セックスワーク

ワーカーズライブ:水はあなたを知っている

ガールズヘルスラボにて、3月のワーカーズライブを担当しました。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 水はあなたを知っている
http://t.co/J5byP0833S

今回はわたしのスケジュール管理の甘さによりたいへんわずらわしい感じの仕事が多数重なってしまい、また性風俗について書かれた本など読んだこともあり切ない話や職業差別のからんだ話は書きたくない! 偏見とかもうしばらく考えたくない!甘くて緩くてどうでもいい話がだらだらと書きたい! と思い、傷つけてこないお客さん、と、仕事仲間として扱ってくれる店長、を登場させました。2大「我々がどんな気合いで取り組んだところで得られるものでもない、しかし得られた場合は飛躍的に業務の効率が上がる」存在です。ふふ。

店長にはこの人のようにきっちりと敬語を使って接してくれる系統の人も、もっとフランクにこちらのことも「源氏名+ちゃん」で呼んでくるような人もいます。どちらが良いとかではないのですが、最も発言権を持つ者の人柄というのが職場全体をたやすく左右する感じはどこにもあるものではと思います。現在の勤務先の店長はエレガントな敬語派で、キャストの退勤時に居合わせると「ありがとうございました」と頭を下げて見送ってくれるほどですが、面と向かって個人的な話をしていると月に2回くらい何かの折にひとことだけ崩したりして、貴重なものを見たようなありがたい気持ちになります。

一件だけ呼び捨てにしてくる店長がいましたね。わたしは恋愛関係にある相手であっても呼び捨てを好まないのですが、なんとびっくり不思議なことに、いやではなかったです。あれはなんだったんだろうか。キャラクターということなのでしょうか。あの人でなければ初日で飛んでいたことでしょう。たしかに、とても明るい愛おしそうな抑揚で呼ばれていました。
彼はちょっとびっくりするほど人が良く、しかしそれゆえプライベートの女性関係が立て込んでいそうな人でした。それをキャスト一同が「いつか刺されないといいけどね〜」などと言いながら暖かい目で見守る店でした。そんな職場環境はあとにも先にもそこだけでした。

ミネラルウォーターの銘柄がいろいろ出る話にしたのは、わたしが女性のセックスワーカーに対して自覚している偏見のひとつに「水が好き」「硬水を平気で飲める人が多い」があるため、そこからの連想です。わたしもコントレックスを常温で飲めるタイプです。いちおうメジャーなところから選びましたが、ミネラルウォーターに興味のない方にはウザかったことと思います。参考までに以下の表を置いておきますね。興味のない方は「うぜえ!」と思ってください。こんなにいっぱい書いたっけ。書いたんだな。あといろはすとボルヴィックがあればコンビニで買える水はだいたい網羅するでしょうか。いやだめだ森の水だよりとかまだいっぱいある。

  • クリスタルガイザー 38
  • 六甲のおいしい水 84
  • エビアン 304
  • ヴィッテル 305
  • ペリエ 400
  • ゲロルシュタイナー 1310
  • コントレックス 1468
  • クールマイヨール 1612
    (椎名こゆり調べ 単位は mg/l)

原稿を書くにあたり、わたし自身は発泡性の水を好まないためゲロルシュタイナーの500mlサイズがどのくらいコンビニエンスストアに置かれているものか自信がなかったのですが、ガールズヘルスラボ主宰のタミヤさんがわざわざセブンイレブンに足を運び、あったよ、と教えてくださいました。たいへんお世話になりました。ごめんねありがとう。ちなみに椎名が仕事中に飲む水で気に入っているのはフィジーウォーター(105mg/l)です。立ち上がれ俺のコラーゲン!と念じることによりストレスが発散される効果があります。

タイトルが最後まで決まらず、いつか議論を呼んだ有名な本からつけました。そうです、パシッたりパクッたりしてこの原稿はできているのです。
水にありがとうと言えば美しく凍る、というのはフィクションだと今日では多くの人々が認識していますが、風俗嬢はみな病んでいる、とか、風俗に行く男はみな浮気性、とか、風俗店の従業員はみなコワモテ、とか、あとヘルスのサービスくらいじゃ性病なんてうつらないとか風俗行ったことなければHIVなんて心配ないとか俺だけは大丈夫とか、そういうあれやこれやだって幻想だという点では似たようなものです。まことしやかに語られるとつい素直に信じてしまう、というのは人間のいいところでもあり、しかし後にいくらでも思い直しときには考えを改めることもできる、それはもっといいところだと思います。あれ、偏見とかしばらく考えたくなかったはずが。やれやれまあいいか。

 

【読んだ思い出】男しか行けない場所に女が行ってきました/田房永子

↑このリンクはアソシエイトです

田房永子さんの「男しか行けない場所に女が行ってきました」、迷ってる同業のひとがいるのでは、読んで嫌な思いするかもと恐れて手に取れないでいるのではって思ってる。だってこれまでわたしたちをカジュアルに侮辱してふんぞり返るような本が、似た感じの触れ込みでいっぱい世に出てきてるから。#

わたしもしばらくそれが気になってしまって手に取れなくて、でも田房さんが書くものなら泣くほど傷つきはしないだろうって、この前意を決して購入して読みました。これまでのご著書を読んでいなければ絶対にそうはしなかった、できなかった。#

まずこの「男しか行けない場所に女が行ってきました」ってタイトルがさあ、その男しか行けない場所に最初からいる女のことをハナから無きものにしてるんじゃないかって思って警戒するよね!笑。#

でね、やっぱり、無傷ではいられないというか、それってその言葉で書くべき?とか、そんなふうに言わないでよ、っていう部分がひとつもないわけにはいかない、それは誰が書いたってそうはいかないと思う。でも「風俗を体当たり取材したルポでーす!」って顔してる別の本とはやっぱりどこか違った。#

この本を書くにあたっての田房さんの葛藤が「経験していないことに口を出すことの下衆さを免罪してもらうアピール」としてではなく伝わること、セックスワーカーを特別な目で見るご自分を自覚し、それに関しても読み手に許しを要求してこないことが当事者としては安心して読めて嬉しかったです。#

でも、うーん、同業の女の子におすすめするかって言われると、自信ない、どうだろう、とても迷います。ある程度のキャリアがあって、性風俗業と自分との関係がいくらか安定してたり、あとこれまである程度失礼な本を読んじゃってきた人なら平気かなあ(ひどい基準だよ!)……あー分かんない。ごめん。#

(ここまでtwitterの転載)

 

この本はしばしば「女性目線」が新しい、という言い方で語られているけれど、わたしは風俗の「中の人」だもので「女だから行けない、見ることのない場所がどうなっているのかを『女性目線』で知ることができる」ことはなにも魅力ではありませんでした。それらについては既にあらかた見知っていて、へえ〜そんなのがあるんだ、という発見などないから。そして「失礼な本」たちの威力はすごくて、ただでさえ他人の言葉から偏見や見下しを読み取るのはつらいのに、しかもそれが活字となり出版され書店に並んでいる事実にも打ちのめされるので遭遇してしまった際のダメージといったら目も当てられないよね。グハァ。それでもこの本を(びくつきながらも)読みたいと思ったのは、やっぱり「この人の書くもの好きだな」って気持ちをあらかじめ持っていて、希望が持てたからでした。それはありがたいことでした(ちなみにわたしが持っている著書は「母がしんどい」「ママだって、人間」です)。

「私を含めた一般人にはなかなか分からないが〜」のような前置きとともに、自分とは種類の違う無関係な男女が集まる場所として性風俗や水商売を描いた上で「彼らは〜である」と断定するような文章。それを読んでしまった時の暗く悲しい怒りがじりじりと燃え上がることは、この本ではなかったです。田房さんは性風俗を、すでにこの社会に当たり前に存在し多くの人々に楽しく利用されているものとして書いていたし、ご自身もまたその社会の一部であることも、きちんと書かれていたと思う。風俗嬢に対して引け目を感じることも、同時に蔑みの目を捨てきれないことにも正直だった。正直のポーズに隠したつもりで罵詈雑言を投げつけてくるタイプのあれ(あるよね?)とも違う、シンプルな正直さ。

一方で、たとえば23ページの風俗の種類表はちょっとあまりに大ざっぱすぎて「いやいやそれは……」と思ったり、それから「そのフレーズ、本当に必要?」とか「その書き方、本心なのかな」って思わされた部分も、ちょこっとありました。

(148ページ)現役を引退したAV女優のひかるさんがかつて、AVは事情があってやっているだけで必要がなくなればすぐ辞めたい、と「ハッキリ」語っていた、その言葉を引用した直後に「ひかるさんはきっと今も、優しくて素敵な女性にちがいない。」という文が来てそれがこの章の締めとなっているところ。
これでは、AVの仕事ときっぱり訣別したひかるさんの意志がその優しさや美しさと関連付いているように読めてしまわないか? と思い不安になりました。

推測になってしまうけど、ここで彼女の「返済が終わったらすぐ辞める」という言葉を持ってきた意図、わたしは「切なさ」かなって思って。素敵な彼女がかつては裸を見ることもできるようなごく近い場所に、信じられないようなことだけど確かにいたんだということ、でも時が過ぎ今はそんな世界から離れてどこかの土地でただただ「きれいな女の人」として幸せに暮らしているのだろう、そうであってほしい、ということ……こう対比させることで過去のことが美しくすこし切ない夢のように浮かび上がるから。そこへ、田房さんからひかるさんへの、“知る術もないけれど、どうか元気で——”という気持ちをこめたかったんじゃないかって。
でも読者の偏見を助長するって言うと大げさだけど、実際そういう目的でセックスワーカーの内面について知ったように書く人は存在するので、同じものとみなされる可能性に心がウッとなったのでした。

(153ページ)「まあ、全体的に異常だけど」という言葉からの3行がうまく読み取れなくて、「全体的に」というのが何を指しているのかもう少し書いてくれたらなって思いました。他人(の体)に興味があってしょうがなくて、女性器を舐めるのも大丈夫と明るく、おそらくはちょっと得意げに語るかなちゃんに対し、彼女におどろき、惹かれながらも警戒もしている田房さん。そのムードや気持ちはすごく伝わってきたんだ。
でも、あの3行を読むとまるで「風俗店と、そこにいる風俗嬢は異常だけど、そこへ行く男達はまったく異常ではない」っていうよーく見かけるアレとそっくり丸かぶりのように読めちゃって、えっそう言いたいわけじゃないよね!?という疑いが拭いきれなくて、もどかしかった……。

など、こういう細かい部分を言い出すときりがないというか、わたし個人の感性と能力に基づいた読解の結果による感想なので著者の過失やなんかとは違うし、それなのにあげつらうようになるのはいやだなと思ったのだけど……ただ、読もうかどうしようか迷っている人へなにか参考になるだろうかと思って、ここに少し書いてみました(同業の女性に積極的に勧めることはできない、という意見は変わりません)。

「男しか行けない場所」とやらについては知っちゃってるから、それを「女性目線」とやらで書いたからって魅力にならない。とさっき書いたけれど、わたしが見ている日常を永子さんが見て、それがどんなものか表したものを読めることは、やはり魅力的でした。
わたしたちは同じ場所にはいないので同じ風には見えないの当たり前なんだけど「こっちからはこうだよ〜!」というのを、きっと、きっときっと彼女はわたしにも聞こえるように言おうとしてくれてるんだって感じ取れる。そういう人は今のところとても少なくて、風俗についてああですこうですと書いておきながらそれが風俗で働く人自身の目に触れることなど少しも考えていないようなものばかりが澄ました顔している段階です(想定していないのか、それとも見られたところでかまわないのか、それともどうせ反論できないだろうし問題ない、と考えておられるのかはわかりません)。

「そっかーそっちからはそんなふうに見えるんだね、でもね、それね、こっちからだとこんななんだよ、あのね、でもねそれでもね……」ってこっそり手紙を書きたいような気持ちがちょっぴり芽生えた気がしてる。それは、風俗で働いたことのない友だちとわたしの仕事の話をしている時の、傷つきたくない、傷つけたくない、と慎重にロープを握りあいながら(そしてときにはやっぱり傷つきながら)もできるだけ正直でいたいと、そしてもっと仲良くなりたいと思って心細くも微笑みあうあの気持ちに似ています。

 

***
ところでこの本はマミさんの食いつきがすごかったよ!「おもしろすぎて一気に読んだ!」と言っていました。そしてお互いに心に残ったフレーズを言い合ってしばらく笑ってた。「自称29歳(笑)」「近藤の崖の下に近藤(笑)」「小池キッス(笑)」「MAX松野明美(笑)」と言ってはンフンフと笑う母……あ、あと小此木さんに好感を持った点も意見が一致しました。
そのうち、ふと昔のことを思い出したみたいで、そういえばうんと若い頃友だちから、セックスしたくて頭がおかしくなりそうな時があるの、私変かも、って相談されたことがあった、あの時動揺せずにせめて変じゃないよって言ってあげられればよかったわ、という回想をきき、わたしも何も言えはしなかったけど、そのお友だちのところへも永子さんの思いが通じたらいいなってぼんやり思いました。
またマミさんは「母がしんどい」で幼いエイコちゃんがお母様に角材を持って追いかけられていたシーンが非常にショックで今も強く覚えているようで、あのエイコちゃんが仕事を見つけて自立してこんなにしっかりがんばっているのね、よかった、と安堵していたようす。

なおこの文章中で田房永子さんのことを田房さんと呼んだり永子さんと呼んだり揺れているのは、わたしは田房さんのことを頭の中で作家さんとしては「田房さん」と呼んでいるのだけど、
既刊を読んだことでその人となりやこれまでの人生を少しお話していただいたような気持ちになっていて、さらに以前ツイッターでお話……しかもどうしたら臭いを気にせずフェラチオすることが可能か!?口から吸い鼻から吐く呼吸の特訓か!!みたいなだいぶくだけた(でも深刻だよね!)話におつきあいいただいたりしたことにより、女の人生を生きる先輩としては永子さん、と思っているところもあり、ブレブレだからです。今読み返して気づいた。

本当は、エイコさん!って呼びたい感じ。

2015-02-18 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ: ,  

 

ワーカーズライブ:元気ですか

ガールズヘルスラボにて、10月のワーカーズライブを担当しました。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 元気ですかhttp://t.co/9Yh426NGAK

前月に御苑生さんが書かれたSex Workerが観るSex Work映画〜番外編「入院しています」を読んで、名前にまつわる何かを書きたい、と思っていたのです。

 セックスワーカーにとっての「本名」というものの重さ、それがどんなに重要なものか、当事者にとっての切実さに比べて一般的には理解されていないのかもしれない、と思います。そうです、日頃お客さんが何の躊躇いも気兼ねもなく軽〜く聞いてくるからです。ふふ。
twitterで本名を守るセキュリティの話をした時も、「なぜです?別にいいじゃありませんか」と言われたことがあります。あれこれ細かく説明する気力がなく「お客様が全員良い人とは限らないですから……」という答え方をしましたが、納得していただけなかったようでした。具体的な想像が全くできなかったのでしょう、本名にはさまざまな使い道があるということ。それを教えることでなにを明け渡すことになるかということ。

本名は、それ単体では大した意味を持つものではありません。わたしがタカハシカヨコだろうとカワムラエミコだろうと、世界の大多数の人には関係ありません。ですが、それが勤務先と源氏名と、そして顔と。紐付けされた途端、大変デリケートな情報になってしまいます。気にしすぎだと笑われようと、誰も守ってくれはしませんし、用心しすぎて怪我をすることはありません。
接客中、「じゃあまず名前と出身を言って」と、なにかのインタビューのように言われたことがありました。わたしはすぐに「盗撮もしくは録音されている」と警戒しました。実際には何もされておらずただの趣味の一環であったかもしれませんし、客を疑うとは、と責める人もいるかもしれません。しかし、わたしの警戒を間違ったものだと言われる筋合いはないのです。

それに、せっかく源氏名を用意して、対価に応じた範囲内で、お客様の私的な領域を出来る限り守った上で一回使い切りフレッシュパックの親密な関係を後腐れなく提供しようとしているというのに「本当の君が知りたい」などという安っぽい言葉で雑な化粧をした好奇心を満たしてさしあげるような義理も、ありませんしね。

 

本名の重さを分かっているセックスワーカー同士が、それを交換し合うこともとても珍しいことです。全員良い人と限らないのは、働いている人だって同じですし、挨拶以上の人付き合いをしないと決めている人も少なくありません。自分のことを話したくない人も、いずれこの仕事を辞めたらその期間のことはなかったことにしたい、そこで知り合った人とのつながりもなくしたい、という人もいますし、その気持ちはどんなときも尊重されるべきです。
なので「友だちになろう」というニュアンスを表現すること自体がとても難しく、名前を教え合って友人関係を発展させられる機会なんていうのはもう、いろいろと条件が揃って風が吹いたときだけに起こる、とても得難いものなのです。

わたしにも何度か、そういった経験があります。この原稿の女の子たちのように、遠慮し合いながらも本名を交換し、親密になれたこと。

ですが、わたしの場合は、苦い結末が待っていました。
その女の子(Aちゃんとしましょうか)はまだとても若くて、素直で心優しくて、「擦れていない」という言葉がどこまでもあてはまるような女の子でした。だから誰からも愛されていたし、わたしも可愛く思っていました。Aちゃんを含めた当時の仕事仲間はとても仲良くなり、待機室でいろいろな話をし、いくつかの個人情報を明かし合い、仕事の後にご飯を食べに行ったり、プレゼントを交換したり、その年頃の女の子が友だちとするようなことをしていました。

ある日、わたしの個人情報がネットの掲示板に書き連ねられている——罵詈雑言とともに——のを、別の女の子(Bちゃんですね)が発見しました。それはわたしが、待機室でしゃべったことでした。

書き込んだ犯人は特定できました。Aちゃんの大ファンのお客さんでした。彼女は、わたしとの雑談で知ったことを全く悪気なくその人にしゃべってしまっていたのです。彼女の熱心なファンだったお客さんは常々、あの子がいるせいでAちゃんが指名ランキング上位になれないね、とAちゃんに言っており、優しいAちゃんは「そんな風に言わないでほしい、シーナちゃんはとてもよくしてくれるのだから」と一生懸命に反論し、その話の中でわたしのことをいろいろと話したのだそうです。わたしを慕ってくれていたBちゃんは泣いて怒り、あんたのせいでシーナさんは取り返しのつかないことになった、責任を取れ、とAちゃんを責めました。いったい何の目的で秘密をベラベラとしゃべったのか、と問い詰められたAちゃんは、やはり泣きながら「シーナちゃんを嫌わないで欲しかったから」と答えました。

自分の個人的なことが強い悪意を持って晒されている様を目の当たりにするのは、たいへんに恐ろしく、おぞましく、嫌悪感と恐怖に満ちた経験でした。例えばわたしの年齢設定が21歳なのに対し本当は24歳であるということ(これは業界の習慣としては比較的良心的な部類に入るサバ読みで、またほとんどのお客様方も気にしない程度のものです)が暴露され、ババア、くそババア、更年期ババア、などと書かれていたあたりが比較的薄味な例です。
人間は、自分が絶対に脅かされない安全地帯にいると分かっていると、抵抗なく軽やかに他人を侮辱する言葉を紡げるようになるのだなとわかりました。
Aちゃんは自分のことも何ひとつ包み隠さずお客さんたちに喋ってしまっていたのだろうか、と思うと、責めることはできず、かといって「気にしないで」なんて言うことも、できませんでした。

わたしはその店をやめました。
店の備品のバスタオルを口に押し当てて、ごめんなさい、ごめんなさい、と泣きじゃくるAちゃんの姿を今でもはっきりと覚えています。
ほとんど同時にBちゃんもその店を去りました。内輪揉めでブチ切れして泣き叫んだ人、として同じフロアに入居する他店の人々の間でも有名になってしまい、居づらくなったのかもしれません。

 

今回の原稿では、ハードルを越えてプライベートに一歩踏み込みあうことを、美しい瞬間として書きました。ですが、手放しで「心を開くって、友だちになるっていいね」とまとめることはできません。そのことも表しておきたくて、この文章を書きました。セックスワークはその専門性により同業の者たちが情報を共有することがとても有用な仕事だと思うのですが、にも関わらずたいへんに孤立しやすい状況にあります。そのままならなさの根元には、さまざまな形の悪意や蔑視を向けられる機会が非常に多い職業だということが関わっているように思います。ストーリーは創作ですが、背景にある現実の問題についてひととき思いを馳せていただければ、とても嬉しいです。

 

余談です。後半に出てくるお客さんは、わかりやすい「なにやらみっともない人」として書きましたが、でもこれってきっと、接待系の業務にあたる人なら年齢や性別に関係なく覚えがあるであろう、平凡なやり取りなんですよね。びっくりしますね。本番強要や暴力行為に比べればまったくかわいいものですし、どんな甘え方をしようと自由ではあります。しかし正直なところこういうもの言いをされて優しい気持ち、あるいは能動的にプレイを楽しみたい気持ちになれるとは、やっぱり、言いがたい……ので、「一緒に気持ちよくなりたい」と本当に思っておいでなのであれば、おすすめできません。甘えたいが、お前のいる地面まで降りてやる義務はないぞ、という態度は、だいたいうまく行かないものです。

特に「俺は紳士なので嫌がることはしないのだ」とわざわざ宣言なさる方は多いのですが、大切なのは嫌がることをしないと言うことではなく、実際にしないことです。それは嫌なのです、と相手が表明したときに、反論や抗議や制圧の前にまず「ごめんなさい」と言うことです。それから説明をしても、誤解をとく時間はあります。これができない方が多いのです、それなのに「嫌がることはしない」とだけ押し付ける(そこには「だから自分に好意を持て/特別なサービスをしろ」というニュアンスが含まれています)ことのみっともなさ、わかっていただけるでしょうか。

あなたが嫌なことをしたくないが、気づかないうちにしてしまわないとも限らないし、嫌なこととは人それぞれにあると知っている。だからどうぞ率直に言ってくださいね、我慢しないで教えてくださいね。わたしたちのほとんどは、そういう気持ちでいます。お客様側の方も少し持ってきてくださるととてもありがたいですし、言語であれ肉体であれ、よいコミュニケーションはそういう気持ちのある場所にのみ生まれると、わたしは思います。

 

ワーカーズライブ:彼女はアイドル (You are an Idol)

ガールズヘルスラボにて、6月のワーカーズライブを担当しました。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: You are an Idol

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仲の良い女性2人のやりとり、というのがわたしは好きで、それは街中でふと断片的に耳に入ってくる会話でもなんだか詩のようであったりしますし、創作の物語のモチーフとしても、好きなもののひとつです。

とくに「パッと見た感じだけでいえばタイプの違う、仲の良い2人の女性の会話」というものにひかれます(自分も日々行っているはずのことであるにもかかわらず、物語を見出したくなるのです)。それも、思慮深いしっかりものと、やや危なっかしくて個性的な正直もの、という組み合わせがつい目に付きます。

子供の頃、待合室にはゴシップ週刊誌か幼児向け絵本かハードカバーの小説しかなかった近所の歯医者さんで、それでも表紙の色彩のあかるさに小学生にも読めるかもと希望をみて手に取ったのが、吉本ばなな(現・よしもとばなな)の「TUGUMI」でした。がんばって読み進めようとしていたら、院長先生(かれはクラスメイトのお父さんでもありました)が、それ、持って帰っていいよ、と言ってくれた本。あれも、たしかそうですね。

最近では竹内佐千子著「2DK」が好きです。「あんたはきなりちゃんに似ている」と言われ、ええーわたしあんなにはじけているかしらと思ったのですが、見渡すとわたしの人生のどの時代にも、こむぎちゃんのような頼れるチャーミングな女の子がそばにいてくれているので、もしかしたらそうなのかも、と思い直しました。寝起きの悪さと、ぼーっとしてお茶をこぼすことは確かに心当たりがあります。目を開けたまま眠ることはまだできません。

 

さて、わたし自身の話をすると、愛梨ちゃんと同じように、「お客さんに刃物を向けられた」経験が、残念ですが、あります。まだ仕事を始めて間もない頃のことでした。やはりお客さんの方としては刺したり切ったりしたいわけではなく、あまり考えずにとった行動だったのだろう、と想像しています。
その時はわたしの考える力が弱く、冗談のふりをして切りつけられる可能性や偶然のふりをして切りつけられる可能性に思い至るより前に「なんて変なことをする人だろう」「どう対応すればいいんだろう」あたりでひたすら困惑するのみにとどまったため、愛梨ちゃんのように警戒を見取られて逆上される、といった事態は免れました。
数日経ってから、自分はなんて怖い目にあっていたのか、と気がつきました。
いま同じことが起こったとしたら、最初から恐怖にすくむことでしょう。

 

ガールズヘルスラボ主宰のタミヤさんからは、公開の際にtwitterでこのような言葉を寄せていただきました。

追い討ちをかけるような心ない言葉、というのは、セックスワーカーなら誰しも覚えのあることでしょうし、そうでない人にとってもまたよくあることではないでしょうか。しかしそれにまで立ち向かってゆく力というのは、なかなか湧いてこないものです。せめて、せめて、多くの人がそれぞれにとって「彼女」のような存在を得ることができれば、と願います。

弥生ちゃんが同業者なのか、非セックスワーカーなのかは、はっきり分かるように書きませんでしたが、ありがたいことにわたし自身はその両方のすばらしい友人に恵まれています。彼ら彼女らに話を聞いてもらえたときの安心や、わたしを不当に傷つけたできごとに対し一緒に怒ってもらえたときの感謝は、心の中で積み重なってわたしだけのシェルターとなっています。

 

それから、愛梨ちゃんが見たがっていた7時からのテレビは、たぶん鉄腕DASHです。あんなふうな、同じ秘密基地を持つ近しい男の子どうしが語らうようなやり取りも、また好きな物語のひとつです。

 

 

【読んだ思い出】尼のような子/少年アヤ〔3〕

本の感想でもないんだけど、読み終わって考えたことのメモです。

88ページの前半を読んで、それだいたいフォトショップだよう、ムダな落胆することなんてないよう、ははは。

とだけ最初は思ったんだけど。
もしかしたら「ああ、この時アヤちゃんが風俗だなんて大それた道に行かなくて本当に良かった。やはり心根がしっかりしているからやっていいことと悪いことの区別はついているのだ、よかったよかった」みたいに安心する人もいるのかもしれないね、いるんだろうな、と思い、少し苦い気持ちになった。

セックスワーカーの顔写真は、幸せそうには見えないことがほとんどだろう。無理もないことだと思う。
なぜなら多くの人は、その人がセックスワーカーであるという時点で幸せだとはあんまり思わないからだ。きっと幸せとは言い難いだろうな、と思っている(これは必ずしも蔑視や差別心ではなく、空想するのに使う材料がそういうものばかりしか世間にないからそうなっちゃうこともあろうとわたしは思ってる)ことの方が多いからだ。不幸なんだろうなと見なしている相手の顔は不幸そうに見える。シンプルな仕組み。

151ページに出てくる絵本の描写と同じことだ。

読み古されたミッフィーの絵本が重なり、妙に哀愁を放っている。

「読み古されたミッフィーの絵本」それ自体は、ちっとも哀しい存在ではない。
例えば『最も幸せな絵本とは、最もボロボロになった絵本です。最も淋しい絵本とは、だれにも読まれずきれいなままの絵本です』こんな風にでも言えば、背の部分は朽ち見返しは取れかけ、すでに意味を成していないセロハンテープがペタペタ貼られたような絵本が途端に輝き始めるものです。
でも不安かつ複雑な思いで訪れた病院の待合室で見た「読み古された絵本」だから、「妙な哀愁」があるのだ。胸の内を含めたニュアンスを描写するために、その絵本は哀愁あるものとして存在したのだ。

「あの日見た男の子たちの笑顔の危うさは……」もこれと同じことで、感じた「危うさ」「空虚さ」は、他でもない書いた本人の内面が投影されたものだ。
アヤちゃん自身はそれに気づいているし、よく分かっていると思う。後に続く『いまも胸に深く沈んでいる』という文章は「あの時はどうかしてたなあ、あんな風に思い詰めて人の道を踏み外さないようこの先も注意しなくちゃ」という意味ではないなと思う。はっきりと書かれている以上の著者の内面をわたしが勝手にどうこう言うのはお行儀が悪いけれど、たぶん、「あんなモデルみたいにキレイな男の子があれだけのサービスをして○○円なんだ。働くって、一体なに?」というような物思いだとわたしは解釈した。

この本の元となったブログも長く読んできているし、夜中のツイッターで心底くだらなくて心底楽しい話をし合った仲でもあることに多大な優越感を感じているわたしだけど、それなりの年齢に達した分別顔の大人でも知らず知らずに上から目線や特別視が滲んで隠せていないことがよくあるというのに、そういったものをアヤちゃんから感じたことは一度もない。
もちろん距離はあって、壁がある。でもそれは「未知である」「自分は経験していないことである」という壁だ。他人の職業だからあるところ以上には立ち入らない、という壁。

それはアヤちゃんの知性だなあと思い、尊敬している。

だから、

決してセックスワーカーを蔑視するわけではないし、なれなかったからといって僻んでいるわけでもないが、

これは、書いてくれなくてよかったのになあ、と(セックスワーカーとしてのわたしは)思った。巷にどんどこあふれている、持ち上げるふりや自分をおとすふりをしてセックスワーカーを下に見る文章に表面が似てしまうのがすごくいやだった。書きたくて書いた文じゃないよね、気配りだよね。でもそんなふうに言わなくたって大丈夫なのに、わかってるのに、と思った。
思ったんだけど、でも、でも、やっぱりそれって現実的ではないんだよね。そうして書かないと「セックスワーカーを差別しているのか」ということにされてしまう可能性がある、んだよね。アヤちゃんはニュートラルでいるだけなのに、まわりはそうと受け取ってくれないことが充分に考えられる。
そしてこのことをわたしが指摘できるというのも、現役のセックスワーカーであるから持つ、いわば特権なのかもしれない。

なんだか、悔しいな。

 

そんなようなことも考えたから、いちおう書き残しとく。
この本を読んでたのしかったってことは変わらないよ。

【追記・4/10】
引用部分を分かりやすく編集しました。
またこの文章の主旨は著者への抗議や批判ではまったくないことを、念のために改めて明言します。
わたしがここで述べているのは、
・たとえわたしの前で「アヤちゃんが風俗なんかに堕ちなくてよかった」と言う人がいたとして、その人もわたしと同じようにアヤちゃんの幸せをただ願っているという事実が胸に痛い
・いつもセックスワーカーにニュートラルに接してくれているアヤちゃんに余計な「世間へのフォロー」を書かせてしまう見えない圧力を思い胸が痛い
・しかし「フォローなんて余計だ、差別の意図がないことは明白なのに、かえって嫌味にきこえて悲しい」などと偉そうに言えるのはわたしが当事者であり友人であるから、なのかも

といった答えのないモヤモヤです。モヤモヤメモです。よろしくお願いしまモヤ。

2014-04-09 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ: ,  

 

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