セックスワーク

ガールズヘルスラボのオープンによせて

風俗嬢のためのSTD(性感染症)とからだの情報サイト-Girls Health Lab

今年の夏にいちばんうれしかったこと。なにをおいてもこのサイトの誕生です。このことについて書き始めるといつまでも喋りつづけてしまいそうで、まとめられずにいましたが、公開当日の夜、あふれ出る気持ちをぶつけてしまったtwitterのログをここにまとめて残すことにします。
それでも長いのだけど、読んでいただけるとしあわせです。

RT @tamiyaryoko: ガールズヘルスラボ、オープンしました! http://t.co/gfvRKuA #
ついに!待ち遠しかった日がやってきました。わたしも今日初めて見たんだけど、うん。すごい。いいものができた!!!すごいすごい!!やったやったぁ!! http://www.girls-health.jp/ #
こういうサイトを作るとタミヤさんから聞い た時、ほんとうにわくわくした。まだ形のないそれを、どれだけの人が待ち望んでいるかがよくわかったから。そして少しだけお手伝いさせてもらえることになって、心からうれしかった。会ったことのない、でも同じ立場の人に、語りかけることができるんだ、と。 #
風俗業界の特殊な部分のひとつに、同業の人や同僚と、意見や情報を交換できる場所が極端に少ないことがあると思う。これまで従事してきた人々のノウハウを知ることができる場所も特にない。それは疑問や迷いや危機に直面したとき、業界内の人に頼ることができない、ということになる。#
かといって外の世界に助けを求めるとなると、自分がセックスワーカーであることを明かさなくてはならなくなる。わたしも婦人科で「なぜそんな仕事を?」と医師に言われたことがある。「貴女のような人に来て欲しくない」と看護師に言われた女の子を知っている。もちろん極端な例だと信じたいけれど。 # つづきを読む

 

震災のあと働いて、思ったこと

おはようございます。こんばんは。

アクセス解析というものを、ふだんあまりこまめにチェックしていません(見方の知識がおいつかないもので)。
でも最近、福島や岩手、東北地方からのアクセスがあるのを見て、わたしの文章がどこかの誰かのなにかしらの、文字を追うという楽しみのひとつになっているんだろうか、と思ったりはします。

わたしは、こういうときに役に立つような文章は、なにも書いていない。これからも書けないと思う。
かといって本職が、なにか困っている人の助けになるような業務内容かというと、言わずもがな、です。

大きな余震が続くうちは、裸でいることさえ怖いですから、勝手知らぬ場所で見ず知らずの方とそうして過ごすこの仕事は、働く側にとって大きな恐怖を伴います。けれど出勤しなければ、その日から1円の収入も得られないことになる。これもまた大きな不安を心にもたらします。わたしも、そうでした。
風俗店などは営業を自粛するべきだ、という声もよく聞かれました。
確かになんの緊急性もない、暢気な娯楽でしょう。存在そのものが、不謹慎、と思われることもある。
従業員には、それぞれに複雑な葛藤があります。
しばらくは店には出ずに預貯金で暮らす人も、それがかなわない人も、普段どおりに働く人も、普段以上に働く人もいます。家族が大きな被害に遭われた人も、もちろんいます。

震災の後に会ったお客さんとは、そのときの話になることがあります。
来客がうんと減ってしまったろうに生活は大丈夫か、と心配してくださる常連のひと。阪神淡路のときの経験を話してきかせてくれるひと。

東北出身のまだ若い方に、直面されている厳しい事情、彼を襲った悲しいこと、やり切れない気持ちや大きな不安やそういったものを聞き、またそれらを多少暴力的な身体への接触という形でぶつけられて、やるせない気持ちになったりもしました。身近な方が実家をなくしてしまい、どのように接すればいいのか分からず自己嫌悪に苛まれている、とか、この先仕事がなくなりそうで不安だよ、とか、打ち明けられたりもしました。

「直接被災していない者どうし」なのですが、それでもその瞬間どこにいて何をしていたか、何がどのくらい揺れて、どんな恐怖を感じてどう行動したか。 まわりでこんな話をきいた、自分はこう考えてる、今こんなことがいやだ。そういう些細なひとつずつを口に出し合うことでどこか日常の支えにしようとしているんじゃないかしら。そんなことに気がついたのは、この数日です。

そして、ここにいるのがデリヘル嬢という立場のわたしであっても、人はそれをしようとするのだなあ、ということは、わたしにとって発見でした。おそらくさっきまでわたしの顔やカラダを用心深く値踏みして、本日の万単位の支出が有意義であったかどうかを気にしてたであろうと思うのに。「キミは口内(口で精液を受け止めること)できる子?」なんて言ってさえいたのに。

そうしているとゆらりと余震が起こって、ただ咄嗟に手をつなぎ、「ああ……」と小さくつぶやいてそれが過ぎるのをひたすら待つような数秒間が突然やってきたりする。

わたしたちは互いのことなどろくに知りもしない、とくになんの信頼関係もない他人の男女の二人です。ゆきずり、です。でも、身体のどこかが接触していることが、いくばくかの落ち着きをもたらしてくれている。それはきわめて不確かで、はかなくて、まやかしやハリボテのような類のものなのでしょう。でも、きっと相手もそう知りながらも依っていてくれるのではないか。そういう思いがよぎります。

あなたとわたしは、今ここで生きている。そうですよね。そう強く思って、込めます。

だからどうということはありません。あなたは生きている。わたしも。わたしに解ることはそれだけです。ただあなたは生きている、という強烈なことがわたしの心におどろくほどの強さとスピードをもってボワと立ちはだかるだけです。

被災していない都会に住む私たちが、今できること、というのが確かにたくさんあって、次から次へと提唱されるそのすべてを完璧にこなさなければ善良な人間ではないかのように感じてしまいそうです。だけど「正しい市民」でいたいためにすぐそばにいるひとと言葉を交わすことをおざなりにしてしまってはいけない、と思う。
恐怖や不安はこれからもなくなることはないでしょうし、悲しみはつねにぴっとりと横にくっついているのでしょう。これから向かう場所がどんなところなのか、わたしもさまざまな項目を心細く思っています。泣きそうになる。ただそこへと向かってみんなで歩きだしてゆくとき、まず隣にいるひとの手をとって、体温を分け合っていたいと思うのです。なくすことなど決してできない不安を、本当にほんの少しずつでもやわらげ合いながら、風にとばされてしまいそうなホッとする気持ちやこころよいことを、どんなにささやかな規模でも分け合いながら、大切な人とも、できれば、たまたま縁あって隣に並んで歩く知らない人とも、おなじように。

これを読むあなたの隣にこの先偶然並んだ人が、もしかしたら風俗嬢とかセックスワーカーと呼ばれる職業に就いているかもしれません。
ただ一緒に歩いてくださることを願っています。
あなたは生きている。わたしも、生きています。

2011-03-26 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ:  

 

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