メッセンジャーがよくわからないナウでヤングな皆さんはパソコン版LINEだと思って読んでくれて大丈夫です。同じです。既読はつきませんが「相手がメッセージを入力中です」みたいな表示が出ます。どうだい便利だろう。

 

ユリコとヒロカズには2年前にも出演してもらったことがあります。

Worker’s Live!! – 彼氏・けじらみ・メッセンジャー

片方が風俗業に就いているカップル、というのをイメージしたとき、この2人のような関係はあまりリアリティがないと受け取られることもあるかな、とも思うのです。「本当に愛しているなら、辞めさせたいと思うはず」「辞めさせないのはお金が目当てだからに決まっている」という考え方がそれなりに普及しているし、そのような考え方に基づくなら、ユリコちゃんは全然愛されてなんかないしヒロカズくんはひどいやつ、ということにもなりかねません。

ある人にとって、パートナーが仕事として自分以外と性的なコミュニケーションを行うことが苦しみであるのなら、そのつらい気持ちそのものを風俗で働く人への差別心と同じに並べることはやはりできません。また風俗で働く人が、パートナーにそれを責められたり退職を勧められなかったために「ということは、自分は愛されていないのだ」と思って落ち込んでしまうケースも、中にはあるだろうしそれもまた辛いことだとも思います。
ですが、現職のセックスワーカーは誰との恋愛も成立しない、交際が継続される場合は愛情そのものが正しくない偽物である証拠だ、というふうに他人が判定することは、これも決してできない、してはならないことだとわたしは思います。

なにを職業としてどう働くか、最後に決定するのは本人の意思、本人の選択で、愛が理由であろうとも他人がそれを曲げさせたり支配することはできません。
(その「本人の選択」がなにかに狭められたり妨げられたりした結果のものだってことも少なくないけれど、そこはまた別の問題で。)
それに現実的な話をすると、風俗で働くに至ったその人ごとの理由を、パートナーの「愛」が補填できるケースって、そんなには、多くないと思うのです(できるならば、もちろんそれはとてもよいことです)。

 

この2人みたいなカップルなど本当にいるだろうか、と思われるかもしれません。でもまったくの荒唐無稽なものでもないはずです。わたしがこの業界で働き始めてから交際した相手はみなさんだいたいこんな感じでした。
仕事中の苦労をぐちってみたり、顧客から感謝を伝えられていっしょに喜んでみたり、馴染みの指名客が身体を壊したときにはひそかに一緒になって心配したり、そんなこともありました。

誤解されたくないなと思うのは、わたしと恋愛関係になった後も「仕事を辞めてくれ」と要求しなかったからといって、わたしの恋人たちが「何も感じていなかった」わけでは決してないということです。
わたしが風俗で働くことを手放しで歓迎していたわけでも、何をしようと個人の自由だからと無関心であったわけでもありません。
彼らの心の中にはそれぞれに、長い時間考えて辿り着いたものや、辿り着かずに積まれた課題があったと思います。わたしと同じくらいに。とてもここへ書ききれないほど多岐にわたって、心配や問題は山積みです。それらもまた、愛ひとつでどうにかできるものではありません。
たとえば、恋愛には肉体関係が伴う場合が多いですから、セックスワーカーとそのパートナーには健康面での課題も生まれます。たとえば、時には友人知人に紹介するにあたって、別の職業についている設定にするような場合もあります。
これらを「セックスワーカーとそのパートナーは衛生管理や健康に無頓着で、友人を騙しても平気でいる非道な人間だからそういうことができるのだ」とすんなり結論づけられることもあります。それはとても悲しく、苦しいことです。

 

内心では大きな苦痛がありながら、わたしの職業選択を尊重するために何も言わずにいるのを見過ごしているとしたらいやだなあ、と思い、そのときどきで交際中の相手にきいてみることがあります。

「わたしが風俗で働いていることが本当はいやですか?」という質問はプレッシャーを与えてしまいそうなので、かわりに「わたしが風俗で働いているがために、あなたにとっていちばんマイナスになっていることはなんですか?」と。

「こゆりちゃんがどんなにお客さんのことを案じていても、満足させられるように心を砕いていても、それをはなから踏みにじることしかしないような人間がいるということ。そういう人が顧客になる可能性をなくせないということ。そこに対して、僕が何もしてあげられないということかなあ」

そんなような答えが返ってきて、嬉しくもあったし、でもなんだかつらくもありました。
わたしもまた、それ(そういう人が顧客になり、こちらを傷つける可能性)に対してどうすることもできない、無力でしかないから。
今はまだ、無力さをわかちあうしかありません。

 

さて、Yahoo!メッセンジャーは3月で終わってしまいますが、msnメッセンジャーは今どうしているのかと思い検索したところ、とっくに終了していました。ああ。我々は今日も年を取っている。

ですがわたしがいちばん懐かしく切なく思うのはいちばん先(2007年)に消えてしまったデリポップです。
デリポップ、青春でした。今でもあのポロリロポロリン♪という音が心で鳴っています。大富豪になったら復活させたいウェブサービスのリスト上位にいつもいるデリポップ。

ニフティはデリポップなき後も「ドーナッツ!」を残してくれているので(超ありがたい)、今でもマイボーやノッキやウーリーに会えます。書籍も出ていて、2冊とも何度も読んで大切にしています。ドーナッツタウンはわたしの心の中にあるよ!!

オンライン絵本「ドーナッツ!」

 

【追記 2/5】( 一部不明瞭な表現があったので加筆修正しました。本文中の「無力さをわかちあう」ことをロマンチックに捉えた肯定的な、賛美するようなご感想を何通かいただき、わかちあえる関係についてよいと感じていただけたのなら、ありがたく思います。しかし、無力さをわかちあうこと自体は決して喜びではありません。わたし(たち)は客となった人からの侮辱や暴力をおそれていますが、誰もがそうであるように事前に回避する手段を持ちません。その不当で不本意なおそれを前にささやかな連帯を得られたとして、「災い転じて福となす」とは違うものなのです。特に第三者から「世にある差別のおかげで絆が深まる」といった評価を受けるのはたとえご冗談であっても非常に悲しく思い、また憤りを感じます。配慮をいただけたらうれしいです。

 

 

ガールズヘルスラボ2013-14

さっきアイラブインターネットと言ったばかりですが、昨年の終わりから年始にかけてはだいぶネットから離れていたのでした。いいんだよ、離れて育つ愛もあるんだよ。
しかしインターネッツ界で最も愛するサイトであるGHLのワーカーズライブにすばらしい原稿が登場しているのに何の告知もツイートも拡散希望もできてなかったことだけ胸にひっかかっていたので、ここに自分の感想をメモして罪滅ぼしにしようと思います。

風呂と乾燥と肌のケア (綾瀬麗次さん)

綾瀬さんが書く売り専の日常シリーズ、「そっか、そっかあ、いっしょなんだ……」って思って読んでる。男性が男性に売るお店は知らない世界で、そこで働く友だち・知り合いも綾瀬さん以前にいたことはない。でもきっと、そこに横たわってるじゃまな困難や理不尽やささやかなよろこびにはわたしのいる場所とおなじものがあったりするのかな、あったりするんだろうな、ってぼんやり感じていたことを、ああ、やはりそうなのだ、と学べる感じ。
今回はそれにくわえて、あーそっか、そうなっちゃうんだ!ってハッとさせられもした。
シャワーの後ぼボディ用化粧品は(そりゃあ自宅でのお手入れみたいにはできないけど)、わたしたちはやりようによってはプラスの印象をもたらす小道具にできることもあって、塗る姿が美しく見える箇所を選んだり、そういう工夫をする余地もある。でも売り専だとケアをすること自体に「男らしくない」っていうのがついてきちゃうんだなあ。超必要なのにね、保湿。風俗業とは細胞間脂質を生け贄に捧げ引き換えにお給金をいただく職ですか??ってくらい、乾燥するもん。
そして売り専のキャストは「男らしさ」「ノンケっぽさ」を求められることが多い、っていうの、身につまされすぎる!

 

セックスワークを引退するということ  (ブブ・ド・ラ・マドレーヌさん)

マドレーヌさんはわたしにとって、ひたすら大先輩。初めてお名前を耳にした日から今日まで、ずっと。
でも、個人的なお話だとか昔のことだとかを伺ったことは全然なかったから、なんだかちょっぴりかしこまった気持ちで読んだ。とくに「馴染みさん」からの着信をじっとやり過ごすところでは、わたしも息がつまる思いだった。
「自分の最大寿命から逆算して、生きている間にすべき事を考え始めました」という文の凛とした感じが、ふだんわたしがtwitterで見るマドレーヌさんに感じているマドレーヌさんらしさ(なんとなく、きっぱり、かつ、しなやか、ってイメージを抱いています)に近いように感じて。
わたしのまわりでは彼女のことをブブさんと呼ぶ方が多いけど、この文を読んだあとは何だか「マドレーヌさん」って感じがしたよ。
引退って、わたしにとってはまだ見えなくて、だけどある日突然そうするしかない状況へ追い込まれることもありえるし、目を背けたいけどそうもいかないけどでもでも、っていうもやもやに埋まってる。いま現役で働いている人のうちかなり多くが、そうなんじゃないかって思ってる。かつてそれを経験した人が引退について語ってくれる言葉はとてもありがたいものです。

 

Sex Workerが観るSex Work映画〜その8「風と共に去りぬ」(御苑生笙子さん)

ついについに!笙子おねえさまの真骨頂!TAKARAZUKA!!うふふ。
これが2014年元旦の更新だったというだけで、未来が明るいような気がするよ。
でも読んだら、ぐっ、じわり、うるっ、て来る。新年早々泣かされた。。。毎回だいたいそうなるんだよね。ひとつ前の「サマリア」「リービング・ラスベガス」の回もそうだった。
ガールズヘルスラボは、風俗嬢のための、という主旨で生まれて運営されているサイト(※)だから、あたりまえだけれどとってもセックスワーカーフレンドリーな場所だけれど、そういう場所でセックスワーカーに向けられる偏見について、それと向き合わされるつらさについて、こんなふうに語る文章があるってすごいことだ。
笙子さんの連載は、どれも同じセックスワーカーとしての共感に溢れている。けれど彼女の文章は「そうだね!つらいね!つらいね!」という気持ちで終わらせるようなことを決してしない。共に考えてくれるひとがいることの希望をしっかりと感じさせてくれる。
答えが出ない、ひとりではどうにもできない、すぐに解決が望めないような種類のつらさにいちばん必要なものだと思う。

爪と骨 (椎名こゆり)

さりげなく自分の書いたものも宣伝しよう、そうしよう。
もうかなり昔、アンガールズの田中卓志さんがテレビ番組で「謎の骨がある」と言われていたことがあり、なんだかそのエピソードが好きでずっと覚えています。人間はそんな部位に骨は出ていない、鳥類ならあてはまるけど……という話でした。
結局その骨は人間だれしもあるもので、しかし彼のように極端にやせていない限り見えないものなのでそのような噂となった、というオチだったと思います。
でも「みんなにはない骨がある」というのが、なんだか田中さんには似合うような気がして、いいなあ、と思ったのでした。

実はわたしにもちょっとイレギュラーな骨があるのですが、外側からはまったく見えませんし自分でその存在を意識することもできません。このストーリーの女の子のように、自分のさじ加減でちょっと目立たせたりできたとしたら、わたしはだれに見せたかっただろう、とちょっと思いました。

 

※……なんども書いちゃいますがそれは「風俗業を仕事としている人の実用に耐えうるクオリティを」という姿勢であって、そうでない人にも読んでもらえたらいいなー読んでほしいなーってことがいっぱい詰まってるサイトです。健康で安全にスキンシップをするには?という点では同じだけ当事者なのだから。

 

エレベーターを降りて

つい先日、仕事中にあったことを書く。

呼ばれたのは、よく行くホテル。東京のデリヘルで働いていれば馴染みがあるであろう、品川駅近辺のメジャーなホテル。

時間はまだ日付が変わる前。エレベーターに乗ってボタンを押す。すぐあとから、やや年配の女性も乗ってきた。どうやら同じ階で降りるらしい。
目指す階に着いてドアが開き、ボタン付近にいたわたしのほうが後から降りることになる。にこやかに会釈して女性が降りた。わたしもそれに応えてからそっと降り、そこにある自動販売機で飲み物を買う。その人に、先に行ってもらうためだ。

お客さんの待つ部屋に入るところは、誰にも見られたくない。
ノックしてこんばんはなんて言いながらおずおずと部屋へ入る姿を見れば、よほどでなければわたしが「詳しくは知らないが、何らかの性的なサービスをして賃金を得に来た女」だとわかるだろうから。それを、不快に感じるか特にどうとも思わないかはそれぞれあるだろうが、少なくとも快く思う人はいないと思うから。だから、気を遣う。こちらとしても、ドアの前で最後に深呼吸をして気持ちを集中させるあの瞬間はできればひとりでいたい。
それでもたまに、お客さんがノックに気づかなかったり寝てしまっていたり(深夜だとたまにあるのですよ)でしばらく開けてもらえず、別の宿泊客が通ってしまうこともある。ちょっと、申し訳なくなる。

時間を稼ごうとゆっくり飲み物を選んで(いるふりをして)いたが、その女性は廊下を歩いてはゆかなかった。わたしから少し距離をおいた後ろで、小銭入れの中をあらためている音がチャリリと聞こえる。
あの人も飲み物を買うところだったのだ。

これでは逆効果だ、後から来られたらドアの前で止まるわたしを見られてしまう。
でも仕方がない。できるだけ早足で歩いて距離を稼いだ方がまだましだろう、と一歩を踏み出す。すると、ちょうどまたエレベーターがこの階で止まる。今日はついていない日だ。

ドアが開き、大柄な男性が降りてくる。エレベーターホールで、3人の人間が交差する。

そのとき、あの年配の女性の声で、
「おつかれさま」
と、聞こえた。

えっ、と思い、でも足が進み始めていたので止めることができず、でも、素直に客の待つ部屋へと行けなかった。

自分に向かって言われたと、なぜか思ってしまった。

ふつうに考えると、降りてきた男性と同じ団体の人で、声をかけた、というのがいちばん納得いく。でもそうならば、男の人のほうがなにも返事をしないのはおかしいように思う。
だけど、わたしが言われたというのは、やっぱりどう考えてもありえない。ただエレベーターに乗っているだけであればわたしはただの「ちょっと荷物の大きなお嬢さん」だし、シティホテルにいる人間の荷物が大きいのはあまりにも普通だ。

もちろん、デリバリーヘルスという存在を大体わかっていて且つちょっと観察力のある人なら、わかるだろうと思う。それか同業者であれば、もうすぐにはっきりとわかる。
でもあの人が、上品な服と眼鏡の、まるで少女マンガに出てくるお嬢様学校の理事長先生に似合いそうな佇まいのあの人が、わたしをデリヘル嬢だとわかってさらに慈悲の心(大袈裟だけどそんな感じのことだと思う)によって、お疲れさま、と声をかけてくれるなんて。
そんなことって。

でも、でも、どうしてか、わたしが言われた、と思ったのだ。その時。
わたしがおめでたいだけかもしれない。それならそれでも。

 

大柄な男性は歩くのが速く、わたしをひょいと追い越して先へ行ってしまった。
わたしはドアに記された番号をもう一度確認して客の待つ部屋の前に立ち、左手でノックをしようとしてでももう一度振り返った。

女性の姿はなくて、まだエレベーターホールにいて一服しているのだろうと思った。
あのう、さっき、わたしに言ってくださったんですか、おつかれさまって。
そう訊いてみたかった。
この街で働くセックスワーカーたちが同業かもしれない見知らぬ誰かとすれ違う瞬間、知ったホテルの前を通過する瞬間、休日に例えば東京タワーを眺めているとき、あてのない祈りのように思う「みんな無事でありますように」が集まって人の姿になってわたしの前に現れたのかもしれないと、そんな風にも想像してみた。
わたしもいつも、その祈りをせずにいられない気持ちを手放せずにいるから。

待っていた仕事は、容易なものではなかった。
客は無口で、わたしと目を合わせず、行為は力任せで、体格差も大きくわたしは疲弊した。神経を尖らせて次にどう出ようかと頭を絞りながら、さっきのゆっくりと優しい「お疲れさま」の言葉をたぐり寄せては何度も頭で再生した。大丈夫だ、と言い聞かせるように。

そしてへとへとになり、また同じエレベーターに乗り、帰った。

 

2013-04-24 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ: