セックスワーク

【読んだ思い出】男しか行けない場所に女が行ってきました/田房永子

↑このリンクはアソシエイトです

田房永子さんの「男しか行けない場所に女が行ってきました」、迷ってる同業のひとがいるのでは、読んで嫌な思いするかもと恐れて手に取れないでいるのではって思ってる。だってこれまでわたしたちをカジュアルに侮辱してふんぞり返るような本が、似た感じの触れ込みでいっぱい世に出てきてるから。#

わたしもしばらくそれが気になってしまって手に取れなくて、でも田房さんが書くものなら泣くほど傷つきはしないだろうって、この前意を決して購入して読みました。これまでのご著書を読んでいなければ絶対にそうはしなかった、できなかった。#

まずこの「男しか行けない場所に女が行ってきました」ってタイトルがさあ、その男しか行けない場所に最初からいる女のことをハナから無きものにしてるんじゃないかって思って警戒するよね!笑。#

でね、やっぱり、無傷ではいられないというか、それってその言葉で書くべき?とか、そんなふうに言わないでよ、っていう部分がひとつもないわけにはいかない、それは誰が書いたってそうはいかないと思う。でも「風俗を体当たり取材したルポでーす!」って顔してる別の本とはやっぱりどこか違った。#

この本を書くにあたっての田房さんの葛藤が「経験していないことに口を出すことの下衆さを免罪してもらうアピール」としてではなく伝わること、セックスワーカーを特別な目で見るご自分を自覚し、それに関しても読み手に許しを要求してこないことが当事者としては安心して読めて嬉しかったです。#

でも、うーん、同業の女の子におすすめするかって言われると、自信ない、どうだろう、とても迷います。ある程度のキャリアがあって、性風俗業と自分との関係がいくらか安定してたり、あとこれまである程度失礼な本を読んじゃってきた人なら平気かなあ(ひどい基準だよ!)……あー分かんない。ごめん。#

(ここまでtwitterの転載)

 

この本はしばしば「女性目線」が新しい、という言い方で語られているけれど、わたしは風俗の「中の人」だもので「女だから行けない、見ることのない場所がどうなっているのかを『女性目線』で知ることができる」ことはなにも魅力ではありませんでした。それらについては既にあらかた見知っていて、へえ〜そんなのがあるんだ、という発見などないから。
そして「失礼な本」たちの威力はすごくて、ただでさえ他人の言葉から偏見や見下しを読み取るのはつらいのに、しかもそれが活字となり出版され書店に並んでいる事実にも打ちのめされるので遭遇してしまった際のダメージといったら目も当てられないよね。グハァ。それでもこの本を(びくつきながらも)読みたいと思ったのは、やっぱり「この人の書くもの好きだな」「正直に書く人だな」って気持ちをあらかじめ持っていて、希望が持てたからでした(ちなみにわたしが読んだことのあるご著書は「母がしんどい」「ママだって、人間」です)。

「私を含めたごく普通の一般人にはなかなか分からないが〜」のような前置きとともに、自分とは種類の違う無関係な男女が集まる場所として性風俗や水商売を描いた上で「彼らは〜である」と断定するような文章。それを読んでしまった時の暗く悲しい怒りがじりじりと燃え上がることは、この本ではなかったです。田房さんは性風俗を、すでにこの社会に当たり前に存在し多くの人々に楽しく利用されているものとして書いていたし、ご自身もまたその社会の一部であることも、きちんと書かれていたと思う。風俗嬢に対して引け目を感じることも、同時に蔑みの目を捨てきれないことにも正直だった。正直のポーズに隠したつもりで罵詈雑言を投げつけてくるタイプのあれ(あるよね?)とも違う、シンプルな正直さ。

一方で、たとえば23ページの風俗の種類表はちょっとあまりに大ざっぱすぎて「いやいやそれは……」と思ったり、それから「そのフレーズ、本当に必要?」とか「その書き方、本心なのかな(あるいはむしろ正直さの発露なのかな、と迷う)」と思わされた部分も、ちょこっとありました。

(148ページ)現役を引退したAV女優のひかるさんがかつて、AVは事情があってやっているだけで必要がなくなればすぐ辞めたい、と「ハッキリ」語っていた、その言葉を引用した直後に「ひかるさんはきっと今も、優しくて素敵な女性にちがいない。」という文が来てそれがこの章の締めとなっているところ。
これでは、AVの仕事ときっぱり訣別したひかるさんの意志がその優しさや美しさと関連付いているように読めてしまわないか? と思い不安になりました。

推測になってしまうけど、ここで彼女の「返済が終わったらすぐ辞める」という言葉を持ってきた意図、わたしは「切なさ」かなって思って。素敵な彼女がかつては裸を見ることもできるようなごく近い場所に、信じられないようなことだけど確かにいたんだということ、でも時が過ぎ今はそんな世界から離れてどこかの土地でただただ「きれいな女の人」として幸せに暮らしているのだろう、そうであってほしい、ということ……こう対比させることで過去のことが美しくすこし切ない夢のように浮かび上がるから。そこへ、田房さんからひかるさんへの、“知る術もないけれど、どうか元気で——”という気持ち、感傷的だけど切実に願う気持ちをこめたかったんじゃないかって。
でも読者の偏見を助長するって言うと大げさだけど、実際そういう目的でセックスワーカーの内面について知ったように書く人は存在するので、同じものとみなされる可能性に心がウッとなったのでした。感傷めいたセリフで雑にまとめて結局偏見を上塗りした文章ももよくあるし。

(153ページ)「まあ、全体的に異常だけど」という言葉からの3行がうまく読み取れなくて、「全体的に」というのが何を指しているのかもう少し書いてくれたらって思いました。他人(の体)に興味があってしょうがなくて、女性器を舐めるのも大丈夫と明るく、おそらくはちょっと得意げに語るかなちゃんに対し、彼女におどろき、惹かれながらも警戒もしている田房さん。そのムードや気持ちはすごく伝わってきたんだ。
でも、あの3行を読むとまるで「風俗店と、そこにいる風俗嬢は異常だけど、そこへ行く男達はまったく異常ではない」っていうよーく見かけるアレとそっくり丸かぶりのように読めちゃって、えっ? そう言いたいわけじゃないよね!? という疑いが拭いきれなくて、もどかしかった……。

など、こういう細かい部分を言い出すときりがないというか、わたし個人の感性と能力に基づいた読解の結果による感想なので著者の過失やなんかとは違うし、あげつらうようになるのはいやだなと思ったのだけど……ただ、読もうかどうしようか迷っている人へなにか参考になるだろうかと思って、ここに少し書いてみました(同業の女性に積極的に勧めることはできない、という意見は変わりません)。

「男しか行けない場所」とやらについては知っちゃってるから、それを「女性目線」とやらで書いたからって魅力にならない。とさっき書いたけれど、わたしが見ている日常を永子さんが見て、それがどんなものか表したものを読めることは、やはり魅力的でした。
わたしたちは同じ場所にはいないので同じ風には見えないの当たり前なんだけど「こっちからはこうだよ!」というのを、きっと、きっときっと彼女はわたしにも聞こえるように言おうとしてくれてるんだって感じ取れる。そういう人は今のところとても少なくて、風俗についてああですこうですと書いておきながらそれが風俗で働く人自身の目に触れることなど少しも考えていないようなものばかりが澄ました顔している段階です(想定していないのか、それとも見られたところでかまわないのか、それともどうせ反論できないだろうし問題ない、と考えてるのかはわかりません)。

「そっかーそっちからはそんなふうに見えるんだね、でもね、それね、こっちからだとこんななんだよ、あのね、でもねそれでもね……」ってこっそり手紙(反論じゃない、抗議じゃない、でも全部肯定でもない)を書きたいような気持ちがちょっぴり芽生えた気がしてる。それは、風俗で働いたことのない友だちとわたしの仕事の話をしている時の、傷つきたくない、傷つけたくない、と慎重にロープを握りあいながら(そしてときにはやっぱり傷つきながら)もできるだけ正直でいたいと、そしてもっと仲良くなりたいと思って心細くも微笑みあうあの気持ちに似ています。

 

***
ところでこの本はマミさんの食いつきがすごかったよ!「おもしろすぎて一気に読んだ!」と言っていました。そしてお互いに心に残ったフレーズを言い合ってしばらく笑ってた。「自称29歳(笑)」「近藤の崖の下に近藤(笑)」「小池キッス(笑)」「MAX松野明美(笑)」と言ってはンフンフと笑う母……あ、あと小此木さんに好感を持った点も意見が一致しました。
そのうち、ふと昔のことを思い出したみたいで、そういえばうんと若い頃友だちから、セックスしたくて頭がおかしくなりそうな時があるの、私変かも、って相談されたことがあった、あの時動揺せずにせめて変じゃないよって言ってあげられればよかったわ、という回想をきき、わたしも何も言えはしなかったけど、そのお友だちのところへも永子さんの思いが通じたらいいなってぼんやり思いました。
またマミさんは「母がしんどい」で幼いエイコちゃんがお母様に角材を持って追いかけられていたシーンが非常にショックで今も強く覚えているようで、あのエイコちゃんが仕事を見つけて自立してこんなにしっかりがんばっているのね、よかった、という点に安堵していたようす。

なおこの文章中で田房永子さんのことを田房さんと呼んだり永子さんと呼んだり揺れているのは、わたしは田房さんのことを頭の中で作家さんとしては「田房さん」と呼んでいるのだけど、
既刊を読んだことでその人となりやこれまでの人生を少しお話していただいたような気持ちになっていて、さらに以前ツイッターでお話……しかもどうしたら臭いを気にせずフェラチオすることが可能か!?口から吸い鼻から吐く呼吸の特訓か!!みたいなだいぶくだけた(でも深刻だよね!)話におつきあいいただいたりしたことにより、女の人生を生きる先輩としては永子さん、と思っているところもあり、ブレブレだからです。今読み返して気づいた。

本当は、エイコさん!って呼びたい感じ。

2015-02-18 | カテゴリ: まじめなはなし | タグ: ,  

 

【追記あり】ワーカーズライブ:お肉を食べる日曜日

毎月1日更新のワーカーズライブ、今月はわたしの担当でした。

Worker’s Live!! – お肉を食べる日曜日

このメッセンジャーログ形式には「LINEじゃないの?」とのご意見をいただきがちですが、LINEではないのです。メッセンジャーなんです。なぜなら、俺とパンダが好きだからです。とりわけこのコーナーのことが大好きだからです。みんなも読むといい。そして大人の皆さんはYahoo!メッセンジャーがこの3月で歴史に幕というニュースに過ぎ去りし時の長さを想ってしんみりしてしまえばいいんだよ!我々は今日も年を取っているぞ!

ええと、メッセンジャーがよくわからないナウでヤングな皆さんはパソコン版LINEだと思って読んでくれて大丈夫です。同じです。既読はつきませんが「相手がメッセージを入力中です」みたいな表示が出ます。どうだい便利だろう。

 

ユリコとヒロカズには2年前にも出演してもらったことがあります。

Worker’s Live!! – 彼氏・けじらみ・メッセンジャー

片方が風俗業に就いているカップル、というのをイメージしたとき、この2人のような関係はあまりリアリティがないと受け取られることもあるかな、とも思うのです。「本当に愛しているなら、辞めさせたいと思うはず」「辞めさせないのはお金が目当てだからに決まっている」という考え方がそれなりに普及しているし、そのような考え方に基づくなら、ユリコちゃんは全然愛されてなんかないしヒロカズくんはひどいやつ、ということにもなりかねません。

ある人にとって、パートナーが仕事として自分以外と性的なコミュニケーションを行うことが苦しみであるのなら、そのつらい気持ちそのものを風俗で働く人への差別心と同じに並べることはやはりできません。また風俗で働く人が、パートナーにそれを責められたり退職を勧められなかったために「ということは、自分は愛されていないのだ」と思って落ち込んでしまうケースも、中にはあるだろうしそれもまた辛いことだとも思います。
ですが、現職のセックスワーカーは誰との恋愛も成立しない、交際が継続される場合は愛情そのものが正しくない偽物である証拠だ、というふうに他人が判定することは、これも決してできない、してはならないことだとわたしは思います。

なにを職業としてどう働くか、最後に決定するのは本人の意思、本人の選択で、愛が理由であろうとも他人がそれを曲げさせたり支配することはできません。
(その「本人の選択」がなにかに狭められたり妨げられたりした結果のものだってことも少なくないけれど、そこはまた別の問題で。)
それに現実的な話をすると、風俗で働くに至ったその人ごとの理由を、パートナーの「愛」が補填できるケースって、そんなには、多くないと思うのです(できるならば、もちろんそれはとてもよいことです)。

 

この2人みたいなカップルなど本当にいるだろうか、と思われるかもしれません。でもまったくの荒唐無稽なものでもないはずです。わたしがこの業界で働き始めてから交際した相手はみなさんだいたいこんな感じでした。
仕事中の苦労をぐちってみたり、顧客から感謝を伝えられていっしょに喜んでみたり、馴染みの指名客が身体を壊したときにはひそかに一緒になって心配したり、そんなこともありました。

誤解されたくないなと思うのは、わたしと恋愛関係になった後も「仕事を辞めてくれ」と要求しなかったからといって、わたしの恋人たちが「何も感じていなかった」わけでは決してないということです。
わたしが風俗で働くことを手放しで歓迎していたわけでも、何をしようと個人の自由だからと無関心であったわけでもありません。
彼らの心の中にはそれぞれに、長い時間考えて辿り着いたものや、辿り着かずに積まれた課題があったと思います。わたしと同じくらいに。とてもここへ書ききれないほど多岐にわたって、心配や問題は山積みです。それらもまた、愛ひとつでどうにかできるものではありません。
たとえば、恋愛には肉体関係が伴う場合が多いですから、セックスワーカーとそのパートナーには健康面での課題も生まれます。たとえば、時には友人知人に紹介するにあたって、別の職業についている設定にするような場合もあります。
これらを「セックスワーカーとそのパートナーは衛生管理や健康に無頓着で、友人を騙しても平気でいる非道な人間だからそういうことができるのだ」とすんなり結論づけられることもあります。それはとても悲しく、苦しいことです。

 

内心では大きな苦痛がありながら、わたしの職業選択を尊重するために何も言わずにいるのを見過ごしているとしたらいやだなあ、と思い、そのときどきで交際中の相手にきいてみることがあります。

「わたしが風俗で働いていることが本当はいやですか?」という質問はプレッシャーを与えてしまいそうなので、かわりに「わたしが風俗で働いているがために、あなたにとっていちばんマイナスになっていることはなんですか?」と。

「こゆりちゃんがどんなにお客さんのことを案じていても、満足させられるように心を砕いていても、それをはなから踏みにじることしかしないような人間がいるということ。そういう人が顧客になる可能性をなくせないということ。そこに対して、僕が何もしてあげられないということかなあ」

そんなような答えが返ってきて、嬉しくもあったし、でもなんだかつらくもありました。
わたしもまた、それ(そういう人が顧客になり、こちらを傷つける可能性)に対してどうすることもできない、無力でしかないから。
今はまだ、無力さをわかちあうしかありません。

 

さて、Yahoo!メッセンジャーは3月で終わってしまいますが、msnメッセンジャーは今どうしているのかと思い検索したところ、とっくに終了していました。ああ。我々は今日も年を取っている。

ですがわたしがいちばん懐かしく切なく思うのはいちばん先(2007年)に消えてしまったデリポップです。
デリポップ、青春でした。今でもあのポロリロポロリン♪という音が心で鳴っています。大富豪になったら復活させたいウェブサービスのリスト上位にいつもいるデリポップ。

ニフティはデリポップなき後も「ドーナッツ!」を残してくれているので(超ありがたい)、今でもマイボーやノッキやウーリーに会えます。書籍も出ていて、2冊とも何度も読んで大切にしています。ドーナッツタウンはわたしの心の中にあるよ!!

オンライン絵本「ドーナッツ!」

 

【追記 2/5】( 一部不明瞭な表現があったので加筆修正しました。本文中の「無力さをわかちあう」ことをロマンチックに捉えた肯定的な、賛美するようなご感想を何通かいただき、わかちあえる関係についてよいと感じていただけたのなら、ありがたく思います。しかし、無力さをわかちあうこと自体は決して喜びではありません。わたし(たち)は客となった人からの侮辱や暴力をおそれていますが、誰もがそうであるように事前に回避する手段を持ちません。その不当で不本意なおそれを前にささやかな連帯を得られたとして、「災い転じて福となす」とは違うものなのです。特に第三者から「世にある差別のおかげで絆が深まる」といった評価を受けるのはたとえご冗談であっても非常に悲しく思い、また憤りを感じます。配慮をいただけたらうれしいです。

 

 

ガールズヘルスラボ2013-14

さっきアイラブインターネットと言ったばかりですが、昨年の終わりから年始にかけてはだいぶネットから離れていたのでした。いいんだよ、離れて育つ愛もあるんだよ。
しかしインターネッツ界で最も愛するサイトであるGHLのワーカーズライブにすばらしい原稿が登場しているのに何の告知もツイートも拡散希望もできてなかったことだけ胸にひっかかっていたので、ここに自分の感想をメモして罪滅ぼしにしようと思います。

風呂と乾燥と肌のケア (綾瀬麗次さん)

綾瀬さんが書く売り専の日常シリーズ、「そっか、そっかあ、いっしょなんだ……」って思って読んでる。男性が男性に売るお店は知らない世界で、そこで働く友だち・知り合いも綾瀬さん以前にいたことはない。でもきっと、そこに横たわってるじゃまな困難や理不尽やささやかなよろこびにはわたしのいる場所とおなじものがあったりするのかな、あったりするんだろうな、ってぼんやり感じていたことを、ああ、やはりそうなのだ、と学べる感じ。
今回はそれにくわえて、あーそっか、そうなっちゃうんだ!ってハッとさせられもした。
シャワーの後ぼボディ用化粧品は(そりゃあ自宅でのお手入れみたいにはできないけど)、わたしたちはやりようによってはプラスの印象をもたらす小道具にできることもあって、塗る姿が美しく見える箇所を選んだり、そういう工夫をする余地もある。でも売り専だとケアをすること自体に「男らしくない」っていうのがついてきちゃうんだなあ。超必要なのにね、保湿。風俗業とは細胞間脂質を生け贄に捧げ引き換えにお給金をいただく職ですか??ってくらい、乾燥するもん。
そして売り専のキャストは「男らしさ」「ノンケっぽさ」を求められることが多い、っていうの、身につまされすぎる!

 

セックスワークを引退するということ  (ブブ・ド・ラ・マドレーヌさん)

マドレーヌさんはわたしにとって、ひたすら大先輩。初めてお名前を耳にした日から今日まで、ずっと。
でも、個人的なお話だとか昔のことだとかを伺ったことは全然なかったから、なんだかちょっぴりかしこまった気持ちで読んだ。とくに「馴染みさん」からの着信をじっとやり過ごすところでは、わたしも息がつまる思いだった。
「自分の最大寿命から逆算して、生きている間にすべき事を考え始めました」という文の凛とした感じが、ふだんわたしがtwitterで見るマドレーヌさんに感じているマドレーヌさんらしさ(なんとなく、きっぱり、かつ、しなやか、ってイメージを抱いています)に近いように感じて。
わたしのまわりでは彼女のことをブブさんと呼ぶ方が多いけど、この文を読んだあとは何だか「マドレーヌさん」って感じがしたよ。
引退って、わたしにとってはまだ見えなくて、だけどある日突然そうするしかない状況へ追い込まれることもありえるし、目を背けたいけどそうもいかないけどでもでも、っていうもやもやに埋まってる。いま現役で働いている人のうちかなり多くが、そうなんじゃないかって思ってる。かつてそれを経験した人が引退について語ってくれる言葉はとてもありがたいものです。

 

Sex Workerが観るSex Work映画〜その8「風と共に去りぬ」(御苑生笙子さん)

ついについに!笙子おねえさまの真骨頂!TAKARAZUKA!!うふふ。
これが2014年元旦の更新だったというだけで、未来が明るいような気がするよ。
でも読んだら、ぐっ、じわり、うるっ、て来る。新年早々泣かされた。。。毎回だいたいそうなるんだよね。ひとつ前の「サマリア」「リービング・ラスベガス」の回もそうだった。
ガールズヘルスラボは、風俗嬢のための、という主旨で生まれて運営されているサイト(※)だから、あたりまえだけれどとってもセックスワーカーフレンドリーな場所だけれど、そういう場所でセックスワーカーに向けられる偏見について、それと向き合わされるつらさについて、こんなふうに語る文章があるってすごいことだ。
笙子さんの連載は、どれも同じセックスワーカーとしての共感に溢れている。けれど彼女の文章は「そうだね!つらいね!つらいね!」という気持ちで終わらせるようなことを決してしない。共に考えてくれるひとがいることの希望をしっかりと感じさせてくれる。
答えが出ない、ひとりではどうにもできない、すぐに解決が望めないような種類のつらさにいちばん必要なものだと思う。

爪と骨 (椎名こゆり)

さりげなく自分の書いたものも宣伝しよう、そうしよう。
もうかなり昔、アンガールズの田中卓志さんがテレビ番組で「謎の骨がある」と言われていたことがあり、なんだかそのエピソードが好きでずっと覚えています。人間はそんな部位に骨は出ていない、鳥類ならあてはまるけど……という話でした。
結局その骨は人間だれしもあるもので、しかし彼のように極端にやせていない限り見えないものなのでそのような噂となった、というオチだったと思います。
でも「みんなにはない骨がある」というのが、なんだか田中さんには似合うような気がして、いいなあ、と思ったのでした。

実はわたしにもちょっとイレギュラーな骨があるのですが、外側からはまったく見えませんし自分でその存在を意識することもできません。このストーリーの女の子のように、自分のさじ加減でちょっと目立たせたりできたとしたら、わたしはだれに見せたかっただろう、とちょっと思いました。

 

※……なんども書いちゃいますがそれは「風俗業を仕事としている人の実用に耐えうるクオリティを」という姿勢であって、そうでない人にも読んでもらえたらいいなー読んでほしいなーってことがいっぱい詰まってるサイトです。健康で安全にスキンシップをするには?という点では同じだけ当事者なのだから。

 

電話をするよ

「また指名するよ」と言われることがある。

だいたい、ありがとう、と答える。

それは平凡なよくある言葉だけど、中味はさまざま、いろんな言われ方がある。
「また指名してやるからそしたらやらせてくれるよな」のニュアンスを含んでいたり、
「大儀であった。下がってよいぞ」という挨拶に近い意味であったりもする。

もちろん率直な、楽しかったのでまたご一緒したいです、の時もいっぱいある。
そう言われるのはうれしい。
あちらには娯楽や楽しみで、こちらには仕事で、ということをちゃんと受け入れた上で、あなたのやり方は好きだ、気に入った。そう言ってもらえることは、何よりうれしいことだ。

同じ気に入られるでも、連絡先教えてとか今度飲みに行こうとか俺たち相性いい(それはそうだろう、合わせるために力を尽くしているのだから)からプライベートでどうだいとか言われるよりも、平凡な「また指名するよ」がずっとうれしい。

 

このまえ、服を着て荷物も持ってもう本当にさようならの時に、もしも言ってもらえるならきっとこのタイミングで「また指名するよ」と言ってもらえそうなその時に、お客さんが、
「また……電話を、するよ」
と言った。

電話をするよ。

その言い方が、すごく素敵だった。
彼はよいお客さんで、わたしの私生活を詮索したりないし、あわよくば仕事以上のサービスをもぎ取ろう、というみみっちい試みもしないし、提供したサービスをまっすぐ余さずに受けてくれた人だった。淡々としているというわけでなく、他愛ない世間話や他愛ない愛撫の中に、わたしのことを傷つけないでいようとするごく日常的な(おそらく彼にとって特別なことではないような)気遣い、が敷かれていた。
電話して呼ぶのには間違いない、デリバリーヘルスなんだから。ただ彼の口からこぼれた、指名ではなく電話、という言葉は新鮮にひびいた。

ほんの少しためらったような声と表情と。顔の角度や視線のような、作れはしないその時だけのタイミングのものが、全部瞬間に組み合わされて、素敵だった。
ああ、いいなあ。そう思った。

電話をするよ、と言われて、……うん、あたしも。と答えた。

こちらからかける電話番号なんかもちろんない。
でも、なんとなくそう言って別れた。向こうもそのことを何も言わなかった。

 

帰り道、UAの「電話をするよ」という歌があったなあ、と思って、車の中で聴きながら帰った。

2013-05-04 | カテゴリ: weblog, たわいないはなし | タグ:  

 

エレベーターを降りて

つい先日、仕事中にあったことを書く。

呼ばれたのは、よく行くホテル。東京のデリヘルで働いていれば馴染みがあるであろう、品川駅近辺のメジャーなホテル。

時間はまだ日付が変わる前。エレベーターに乗ってボタンを押す。すぐあとから、やや年配の女性も乗ってきた。どうやら同じ階で降りるらしい。
目指す階に着いてドアが開き、ボタン付近にいたわたしのほうが後から降りることになる。にこやかに会釈して女性が降りた。わたしもそれに応えてからそっと降り、そこにある自動販売機で飲み物を買う。その人に、先に行ってもらうためだ。

お客さんの待つ部屋に入るところは、誰にも見られたくない。
ノックしてこんばんはなんて言いながらおずおずと部屋へ入る姿を見れば、よほどでなければわたしが「詳しくは知らないが、何らかの性的なサービスをして賃金を得に来た女」だとわかるだろうから。それを、不快に感じるか特にどうとも思わないかはそれぞれあるだろうが、少なくとも快く思う人はいないと思うから。だから、気を遣う。こちらとしても、ドアの前で最後に深呼吸をして気持ちを集中させるあの瞬間はできればひとりでいたい。
それでもたまに、お客さんがノックに気づかなかったり寝てしまっていたり(深夜だとたまにあるのですよ)でしばらく開けてもらえず、別の宿泊客が通ってしまうこともある。ちょっと、申し訳なくなる。

時間を稼ごうとゆっくり飲み物を選んで(いるふりをして)いたが、その女性は廊下を歩いてはゆかなかった。わたしから少し距離をおいた後ろで、小銭入れの中をあらためている音がチャリリと聞こえる。
あの人も飲み物を買うところだったのだ。

これでは逆効果だ、後から来られたらドアの前で止まるわたしを見られてしまう。
でも仕方がない。できるだけ早足で歩いて距離を稼いだ方がまだましだろう、と一歩を踏み出す。すると、ちょうどまたエレベーターがこの階で止まる。今日はついていない日だ。

ドアが開き、大柄な男性が降りてくる。エレベーターホールで、3人の人間が交差する。

そのとき、あの年配の女性の声で、
「おつかれさま」
と、聞こえた。

えっ、と思い、でも足が進み始めていたので止めることができず、でも、素直に客の待つ部屋へと行けなかった。

自分に向かって言われたと、なぜか思ってしまった。

ふつうに考えると、降りてきた男性と同じ団体の人で、声をかけた、というのがいちばん納得いく。でもそうならば、男の人のほうがなにも返事をしないのはおかしいように思う。
だけど、わたしが言われたというのは、やっぱりどう考えてもありえない。ただエレベーターに乗っているだけであればわたしはただの「ちょっと荷物の大きなお嬢さん」だし、シティホテルにいる人間の荷物が大きいのはあまりにも普通だ。

もちろん、デリバリーヘルスという存在を大体わかっていて且つちょっと観察力のある人なら、わかるだろうと思う。それか同業者であれば、もうすぐにはっきりとわかる。
でもあの人が、上品な服と眼鏡の、まるで少女マンガに出てくるお嬢様学校の理事長先生に似合いそうな佇まいのあの人が、わたしをデリヘル嬢だとわかってさらに慈悲の心(大袈裟だけどそんな感じのことだと思う)によって、お疲れさま、と声をかけてくれるなんて。
そんなことって。

でも、でも、どうしてか、わたしが言われた、と思ったのだ。その時。
わたしがおめでたいだけかもしれない。それならそれでも。

 

大柄な男性は歩くのが速く、わたしをひょいと追い越して先へ行ってしまった。
わたしはドアに記された番号をもう一度確認して客の待つ部屋の前に立ち、左手でノックをしようとしてでももう一度振り返った。

女性の姿はなくて、まだエレベーターホールにいて一服しているのだろうと思った。
あのう、さっき、わたしに言ってくださったんですか、おつかれさまって。
そう訊いてみたかった。
この街で働くセックスワーカーたちが同業かもしれない見知らぬ誰かとすれ違う瞬間、知ったホテルの前を通過する瞬間、休日に例えば東京タワーを眺めているとき、あてのない祈りのように思う「みんな無事でありますように」が集まって人の姿になってわたしの前に現れたのかもしれないと、そんな風にも想像してみた。
わたしもいつも、その祈りをせずにいられない気持ちを手放せずにいるから。

待っていた仕事は、容易なものではなかった。
客は無口で、わたしと目を合わせず、行為は力任せで、体格差も大きくわたしは疲弊した。神経を尖らせて次にどう出ようかと頭を絞りながら、さっきのゆっくりと優しい「お疲れさま」の言葉をたぐり寄せては何度も頭で再生した。大丈夫だ、と言い聞かせるように。

そしてへとへとになり、また同じエレベーターに乗り、帰った。

 

2013-04-24 | カテゴリ: weblog, まじめなはなし | タグ:  

 

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