まじめなはなし

ワーカーズライブ:ずっとこのまま

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: ずっとこのまま

11月のワーカーズライブを担当しました。
同業の(とプロフィールに記載されている)方の書いてくれた感想をこっそり拝見すると「いるよねこういう客。困るよねぇ〜」と言ってもらえていて嬉しかったです。しかしそうでない方からは「気楽に読めるやつかと思ったのにホラー」「怖いやつは怖いと言ってくれ(笑)」みたいな声がちらほらあり、そのー、なんだ、ごめーーーん。怖がらせるつもりはなかったんだよう。というか完全に「ヤバい客あるある早く言いたい〜」みたいなノリでいたよね。うふふ、申し訳ない。あれかな、業界に慣らされちゃったかな、それともモルダーあなた疲れてるのよみたいなことかな。

……でも、ちょっと思ったんだけど、わたしももしかしたら、自分が風俗嬢であることを明かしていないときに他人の話としてこれをきいたら、「こっわ〜!」と思ったり言ったりするかもしれないのかもなあ。いやどうかな。うまく言えないけど、そんなふうに思いました。

こういう、セックスワーカーのフィクションを書いているときは、「わたしの仕事を知っているひとたち/同業経験がある人もそうでない人も(おそらくは3:7くらいで)混ざってて/とっても仲のいい人も、すこしだけ仲のいい人も、友達の友達、って感じや通りすがりの人も混ざっている/性風俗業界に対しては懐疑的な人もいる(が、そこで働く人に憎悪を表明している人はいない)/と一緒に和やかにおしゃべりしてる中で、わたしがいつか人から聞いた話をしゃべって聞いてもらってる」みたいな気持ちで文章をつくっています……うーん、たぶん。はっきり説明しづらいけど。
それで、そのときには、普段のわたしの日常生活ではそれなりに出番が多いはずの「仕事のことは明かさずに、で、明かさないものだから自分でも半ば忘れて社会生活を送っているわたし」は、もうすっかり隠れて、出てきてくれないんですよ。ちゃんといることはいるんだけどね、わたしはいいよ〜、って感じで部屋から出てこないし口も出してこないしアドバイスもしてくれないの。

そういう自分にもし読んでもらったら「こわいねえ」って言うでしょうか。いやどうだろうな。わかりません。

 

それはそれとして、でもさー、こういうの、実際は別に風俗じゃなくたってありますよね、つきまとわれ問題、ストーカー問題。わたしもありますもん、まったく別の仕事をしていたときに、お客様からつきまとわれて業務にも私生活にも支障が出たこと。相手の職務と自分の立場を利用した迷惑行為に困らされる……と表現すれば、もうたやすく想像できる単なる「接客業あるある」ですよね。

むしろほら、尾行されてるときに一対一じゃないうえさらにこっちは鉄のかたまりの中にいるわけですよ、だからまだ安全性が高いといえるのではないだろうか。さらに堅気の接客業と違って本名の書かれた名札とかはつけてないわけだし、運転してる人は3連続同じ方向に曲がる程度の知識は持っていて、上司はたぶん同様の状況に対応した経験とか持ってるわけですよ。ほらほら、怖くなくなってきたでしょう。どうかな。どうかな。だめ?

(……これって「堅気の接客業」の非常時の守りが弱くてやばいってことですよね。本名の名札、あれ本当に必要だろうか。判別できれば戸籍にのってる名前じゃなくたって用は足りるのでは)

あとお友達に「最後どうなったのか分からないから怖いんだよ〜!」って言われちゃったよね。なるほどそうだわ。これはですね、お客様が『やってはならないこと』をやってしまったら、そこから先は店の出番なんですよ。粛々と対処はされるでしょうけど、その内容をミユさんが具体的に細かく知ることはないと思うんだ……とりあえずわたしの場合は、今まで働いてきてだいたいいつもそうだったので。
ミユさんは誰にも守ってもらえないって思ってたけど、そんなことないと思うよ。だってデリヘルだとよく「カギ開けとくからノックしないで入ってきて」とか「部屋のインターホン押さないで入ってきて」みたいな注文する人もいるんですよ。理由はいろいろあって、隣近所を気にしてだったり、出張で泊まってるホテルで隣が同じ会社の人だから〜的なことだったり、到着を待つ間に寝落ちしそうだから女性に優しく起こしてほしい(もう寝ちまえよなあ!)とかもあります。それのバリエーション、客の図々しさが跳ね上がった版でしょう、カギを渡されて使わされるって。

そりゃあ店としては喜ばしいことじゃ全然ないし「そのころちょっと相談してくれていれば……」とはなるだろうけど、その場でテクニカルに回避したり力強く突っぱねたりできなかったこと、すぐに店に言えなかったこと、そうできるだけの経験値も立場も持ってなかったこと……それって、『やってはならないこと』じゃ、ないですよね。
自分の経験からそういうことを察して、カナコさんが言ったのが「悪くてもいいけどたぶん悪くない」です。きっと。

守ってもらうべき場面では守ってもらいましょう。堂々と助けてもらいましょう。わたしたちはいろいろな危険に遭う可能性の中で仕事をしていて、雇う側が知らんぷりを決め込んでよいことではないはずです。警察にしてもそうです。もし客が『やってはならないこと』をやったときは、それによって目の前に危険が迫ったときは——たとえそれがわたしたち自身が招いたかのように外野から見えたとしても——助けられる権利、安全確保に協力してもらう権利があるはずですもの(もっと言っちゃうと、わたしたちの身ではとても大きな恐怖や危険であっても、店のスタッフが相対すれば全くそうとは限らなかったりするものです)(男性スタッフが出て行くと、さまざまな「力の差」がガラリと変わるということですね)(心強くもありますが、悔しくやるせないことです)。

……なんて言ってはみたものの、ですよ。
そういう準備のない店や気持ちのないスタッフに当たってしまう可能性は、やっぱり、あるんだよ。そしてそれは、実際にトラブルに遭う前にすべて見抜けるわけじゃない。どの程度やってくれるか、正確に知ることはあまりに難しいです。やれやれだよ。祈るしかないなんて悔しく頼りないことですが、これもまた、性風俗業に限らない問題ですよね。
好意がきっかけであろうと、親切を受けたことがきっかけであろうと、つきまといは加害行為ですからやってはなりません。そして相手の職務と自分の立場を利用した加害は特に卑劣です。
さらに、運悪く危険を回避しきれず被害が甚大なものになった場合に『やってはならないこと』をやった者ではなく「そういう仕事をしていたわけだから」「好意を持たせたのだから」とやられた方の者がより責められ、それをもって一件落着かのように扱われる、そういう問題も忘れてはいけません。

 

ほとんどの安全面で、派遣型(デリヘルのことだよ)よりも店舗型の方に分があるといわれます(し、実際そうだなと思います)。でも、「帰り道を狙ったつきまとい」については、店舗型に勤める人にも降りかかる危険です。
超当たり前だけど出勤する場所が割れている上、出勤・退勤時間がホームページに出ているので尾行がかんたんなのです。ホテル型(受付があり、近隣のホテルで接客する)の場合だと衣装ではない服を見られるので、その日お相手した客が出来心を起こしてそのまま近くで待ち伏せ……なんてことも、デリヘルより容易にできてしまいます。

わたしの話を少しさせてください。おばあのむかし話を聞いてくれんかの〜。
あれはもう10年前、アタシが渋谷のホテル型の早番で働いていた頃のことじゃ。よく帰り道に109やマルイに寄って、お手洗いで数分過ごしてから駅へ向かっておったもんじゃ……喋りづらいから若返るぞい。無駄なことなんだろうと思いながら、わたしって小心者だな、と思いながら、それでもやめられなかったのを覚えています。
ある日、帰り支度をしてお給料をいただいたときにスタッフから「さっき近所のお店さんから連絡があったんだけど、なんか変なオジサンがウロウロしてるって〜。ちょっとキモいから駅の手前まで送るわ〜」と言われたことがありました。そういう不審者はすーっごく珍しい存在ってわけじゃないから、そうなんだ〜イヤですねえ、すみませんがお願いします〜、いいのいいの、ついでに買い出しあるし〜。ってな感じで、スタッフと一緒に店を出たんです。
こーゆー店の女の子をジロジロ見る趣味のヤツか、それとも現金ひったくろうとしてんのか分かんないけど、どっちにしても迷惑だね、と言い合い、そして楽しく談笑しながら歩いていたら、なんだか背後で変な気配を感じた。その瞬間スタッフにバッと肩を抱かれ、後ろでは別のスタッフが男を取り押さえていて、ええっやっぱり変な人がいたんだわ怖い!……と、その不審者の顔、見たことがある……自分の指名客でした。
目的やなんかは省略しますが、はじめからわたしが狙われていて、スタッフはぜんぶ知っていたようです。こっわー。
10年くらい(もしかしたらもっと)前の話です。その店の現場のスタッフは手練手管の人が揃っていて頼りになりましたが、まもなく警察に摘発されて消滅しました。私たちが会ったことのない偉い人が逮捕された流れでそうなったらしいという噂でしたが、本当のことはわかりません。働いてる人、びっくりするほど何も知れないんです。

スタッフさんたちともそれきりになりましたが、最後(になるとは、わたしは思っていませんでしたが)の時に、あの日隣を歩いてくれた人が「日ごろの感謝だよ」と言ってちょっとしたプレゼントをくれました。そして、どこに行っても頑張ってね、どこに行っても大丈夫だからね、と言われました。おいおいもういらないみたいなこと言うなよ〜! と大いにスネましたが、もしかしてこの人辞めちゃうんだわ、と勝手に察して、ありがとう、と言いました。
それからすぐ、店の電話は繋がらなくなりホームページは404になりました。

彼がくれた優しさこそ、もしかしたら吊り橋効果みたいなものだったかもしれません。理不尽な目にあう現場を目の当たりにしたゆえの、同情のようなものだったかもしれません。でも、その言葉は10年経って初心者でなくなった今も、わたしをちょっとずつ支えています。

悔しく頼りない世界でなにかとりあえずの支えになるものがあるとしたら、大丈夫だ、と言ってくれる人です。守るよ、とあらわしてくれる人です。その場限りの優しさでもいいし、「それが仕事だから」でもいい。わたしもそう言える存在でありたいし、それはなにも同業者じゃなくたっていいのです。

そういうことが書きたくてこの話が思い浮かんだんだな。と、いま分かりました。

 

【わたしがやっていた/今もやってることなど】
無駄かもしれないし、やらないよりはましかもしれない

  • 地下鉄の入り口/出口を毎日ランダムにする
  • 待っていたホームに最初に来た電車を見送る
  • 電車を降りたあと、ホームから出ていく最後のひとりになる(駅の規模や作りによるかも)
  • 差し入れは店の中で処分する、自宅に持ち帰らない(特にぬいぐるみとお花)
  • なんか怖いなと感じるお客さんのことはそれとなくスタッフに(愚痴の形でいいので!)知らせておく
  • 人柄に問題がなさそうでも、自分に会うために借金をしている客とは距離を置く(いきなり切ると刺激しそうな場合は3回に1回予約を受ける、とかでも)
  • NGや出禁やもろもろの対応を渋る店には見切りをつける
  • 接客の記録はつけておく(警察に相談する場合、時系列の記録が絶対ほしくなる)
  • 客が個人情報を喋った場合はそれもメモしておく
  • 親身に話を聞いて力になってくれた警察の方の名刺をお守りとして隠し持ち、心の安定を得る(今日も持ってるよ!)
2017-11-18 | カテゴリ: きらくなはなし, まじめなはなし | タグ: ,  

 

ワーカーズライブ:春一番の姉妹

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 春一番の姉妹

これまでガールズヘルスラボに書いてきた小説の中で、たぶんいちばんほめられました。うれしい。ありがとうございます。
そして『良い百合』という言葉でほめてもらっている場面をたくさん目撃しました。今までもときどきそう言ってもらうことはあったのだけど、わたしは人の関係性に対してかなり大ざっぱ(とてつもなく大きくて仕切りのない「好き」という箱にあれもこれも入れちゃって、中で浮遊してる)なので、あっ百合に入れてもらえるんだ、って実感するとくすぐったかったです。名前がつくと照れちゃう感じして、すぐ「わたし名前がもうユリだからね〜」とか言ってしまうんだ……。

余談だけど、男性の同性愛を薔薇に例えるのに対して女性のそれ(いまは同性愛関係に限らずもっと広い広い範囲に使われますね)を百合と呼ぶ、と知ったとき、綺麗な名前だな、と同時に「うまいこと言う!!」とひとりひそかに盛り上がったんですよ、だって、それは、そのー、ユリって、おしべの先んとこ(葯っていうんだっけ?花粉の袋)をちょん切ったりひっこ抜いたりしてポイッと捨てちゃうじゃん!?

……でも、どうやらそこは関係ないみたいで、うそでしょー、と思ってます、いま。そう、いま検索してちがうと知った。えーーーまじかよーちがうのかよー。余談おわり。

 

過去を振り返ると、わたしもいろいろありました。
さくらちゃんだったことも、みずほちゃんだったことも、あったと思う。忘れられない女の子が何人もいます。忘れない、というだけではあまりに無意味で頼りなく、どうか幸せに暮らしていますようにといつも祈っています、無意味なことに少しも変わりないのに。

最近はキャストどうしがあまり仲良くならないようにシステム作ってる店も増えた気がするけど、ちょっと前は距離感近いところはもうどっこまでも近かったんですよ。同じ毛布をわけあってうたた寝したりとか普通にしてた。いや、あれはわたしのいた店の待機室の狭さが半端なかったというだけかもしれないな。異様にせまかったので……。
その店はいろいろといいかげんでした。求人には『寮完備』って書いてあるんだけど実体はそのせっっっまい部屋のことだったもん。夜中に店閉めてみんな帰ったらここで寝ろや、を『寮完備』と書く。アクロバティック〜。
いまでは他にもいろいろとんでもない働き方をさせられていたことが分かるけど、当時はそういうものなのだと思って受け入れていました。摘発されていた可能性もあったわけで、その点はこわい。
でも、つらい思い出ではないです。

脱線しちゃった。

はっきりとカップルになっている恋愛関係じゃなくても、女性たちの間の憧れや友情など肯定的な感情、それゆえにときに生まれる相反するかのようなチクチクしたもの、そういうものたちが織りなす物語が幅広くまとめて『百合』と呼ばれるのだとしたら、風俗店ってそういうものいっぱいある(ように外から見える)かもなあ、と思います。女子校みたいに。
仲良くなったり、ならなかったり、意識しながらとうとう直接は言葉を交わせなかったり、憧れながら負けたくなかったり、助け合ったり、突き放したり、やっぱり手をつないだり。だけど、プライベートではつながらなかったり。あとたま〜につまらない(と本人たちも思ってる)ことで熱いバトルが起こったり!

勤務時間内だけ極端に距離感が近くなる場合がある、っていうのがけっこう大きいかもしれません。
私物のヘアアイロンを仲良い子に貸してあげたら「なにこれめっちゃいい!サラサラ!」と喜ばれたのであたしがいない時も勝手に使ってね、と言ってアイロンの持ち手にその子の名前をマッキーで書き足した(とったとられたにならないよう置きっぱにする私物には名前を書く)ら、次に出勤したとき彼女の手によって名前の間にハートのマークが足され「シーナ♡リサ」みたいになっててコンビ名かよってめっちゃうけたんだけど当のリサちゃんがたまたまいない日だったものだからひとりで肩を震わせた話とか、なんていうか、わたしにはちょっとしたかわいい思い出のひとつみたいなもの、
この世界独特の、なんだろ、閉鎖性とか秘密っぽさみたいなものも手伝って、ドラマチックに捉える人もいるかもしれない。そういうのを、「百合だ!」って呼ばれて消費されるとしたら、どうなんだろ。

……ってことを、ちょっと考えました。
どうだろ。でも、あんまり嫌な感じはしない。

たとえば刑事もののテレビドラマやなんかで、風俗業やホステス業がそれこそその閉鎖性や神秘性や、さらに不誠実だったりお金にだらしがない人間であろうというマイナスイメージを利用したうえで、物語を進ませるためのパーツとして雑に利用されているケースは溢れています。ふーん、と思っています。さぞかし使いやすくて便利でしょうなあ、って。

でも、じゃあ、同じことなんじゃないのって言われるかもしれないけど、そんなに嫌じゃなかった。関係性だけを面白がられたり、閉鎖性や被差別性をスパイスにされることを想像すると、たしかにとても嫌なんですよ、だけど、今回言われた限りではわたしはそういう感じをぜんぜん受けなかったです。

「女の友情は(男のそれに比べて)もろい」とか、「女の絆は男が現れれば簡単に壊れる」とか、「女ばかりの場所は陰湿で残酷」「女から女への恋心は単なる通過儀礼」「または男の(セックスの)良さを知らないから」といった一面的で有害な思い込みにNOを突きつけるものとして『女たちの物語』は力強く、また不可欠な存在だと思っているから、百合という言葉を褒め言葉だと受け取れるのかもしれません。
わたし自身は物語を読んだり見たりする時、ガールズラブでもボーイズラブでもどっちでもないズラブでも伝統的な異性愛でも「ズ」がふたりじゃなくても性愛的なラブストーリーじゃなくても、似たようなテンションで読んで同じ棚に入れてしまうタイプですが、それでも女の物語が生まれにくかったり、作り手の意に反する形の評価や消費をされやすかったりする感じはなんとなくわかる。なので、女どうしの関係性を描いた作品がもっと力を得て自由になれたらいいな、という気持ちもあります。
今回わたしが書いたものを読んで、すてきな百合だね、と言ってくれた人(女性がほとんどでした)が、ああ限定的でない何らかの肯定的な力(良さ、とか、わかりみ、というやつかな)を感じてくれたのかなあ、と思うと、正直にうれしいです。

女が女の愛情を信じられる世界であってほしい。それを取るに足りないもの、弱くもろいものだということにして力を奪い、別の力に従属させようとする存在から自由になりたいと、これまで仲間であった女性たちとの思い出を通じて、そう思います。

 

余談その2。その待機室が異様にせまかった店では辛い経験もして(店長に性的な関係を要求されるなど)、結局さいごは無欠から飛んだのですが、しばらく経ってからふと思い出して検索してみたらホームページがなくなっていて、すぐさま匿名掲示板を訪ねてみたらかつて働いた女の子らしき書き込みで「祝!○○(店長の名字)落ちぶれ〜!(IKKOさんかよ)」とあり潰れたばかりだということがわかったので、他にもたくさん悪事を働いていたのかと腹が立ちながらもほっとしました。
あのときへこんでたわたしに「アイス食べたくない?」と言って外に連れ出して話をしてくれた女の子のことも、ずっと忘れてないです(3月か4月で、まだちょっとアイスには寒くて、やっぱさみーよ、って言いながらその子はパナップ食べてた。わたしはなに買ったか忘れた)。

2017-03-14 | カテゴリ: きらくなはなし, まじめなはなし | タグ: ,  

 

小さな暖炉の前の椅子

ここを読んでくださっている方にはそろそろおなじみ、2014年末のできごと について、当時から尽力してくださっていた方々とお話する嬉しい機会が最近ありました。
いろいろと心の中のものを書き出したのでよい整理になり、ログが流れていくのがもったいないのでここにまとめておきます。

今になってはたと思い至ったのですが、あのとき誰が何をしてくれていたのか、というのが、当時のわたしにはほとんど見えていなかったんです。何らかのかたちで動いていると把握していたのは自分以外にもセックスワーカー(引退後の方を含む)が多く、そのため当事者だけで矢面に立っているかのような心許なさは大きかった。じきに精神的負担の大きさに、もう無理!となり、もっと知りたいことはあるけれど、もう無理だな、という状態でわたし自身はいったん区切りをつけました。それでよいのだと言い聞かせる他なくなった、というか。

アクションを起こしてくださった方がいたことは、知っています。ただ、その後どうなったのかを知る機会がなくて。「知りたいし、言ってくれて大丈夫なので教えてください」とどこへ申し出ていいのかも分からないまま時間が経ってしまったので、それはちょっと気になってはいます。

いま初めて言うことだと思うけど、当時大きなメディアの取材も受けたんですよ。ただ、質問の問いの立て方がもう完全にズレていて(同じ女性としてどう思いますか?とか……)、つくづく悔しくて、一度は断って、でもどうしてもって真剣にお願いされて、そうかここからひとつずつ説明していくしか道はないのか、と思ってできるだけ答えた。絞り出して答えました。これでもけっこうがんばってたんだよー!
……あれは、どうなったのかなあ。実はわかりません。それきり連絡をいただいていないので。

そんなこんなで、あのときのいろいろは確かにわたしからいろいろなものを奪ったのだけど、せめて学んだことというのもいくつもありました。

 

【セックスワーカーへの中傷にもいろんな背景がある】
【それぞれに真意があり、その裏には苦悩がある(こともある)】

性的なアイコンだから、スキャンダラスな存在だから、指をさして蔑んでも世間から非難されにくいのでストレス解消にうってつけ。そういう理由で指をさしてくる人はいて、比較的見えやすい遭いやすい脅威です。だけどそれだけじゃない。
確信を持って「あなたがやっていることは犯罪(※)だ、犯罪者としての自覚を持て」「あなたのような邪な人は社会にとって害悪なので発言するな」と言われることもありました。わたしがひとりの人としてなにかを主張している、まわりがある程度それに耳を傾けている、それは異常事態であり、世の中の秩序を乱していると。彼らの心を乱しているのは「世の中が風俗嬢をひとりの人間として扱うこと」や「性風俗業があること」そのもののようでした。わたしの発した言葉の内容については、あまり関心がないように思えたのです。

性産業に直接関わっていなくとも、それに対する気持ちによって苦しんでいる人がいる。知ってはいたけれどはっきり目で見た、自分に向けられる形で。その経験は重かったです。

(※……この指摘は正しくありません。わたしの仕事は派遣型性風俗店のコンパニオンと呼ばれますが、これは犯罪にあたらないものです。様々な業種の中には現実には違法行為(≠犯罪)とされる可能性を含むものも一部あり、しかしわたし自身は業務の内容によって働く人の権利の部分に差がつけられるべきではない、たとえば所属する店がどこをつついても適法だ、権力がどんな「さじ加減」「物は言いよう」の運用を駆使してこようとも鉄壁だ、と証明できた人だけ職業差別から守ってあげましょう、それができないなら犯罪者です。とかそういうのは変だなと思っています。ただここでは「風俗店に勤務すること=犯罪」という認識は誤りである、ということだけしっかり記させてください)

(付け加えるとしたら、あまりに捉え方が雑すぎて「ああ、買売春やセックスワークにまつわる問題についてまじめに議論する気はないのですね」とすぐにわかるような『誤り』ですよね)

この社会にセックスワーカーがいるということ自体に居心地の悪さを感じたり、「私もあなたたちと同じ人間ですけど」と主張する姿や、それが一定の理解をもって取り合われているさまを見て耐え難いにくしみを抱かされる人、ばかやろう調子に乗るな死ね売女(一句詠めました)、と思わずにいられない、言わずにはいられない人というのが確かにいて、一緒に生きている。同じスーパーのレタスの山に手を伸ばしているし、同じ自動改札にピッてしてる。
それはわたしとしてはひたすら怖いことですが、納得もしました。
むき出しの悪意を侮辱的な言葉にのせてぶつける行為自体は嫌悪しつつも、その苦しさ(わたし自身は未体験のものなのに)自体はまるっきり分からないわけではない、そんなふしぎな感覚がしました。
たぶんそれは、そういう憎しみを形成したもの、個人にもたらしたもの、植えつけたものの正体をわたしもなんとなく認識したことがあるから……ではないかと思います。
それらはムクムクと伸び縮みしながら常にわたしたちをまとめて包もうとしますね。

救ってあげたいだとかそんな図々しいことは決して思えないけど、ただその苦痛がせめて無関心になれば楽になれる人がきっとたくさんいるのかもしれない、とは思ってた。
かといって、わたしにできることは何もないのです。悪意から適切な距離を取るための努力だけでいっぱいで、向き合うことはできない。いちいち紐解こうとすると、目の前にある日々の仕事に「やりづらいなー」って気分になってしまって支障が出ちゃいそうで、それがとてもいやでした。

わたしにとって大切なことは、自分の前に来た人になにか少しいいものを持って帰ってもらうこと(ほわっとした言い方ですが決して優しさいっぱい夢いっぱい♡なイメージではなく、まあ一旦そういうことにしておくと個人的に業務がやりやすいのです)。だけどお客さんにも色々な人がいます。有料で性的なケアサービスを受けるということと精神的な折り合いがつかず、性風俗を憎悪しながら性風俗を利用する人も中にはいますし、そこで出会ったコンパニオンの身体はすべて自分の自由にしてよいものと勘違いしている人、わたしのことをなぜか生きている人間ではなくオブジェクトだと思っているかのような危険な人も、稀にはいます。
最大限に身の安全を考え、警戒をしながら、それらをきれいな仕草で完全に包み隠すこともしなくてはならない。その作業に、「これは悪意を向けられて当然の仕事」という意識はものすごく、じゃまです。忘れたふりをしなくてはなりません、けっこう大変です。でも客となった人に精いっぱいのことをする、その人の心身をできる限りかけがえのないものとして優しく扱う時間をつくる、それでしかまた自分の自尊心みたいなものも守られないのです、わたしは。そのためにはやはり、まず自分の心を守らなくてはいけない。

だから、これ以上はやめようと思ってやめました。矢面に立たされたことは仕方ないとして、いつまでもそこにいることないですし、いられないと思いました。もっとできることがあったのでは?と漠然と悔やむ部分もありながら、しかし間違っていたとは思っていません。

……でもね。
でも、問題からうまく距離を取って、矢面からせめてもの安全地帯に退避して心身を守るというその大切なこと不可欠なこと、それって、加害する側のものにとって、とてもとても都合がよいんですよね。静かであるということが、許されているということになる。問題ないものになる。だって誰も文句つけてこないけど?世の中うまく回ってますけど?と言わせてしまうことになる。「そういうもの」であり、正しいということになる。
もともとの関係が対等じゃないから。

 

【では侵害に疲れて抗議をしないでいると、なにが待っているか】
【そこにもまた侵害があるだけ】

それを心底思い知らされるような出来事が、昨年(2016年1月)ありました。たくさんの方が指摘していた通り、これらの件は地続きの問題を含んでいると思います。もうね〜悲しいとか悔しいとか腹が立つとか、そういうののもっと上の言葉はないのかよ!いくつかいい感じのやつ作っておいてよ昔の人!!ってくらい悲しくて悔しくて腹立たしかったです。
今もです。
(この事件のことです – Don’t exploit my anger! わたしの怒りを盗むな

矢面地点からそっと逃げて茂みの陰ですり傷をなめてたら空から巨大な爆弾が落ちてきたぞドーン!ボカーン!!みたいな衝撃でした。おっとわたしがメソメソと傷ついていたあれはいま思えば竹でできたほっそ〜い矢みたいなものだったな!ってなりました。
なんにしてもライフがひとつ減ることに変わりはないんですけど。矢でも死ぬもんね、人は。

 

【専門家への期待は、かなわなかった】

美術館に問い合わせをしたとき、そしてその内容を公開したとき、わたしの心の中には「無知な自分が問題提起をしていいのだろうか」という不安とともに、それを振り払うだけの期待がありました。
こんなことが起こった、困ったことになった、どうしたら……という声をあげれば、んーなんて書くのが正しいのかな、その道に詳しい人たち、専門家の人たち——つまり、普段のお仕事で人権問題や性差別や写真芸術や諸々を取り扱っている方が、その知識でもってなにかヒントを示してくれるんじゃないかって。
わたしはなにも判断ができない、主観による主張しかできない。だけど、セックスワーク当事者にとって切実なこの恐怖や不安を、そうでない人にも想像しやすいように具体的に表現することなら少しできる。「取っ掛かり」になら、なれる。そうすればきっとそれぞれの専門知識がある人が具体的な説明をしてくれて、そしてわたしを含めた大勢の人が新しいことを知り、考えることにつながる。だったら最初の取っ掛かりとなる価値がきっとあるはず。そう思ってた。

でも、そうでも、なかったんですよ。何ひとつ全くなかったとは決して思わないです!でも、思ったよりずっと少なかった。
特に芸術に関わる立場の人(仕事にしている人とか、愛好している人も)が、アートの名誉と言えばいいかな、そういうものを守るために何か話してくれるかもしれないって思っていたんです。人が嫌がることでも何でも芸術と言いふらせばオッケーさ、という考え方ですべてができている業界だと思わないでくれ、という話になるのでは、って思った。
でも、思ったほど、そうでもなかった。
これはわたしが勝手に期待していただけのことで、そうならなかったからといって仕方のないことです。しかしそれだけで済ませてよいものかどうか疑問が残っています。

《わたしの予想に反して彼らのところまで届かず、リアクションを得られなかった》では、ないからです。リアクションはあったのです。

まず聞こえたのは「あの人(ことの発端となったアーティストたち)はそういう人だから仕方がないだろう」というたくさんの声。中には「仕方がないだろ(笑)」というニュアンスのものも見られました。

それって、本当にあの写真を撮った人やワークショップを企画した人が「あの人はああいう人だから、いくら我々が議論をしても無駄骨になるだけだ」「あきらめたほうが無駄な傷を負わないよ」と思っていたわけじゃなくて……外野から波紋を起こされようとその内容が「セックスワーカー?とやらの、なんか知んないけど人権とか? について、なんやかんや言われてるらしいわ」なら、放っておいても大丈夫だわい。というのに近かったんじゃないかなと思ってます。
脅かされていない名誉は、そりゃあ守る必要ないですよね。だから起こったことを見るよりも先に「ほほう、セックスワーカー自身がみずからの人権を主張する世の中になったとは時代も変わったものですな、興味深い現象ですな」みたいなことを言う人すらいたんだと思う。アートの名誉を守るために自分で動き話すより、その方がかっこ悪くないということなのかな。

そして「いちいち被写体の許可をとっていたら写真表現自体がダメになる」「『倫理的なことを言っても通じない』ことを芸術と呼ぶのだ、認識を改めろ」という意見もありました。後者は美術家の方から直接わたしに向けて届けられた言葉のひとつです。
あきれましたし、淋しかったです。それで、ああ、わたしは何か期待をしていたんだな、と思って、もうやめよう、二度と自分以外に期待なんかしない、するもんかい、ってちょっと思った。
(すぐに忘れちゃったけど。それは自分だけでもそこそこのことができる見込みのある人が言うことだもんね。わたしは誰かと協力しないとなんにもできないし、やっぱりこれからも、相手を選びながらもちょびっとこっそり他人に期待、しそうです。だめなら落ち込み、かなえば喜び、で生きていきそうです)

 

【終わった話、にならない理由】

わたしはメールフォームをオープンにしているので時々おたよりをいただくんですけど、あの件に関して何かを書いてくれる人が、まだ、いらっしゃるんですよ。2016年でもまだいくつかいただきました。そしてそういうときって必ず「終わった話を蒸し返して申し訳ないんですが」って書いてくれてるんですよね。ふふ。
やだー終わってないよ!!あなたがあなたの中に生まれたことをそうやって書いて、わたしに送ってくれたって以上、それが続いてるってことそのものだよ。っていつも思ってます。蒸し返してわるいかな、なんて思わないでください、大丈夫です。ずっととろ火がついてるのでいつでも蒸したてふかふかだよ。

わたしのツイッターをずっと読んでくださってる人はぴんと来ると思うのだけど、昨年の春には、社会学におけるフィールドワーク、の名でひどいことをしたり書いたりされたこともありましたね。あのときメールくれた人もいた。わたしがリプライを送って、お返事してもらえなくて、それを見ていてくれた人。何も出来ないけど確かに見ました、と言ってくれた。
ありがとう。あれうれしかったです。
それから、わたしの文章を読んでいるうちに「突破口が見えた」って書いてくれたひともいた、これはもう、うんとうれしかった、セックスワークを考えるにあたっての誠実な姿勢が文面から伝わってきて、本当にうれしかったです。自分を疑ってくれているあなたをわたしは信じます。思いがけずこんなところでお返事してごめんなさい。

そりゃあ……「終わった話」にできたら、すごくいいですよ。そういう時代がかつてあった、まともに話も聞いてもらえなくて当然なころもあったのよ、って昔話にできる日がくればいい。でも今は、そんな景色はとても見えない。

つい最近になって、東京都立写真美術館の方とお話する機会を持ってくれた方がいらっしゃいました。
お話してくれた学芸員さんによると、写真家本人から美術館に対し、謝罪の言葉があったそうです。そしてそれは美術館に対する謝罪ではなく、この件で不快に思った方全体に対する謝罪であった、と。
ならばなぜその「全体に対する謝罪」を美術館に向かって行うのか、わかりません。今日までわたしが知らずにいたのかと思っていちおう探してみたのですが、ご自身のブログで一度釈明(わたしはあれを謝罪ではなく釈明、もっといえば弁解だと受け取っています)された文章以外には見つかりませんでした。
たぶん、なにがまずかったのか、どういった点が批判されてしまったのか、今でもはっきりとは認識されていないんじゃないかな、でも形式的にでも謝らないとまずい状況に追い込まれてしまったのかも、と個人的には思っています。
わたし自身は彼から謝ってもらうべき者ではないので、「あいつがあやまるまでおこるぞプン!」みたいな気持ちではない(そう思ってる人もいそうですが、ちがいますよ)ですし、仮に彼が認識を改めたとすればすべてが解決するかというとそれも違います。そういうことでも全然ないです。
(まるっきりどうでもいい、ということではなくて、一部のエリアで失われたかもしれない彼の名誉や信用がこの先挽回される機会が全くなくてかまわない、というふうには思っていません)

ただ、このままだと別の人たちによって同じようなことが何度でも起きることは十分考えられるし、それを避けようとして短絡的な方向に向かう(たとえば性的なニュアンスの濃い作品がとりあえずやたら疎まれるとか)(セックスワーカーの存在を単なるめんどくさいタブーとして隔離するとか)(権威のないアーティストたちが理不尽な制約を課されるとか、いろいろ)のはいやだな、とかは思っています。

わたしにできることがまだあるのかどうか分かりません。
でも、ちょっとあるかもしれない、と思いながらずっと考え続けます。こうしてブログに書くことも「これにて終わりです」とはずっと言わないだろうと思っています。セックスワーク自体をいつか引退するとして、それで終わりにもならない。
そう、本当は終わりにできたらいい、だけど、いまは終わらせるわけにいかない。終わらせてなんかやるもんですか。
いつかのいつかには本当に終わらせなくちゃならない、そのために、わたしたち(って言ってもいいよね?)は続けます。
探し続けます。
細々と、しつこく、できるだけ明るく、できるだけしぶとく。あなたにもいつでもきてほしいです。胸から抜いた矢を暖炉にくべてお待ちしております。とても小さな部屋ですがなぜか無限に椅子が置けます。おやつにお芋も焼いてます。

2017-02-23 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

ワーカーズライブ:寒くなくなんて、ない

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 寒くなくなんて、ない

ガールズヘルスラボの連載です。

このサイトの作品についてはすべて「経験を元にしたフィクション」と明記してありますが、今回について補足すると

外国人を接待する目的での利用だと言って仲介人を名乗る日本人から依頼を受け、その人物に対してのみ店の者が「当店は風営法に則っており本番行為は云々」という話をした状態で現場に行かされ、しかし蓋を開けてみたらサービスを受ける外国人は全くそれを理解しておらず日本語も通じず絶体絶命となったピョン♡

……という部分に関しては、わたしの身にかつて実際に起こったことです。
もうどれくらいかなあ、何年も経っていますけど。

 

イレギュラーな仕事ではありますが、全くないということもなく、しかし遭遇してしまったら最後というわけでもなく、たとえば現在わたしが働いている店では、まず確実にお断りする案件です。
ただ、それはある程度の期間勤めてきているからわかることであって、その店がどういった方針で仕事を受けあるいは断るのか、その基準を隅々まで働く前に確かめる術はありません。方針そのものがしっかりと存在しない(店長の気分次第とか)、みたいな店もありますし。

個人的な経験からの印象では、面接時に「外国の方も接客する機会がありますか」と訊ねたときのお店側の答えとして一般的なのは
「いや〜ウチは断ってる。まあやっぱりノーセックスって文化じたい馴染みがないだろうし、通じないと厄介なことになるしねえ、だから安心してください」
です。
ええ、先述の経験をした店でも、入店するときはそう言っていましたとも……。

 

わたし自身は英検2級を持っていて(とはいえその大半は既に忘れてしまっている自覚がありますが、それでも)ちふゆちゃんよりはまだほんの少しだけ、英語ができるはずなのです。

しかし「わたしのようなコールガールであっても、日本では合法のサービスとして本番行為を提供することはできない。オーラルセックスと素股、また店の基準で定めたその他の行為なら問題ないのでその範囲内で楽しんでくれ。あなたの世話係がなんと言ったか知らないが、なんでもできる、好きにできると言ったのであれば残念ながらそれは嘘である、虚偽の申告である、こちらの本来のルールに従っていただかないと困る」という主旨のことを説明することは困難でした。それはもう非常に、困難でした。

やっとのことでなんとか言えたとしたって、「キミの発音なんだかよくわからないよ」とでも言われて無視されたらもうおしまいですしね。

(ただ、この「しらばっくれられたらお手上げ問題」はべつに外国の方ゆえでは一切ありません。
だって日本人のお客様が日々「え〜そんなキレイゴト言ったってさ〜」とか「え〜この値段ならできると思うのが当然でしょ?」とか「カタいこと言うなよ〜」とか言いながらごりごりルールを無視しようとしていることなんて周知の事実にもほどがあるからね☆ 問題は、「言葉が通じず、禁止されていることだと分かりませんでした」という言い訳があとから成立しちゃうな、という危惧が現場でたたかう人間の心を重くさせるという点です。)

 

誤解してほしくないのは、決して

外国人のお客さまからの仕事を受ける店 → 杜撰でいいかげん
断る店 → 安全でしっかりしている

という単純な基準でははかれない、ということです(単純な基準、て書いた瞬間にまたコレのことを思い出した)。
わたしとしてはただ、受けるのならそれ相応のサポートとバックアップをキャストに対してしてほしいなあ、と思っているだけなのですが、うーん……今はまだ、夢物語に近いことかもしれません。
ただでさえ普段から、運命を利用者の良心ひとつに委ねられている部分が大きいですもの。ハァン(ため息)。

店(もちろん先ほどの話の店とは別です)のスタッフが面談した上で引き合わせてくれた外国人のお客さまで、長い間に渡ってよい関係を作ってくださった方もいました。「赴任期間が終わって母国に帰ることになりました」と言われたときは淋しかったけれど、かけがえのない思い出がたくさんできましたし、お別れの時にかけてもらった言葉といただいたプレゼントは今も大切にしています。縁あってめぐり会えてよかった、とおそらくはお互いに思うことができて、たいへん幸せな経験でした。

そう、いろんなケースがあるということです。
この「いろんな」の振り幅がすべてにおいてすごすぎるので、下方を底上げしてほしいというか、危険が取り除かれてほしいところなんですけど、ね。

 

ちなみにちふゆちゃんと仲のいいまりあちゃんは前回のストーリーに出てきたまりあちゃんなんですが、どうして友情出演しているかというとわたしの
『こんなテキトーなノリのスタッフばっかりなのあんまりだからせめて同一人物でありますように!』というわけわからん願望のあらわれです♡でもめっちゃいるよねこーゆー人!(笑)


ほんとそうですね。最高です。まりあちゃんも「ちふゆは最高だから!」っていつも言ってると思う。

 

【追記】
ちふゆちゃんが歌ったLet it go に、最後の決めぜりふ(わたしもここが好きです)を言ってあげたのに全然わかってもらえなかったお気の毒な李さんですが、もしもあのあと、ちふゆちゃんが本当に『英語を入れると日本語が出てくるLINEのアカウント』であのメモの訳にトライしたらどうなるのか、実際にやってみました。

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な、なるほど……。
Take care. については「おっ」と思ったんですが、
You’re awesome. はもうちょっとなにかおしゃれにやってほしかったというか、「ものすごい」を「物凄い」としただけでもものすごい感が倍増ですね。うふっ。

そして肝心の一文はこのありさま。しかし致し方ありません。

 

Google翻訳でもやってみましょう。

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1行目については言うことないんですが、そのう、その後が、なんということでしょう。

これさあ、たぶんやっぱり結局まりあちゃんに訊くんじゃないかな……(笑)。
そしてまりあちゃんはすぐにピンとくるか、それか直接Google検索にかけると思うので、正解にたどりつけると思います。よかったね李さん。

2016-11-06 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ: ,  

 

ワーカーズライブ:奇妙な生き物

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 奇妙な生き物1468242942875

ガールズヘルスラボの連載です。
かっこよくはなくて、得体がしれなくて、社交的でも明るくもなくて、何を考えているのかいまひとつよく分からなくて、でもカーテンの向こうにはなにか優しさがあるとちょっと信用できそうなお客さん、

……って、いいよね。という話をタミヤさんとしてたんですよね。それで「キモさやこわさと紙一重のところにある愛しさ」について考えているうちに爬虫類が出てきてしまいました。きもくてこわくてかわいい。

わたしは爬虫類が好きなほうなので、生きているイグアナがいるお家なんぞに呼ばれた日にはテンションがぶち上がってしまいそうですが、基本的にペットがいるお家でデリヘルを呼ぶときには一言申し出てくれたらありがたいなあと思います(だいたいのお店は電話で確認してるけど、忘れちゃったりもするし、あと飼い始めたときとかね)。犬や猫ならいいというものでもないんです。アレルギーがあるコンパニオンが来てしまって、その場でとんぼ返りしなくてはならなくなったらそれは三者全員の損失になっちゃう。わたし自身は犬も猫も鳥も、大好きなのにアレルギー反応が出てしまうなんとも淋しい身体なので、玄関先で不穏なにおいを察知する→かわいこちゃんが「だれかきた!だれ!だれ!」と飛び出してくる→ああっ撫でたい!!→しかし一刻も早く立ち去らなくては→ああああ撫でまわしたい!!!→ポカンとしているお客さん→すごすごと帰る という思い出がけっこうあります。

そういうとき、「じゃあ別の部屋に入れておくから」「うちの子はおとなしいから」「掃除ぐらいしてるから」ってよく言われるんだけど、そういう問題ではないって分かってほしい。触れ合わなければ大丈夫だと思われていることもあるけれど、決してそうとは限らないものですよね(わたしは「一緒に住んでいた彼女と先日破局し、飼っていた猫さんは彼女が連れて行った」という部屋で具合がわるくなってしまったことがあります)。
帰ることを告げたとたんにさりげなく悪態をつくのもやめてほしいものです……(お宅は客を選ぶんですか、とか)(俺が不細工だから逃げるんだろう、とか)(細工の具合はどうでもいいけど失礼な人からは逃げたいものですな♡)さすがにそんな人はたくさんはいないけど。もしかしたら、アレルギー全般を気合いの問題だと思っていて、自分がチェンジされたかのような屈辱感を感じたのかもしれません。そこまで説明して差し上げる時間はないので、耳を塞いで後ずさりするしかないよ。すごすご。


「俯瞰祭」ってなんかいい言葉。
わたしは、どうだろうなあ、仕事中にちょっと客観的になってることも確かにあるとは思うんだけど、だいたいはそれどころではないような気もします。それか、高速で絶え間なくばばばばばっとスイッチングしてるかもしれない。サブリミナル的に挟み込まれる俯瞰の図。
すべて終わってドアを閉めた瞬間、シュン、と切り替わってものすごく突き放した視線で振り返っちゃったり。
良くない意味で気の抜けないお客さんといて、内心でずっとピリピリ警戒しながら、その場で対策を練り演技プランを立てては即実践し、結果をみて次の手を考えて、という感じになっている余裕ゼロのときになぜか「あーあ、この人ぜったい似たようなことでたくさんの女の子に嫌われてきたんだろうなあ」なんて0.01秒思ってしまったり。これはたびたびありますね。

機嫌を損ねないようにこちらに不利な要求をはねるとか、そういうことがメインの仕事になっちゃってるとき。交渉していると相手には感じさせないように、交渉しなくちゃならないとき。
そういうときは、とっさの俯瞰や客観視の果てに従順と寛容が混ざってよくわからないものになってしまうことがある気がします。
無関心の強い支えによって従順になれることもとても多い。それから、諦念も。あきらめの気持ちがわたしを優しい女にすることはよくあります、お客さんにも、お店にも。

それにしてもホームページの売り文句に「従順」と書かれるって、おそろしいよね。

ああそれから、これは良心的なお客さんとでも起こるけど、触れ合っている最中に「人間ってへんな生き物だなあ」としみじみすること、これはとてもよくある、椎名あるあるです。
なんでこんなカタチして、なんでこんな動きするんだろう、って。ずっと見てるとちょっと気持ちわるくて、ちょっと神聖で、ちょっとやっぱり可笑しい。
仕組みを知ればきっと納得するような合理的な理由があるんですよね。だいたい人体っていつもそう。それどころか、なんてすごいんだろうって途方に暮れてしまうほどの宇宙みたいなシステムが、このちっちゃな骨と肉と皮のところ、細胞のひとつひとつに詰まってる。一方でまだまだ謎のまま、てんで可笑しいまんまの謎もちょっとあるところもおもしろいです。人体の小宇宙〜みたいなテレビ番組けっこう好きです。

そしてまりあちゃんが言ってたみたいな、「お互いを思い出すこともなく、運命にかかわることも特にない」くせに「この人の興味と快感が欲しい」。っていうやつ、この辺は個人によってとても違ってくるところだと思うけど、わたしにはしばしば自然に起こることなので、変なの、っていつも思います。変でおもしろい。お客さんがわたしの身体やなんかにふとした執着を見せてくれるときも、ああおもしろいな、って思うことは多いです。とっくに射精してしまっていても、身体のどこかをそうっと、宥めるように撫であうことってよくありますよね。なんでさわりたいの、と聞いてしまえばたぶんあまり考えずに「きみがかわいいからだよ」とか「おれ男だからしょうがない」とかのすぐ言える答えをツルリと答えて済まされてしまうんじゃないかと思うけど、それでは説明しきれていない気がして。
ちがう人間の皮膚がくっついたときになぜか生まれる不思議な気持ちよさが、家族でも恋人でもないわたしとであっても得られることを知っているから手を伸ばすのではないかしら。満員電車ではだめなのに。そのくせ、多くの人は「愛する気持ちがあってこそスキンシップはよいもの」「築いてきた絆があってこそセックスは」と言いたいように見えます。
ほんと、へんな生き物です。

 

ずっと前のことだけど、それまでわりと淡々とサービスを受けていたお客さんが、すっかり着替えてあとは帰るだけ、となったわたしに向かって「いま自分の心に『帰したくない、名残惜しい』って感情が生まれてきて驚いています」と言ってくれたことがありました。
女性との性的な接触によって快感を得る目的で利用したつもりだったし、相手については自分の性的興奮をそがない容姿でありさえすればそれ以上は興味がなかった、と。けれどわたしに対して「いろいろしてくれてどうもありがとう、もっと一緒にいたい、好かれたい」という気持ちが生まれた、プロに対していわゆる擬似恋愛を求めたり、さらに恋愛感情を持ってしまう人をどこかで下に見ていたけれど、自分にもエモーショナルな衝動が起こることがわかってびっくりしている、考え方が変わる気がする。
そんなようなことを、さらりと笑顔で言ってくれた。
嬉しかったです。その人が、会ったことのなかったご自分と出会うところに一緒にいられたことも、もっといたいと思ってくれたことも。

知らないへんな生き物どうしでさわりあって笑顔になって、ときどきお互いにふと自分を客観的に見ちゃって可笑しくなったりもして、そしてなんだかんだで幸福感など感じちゃったりするなんて。この生き物あなどれません。ちょっと、いえかなりきもいし、どうにもこわいですし、そしてどこかかわいい。

いろいろ大勢の人にとっての「ゆきずりのへんな生き物」になる身としては、せめてできるだけ寛容で気のいい生き物でありたいものです。

 

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