まじめなはなし

誰かのための当事者はいないよ—【2】憧れの時代遅れ

前のページからのつづきです。

(前半のあらすじ)
筋金入りの出不精でごろごろしながらネットを見るのが日課の風俗嬢、椎名。我らの労働環境ってよくならんのかねー、道徳がどうのとか言い訳にして人間扱いすら怠るやつがちょいちょいいるから危なくってやってらんねんだよ安全第一だろふざけんなよー。というブログを書いていたところTwitterで少々拡散される。すると「えらい」「声を上げた勇気ある当事者」と呼んでくる人が登場、呼ばれるだけなら居心地が悪いだけで済んだもののセックスワーカーの問題が話題になるたび「この件には何も言わないのか」「もっと戦え」「あなたは強いのだから貢献するべきかと」と変な叱咤激励をされるように。待ってくれ、そんな約束をした覚えはない。勝手に期待して失望している間にあなたはあなたのやれることをやろう、それぞれの持ち場でそれぞれの体力に無理のないだけがんばろう。身体には気をつけて大事にしよう。

そんなある日、椎名の前に「あなたは強いので黙りなさい」という人も現れたからもう大変!
まるっきり逆でややこしい上に、どっちもムリ。一体、どうすればいいの——!?

 

変な次週予告みたいにしてしまった。
そう、「あなたのように声を上げられる強い当事者はいいかもしれないが、その他の何も言えない弱い当事者たちのことも考えて下さい」といったお叱りを受けたこともあるんです。セックスワーカー支援を行うNPOに所属している、と名乗っていた方からのもので、わたしはそのことにさらに大きなショックを受けました。

(かんたんな当時のいきさつ)
その前日、わたしはこちらの身体をとても乱暴に扱ってくるタイプの客に運悪く当たってしまい、身動きが取れず相手が射精するまでひたすら耐え続け事無きを得たものの、軽いケガをする……という悔しい経験をしたばかりでした。そのことをTwitter上でウワーン悔しいよ〜と愚痴りまくったあとに「この体験談を、みんなも耐え抜いてなんとかしのごう!って意味に受け取らないでほしい。可能でさえあれば危険なときは部屋から飛び出したっていいはず、初めから逃げる権利もない立場なんだって思い込まされて我慢しないでほしい、私たち逃げたっていいはずだよね」……というツイートを書いたのです。
それに対し、「『いざとなったら逃亡する』というのはパワーのある人の発言」「性風俗が密室、1対1である以上は対策は無い」「暴力をふるう客からは逃げるよりも謝るべき」「あなたが対策があると主張すると、結局はセックスワーカー自身に自己防衛という自己責任を要求させ被害の訴えを無力化することにも繋がる」と、言われてしまったのでした。逃げてもいいのだから逃げろさもなくば自己責任だぞ、という主旨ではない、絶対に有効な策などないがなんらかの逃げ方を試行錯誤するのをあきらめる必要はないはず、と説明したつもりでしたが受け入れてもらえず、対話はまとまりませんでした。
(いきさつ終わり。)

もう何年か前のことですが、思い返すたびに今も胸がつぶれそうです。たった一日やり取りをしただけなのに、このようにすっかり根に持ってしまっています。むかし流行った占いでも「意外と根に持つタイプ」と書かれていたので仕方ないですが、もし生まれたときもっと難産で誕生日が1日ズレていたとしても同じだと思うんだよね……わたしとしては根に持ってるつもりはないんですよ、だってリアルタイムでつらいから!

《セックスワーク自体を否定せず、意見を言う当事者=一部、強い、自己決定だから自己責任》《そうでない当事者=その他多数、弱い、無力、保護や救済の対象》という決めつけと分断[*1]をされたと感じましたし、その仕分けは間違っているうえに有害なものです。「我々は本当に弱い人を助ける、彼らは声も上げられないはずだ、声を出せるならその人は強い」という言葉をもって行われる『支援』がどんなものになるかを考えてみてほしい。それによくこの話題では自己決定と自己責任がイコールのようにいわれるけれど、そんなことないですよね。以前の記事に書いたことがあるけど、自己決定という言葉はすべての原因や責任を無条件で本人のみへ落とし込める裏ワザではないし、自己責任論を退ける裏ワザとして自己決定権を否定してみせるのもおかしな話です。

それでね、どうして今わざわざこの話をするのかというと、この反発は、今回の「言えるあなたは強いのだからもっと戦え」という声に対するものと共通する部分があるからです。○○な当事者、として分類され、役割を着せられるのは苦しい。言うことによって、または言わないことによって、どっちにしろ誰かの都合に合う当事者として存在を許されたくはありません。
正当な理由なく自分の身に押し付けられる嫌なことについて「おかしい、そうじゃないよね」と言った、それだけだったはずなのに。

(マイノリティの中に極端に権力を持つ人がいるとその中でさらに弱い立場にある人がもっと不利益を受けることがある、というのは、そうだなあ、と思います。でも自分の思うことを自分の意見として話しただけで、他の弱い人のためにわきまえろと言われることは受け入れられないよ)

前のページで紹介したげいまきまきさんのスピーチで、彼女は「セックスワークは、自分の心身を他人に好き勝手にさせること(=モノになる仕事)と思っている人がいますが、そうではありません」「セックスワークは暴力を受けることが仕事ではありません」「どんな仕事にも人権がある」とメッセージしています。
これに対して、「『セックス』を『お仕事』として承認することは、他人の権利侵害や性差別の助長といった重大な社会的、公共的な問題と密接に結びついている」という理由で否定している文章を読みました。発行元を見ると、わたしの呼びかけを告発の無効化だと批判した方が所属されていたのと同じPAPSというNPO団体でした(ただし、当時やり取りした方が現在も所属しているかどうかは分かりません)。それを見て、心に残っていたしこりがゴリゴリと痛みました。

読んで同意できないなと思った部分はいろいろありますが、佐原チハルさんの書かれた記事があるので紹介します。

とくに中盤からの『性産業は「買う男性」と「売る女性」という関係性の承認と固定化(略)ジェンダー不平等(男の「性」のあり方、女の「性」のあり方の不平等)を強力に推進し、発信する』という説をほぐして崩しているところとか、こういった問題について考えたいけれど堅い文章だと飲み込みにくくて上手く考えられない……という人に読んでみてほしいです。やさしいので。

 

PAPSの文章を読んでみて、彼らにとってセックスワークは決して仕事ではない(仕事とはなりえない)のだな、仕事と呼ぶことは欺瞞だと捉えているのかもしれないな、と思いました。そのためわたしたちは労働者ではなく、おおかた「心ならずも公序良俗に反した方法でしか生活ができない状態に陥ってしまった人」「尊厳を手放し、引きかえにお金を得ることを、こともあろうか“仕事”と呼んで耐える、そうしないとやっていけない人々」といった感じに思われているのではないかな、と(もしかしたら、辛さのあまり「私は好きでやってるんだから放っておいてよ」と強がる、そんな自己欺瞞から抜け出せなくなった女性だと思われているかも、なんて想像もします)。
なのでわたしたちの目指すべきは何をさておいてもまず「セックスワークからの脱出」であるはずなのでしょう。それを望まない、ましてやセックスワークを肯定した上でよりよい労働を求めるなんて、ましてやましてや当事者同士でエンパワメントし合うなんて、もってのほかなのかもしれません。

彼らはセックスワーク=客からモノ扱いをされること、と単純に定義づけていることが文面からわかりますが、確かにわたしたちは時々、モノとして扱っていいんだろうと勘違いをした利用者にめぐりあってしまうことがあります。決まりを守らずわたしたちを尊重しない客が存在すること、それによって労働がじゃまをされていること、脅威となっていることはまぎれもない事実です。かなり事実、すっごい事実。ほんと怒ってるぞ! でもそれを根拠に用いて産業そのものをなくせと言われ、仕事を取り上げられるというのはよく分かりません。まきさんやわたしが「私たちはモノじゃないので」と言うとき、それは礼儀知らずの客にだけ言っているわけではないのです。「当然モノ扱いされるべくしてされる立場にみすみす身を置くあわれな人々」として扱って、わたしたちの労働をねじ曲げてくる人々にも言っているつもりです。

佐原さんの文章中、『PAPSの文章もモノ化ダメだよねつってるのに、自身がワーカーを「モノ化」している』という部分はこういうことだと思います。悪質な客からワーカーへの乱暴なふるまいを「モノ扱い」と表現することに間違いはありません。しかし、性的なコミュニケーションの技術をサービスとして、料金をいただいて提供する——という商行為そのものを、すべてまとめて「モノ扱いされる」と表現してしまっている。それではワーカーを「モノ扱い」する客を肯定するようなものです。

性風俗を利用するお客さんたちはみんな暴力的である、と思いこまれているのでしょうか。
お金のやり取りがある性的接触ならば、お金を出した側が偉いのだから何をしようと自由。だからモノ扱いして好き勝手やるに決まっている(やって当然、やむを得ない)。そう思われているとしたら、それはPAPSだけに限ったことではなく社会の中にちらほら存在しているイメージですね。「お金のやり取りがあるから」を「愛がないから」と表現する人もいます(愛という看板で暴力や搾取がカモフラージュされた性行為なんて、たくさんあるのにね)。
でも、このイメージは誤りです。想像で定義付けして語るのは、「風俗嬢は汗水垂らして働いてる人間を見下しながら楽してガッポガッポ稼いでいるんだろ」といったレベルのセリフと変わりない。『きっとそうだろ、そうに決まってる』で生み出された説です(今日2回目)。単なる想像がいつの間にか見識のひとつに昇格される、というのは誰しも知らず知らずのうちにしてしまうものかもしれませんが(後押しするような創作物もいっぱいありますしね)、こういうことになります。[*2]

ほかの産業がそうであるように、実際には「お金を出した側は何をしても自由」では全然ありません。そんなルールで運営されている風俗店もなく、どんな店にも何らかの形で決められたルール、していいことといけないことが存在します(ただね、そういうメンタルで運営されている店、はないと言いきれないのでつらい)(経営者にもいろいろいるはずですから、ルールが羽根のように軽く扱われてるってことはあるかもしれない)。店舗に所属していない場合でも何かしらの事前の取り決めはあるでしょう。

ルールを拒んで「自由だァー!」[*3]と思い込み、この誤ったイメージのまま押し通そうとする客は拒絶し排除する。誤ったイメージにはNOと言い、改まるようにはたらきかける。それは働く人の安全を守るための最も基本的なことです。怠れば権利や尊厳がすぐおびやかされます(ほかの接客業にも同じようにある課題ですね)。
PAPSの文にある「性的な『モノ』、性的な『商品』のような扱いは、彼女たちだけでなく、だれも受けるべきでない。そのように扱われる痛みを感じさせられる人を一人でも減らしたい──そう願わずにはいられません」という記述。これが本心なのであれば、彼らもまた、それをしてくれるはずではないのでしょうか。

または、直接の肉体的、精神的な暴力が現場になかろうと暴力だ、たとえどんなに客が礼儀をもってマナーを守り穏やかに振る舞おうとも、お金のやり取りに基づいて行う性的な行為は本来すすんでやりたい訳ないのですなわちサービスする側にとって暴力である、という解釈から、セックスワークはモノ扱いされることだと定義している、そういう可能性も考えました。
わたしはいつか自分の仕事について、「本来してあげる義理のないことにわざわざ応えるからそこに報酬が発生するわけで、それがサービス業」と表現したことがあります(それだけで納得せず加害行為をしたがって『金をもらってるのだから我慢すべき』と言い張る客こわいよ〜、って話の流れでした)(あと「こころ」だの「愛」だの「本当のきみ、素の○○ちゃん」だのを求めてくる人、こっちの方が多いけどこれも迷惑だよね!)。
するとこの表現が少しショッキングだったのか、「そう考えると風俗なんて絶対に行きたくない」「風俗って悲惨」という感想を持った人がいたみたいでした。なのでそういう解釈もあるかもしれないわって。

でも、性的な行為、のところを別のことにおきかえてもそう思う人は多くないんじゃないかな。
わたしたちは本来、知らない人を車に乗せる義理はないですし、荷物を運んであげる義理もありません。でも運輸業の人はそれをします。誰かの会社のお金の流れを計算してあげる義理などないけれど、税理士さんはそれをします。他人の身体をケアしてあげる義理はないけれど、看護師さんや鍼灸師さんやホームヘルパーさんはそれをしています、お金と引き換えにね。これを悲惨な暴力だとするなら、すべてのサービス業は悲惨です(すべての労働が悲惨だし人類は労働から解放されようぜ!という考え方なら矛盾がないし、まだしもずっと理解できると思う)。

そうはいっても性に関することだけは自分にとって特別だ、ほかのサービスとはわけが違う、同じにはどうしても考えられない……って思う人はいっぱいいると思います。思う人も思わない人もいてあたりまえ。そう思う人の気持ちは尊重されなくちゃいけません。個人がどういう価値観を持つかは自由で、自分の価値観に沿った人生を送る権利がある。自分の中で区別をつけていい、好き嫌いしていいんです。パクチーが無理なら一生食べなくたっていいでしょう、誰にもとやかく言われる筋合いはない。じゃあ尊重するって具体的にどういうことか?
誰も性的なサービスを強いないことです。働く側でも利用する側でも、「単なるサービス業でしょ、そう思えないってことは差別してるの?」というような理屈を使って無理やりに押し付けないことです。パクチーを食べない者は人として未熟だから口に押し込んで慣れされろ〜みたいなバカげた風潮をつくらない、社会がつくろうとすれば許さないことです。仕事を仕事として一応は受け入れているセックスワーカー個人の言葉を利用して、セックスワークが抱える問題すべてを「選んでやってるから全員自己責任でしょ」と切り捨てる道具にしないことです。
この世から性的サービス業が消えてなくなること、ではないはず。

だけど、「公序良俗に反する」から存在ごと消えるべきということにされてしまっているんですよね。セックスには、他のさまざまな個人的な行為とは違って特別に、当事者間の意思よりも優先すべき「公序良俗」と「承認」の可否があると。
わたしは出会ったばかりの人と裸で抱き合うことも、条件(最低限の態度と衛生、納得できる対価)付きで可能です。そういう性分なのです。それをしても何も失いません。けれどこの個人的な性分が、こういう価値観? で生きている人間がいるということが、耐え難いのだという人もいるんだなっていうのはなんとなくわかります。理解も共感もしてくれとは思ってなくて、ただ変わったやつもいるもんだな、とでも受け止めて別々の人生を歩んでもらえたらいいんだけどそうはしてもらえない。なにが彼らを脅かしてしまうんでしょう、哀れんだり蔑んだりが必要なのはなぜ? それでごまかせるものは何? それでもまだ足りず国とか警察に介入してほしがるのはなぜ?
——しかも「救済」や「保護」という名目で。

こうなるとロマンティックラブイデオロギーや家父長制、廃娼運動、フェミニズムの歴史、などなどの話に広がっていくところでしょうか。きりがないですし難しくなってもう無理です。だってもう、そもそもこれ何の話だったか覚えてる? わたしとっくにもうわかんなくなったよ。
いっそここからパクチーのおいしい食べ方の話とかしますか。わたし大好物じゃないけどちょこっと入ってるとかわいいなって思う。あの葉っぱの形がさ。コリアンダー、パクチー、シャンツァイ、シアントロ、いろんな名前があってぜんぶいいね。そういえばわたしもいろんな名前あるんだったよ。ぜんぶかわいい名前だよ。

 

佐原さんの記事で結びに書かれていたように、Sexwork is work. という「セックスワーク論」が時代遅れだとはわたしも思いません。それがスタンダードだった時代があったというの? だったら連れて行ってほしいよドラえもん。でも、わたしがこんなふうにいろいろ言うことを「セックスワーク論」と呼ばれるとしたら、なんか変な感じです。当事者の中のたったひとりが、安全に働かせてくれよって言うことがセックスワーク論、なのかな。論ってなんだろう。論だなんて考えたことない。とにかく仕事を邪魔されたくないだけ。「そんな仕事をするなんて変わった人だなあ」と思われようが、安全に働けて脅かされず、他の仕事をしている人と比べて権利や尊厳を加減されなければそれでいい(これ、ぴんとこない人もいるかもだけど、例えば「風俗店で盗撮して見つかった人、一般女性より安い示談金で収めてあげますよ!なんせ相手は風俗嬢ですからご安心を!」みたいなこと書いてる弁護士事務所のサイトとかフツーにあるんですよ)(実際そういうふうに処理されるしね)。たったそれだけのことがとても遠くてつくづく意味が分かんないからこうして文句を言うけれど、べつにセックスワーク論の話がしたいわけじゃないです。

個人的な気持ちを言うと、わたしが望んでいるのはセックスワークが良いものとされることなんかじゃありません(差別をしないで、尊厳を守って、って言うと、なんていうのかな……尊敬しろ感謝しろってことですか、なんて早とちりして受け取られることがあるんですけど、全然そうじゃない。差別構造のせいで実害が出てるから止めてくれって話です[*4])。
わたしが望んでいるのは仕事のせいでわたしが心身を傷つけられない、損害を被らないこと。危険に晒されないこと。そしてわたし以外のセックスワーカーもそうであること。この仕事をしたくないのに強いられたり、辞めたいときに辞められない人が出ないこと。その上で、もうちょっと望むとしたら自分のお客さんが楽しい思いをできることです。わたしと性的なコミュニケーションを築くことを通じて、思い描くファンタジーに少し近づく体験ができたり、他人が相手でもいたわりあって丁寧に触れれば心地よさが生まれると知ったり、会ったばかりの他人にどのくらいどんなふうに心のプライベートな部分を開示するかの難しいさじ加減を自分で決めるってことを経験したり、行きずりの相手に表面上の優しさを発揮することで自分にこころよさがもたらされたり、とらわれていた性的規範や役割意識から自由になれたり、お客さんが彼ら自身の身体や性と新たな出会いをして良い関係を築く、自分を受け入れ大切にする、なんかそういうようなことの補助ができたとしたらもう、かなりいいです。
いまもそういう実感を持たせてもらえる仕事がいくらかはあって、そんなときにはああよかったな、って思います。わたしはパクチーもセロリもゴーヤもいちおう食べられる体質だし、これからも細々とつつがなく続けていければいい。それくらいかなあ、望んでることって。あとは悪事を働く客がふしぎな力で根こそぎ滅びて、ついでに楽してガッポガッポ稼げたらもう最高なんだけどなー!どうにかなんないかなー!

 

以上、強くて弱くて話が長い風俗嬢からのおしらせでした。おやすみ!

 

*1 前者が後者に対する“理解”や“支援”の妨げになっている、というニュアンスも感じます
*2 あとだいたいのセックスワーク、ものすごーーーーーーーーく汗水垂れます、垂れまくります、息は切れるし汗は垂れるしそれで満足されず他の体液も出せと言われるよ(唾液を要求されることもよくある)
*3 犬井ヒロシけっこう好きでした、というとわりと同意してもらえるのに、うどん亭きつねのことを覚えてる人があまりいないので淋しい しかしわたしも「うどん亭きつね」の語感が頭に残っているだけで他のことは何もわからないのでした
*4 権利の回復をもとめて「優遇しろというのか」と言われるの、セックスワークに限らずあるあるですよね

2018-07-07 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

誰かのための当事者はいないよ—【1】自転車操業回転中


とくに最近、同じようなメッセージをもらうことがたびたびあるのでちょっとしっかりお返事しますね。
(上に貼ったものを送ってくれた方だけにお伝えしたいわけじゃなく、質問箱を利用して送られた=質問内容が広く公開されるとわかっている、ということで引用させていただきました)
(あと、いちばん穏やかな言葉で書いてもらえていたのがこの質問↑だったので、っていうのもあります)
たぶんテキパキとまとめられずに長くなるので、のんびり読んでください。

質問の中にURLで言及されている椎名のツイートはこれです。

あなたが感じた希望をわたしと分かち合いたいと思ってくださったことは、わたしにとって嬉しいこと、確かに嬉しいことです。嬉しいし、ありがたい。その部分はほんとう。
でも、あなたの希望をわたしが背負う、これはできません。無理。無理だし、「あなたならやれそうだから」といって知らない誰かの希望を託されるのは、たとえ共感する希望であっても荷が重いです。この部分は、受け入れられません。

めちゃくちゃ当たり前のことだけど、セックスワーカーはたくさんいます。それぞれの事情(これは「セックスワークをするに至った特殊でハードな事情」って意味じゃない。生きてりゃ誰でもそれぞれ事情があるよね〜ってな意味の「事情」)があり、それぞれの違った考え方と生き方があります。レインボーパレードについても、#私は黙らない0428 についても、そこにあるテーマをどんなふうに考えるか、催しの主旨に賛同するかどうか、参加したいかどうか、実際にできるかどうか、すべてそれぞれにあるでしょう。
わたしはどちらのパレードにも参加しませんでした。しなかったことはわたしの意思です。その形成には当事者性がもたらしているものも決して少なくありません。現場に足を運んで参加はしませんでしたが、たくさんの人たちがネット上にアップした写真や動画、綴られた文章を読むことによって力を得ました。

(なんで参加しなかったんですか、という質問に答えなくちゃいけない理由はもちろんないんですよ!その上で)
知っている人に会うとか写真を撮られるとか諸々嫌な思いをするとか、そういうリスクを想像すると直接参加することはできなかった、というのが理由のひとつにあります。それだけではないけど。

ほんの少しだけ淋しさのようなものはありました。もし歩けたらどんなだろうなあ……、という漠然とした、モヤッとした気持ちはありました。仕事を辞めて、さらにまとまった期間が過ぎ去り、顔とか見た目を変えたならばどうだろう……とかもぼんやりとは思いますが、そんなまったく現実的でないこと、イメージもできません。美容整形をするならもっと違った理由がいいよ。

知り合いに遭うのを気にしすぎだってば! と思われるかもしれません。でも、じゃあどのくらいの「気にする」が適切なのかって、正確に見積もれないですよね。むずかしい。すっごく数学できる人でも難しいと思う。

いまTwitterでわたしがチェックしているアカウントは、フォローとリスト合わせてきっと200〜250くらいです。たったこれだけ、たかがこれっぽっちの人数なのに
「何気なくTwitterをフラフラ眺めていたら突然自分のよく知っているお客さんのアカウントに遭遇してびっくり、仕事だとこういうキャラクターなんだなー」[*1]
「なんか会ったことあるような気がするんだよね〜いやいやロマンティックな意味じゃなくてさ……と思っていたお客さん、つい最近Twitter経由で読んだネット記事の登場人物だと確信、あなたプチ炎上してましたよね?」[*2]
そして
「新宿にてお客さんとばったり遭遇するも他人のフリくらいアタイにゃ朝飯前、眉ひとつ動かさず完璧に切り抜け……と思ったらお客さんがコントのように激しく動揺、お連れの人に『どうしたの?知ってる子?』と興味を持たれて台無しの巻」[*3]
どれも、経験があります。
本当かよ……ってなりますよね。わたしもそう思ってるよ。すっごく思ってるよ。世間はとても広く、同じだけ狭いです。インターネットもそうです。無限に広いくせに狭すぎるんですよ。なんなんですかね、少し手加減してほしいものです。自分の運の良さを信じてパーッと漕ぎ出すなんて、わたしはなかなかできません。こわいもん。

そして、「風俗嬢」として表に出るのも、「風俗嬢じゃない人」と偽って表に出るのも、どっちも簡単なことじゃない。おそらくこの質問のように、当事者は《心ない言葉を投げかける人》に怯え忌避しているのだ、と想像されていることは多いでしょう。けれどわたしが遠ざかりたいのは、大声のヤジやとんでもない中傷ばかりではありません。
仕事のことを明かしていない人と会話をして、話題がセックスワークまわりのことになったとき、複雑な思いをしたことある人はたくさんいると思います。あからさまに蔑視していない人、私は偏見ないよってスタンスの人であっても、当事者からすれば苦々しい思いをさせられる発言って、もう、本当にたくさんあるものです。たくさん、たくさんあるものです。
悪意からのものでないことは分かっているから勢いよく抗議などはしたくないし、自分が当事者だと明かさずやんわり指摘すれば何も知らないくせに小煩い人だと疎まれるかもしれない、当事者だと明かせばそんなつもりじゃなかったとか、知らなかったから、とか言われて「いいんですよ、知らなかったわけだし」と言って微笑んで許してあげなくては「当事者様かよ」と思われたりそれか悪気のない質問ぜめにあったり……などなど、ああ、どう転んでもなにもかもが億劫です。そういうやり取りがあまりにも多く行われすぎていて、休日の、プライベートの自分の心を守るためにいろいろな場所や出会いをあらかじめなんとなく避ける。そういうディフェンスに覚えがあるのは、わたしだけではないと思うんですよ。《せっかくの運動》のためにその程度のリスクは負えよ、と思う人もいるのかもしれないけど、ちょっと言われたくないなあ。

 

当日の写真に「セックスワーカーのことをセックスワーカー抜きで決めないで」といったプラカードを見ました。当事者抜きで物事を決めて動かしてはいけない、というのはほんとそれ! と思っていますし、それなのに当事者が排除されてきた苦渋の歴史もあることと思います。
当事者という存在の重さ、大切さを理解しているがために、“有益なムーブメントなのに、期待していた当事者自らがみすみす距離を置き、尻込みする姿”がとても情けなく、じれったく感じられる——ということは十分あると思う。想像できます。
確かにイライラするかもしれない。おいおい戦いなさいよ、あなたが傍観していてどうするんだ、 だってこれあなたのためなんですよ!? 当事者が声を上げなければ「善人ぶりたい外野が乗っかって勝手に騒いでる」と言われて片付けられてしまうのに(実際そういうこと言われますもんね……) 何してるんだよもう! ってなるかもしれない。
問題意識を持ってくれているゆえに、そうして歯がゆく感じることになるのだと思います。「もっと戦ってくれると思ってたのに」というご意見もいただきました。ご期待に沿えなくてすみません。
でもね、わたしは自分が当事者だということでもたらせるかもしれない有益さよりも、わたし自身のその日その時の気持ちを優先してしまいます。それが「ひいては自分のためになる」ことだと思っていても、そこまでがんばれないのです。

 

仕事中のわたしが「戦う人」な表情でいることはまずないです。楽しそうにニコニコしていたり、少し緊張した面持ちながら期待のこもった上目遣いをしたり、甘く官能的な苦しみを滲ませた表情をしていたり、冗談だと明確に分かるスネた顔を作っていたり、ひたすら穏やかな微笑みで相手の髪を撫でていたりするので自分でもその最中に自覚はありませんが、でも、たぶん戦っています。なにと対戦してるのかはわかんないけど。
それらの顔を一切崩さないで、目の前の客はどういう人間でいまこの瞬間何を考えていてわたしにどういう印象を持っているか、どんなことを期待していて何を表現し何を隠しているか、これからどんなプレイを組み立てれば相手の満足に結びつくか、緊張や不安や後ろめたさをどのくらい持たれていて軽減するためにはどんなふるまいが有効か、心の中の立ち入ってはならない場所を守れるか、体格の差や相手の性分から考えてついうっかりの事故が起こらないようどういう体勢を確保するべきか、
身体に気になる腫れやしこりはないか、唇のふちに出始めのヘルペスはないか、部屋に不審な機器がないか、凶器になるものがあるか、枕の下になにも隠されてはいないか、バスルームのカギの種類はどんなのか、万が一有事が発生し逃げ出すとしたらどう逃げるのが最も希望があるか、どうしたらこの凶悪なわけのわからん口臭から意識を逸らせるか[*4]、もういいかげんこんなの読むのもウワーッてなりますよね?
そういうふうに働いてます。

そして一日の終わりにお金を受け取って少し報われたような気になり、面白おかしく茶化した形でムカつく客の愚痴を言い合ってせめてものストレスを楽しく吐きだし、クタクタになって家に帰ってせっせと保湿クリームを塗り込みながら、いややっぱムカつく許さんぞえ〜と思い、寝る前に眺めたツイッターで「短いボトムス姿は外国なら売女と思われても文句は言えませんよ」「風俗のおかげで一般女性が守られている、感謝こそすれど差別など」みたいな巷のご意見を目にしてやれやれ、ああそうですかそうですか売女ちゃんは寝るぜ! とベッドにもぐりこんでいるわけです。
休みの日には録り溜めた「きょうの料理」を3倍速で見ながら献立を考えたり、眼科でおでこをくっつけて気球を見てくださいと言われたり、ぜったいに必要とは言いきれないモノの衝動買いネットショッピングを自分に許してしまったり、寝る前に眺めたツイッターで誰かの心強い言葉を聞いて、少し元気になって眠りについたり、しています。
で、ときどきこんなブログをちょっと書き散らかしてみたりする。
これがわたしの精いっぱいです。これがわたしの精いっぱいの「戦い」みたいなものです。

(こちらは特に「誰かの心強い言葉」として共感し励まされたスピーチのひとつ)

 

《聡明で勇気ある》などという言葉は身に余ります。もしわたしに勇気があるとすればそれは風俗嬢だと明かした上でこんなブログだのを書くというのに使っちゃってます。ときどき送られてくる「早く死ねよ喋る肉便器www」というメールを見てもiPhoneを取り落として画面にヒビを入れるようなマネはせずにそっとゴミ箱ボタンをクリックする、そのための気力に使っちゃってます。ストックを確保しながら回せる余裕はありません。勇気と気力の自転車操業、つねに火の車だよ。キコキコいってるよ。

聡明ってなんなんでしょう? 自分の考えを持っているのに感心しましたなどと言われることもありますが、自分の考えがあるセックスワーカーはいくらでもいます(まさか性的サービスを仕事にする人はみな物事を考えていない、というような、『きっとそうだろう、そうに決まってる』で生み出された説を採用しておきながらわたしに話しかけてきたんでしょうか、ホメてるからいいと思ったの?)。だってすべてのセックスワーカーには心があり気持ちがあるもの。「どうしていいかわからない」もひとつの考えでしょう。あなたにも考えはあるでしょう。たまたまわたしはそれを文字にすることが億劫じゃないタイプで、たまたまインターネットがあり公開できる場所があった。そのせいであなたの目にも留まった、それだけのことです。
そうしたら「あなたは聡明で勇気があるのだから、もっとやれ」と言われる。「あなたみたいな人なら差別もしないし全然応援しますよ」と謎の合格点をもらって分断される。どうしてでしょうね。
「声を上げられるあなたは強い。わたしとは違う、わたしにはできない」と言われるのも、またつらいことです。わたしたち、喋ったかどうかで仕分けされる必要なんてないのに。

こんな思いをすることまでも受け入れなければ、「自分の考え」を口にする資格はない、ってことでしょうか。もっと誰でも気軽に自分の思いを言っていいし、言えるべきだと思うのに。なにか表現したり行動した人にそれ以上のことを期待して重荷を背負わせ、思った通りにならなかったからといって失望してみせるのは、行動する人を減らすことにつながるばかりで何の役にも立ちません。これこそ《実を結ぶ日が遠のく》そのものなんじゃないのかな。

 

パレードやイベント、ムーブメント、そのすべてはとても追いきれていないはずですが、この春に行われたものもできる範囲内でネットを通じて触れました。性差別や性暴力について扱うものはそれだけで心が削られてしまうところがあるので、力を与えてくれるタイプのメディアであっても続けて接することが難しく(余計な中傷などがくっついてきてしまうことも多いしね…)時間がかかりましたが、なんとか力強さや勇気やあたたかいものを残して心の中に置けています。そういうふうに自分で距離をコントロール(これが大事なんだと思う)しながら、その時その時にできる範囲内で考え続けていくと思います。

くり返しになりますが、セックスワーカーが連帯と意思表示の場を奪われていることをあなたが不当だと思い、行動をし、そこで見た希望を分かち合いたいと、わたしのことを思い出してくださったこと、それはありがたいです。これからも関心を持ち続けていただけたらどんなに嬉しいかと思います。でも、わたしはその時のわたしにできる範囲内のことしかできなくて、それはあなたの見積もりや期待より小さいこともあります。
ご期待に沿えなくてすみません。
でもその「ご期待」っていったい何でできているのか……? それを、一度考えてみてほしいです。

「椎名さんはそんなに弱い人じゃないと信じています」とも言ってもらったけど、見まちがいでしょう。あなたの期待に応えてみせるのが強さなら、わたしは弱いです。当てにされているよりも、ずっと弱い。心も身体もよわよわ、すぐ泣くしすぐ具合悪くなるしすぐ欠勤します。店長ごめんね!
強くなれたらとも思いますが、強くなければダメということはないと思うし、弱い自分にできることは何なのかを考えています(誰でもそうだとおもうんだけど、人の強さ弱さって表裏だったり部分的だったりするし、他人が測定しようとするのも変な話ですよね)(「あなたは強い」とか「弱い人間のすること」とか簡単に言えちゃうけど)。

信じる、と、期待する、は別のことです。ごちゃまぜになりやすいけど、ちがうことです。他人に期待すれば多かれ少なかれ失望するでしょう、思い通りにはならないから。けれどあなたにはあなたの考えがあり、あなたにはあなたのできることが必ずあります。それぞれができることの範囲を尊重しながら自分のできることに向き合うことで連帯がかない、それこそが直接の当事者と、そうでない場所から支えようとする人とをつなぐものでもあると思っています。そうして油が差されてちょっとましなキコキコになるかもしれない。

*****************

さて、ここまで「あなたのように声を上げられる強い人はもっと戦え」と言われることへの苦痛と反論を書いてきました。ところが、これとまったくの反対に見えるお叱りも受けるのです。
「あなたのように声を上げられる強い人は黙ってくれ、その他の何も言えない弱い当事者たちの害になる」というように。おやおや、ふしぎですね。

長くなっているので別のページにつづきます。いつも長くてごめんね。

 

*1 お仕事で著名人と撮った写真をアップしていたためにわかってしまいました
*2 渡された名刺の名前と会社名に見覚えがありわかってしまいました
*3 お連れの方が察してくれたようで、デリカシーあるふるまいにより大丈夫でした♡ありがとう!
*4 この問いにだけは答えが出ています。「考えるだけムダ」です

2018-07-07 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

読んだ本:すべての女性にはレズ風俗が必要なのかもしれない。/御坊

永田カビさんの『さびしすぎてレズ風俗に行きましたレポ』というコミックエッセイをきっかけに、「キャストも利用者も女性の風俗店」がインターネットで話題にのぼり始めたように思います。わたしは書籍化される元となった作品(Pixivで発表されたもの)を読んでおり、時にハラハラしたり重い気持ちになったり、自分の仕事のこといっぱい考えさせられたり、また時に共感したりクスッと笑えたりもしました。ただ内容とは別に、プレイ後に料金を支払っている描写にたいへんびっくりして、せこいお客さんが少ないってことかな、でもちょっと心配だな、と思ったことを覚えています。
実際には料金は先払いとのことなのでこのことは取り越し苦労だったのですが、それ以来なんとなく気にはしていたのです。

つい最近になって『さびしすぎて〜』で永田さんが利用されたお店の方が書かれた『すべての女性にはレズ風俗が必要なのかもしれない。』を読みました。

ぱっとしない風俗業界で新しい可能性を切り拓こうとする人のユニークな一代奮闘記、として読む人も、女性が利用する風俗店という舞台に秘密めいたロマンティックなものを感じて本を開く人も多いだろうと思うし、女性の性的な欲求やファンタジーについて考えるきっかけになったり、いろいろな読み方がある本だと思います。

わたしは同じ風俗業界の違う業種である男性向けデリヘルで働いている人、として読み、同意できるところ、ひっかかるところ、驚かされたところも納得いかないところもありました。
ページをめくりながら考えたことや気持ちなど、主なところだけバーッと書き出します。この立場の人の感想はネットのレビューとかにも上がりにくいかなあと思うので、せめてわたしひとり分でもという気持ちです。

引用文中で「男性向け風俗店」と書かれているのは、女性のキャストが男性の利用者にサービスする性風俗店、という意味で使われており、わたしの文もそれに倣っています。

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p035 性風俗店のルールというよりも、ベッドを共にする者同士の、最低限の約束事
本当にそれ/いいこと言う/風俗店を利用する人全員刮目せよ/でもあまり認識されてないことが多くて日々疲弊するよね

p039 男性向けの風俗店では1時間3900円
少数で極端な例をあげるときりがなく、60分3,900円(だいぶ特殊なはず)でも60分39,000円以上(前者よりはある)でも存在するっちゃするのが男性向け風俗である/しかし本文中に明記されていないがホームページを見るとレズっ娘クラブの料金は男性向け待ち合わせ型デリヘルのボリュームゾーン内に入っていると思う[*1]/にも関わらず「びっくりの値段」「あちらは供給過多で低価格競争がとどまることを知らなくなっているそうで」と書かれることに違和感/極端に安い店に問題があることは事実だが/これでは男性向け=買い叩きとやっつけ仕事だらけ、といったイメージで読まれないか

p065 でもこれって、おかしいですよね
ここでおかしいと言われているのは男性向け風俗にも存在するシステム/危険な客をあらかじめ遠ざけられる非常に少ない比較的有効な方法のひとつ(個人的体験による)/男性向け業界においても客から支持が得られているとはいえないことは確かだが、おかしい、というフンワリした理由でつぶさないでほしい/利用者が女性でご自身が男性のため必要以上の威圧感を与えてしまう、そこに思い至らなかった、という反省なら超わかる

p076〜077 気づいてあげられなかったのは痛恨の極み
気づいてあげられなかったせいというより、そもそものやり方の不備では/まず男性向けではこの出張コース自体やる店は多くないと思うが、もしやるなら店の携帯くらいは持たされるだろう/せめて「連絡してくれればよかった」ではなく事前にそう明文化して伝えておくべきこと/トラブルが起こるべくして起こったこんなゆるゆるの体制で「ボロボロに」なってしまったキャストさんを思うと胸が痛む/これは男性向けにあるノウハウというか意識をもってすれば未然に防げた、十分想定可能なケースなのに認識が共有されていなかったことが悔やまれる

p087 性風俗店勤務が知られると決まってトラブルになるので、バレないよう自分でしっかり管理
無理やり辞めさせられたり、怒ったパートナーが営業妨害を働くなどすると店は大損失なのは事実/しかしプライベートのパートナーに仕事を明かすなと要求するのはプライベートへの立ち入りそのものなので前段と矛盾している/ちなみに男性向けでそのような指示をされたことは一度もない/ただしパートナーや家族に明かしているか否か、明かさない場合なんという建前にしているかを店が把握しておくケースはよくある

p092〜093 個人で性サービスを〜常に危険と隣り合わせだと断言できます
いわゆる直引きに関しては、店側が集客にかけたコストを無駄にされる行いであるというのは分かる/が、この文脈で店舗に属さないセックスワーカーたちを危険だからという理由で否定するのは筋違いであり、単なるワーカー間の分断になってしまっている/しかも無所属のセックスワーカーへの風当たりはひときわ強いという現状がある/後ろ盾のない無所属の女性が心配だと言いたいのでもそれは別の話、言いっ放しの切り捨てにならぬよう配慮が必要では/店舗に属すにも属さないにも理由があり、その選択(もしくは選択の余地のなさ)は極めて個人的な事情である、直引きが迷惑だという話のついでに持ち出すべきではない

p113 もし搾取していたなら〜マシな暮らしができていたでしょう
理不尽な言いがかりに悩まされたのだろうと思うが、搾取にあたるかどうかは使役する側の生活水準の程度とは関係がないので反証として不十分では/風俗業界の使う側と使われる側(おのずと男性→女性となる)に存在してきた搾取を考えると経営者が男性というだけで警戒する気持ちも理解できる/明確な反証もできたはずだと思うが本書のカラーと合わず省かれたのかも/性労働=すべて強制労働であり搾取と捉えた結果の働く人(経営者・スタッフ・キャストすべて含めて)への偏見は多いので、ある程度シビアに書いてもよかったのではと個人的には思った

p118 双方が検査結果をオープンにすれば〜不安に駆られることもありません
p118 「病気をうつされたらどうしよう」という不安をなくす手立ては用意できました
男性向けでここまでやれている店はまずないと思う(やろうとして失敗したところはあったか)ので、とてもうらやましいしこの文化がどうにか男性向けにも流れてこないかな〜などと思う(無理だろうな)/その上で、さらに一歩先のことになるが/検査結果が証明するのは検査日時点での状態であり利用日ではない/(HIVに関してはさらにタイムラグあり)/陰性の検査結果があるからといってSTIの心配が100%ないかのように言うのは正確でない/よってその「手立て」は手立てとして十分ではないしそもそも完全に可能性をなくすこと自体が不可能、そういうサービス内容で運営しているのだから/ならばうつしあわないように個人で出来る工夫にどういったものがあるか、それでもかかったときにはどう治療すればよいかを語ることはできないだろうか/それこそがSTI問題の本質、本来向き合うべきところではないか/陽性だった場合どうフォローアップしているかを書いてもらえたらとてもよかったと思う/でなければ単にSTI=悪 という短絡的な認識を助長するだけ/と思ったら7年間1件も陽性が出ていないとのこと(すごい)/参考URL:[衛生対策について レズ風俗大阪レズ鑑賞クラブティアラ]/この先最初にSTIに感染するキャスト(続けていれば必ずいつかそれは出る)が罪悪感を持たずにすむように対応してほしいというお節介を強く感じる

p129 外でもホテルでもスマホをバッグに入れておいてさえいただければ、キャストはもう何も心配することもなく
「え!?」と声が出そうになった/というのは、わたしの日頃の業務はこんなありさまだからです/(このブログ過去記事)[ざまあよりも楽しいこと(仕事中の盗撮被害について)]/女性向けのお店はおそらく加害行為の率が低いのだろうな、だからわたしたちほど警戒もしていないのかも、とは感じていたが、この一文で思い知らされた感がある/スマホにさえ気をつけていればよかった時代に戻りたくてたまらないというのに/いや、そんな時代はなかったか/この先男性向けで蔓延っているような行為が持ち込まれなければいいがと切に思う/しかしもしかしてこれが良からぬ人に手口のヒントを与えないための書き方であったなら…とすら思う、だとしたら申し訳ない[*2]

p131 キャストも目の前で金額をあらためるようなことはしないそうです。それをやってしまうと現金の生々しさに、やはり雰囲気が損なわれます
「え!?」と今度は声が出た/同様のことは男性向けでも日常的にあるが絶対にいただいた時&帰る時の2度数えるよう言われるしわたしもそうしたい/わざとだろうとうっかりだろうと人間は数え間違いをする/そして雰囲気云々というのは故意に数え間違えた上で封筒の中をあらためさせない人物の常套句でもある/万が一現金に過不足があった場合すべて店が背負ってくれるのだろうか、そうでなければこんなこと言っていいものではない/「キャストのあいだに信頼関係ができて(原文ママ)」いるとあるが、そこへ店から乗っかってこられると困るのでは[*3]/雰囲気を壊してはならない、客の機嫌を損ねてはならないというプレッシャーはキャストに必ずあるので、せめて店だけは取引の公平性の方を優先する立場でいてほしいが

p132 一般的な男性風俗で「現金で支払うと、雰囲気が悪くなる」という話は聞いたことがない
前述の通り普通にあるよ/現金の手渡しがどうしても嫌でクレジットカードしか使わない人や/クローゼットに封筒を忍ばせる人などもいる(目の前で金額を確認するのがルールのため困る)/店と電話連絡する姿を見たくない、現金のやり取りをしたくないから銀行の個人口座に振り込ませてほしいという理由で直引きや月極の愛人契約を要求されることもよくある

p133 これは男性向け風俗ではまったく見ない現象でしょう
決してよくあることではないが「まったく見ない」ともいえない/手作りのお菓子やお弁当を持ってこられて困ったことは何度もある

p134 キッチンがついたホテルを予約してキャストに手料理をふるまった
これがOKということはやはりすべてにおいて基本的にお客さんを相当信用するんだとわかった/かなりのギャップがあるのだ/男性向け(「ペットボトル以外の飲み物、濃い色の飲み物に要警戒」といった話をごく普通のテンションで話す)で働いている自分の視点ではどうしても不安に感じてしまうので、なにごとも起こらなければいいがと思う

p145〜146 ウチには“講習”がありません〜一般の男性向け風俗でも、新人への講習がないお店は多いそうです〜スタッフがキャストに行為を強いるケースもあるのだとか
p175 “講習”と称して男性スタッフの相手をさせられるというお店もあるといいます
男性向けの店で不必要な実技講習を強いられるという問題は存在し、「趣味講習」と呼ばれる(本番行為までも強いるケースは本番講習と言ったりもする)/わたしも何度か被害にあったしぜったいゆるさん/が、男性スタッフが相手役を務めるものすべてが悪ではない/個人的にシャワー時に性器周りの特徴(病気や病気でないものの見た目)を観察しやすい体勢の取り方、男性器の洗い方、部位ごとにに具体的にどの程度の力加減に抑えるべきか、どさくさに紛れて挿入を目論まれたときに効果的な体勢などを習ったことは長年にわたり役に立っている[*4]/「お客様ひとりひとりによって違うため、絶対の正解がない」これは本当のことだとわたしも強く思う、しかし性的コミュニケーションに<絶対の正解>はなくとも<超高確率で間違い>はあるのだ/とくに性経験のまったくない女性などは自分に備わっていない身体の器官の扱い方が分からないのは当然なので講習があること自体が問題ではないはず/講習はキャストと客双方の安全に関わる/(タマを揉んで責めろと言った客が力強く握られて大クレームとか聞いたことあるよ)/講習代わりの観賞コースがなかった時代に「性経験がない新人」を「事細かに書かない」マニュアルを読ませただけで客の前に出したエピソードを、2時間後顔がシュッとしてたから大人になったようだ、と成長物語として読まされるのはきつかった

p148 キャストはただの従業員でなく、お店を一緒に作っている同志
ここはちょっと驚いた/想う気持ちの話ではなく、「従業員」という言葉が出てきたことに/従業員であるなら、雇用保険・労災保険があるということで、もしそうならすごい/通常わたしたちは店と雇用契約を結んでいないので従業員ではない/たとえ従業員のような働き方をしている場合でも、労基法における労働者としての権利を持たされない/ケガでもすればそれまで、自己責任(治療費を経費計上することもできない)/が、仮に労基法を適用されるとそれはそれで非常に困る部分も出るため難しい/等の仕組みを店から明確に説明すらされていないことがほとんど/このあたりは既存の風俗業界の長年の大きくて複雑な課題であり、非常にデリケートな部分/法律関連は難しくわたしも正確な知識を持てていないが、「従業員」がセンシティブな言葉なのは確かなのでもし単なる働いている人という意味で使ったのなら温度差を感じる/だって著者がそのことを知らないはずはないから

p162 「いつまでもあると思うなキャストと割引」
ほんっとーーーーーーーにそれ!!本当にいいこと言う!!全員刮目せよ!!!辞めた子を追っかける人まじでこわいものね!

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全体を読んで、このお店が性風俗業界の中のひとつというより、あくまで別物、男性向けのそれとはまったく違う文化として線を引いたところで運営されているのかなと感じました。
本文中に「一般的な男性向け風俗」が登場することは何度かあるものの、私達はそれと違って、といった意味合いで使われるばかりなので。

レズっ娘倶楽部の成功を受けて、おっビジネスチャンスかも、男性向けと違ってまだ市場があるぞ! と思われ、ちょっとしたブームみたいなものが起こってもおかしくありません。新しいお店が出てくるとして、おそらくその時も女性が女性を接客するメリットとして「安全」をあげて、いかがわしいものとは違うので大丈夫ですよ、という言い方をすると思います(p013のように)。明るくやさしく朗らかに。

男性向け風俗業界には問題がたくさんある。ほとほといやになるほどです。上でわたしはこの本の感想を書いているつもりなのに、いつの間にか業界にある問題をたくさん紹介してしまっていますよね。とくに働く側にとって解決される見込みの薄い問題が山積みで、景気も良くなくて、未来に希望のある業界じゃない。そんなところに属したって大損こそすれどなんの得もない、と判断されても仕方ないし、著者のお店に、それどころかレズビアン風俗業界全体に多大な迷惑をかけている男性向け風俗店もすでに実際にあるわけです(p174〜175)。

連帯してくれ、というのともちょっと違うし、いえる立場でもないし、既存の風俗の経営者がどんなふうに思っているかも分からないし、だいたいわたしも彼ら(既存の経営者たち)を信用しているかといわれると素直にうんと言えないし、あと売防法や風営法にしばられないという大きなアドバンテージもせっかくあるし、あちらとは違いますから路線のほうによほど利があるようにも思います。

でも——「あちらさんと違ってウチは清潔かつ安全ですから」と言われておくしか、引き合いに出されるしかないの?

女性向け風俗は確かに少し特殊な立ち位置にあると思いますが、働く人たちがセックスワーカーであることには変わりない。わたしがよーく見たことのあるような、理不尽な誹りを受けたり苦境に立たされることもあるでしょう。
既存の風俗に向けられる社会からの視線が厳しくそこで働く者たちがスティグマを負わされているままで、労働者としての権利が不十分なままで、女性向けの業種だけが免れて明るく堂々と発展していけるなんてこと、あり得るんでしょうか。
安全で清潔でキモくないから、いわば「準風俗」なんなら「名誉堅気」にしてあげましょう、という流れが起こらないとも言い切れないけど(この本を読んでそういう気持ちを持つ人もいるかもしれない)……万が一そうなったなら、レズビアン風俗はその扱いを受け入れるのでしょうか。受け入れざるを得ないかもしれない。それを責めることもできません、突っぱねろとは言えないです。

さて男性向け風俗には厳しすぎる現状もあれば、長い年月のあいだに積み重ねられたものもあります。夥しい数の実例から導き出された実用的なFAQがあります[*5]。まったく同じやり方でうまくいくわけではなくても、共通する部分はたくさんあるはずです。働いているキャストが脅かされ困ることも、仕事が充実しておもしろいなと感じることも、必ず似ている部分があるはず。
とくにキャストの安全を確保するための方法、そして及ばずトラブルになった時の方法はさらに共有されてほしい。ここはおそらく男性向けが格段にいろいろなHowToを持っています(それでもいたちごっこなところもあるけど)。たしかに女性のお客さんは数が少ないので広く受け入れる必要があるでしょうし、腕力にものを言わせて危険な行為に及ぶ率は男性に比べて低いでしょう。といっても、この先母数が増える可能性もあるし、人間同士にはどんなことも起こりうる。今ほどお客さんを信用してはやっていけない日も来るかもしれません。本書にも「相手が女性だからそんなに危なくはないだろう、というのは考えが甘い」「危険というのは身体的なものに限りません」としっかり書かれています(p093)。

いま男性向けの業界にあるもので、女性向けが利用できるものはすべて利用してほしい。使えそうなものなんでも持っていってほしいと思います。だってせっかくあるのにもったいないでしょう。
だからできれば、「安全で清潔で精神的な癒しを得られる[*6]女性向け、危険で不潔で公序良俗に反する男性向け」といった対比を生む未来を避けてほしいし、逆に女性向けがなんとな〜くバカにされたり除け者にされるようなこともあっちゃいけない。必要に応じて互いにつながれるような舵取りがなされてほしい。そういうのって、雰囲気みたいなボンヤリしたもので決まっちゃうから誰かが何かをしてどうにかできるものじゃないのかもしれないし、心の隅っこでうっすらヤキモキするしかないんですけど。

それから、既存の風俗業界(水商売とか、他のところにも)って、働き方によってうっすらとしたふしぎなヒエラルキー? みたいなものを着せられています。
本番あり/本番なし 脱ぎあり/脱ぎなし 抜きあり/抜きなし 高級店/激安店 みたいなジャンル分けによる階層といったらいいでしょうか(といってもこれが常に一定の方向を向いていなくて、複雑)。ここへさらに貧困がどうだのプロ意識がどうだの誇りを持って働いてるからどうだのこうだのと絡めて論じられ、無遠慮で無責任で気ままな飲み屋の雑談レベルから知的にかしこまったふうの書籍まで、分析とジャッジメントが日々下されている。自分に向けられたものでなくとも、感じ取ることは多々あります。

これを働く人が内面化してしまっていることがあり、「私はソープやるほど堕ちてないから」「オナクラ(基本的に手だけのサービス)みたいなハンパなことしてるやつに言われたくない」とか、書いてて胸が痛いけどそんな感じにいろいろ複雑なのです。
他人への意識だけじゃなくて、業種を移るにあたってひどく自分を責めてしまったりとか。そんなのめちゃめちゃ不毛すぎるし悲しいですよね、でも、完全に切り離されることは誰にもできない。それにあてはめることで自分の心を自分で支えてがんばるしかない時だってあると思うし、わるいのは着せてきた外野だし。

ここに「レズビアン風俗」が加わってひとつ階層が増える、そういう未来も十分起こりうると思うんです。
さっき書いたような、「準風俗」で「名誉堅気」の、そして「マイノリティ」というねじれた立ち位置に置かれてしまったとしたらと思うと、押し付けられるものはあまりにも重たい。だけど世間はそれをいともたやすくやるかもしれない。

もしそうなったら、ひときわ苛酷な分断が待っている気がするんですよ。

それ、ほんと無理。こわい。直接巻き込まれるのも、遠くからふと目にするのもいやです。うまく説明できないけど心がじりじりして泣きたくなる。

女性のための風俗が、目新しく面白い話題ってだけで終わらないで、すくすく育ったらいいなとは思います。でもできれば、こういうこといろいろ見知って勉強して考えてくれる人たちの手で育ててくれると嬉しいけど……それは難しいことだろう、ってあきらめるような気持ちもあります。近いようで遠い、だけど決して無関係ではいられない、つながったおなじ世界。女性向け風俗と男性向け風俗(この呼び分け方って不便で不十分でもっとなにかほしいと思うんだけどどうしていいかわからない)もそうだし、性風俗全般とそうじゃない場所だってそうなのにね。

はぁ、この先どうなんのかな。どうなっちゃうのかなぁ。
読み終わってそういう気持ちになりました。

 

 

*1 60分3900円の店は現在サッと検索しただけでは見つからなかった/あと実際には料金の高い店って60分コース自体があんまりないけど一応こういう書き方にしました
ボリュームゾーンといってもものすごく幅広いものなのは確かだし、わたしも関東以外の相場を把握できてはいないと思う、それでも違和感があるということです

*2 ああいう記事をすでに書いていてこのブログの読者は読んでいるはずなので許してほしい…とかそんな風に考えてしばらくドキドキした、そのくらいギャップがあった

*3 羽振りの良い常連本指名(やや高価格帯の店で、長いコースで何度も呼ばれていた)にお金をちょろまかされた(彼自身が払ったお金を後でこっそり抜き取られた)ことがあります
お金に困っていたとは思えないので腹いせ(店で怒られて立場が悪くなることを期待、とか)の方がまだありえるけど、結局分からない
なんでそんなことを、と理解に苦しむようなことって普通に起こるんだよね

*4 この慣習がいまどれくらい残っているのか廃れているのか分からないけど(ふと気づけばベテランになっていたからです…)実技講習では店からキャストに報酬が支払われていた(1本分の仕事の最安値と同等かやや安い程度の金額だったかな)
講習中にうっかり(?)抜いてしまい多めの額をもらったりもした(特別な場合を除いて講習で射精するのは不名誉かつご法度なのだが、経験の乏しいキャストには勃起しないと教えづらいこともそれなりにあるしフニャフニャだとただでさえ非常にナーバスな状態の新人からなけなしの自信を奪ってしまうため「全くそういう雰囲気じゃなくても必ずたたせられる能力」を買われた彼、めっぽう早い体質の人だったのである)
講習は店の利益につながるもので、その都合につき合って通常の仕事と同等の行為を行ったキャストには対価を支払うべきと解釈されていたってことかな

望まれていないと知りながら裸になり、あれこれ説明しながら勃起を持続させねばならないかつ射精してはいけない、かように講習は精神的肉体的にハードで敬遠される仕事だと聞いた
実際にまともだった講習は地位が高くないスタッフから受けたことが多い(チクられたらボコられるってのもあるだろうけど)
一方ろくな指導もなく「ちょっと締まり具合を確認します、これは決まりですから(ニヤニヤ)」みたいなパターンはぜんぶそれなりの権力を持った人間だった、ぜったいゆるさん

*5 といってもそれがワーカーの間で効率的に共有されていないという問題があるんだけど

*6 この「精神的な癒し」を期待されること、セールスされることの問題もすごく大切な話なんですが、また別の機会にします

余談が多くてすみません!

2018-04-26 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

【お願い】取材や出演などのご依頼について

さっきあんなにワアワア言ってた人がまだ何か書くようです。今年のうちに言いたいことをぜんぶ言う作戦です。

前回はわたしの本業、風俗業での2017年の話をしました。それと別に、「椎名こゆり」の名前の方で今年を振り返ると、こちらではトークショーなどイベントの出演依頼やインタビュー取材の依頼、そういうお話をいただくことが増えたなあと思います。

そして、そのすべてをお断りした年でした。

声をかけていただいたことにはありがたく思っているのですが、お受けできるものがひとつもなかったのです。
わたしのプライバシーについてどのように取り扱っていただけるのか、という点について、あまり考慮されないままお誘いをくださった件が多かったように感じています。そのため、納得いく形でお引き受けすることができず、すべてをお断りすることになりました。

「顔写真は提供できません」「働いている店やそこでの名前(源氏名)は公表できません」「知らない人の前で被害経験を語りません」ということをわざわざ言わなければならないのか……と思い、落ち込んでしまったのも正直な気持ちです。
でも、わたしにとっていつの間にか当たり前になった感覚だというだけで、セックスワークを取り巻く問題について興味を持ったのがごく最近、という方には難しいことかもしれない。性犯罪など取り扱いに注意が必要なトピックについて考える期間がまだ浅かったり、ふだん関係の薄いお仕事に携わっている方にとっては、誰かから指摘されて気づくことが多いものかもしれない、と思い、どこかで機会を見つけて書いておこうかなと思っていました。なので今やります。

次に引用するのは、ある方にわたしから差し上げたメールです。主催するイベントのトークショーにゲストとして登壇して欲しい、というご依頼へのお返事です(一部書き換えており、お名前なども架空のものです)(見りゃわかるよねごめんね!)。長いお手紙をいただいたのですがお断りせざるを得ず、なぜだめなのか、ということを詳しく説明させていただいたので、他の方にも読んでもらえたら何かの役に立つかもしれないな、と思って載せることにします。

《以下引用》

(株)当欠エージェンシー パネ山マジ太郎 様

この度のお話、残念ながらやはりお受けすることができません。
大切なイベントにお招きくださるほどですから、わたしが何者なのかということは多少ご存じかとは思いますが、この「椎名こゆり」という名前は書き物のお仕事をする上でのペンネームであり、本業である派遣型風俗店での勤務にあたっては別の名前(いわゆる源氏名です)を使って仕事をしております。
源氏名でのわたしと「椎名こゆり」が紐付くことはあってはならないことですので、椎名として活動するにあたって顔や姿をはじめ、諸々の個人情報は明かしておりません。

性的サービスの仕事は、しばしば客となった方から強い執着を持たれることがあり、そのリスクは個人の努力や工夫で避けきれるものではありません。
お客様の数は多いので、中には○○を愛好する方も、△△に関心のある方もいるでしょう。
(注:○○や△△には今回のイベントに関連するテーマやモチーフとなるもの、取り上げられる社会問題が入る)
わたしに対し特別な感情を持ってはいない人であっても、見覚えのある顔だとわかった途端に「自分はあの女を買ったことがあるぞ」と高揚し、あることないこと話したくなるのも、人間の感情の動きとしてありえるでしょう(「奇遇」に遭った人は魔が差しやすいものですよね)。
なにかの拍子に偶然が重なる可能性は充分にあり、そのときわたしが被る不利益は予測がつきません。所属する店の外で起きたトラブルは、店も面倒をみてはくれません。
安心して働き続けるためには、筆名、源氏名、本名、そして顔などの見た目、これらを繋げられないよういつも個人で注意を払う必要があります。
もちろん、「テレビのドキュメンタリー番組であるような、磨りガラスでできたついたて越しでも出演したい!」のように思う人もいるかもしれません。まったく無頓着で、そういったリスクについては起こってから考える、という人もいないとは言いきれません。ですが、多くの場合で「東京のセックスワーカーが、東京のイベントで、顔を出して壇上に上がりものを言う」ことは、おそらく経験者ではない方が思い描くよりもずっと難しいことであり、危険を伴うことなのです。今後同業の方にコンタクトを取られる折には、どうか思い出していただけると幸いです。

身に余るお誘いでしたのに、このようなことを申し上げてすみません。こういったお誘いや取材依頼の類は多いのですが、わたしたちの身の安全にお気遣いをいただけるケースがあまりに少なく(むしろ蔑ろにされることが多く)、同じような形で活動している現役のセックスワーカーたちもおそらく同じ思いをしていると思うのです。
末筆ながら、イベントの成功をお祈りいたしております。
《引用おわり》

この件はイベントへの出演依頼、というものでしたが、研究でも調査でも取材でも同じことです。
セックスワーカーの意見が聞きたい、と思ったときに、わたしのことを思い浮かべてくれる人がいる、そのこと自体はたいへんうれしいです。いろいろ書いてきてよかったなって思えます。わたしにできることがあるならしたい、というのは本当の気持ちです。誰にもなにも頼まれたくない、というわけではありません。

しかし、その「できること」というのにはそれぞれ範囲があり、人が想像するよりも実際は狭かったりするものだ、ということです。それぞれに違う、できることの範囲を尊重してほしいのです。軽く見積もらないでほしいのです。

とくに舞台に上がること、本に掲載されること、テレビに出演すること……これらについて、お断りしたときに「なぜ嫌なのです? 皆さんこぞって出たがるのに」「チャンスを与えてあげているのに」といったニュアンスを返されると、とりわけつらいものです。ちょっと卑屈な見方をすれば、日の当たらない隅っこにいるあなたを表舞台に引き上げてあげると言っているのに断るのは生意気、と思われているのでは? とも思えてきます。もしそうなら、その感覚こそがわたしたちを閉じこめていると気づいてください。

いかにわたしの書くものに共感したかを強調し「あなたが味わった辛い目をたくさんの人に知ってもらいたいのに」「声を上げる場所を作ってあげるのに」というのもそうです。「人々の気づき」「人々の学び」のために、とよく言われますが、そのために前に出た人が差し出すものは何か、それによってなにを失う恐れがあり、どうすればできるだけケアできるか、そういうことに考えを至らせた上で相談してくれている、と感じられない場合、頼まれた側は「これは搾取では」と警戒します。「貴重なご体験」とはどういう意味なのか、誰にとって貴重なのか、と思います。

セックスワーカーを「面白い、興味深い」と見る人がたくさんいるのは知っています。しかし「面白いところだけよこしてくれればいいです、リスク管理は適宜ご自分でいいようにしてください、こっちは素人なので」という姿勢で持ち込まれた話には乗れるわけがない。セックスワーカーとしての意見を求めるのであれば、セックスワーカーが置かれている立場やさらされている状況についてもご一考の上で声をかけてくだされば幸いです。

「何でも協力するから気軽に声かけてね!」とは決して言えませんが、なにかありましたらご連絡ください。

以前からときどき依頼をいただくものには学生さんの卒業論文もあります。そちらについては、申し訳ないのですが現在すべてお断りしています。これまでいくつか協力させてもらう機会があったのですが、心身ともに疲れることがとても多かったので……。

このあたりのことはとても分かりやすく説明されている文章がありますので、MEMEさんとマサキチトセさんのブログを紹介します。どちらも“LGBT”を取り上げた研究に関して書かれたものですが、セックスワーカーに関してもまったく同じことが言えると思いました。(特にさまざまなマイノリティについての)多くの研究や調査において、そういうことが起こっているのだろうと思います。


MEMEさんの記事中に「本人の性格が悪いなどということではなく(むしろ良い子なかんじ),ただお作法を教えられていない&全然勉強していない(本とか読んでない)という印象を受ける例が私の場合多かった」とありますが、わたしも同じことを思います。あーほんとそれ! って感じです。
「やっているのは学生だが,しかしバックには研究のプロたる大学教員がついているわけで,それなのに」ともあり、わたしは(自分が大学生であったことがないために)指導教官という大人がついている、ということに考えが至らず「まだ学生の人がたったひとりでがんばっているのだから」といった変な義務感をもってしまい、ずいぶん無理難題であったりちょっと失礼であったりする要求(だと知っていてぶつけているわけではないんだと思います)に応えてきてしまった、と反省しています。

お受けしてよかった、と感じている「調査」もごくわずかながらあります。その中に大学の教授をしていらっしゃる方からのインタビュー調査があり、それを経験してようやく「ああ、『調査』の対象となるときは本来このくらいしっかりとした配慮があるものなのだ、ああ、それはそうだ!」と、本当にようやく気づくことができたのです。そのときのインタビューを録音したものと、元にして書かれた論文はわたしも持っていて(ちゃんと渡していただけたので)、すごく時々聞き返す(読み返す)とほんのり元気が出ます。わたしの当事者性を尊重し、堅苦しい雰囲気ではないながらも敬意と慎重さをもって質問してもらえている、つまりマサキさんの翻訳記事にあるようなことがしっかり守られているからです。
調査や研究をする人とされる人との間には、マイノリティとされる人を対象とする場合はなおさら、どうしても立たされている場所の違いから力の差のようなものができます。でも、それを越えて良いコミュニケーションを作り上げることもできるのだと知れた経験でした(しかしそのためには、調査や研究をする側の人の知識と心がけが不可欠です)。

2017-12-31 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

ざまあよりも楽しいこと(仕事中の盗撮被害について)

久しぶりに自分のブログにアクセスしたら、昨年の今ごろはスケートのアニメにドボンとはまっていた文章が出てきて懐かしさと自分への「わかるわかる」にむせび泣きました(それにしても勢いだけで書いていて訳が分からないところも多すぎたのでこっそり書き直したりした。だせえ)。もちろん今も思いきりはまったままです。刺さったものが抜けないんです。幸せです。

今年のわたしはというと、吐く吐く詐欺にこそ遭いませんでしたがやはりそれなりにお客さん方に翻弄されて疲れ果て、同僚やスタッフさんと苦笑いしながら「来年もよろしくね」と言い合ってお別れしたところです。『客が財布を開けたらば3800円しか入ってなかった事件』とかありました。それなりのホテルのそれなりの部屋だったので笑ってしまいましたが、油断できませんね。本人は「おかしいぞ!?」と騒いでいましたが、「今夜行ったお店を順番に思い出してみて」と優しく語りかけてみたところ数時間前の記憶がすでに曖昧モコモコのフワフワだったので、そのお金は落としたりスラれたりしたわけでなく、全てお酒になってお腹の中にあるのだろうとわかりました。
そこまで酔っているといつの間にかわたしのせいにもされかねないな、と思い「どこかのお姉さんにあげちゃったんじゃありません? モテるんですね♡」とよく考えると理屈が不明なことを言ってサラッと失礼しようと思ったのですが、電話でいいからと叫んで懐から立派なお色のクレジットカードを出してしまったため断る権利が消滅してしまいました。本当は3800円のところ5万円持っていると思い込んじゃう(&見知らぬデリ嬢の前でカード番号を平気で読み上げるまでにセキュリティ意識が損なわれている)ほどへべれけであるという事実は変わらないため「まさかこの人吐かないかな大丈夫かな」とスリリングな時間を過ごしました。しかしこんなに酔っていてはとても身体は反応しないだろうに、それでも他人のぬくもりがほしかったのだな、柔らかい肌に触れて眠りたかったのだな、と思い、優しく接しようとつとめましたが、蓋を開けてみたら確かに泥酔しているのに下半身は絶好調、そのうち調子に乗って「お金あげるから」と禁止事項を求めてきたので(3800円くれるつもりなのかな???)と思いました。本人も気がついたようでばつが悪そうにしていましたが、ここで「カードで」と言ってくれれば小さな笑いが起こったのに惜しかったです。

待って、そんな話をしにきたんじゃなかった。

1年の仕事を振り返って、思うことがあります。

「やっぱじわじわ増えてるよね、盗撮」です。

同業のひとたちにとってはとっくに昔から切実な迷惑行為(なんて言葉じゃ足りない)だしツイッターなど見ていてもよく話題になっていたけれど、今年は本当によく見聞きしました。毎週毎週遭遇するってわけじゃないけれど、勤めている店の他の女の子にも、他店の友達にも、そして自分にも、何度かそういう話がありました。小型カメラ(と、それを用いたハウツー)が普及しているということだとしたら、来年はもっと増えるのかもしれません。

わたしがこの業界に入った頃はまだスマートフォンという言葉もなく、「大きい荷物の客に気をつけろ、鞄の口が開いててレンズが見えるかも」「怪しいときは電気を消せ」なんてお店から言われたのを覚えていますが、いま思えば平和な時代だったと言いたくなってしまうほどです。
(実際にそういう入念な下準備で乗り込んでくる盗撮犯が少ないけれど存在したわけで、平和なんかじゃないよね)

体位を変えてほしいと言って女の子に後ろを向かせた隙に携帯電話で撮っちゃう、というのもよくありました。ピローン♪ と音が鳴って、「いま撮ったでしょ」と言うと「え?何が?」とシラを切ったり、「消したから大丈夫だよ〜」とうそぶく人が時々いたものです。でも店のスタッフが確認するとSDカードの中にちゃんと入ってるっていう。せこい手口だと笑われるかもしれませんけど、そういう人いっぱいいたんだよー!

時が流れ(スマホの普及、無音カメラアプリの時代を経て)、いまわたしたちが悩まされているのは、はじめから隠れて撮るために作られた小型のカメラによる盗撮です。身の回りの日用品、文房具やお菓子やはたまた飲み物などに偽装したカメラがいろいろと、普通に売られていて誰でも買うことができます。長い時間録画できて、しかも部屋が暗くてもじゅうぶん鮮明な画像が撮れるようですね。もうため息しか出てきません。勝手にどんどんテクノロジーしないでほしいものです。しかし正当な理由で必要とする人もいるのだ、とも思い、だとするとそれはやはり他人から侵害されている人が証拠を作るためだろうなあ、とますます心が苦しい。どこもかしこも大変かよ。

撮った動画がリアルタイムでスマホに転送されていたケースもありました。盗撮が発覚した場合に「使用したカメラを没収し、身分証のコピーをとって出入り禁止にする」みたいな対応をするお店もけっこうあると思うんですが、それだけでは足りない時代になってきたのかもしれません。

スタッフが部屋にやってきたとき、慌てるよりもきょとんとしている人が多いように思います。発覚することを恐れながらやっている人ばかりではなく、バレるなんて想定もしていない(または、バレたところで店が介入するようなことじゃないと思ってる?)人がけっこういるということなのかな。「○○(店名)の者です。お話を伺いますので本日のサービスはこれにて終了させていただきます」とまで言われてもまだ理解できず「なんだ君は」と偉ぶっていた人もいました。その無自覚さ、とても怖かった。

そして証拠を突きつけられもう逃げられないとなると、そこで初めて謝るんですよね……スタッフに。わたしではなくて。「すいませんでした」「勘弁してください」「会社にだけは」「妻子がいまして」って。家族構成どうでもいいっつうの。今後の自分の処遇だけに興味があるのだと思います。彼らにとって失敗とは、してはならないことをしたことではなく、それが店にバレてしまったことなのでしょう。
若い人、中年の人、一見の人、常連の人、いろいろです。でもまだわたしに向かって自分から頭を下げた人はひとりもいません。もし下げられたとして「じゃあ最初からするなよ」と思うだけではあるんですが、それでも悲しいことだと思います。とことん舐められているわけですから。

今年は「何年も指名し続けてくれて、良い関係を築けていた(と、わたしは思っていた)お客さん」からも盗撮をされました。これにはさすがにびっくりしましたし、精神面のショックが大きかったです。
彼に気づかれぬよう店にSOSを出すとき、やられていると分かっているはずなのに「でも、でも、何かの間違いでは」「わたしの勘違いでは」という思いを拭えずにとても混乱しました。情けないほど、しっかりできませんでした。彼のことを考えていた時間、身体のクセやプレイの好みを観察して把握し、どうすればもっと喜んでくれるだろうかと試行錯誤を繰り返してきた数年間とその間ずっと抱いてきた感謝の気持ち、自分の仕事を気に入ってもらえていると感じた嬉しさなどが、すべて一瞬でなくなってしまった。それがすぐには受け入れられず、腹を括れなかったのだと思います。
それから、自分がしようとしていることが彼の心や生活にどんな変化や影響を与えるだろうかということも、考えられなかったし考えたくないのに、考えようとしてしまうのでした。「こんなにいい人なのに」と。明らかな禁止行為をした人に向かっていい人もなにもないのにねえ。
幸いわたしは普段店から「盗撮に関しては不審なモノや行動があった時点で男子スタッフに丸投げしてくれてかまいません、万が一勘違いであっても紛らわしい行いで恐怖を与えた責任はお客様にある、と考えるようにして勇気を出してください」と言われていたため、最も守るべきものは彼でなくわたしだ、店は味方についてくれるはずだ、と心を立て直すことができ、最後には「助けてください」と言えました。言えてよかったです。

 

そもそもなんのためそんなことを、と思うかもしれません。何のためなんでしょうね? わたしも分かりません。

趣味で、という人はいると思います。趣味としてあとで見返して楽しむために裸の女性(または、自分がサービスを受けた時の、というところに意味がある人もいるかもしれません)の画像や動画が欲しい、でも、撮らせてほしいと頼んでもどうせ無理だから/嫌われるに違いないから/相応の謝礼などを払うことになっても嫌だから/頼んだと知れたらそれだけでブラックリストに入りそうだから/カメラを意識していない自然なものがいいから/などなど、の理由で、気づかれないようこっそり撮ってしまえ、と思いついてしまった人、いるだろうなと想像します。

それから、撮った画像や動画をなにかに利用する人もいると思う。人が見たがるようなものをインターネットにアップロードして、お金に換えることもできる時代です。または同好の士からいいねをもらって心を満たす、あの人はさすがだと尊敬を得る、こいつウケるぞと一目置かれる、という使い道もあるでしょう。目にする機会がないとピンとこないかと思いますが、街中で盗撮した女性の画像を載せてワイワイ盛り上がっているツイッターアカウントは実は腐るほどあります(本当に腐って土に還ってくれればいいのですがそうはいかないらしいので、これのことかと思った際は通報してもらえたらと思います)。
デリヘルを呼んで隠しカメラで生配信、という手段を選んで、逮捕された人もいると聞きます。

それから、これはわたしが勝手に想像しているだけなのですが——撮る、ということそのものに意味がある人。画像や動画に使い道があるわけではなく、ただ相手に知られず撮影に成功することを楽しんでいる人、いるんじゃないかなあと思うんです。
本当なら嫌がられるはずのことを、まんまとやってのけているってこと。ざまあみろ、という気持ちが心躍らせ、高揚させるのではないかしら。
もしかしたら彼らにとって、わたしたちはどこか気持ちの良い存在ではないんだと思います。
ちょっと服を脱いで触らせるだけでこっちに何万円も払わせて、別の男やイケメンにならやらせてるはずのことを「規則なので」と断ってくる、生意気なあいつら。
または、何も考えておらず頭も悪いくせに女だというだけで金になって、きっとめちゃくちゃ儲けてて、人生チョロいとほくそ笑んでいるに違いないのに世間からは「事情があるはず」「頑張っている」と擁護され可哀想な弱者の顔をする、癪に障るフーゾクジョーたち。
それか、いつもあんなに笑った顔を見せて楽しそうにしているのに、食事に誘っても連絡先を聞いてもなしのつぶて、俺のことどう思ってるのか問い詰めてもいい返事をしない、自分が幸せにしてやると言っているのにどうしてそれが分からないのか、でもお店を通して呼ぶとちゃんと来る、納得いかないあの子。
もっともっといろんな形があるとは思うけど。

「バカ女め、ざまあ(笑)」という気持ちが、やってやった、という達成感や優越感が、彼らをほんのひととき癒しているんじゃないか、と、ふと思ったのです。そしていつの間にか抜け出せなくなってしまうんじゃないかって。
そういう意味のことを直接言われたわけじゃないです。わたし自身が何度か被害に遭ってみて、そしてその後の顛末を知った(もちろん本人と接触はしないので、店のスタッフや対応してくださった弁護士さんや、時に警察の人を通じて聞いた範囲内ということになります)上で抱いた勝手な感想ですし、盗撮する人の心の内を想像してみたってなんの足しにもなりません。たぶん来年も撮られるんだろうなと思うと気が重いです(むしろもっとテクノロジーがイノベーションしやがって見破れないケースが増えるかもしれません)。でも、ついつい考えてしまうんですよ、こんなにも気分の悪いことを。本当なら対等なはずの人から舐められ見くびらればかにされる、とっても迷惑で、恐怖なことなのに。本当にいやなことなのに。

盗撮していて、やめたい、と思っている人。
やりたくないことをやめられなくて苦しんでいるなら、それは心身の不具合かもしれません。話を聞いてくれる人も見つけにくいでしょうし、親しい人にほど話せないことだろうと思います。医学的なことは分かりませんがこの世にはいろいろな依存症があって、攻略法を考えている人たちもたくさんいると思うんです。ひとりで勝てる敵ではないとしても、戦う方法を知っている人がいるかもしれません。あなたがあなたをちゃんと助けてあげてください。そのために他人に助けを求めてください。「これで最後だから」といってデリヘルを呼ばないでください。わたしたちは何もしてあげられません。
それから、見つかってもろもろ失うことを心のどこかで望んでる人、あなたも必要なのはデリヘルじゃないです。「見つかったらやめられる」という考えもだめです。そこには必ず、すっごく傷つく人がいます。あなたの破滅願望のために人を人間不信に陥らせないでほしいんです。

盗撮していて、やめる必要を感じていない人。
あなたが盗撮によって得ているもの、お金だったり愉しみだったり、その代わりになるものをわたしがあげることはできないので、やめろと言ってもしょうがないことですよね。だからわたしはただあなたを憎むことしかできません。
憎みながらも一応、盗撮よりももっと楽にお金になることや、もっとおもしろいって思えることに巡り合えたらいいねって思います、いちおうね。いますぐ探しに行ったら間に合うかもしれません、盗撮はいつか必ず見つかるので、それより先にやめられた人だけがしれっと生きていけるのです。しれっと生きていくことが幸せかどうかはわたしにはわかりませんが、清廉なフリしてしれっとやっていくルートをたぶんあなたは望みますよね。だとしたらバレるより先にやめるしかないんじゃないですか。ていうかやめろ。しょうがないことでも言うわ、言うだけタダだもん。やめろ。今すぐやめろ。

「ばれなければ、誰も傷つかない」派の人。
心優しいあなたが道路に飛び出した子犬を助けようと自らの危険を顧みず身を挺し、不幸にも事故に遭って命を、または一命はとりとめたものの以前のような暮らしができなくなり、お家に戻れなくなったり、周りの人とスムーズに意思疎通ができなくなってしまったとします。そのとき、あなたのスマホとメモリとハードディスクに入ったあのデータやそのデータが即時破壊されるシステムを開発してから言え。クラウドにもハンマーとドリルで穴を開けてください。わたしはむちゃくちゃなことを言っています。でもあなたも同じくらいむちゃくちゃなんですよ。いつでも引き返せると思っているのはあなただけです。やめろ。

どちらさまもよいお年を。ざまあみろって思う楽しみよりも大切な楽しみが、来年にはみつかりますように。

 

2017-12-31 | カテゴリ: まじめなはなし | |  

 

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