2015-04

ヒマワリ、パクチー、カフェオレ色のクマ

ゆきよさんのお通夜に参列することができました。わたしが彼女のことを書いたものがご親族の方の目に留まり、声をかけていただけたのです。

少し迷いました。わたしは初めての場所に出かけることがたいへん不得手(いままでどれほど他人に迷惑をかけてきたことでしょう)ですし、まして埼玉県には全く土地勘がなく夜間で天気は雨、また次の日は大事なお客さんがロングコースの予約を入れてくれていたので、泣いたりして目が腫れたら仕事にならない、という不安もありました。
そしてなにより、友人でもなく仕事仲間でもなく、一時期ちょっと交流してもらったというだけで今となってはただの読者のひとりでしかないわたしが、そんなところに出ていっていいものかどうか、と。

それでもやはり行こうと決めたのは、やはり年上の友だちの助言でした。セレモニーは残された人のためにある、きっと区切りをつける一助になるから、できれば足を運ぶとよいと思う、と。

初めて乗った東武鉄道は知らない駅名ばかりなのでいつでも路線図から目が離せず、乗換案内アプリの示した電車にてんで間に合わず、バス乗り場では後ろ側のドアが開いたことに驚いてオロオロしたりしましたが、なんとか辿り着くことができました。ゆきよさんが高校時代を過ごした街。会場の案内図には「大塚幸代」と案内されていて、ゆきよさんの名前って漢字だとこうなんだ……とまったくばかみたいに今さら戸惑いました。

つくづくわたしは「ゆきよさん」に面倒をみてもらっただけだった。それなりの大人としてライターの大塚幸代さんにも会ってみたかった、そのずば抜けたセンスに生でくらくらしただろうな。そう思いながら中に入ってすぐ、お焼香ではなく玉串奉奠の用意がされているのに気づき、うんと昔にゆきよさんが「ねえ私死んだらどうやら神式の葬式になるらしいよ?この年まで知らなかったんだけどー」と言っていたことを急に思い出しました。持ち方とか回し方とかちゃんとしたお作法があるのだろうけど、全然わかりません。わかりませんという気持ちを瞳に込めてスタッフの方と目を合わせると「これをね、根元のほうを祭壇に向けて……」と丁寧に耳打ちしてくださり、でも結局やっぱりなにがなんだかきちんとできず、とりあえず置いた、という感じになってしまいました。ごめんねゆきよさん、ああしかもわたし御玉串料?でいいの? 入れた袋も思いきり蓮の絵ついてるし全部グダグダだよ、思い出せばよかったのにね、ごめんね、と思って写真を見たら、ゆきよさんはまるで「んああもういいよそんなの!テキトーで!」と言っているような顔で笑っていました。まごついたせいでワッと泣いたりせずに済んで、たすかりました。ただ、忘れているんだなあ、ということがつらかった。

とてもたくさんの人が来られていて、でもわたしを知っている方がいるわけではないのでそっと失礼しようと思ったのですが、片隅に置かれたテーブルに写真が飾られており、そこでしばらくの時間を過ごしました。
ゆきよさんの携わった書籍やお友達との写真、子どもの頃のアルバム、かわいがっていたのであろうぬいぐるみ。ハートをつけた茶色いクマのぬいぐるみはどこかで見覚えがあるもので、そっと触れて話しかけてみました。ゆきよさん、どっかいっちゃったねえ。さびしいねえ。

家に帰ってお引き物の箱を開けたら、そのクマさんによく似た色のタオルが入っていて、なんとなくうれしかったです。故人のぬいぐるみ(を持たない人ならそれに準ずるなにか)(ぬいぐるみに準ずるものってなんでしょうね)を置く習慣、もっともっと広まればいいのに。そのくらい、ぬいぐるみひとつで心がはげまされたのです。

 

次の日には無事にいつもとかわりばえしない顔でお客さんと会いました。普段はいちおうネイルをしているため自爪でいるのをめずらしいねと言われ、ゆうべお通夜に行ったので、と言って少しだけゆきよさんのことを、「以前お世話になったお姉さん」と話しました。彼はわたしが持つお客さん方の中でも人並み優れた育ちのよさ(育ったご実家の経済力、という意味でなく)と共感性の高さを持っている、とわたしはにらんでいる相手なので、話すことにいやな感じはしなくて。でもオフラインで彼女について誰かに話すのは初めてで、それがお客さんなのが不思議な感じでした。わたしの本名も知らない人。

 

ズーズーしくなりなね。
自信を持ちなね。
わたしたち、いま生きてる人を、いま大切にするしかないんだよね。
好きな人に好きと言わないと、いつか必ず後悔することになる。
でも……私なんかに好意を持たれて迷惑かもって気持ちがあると、もう、できないから。
ユリちゃんは自信を持ってね。理由なんていらない。だって女の子は幸福でいなくちゃいけないって、信じてる。

ゆきよさんが言っていたこと、わたしに言ってくれたこととブログやなにかに書いていたこととの区別ももうわからなくなってしまっているけれど、この数日間ずっとたぐりよせてはつなげて並べていたこと。

 

すてきなおともだちだったね、まだまだいきたくはなかっただろうに、かなしいね、いまは。お客さんがそう言った声には若い女への憐れみを楽しむような気配を少しも感じなかったので、わかってはいたけれどほっとしました。つい、この人が突然にいなくなってもわたしがそれを知ることはいつまでもありはしない、悼むことも別れることもできはしない、逆でも、という普通のことをしみじみと考えました。

好きだという言葉はあまり使えない間柄なので、別の言葉を探して、まわりくどく、忙しいでしょうけど身体を大切にして、と言いました。だって昨日まで元気で他愛ない話をしてベトナムフォーとか食べて、きょうも明日もあたりまえに元気だと本人もまわりも思っていたってわからない、人ってあっけないものなのねって思い知ったから。でももうしばらくのうちはあたしを指名してよね、と。

結局ありふれた決まり文句のようになってしまった。

彼は最初にわたしがファンレターを出して知り合った、というところを、すごいね、えらかったね、とほめました。図々しかっただけよ、と答えたけれど。

 

そしてまた突然に急に思い出したのは、いつかゆきよさんも、わたしのことを「えらいね」とほめてくれたことがあったのです。
店のホームページや客に見せるファイル用の写真(その頃はデリバリーでない店に勤めていたので、モザイクのない写真を店頭に出す必要があった)を撮られることはどんな気持ちか、という話をしていた時だったと思う。

ユリちゃんは、写真撮られるの大丈夫なんだねえ。いやわたしが苦手なだけなんだけどさ、自分の顔って、わからないじゃない。永遠に自分で見られないし、どんな顔してるのかって思うと怖いんだよね。鏡を見るのも。
超わかるー!と無邪気にわたしは言ったはずです。鏡に映った顔は左右がはんたいだし、きっと他人が見てる顔と違うと思うし、写真の中で笑ってたりするとこの人誰なんだろうって思う、自分、ってものじゃなくて、それどころか、いきもの、毛を長くのばして顔になにか塗っている変ないきもの、って思うよ。
それで、このへんないきものがわたし、このへんないきものがわたし、って思うときもくて、でもずっとやってると突然一瞬だけその「きもい」が「かわいい」と区別できなくなって笑いが出そうになるから、そこですかさずやめるの。
そいで、もう考えないの。

そんなふうに言ったときじゃなかったかな、ゆきよさんは「ユリちゃん、あなたはえらいですね」と言ってくれたんでした。どうして? ときくと答えずに、ただ、えらいですよ、ほんとえらいです、よしよし、と繰り返して。

力が抜けて、情けなくて、泣き笑いの気持ちで肩を落としました。超わかるーじゃねえよ、バカだなあ。

お客さんがシャワーを浴びているあいだ、ベッドの上でほんとにちょっと泣きました。仕事中になにやってんだ、バカだなあ。

 

お別れができてよかった。
そう思ったことも、本当です。機会をくださったご親族の方に、背中を押してくれた友だちに、心から感謝しています。でも、これから何度もわたしはゆきよさんに会ってしまうと思う。わざと呼び出したり、不意に通りの向こうを歩いているのを見たり、はち合わせて驚いたりするのでしょう。そのたびにウッとなったり、ひりひりしたり、その審美眼をあらためて尊敬したり、ああこういうこと言ってたのかと学んだり、やっぱりちょっと泣いてしまったり、なんだよゆきよ暗いよ元気出せよオイ、わかったわかったかわいいよ、なんて思ったりもするかもしれない。

それはきっと新宿で、渋谷で、池袋で、高円寺で、iPhoneの画面で。

だから、やっぱり、おこられないように、自信の練習、するよ。

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2015-04-10 | カテゴリ: まじめなはなし, むかしのはなし | |  

 

ゆきよさんのこと

大塚幸代さんのことをわたしはゆきよさんと呼んでいた。mixiの登録名が「ゆきよ」だったし。初めてメールを交わしてから、もしかしたらあっという間に10年ほど経ってしまっているかもしれない。それらの短いやり取りは昔のMacや退会してしまったmixiや捨ててしまった二つ折りの携帯電話にちりばめられていて、もうたどることができない。

わたしはまだ本職の風俗嬢ではなかった。身体を壊して堅気の仕事をやめ、療養生活の真っ最中だっただろうか、少し回復してアルバイトを始めた頃だっただろうか、記憶があいまいではっきりしない。ゆきよさんは、もうフリーランスのライターとしてデイリーポータル(その頃はさいごにZがついていたかいなかったか、自信がない)などで活躍されていた。

きっかけが何だったのか忘れてしまったけれど、わたしがゆきよさんにファンレターを書いたのだろう。とかくインターネットが友だちにならざるをえない療養生活(通院以外の外出がままならなかったので)でデイリーポータルはわたしのオアシスであり、彼女の書くものが好きだった。大塚さんの書く文章はセンシティブすぎて、という人もいることは知っていて、センシティブ、と表現されるものを感じ取ることは当時のわたしにもできた。けれど、ゆきよさんの方がうんとうんと先のほうをゆく大人の女性だったからだろう、憧れのお姉さんだったから、その「センシティブ」がわたしを傷つけることはなかった。
むしろ、揺れる気持ちを揺れるまま書き、ものわかりよい割り切った文章でまとめていないところが心強く感じられていた。突然大きく不安定になった人生にうまく慣れられずにいた幼いわたしは、不安定を隠さない彼女が遠くまぶしく、とても自立して見えたものだったから。

そして原稿からはあんなにも鋭く繊細な感性が滲み出ているのに、わたしにくれるメールの書き出しはだいたい「どもどもす〜」だの「ニャニャー!」だので、そのちょっぴりおどけた感じがとても可愛らしく見えて、惹きつけられた。

月に数通ずつ、ゆるいゆるいやり取りをして、しばらくして実際にお会いする機会があった。そのころにはもう自由に外出できる程度に回復していて、時給800円のアルバイトの傍らイメクラの仕事も始めていたと思う。
ゆきよさんはスラリとした長身の可愛いお姉さんで、わたしがユリですと名乗るとにっこり笑って「ああ、はじめましてー!」と言った。

その日わたしはレストローズのワンピースを着ていた。ゆきよさんにほめられて有頂天だったから、よく覚えている。薄い紫か水色のバラ柄にリボンがついたものだったと思う。ワンピースっていいよねえ、女の子の特権だもんねえ、というゆきよさんに、ゆきよさんは着ないのワンピース、と言うと、わたし172センチくらいあるからさあ、売ってるワンピース、着るとだいたい短くなりすぎて、なかなか、だめでねえ。と言って笑った。140センチ台のわたしはチュニックにショートパンツを合わせると、短すぎるワンピースを着ているように見えて「なかなか、だめ」になりがちだということを話した。
「ああ、そっかああ、なるほどねえ、大きいのも小さいのも、いろいろあるんだあ」とゆきよさんはまた微笑んでくれて、やっぱりわたしは有頂天だった。

とりとめのない話をした。洋服のこと、アクセサリーのこと、アイドルのこと。中川翔子さんのブログについてあれはすばらしいねと話した記憶がうっすらとある。しょこたんが「ギザ神」と言ったアイシャドウをついわたしも買ってしまった話とか。渋谷でのサイン会に行きそびれた話とか。当時お守りとしてつけていたピンキーリングをゆきよさんはほめてくれ、サイズをきかれ、0号だよってこたえたら、なにかのツボに入ってくれたらしくゼロってなにそれゼロとかあるんだすごくないウフフと盛り上がったりとか。ダブルユーに対する複雑な気持ちなども話した気がする。
わたしたちが並ぶシルエットは「大人と子ども」のようで、それはそのまま内面の成熟度と同じような気がしていた。ひとまわりも違えばあたりまえなのかもしれないけれど、それ以上にわたしの知らないことをたくさんたくさん持っているふうに見えた。

だからだろうか、わたしも好きだったけど、小沢健二の話だけは一度もしなかった。
それはゆきよさんの聖域のように感じていたから。ランドセルをしょって今夜はブギーバックを、歌詞の意味も大して分からずにきいていたわたしのような子どもが口にしてはならない話題のように思えたんだろう。立ち入ることはできなかった。それに、フェイクやクイックジャパンでの活躍と目の前のお姉さんとは、それらがわたしにとってリアルタイムでないこともあり、うまく結びつかなかった。

 

なんのタイミングだったかもうよくわからないのだけれど、風俗の仕事をしている、ということはなぜだかツルリとカミングアウトしてしまった。
ゆきよさんは驚いてみせたりしなかった。そっかーそうなんだ、と言い、身体にだけは気をつけてね、と言った。

家に帰って、次の日だったろうか。メールが届いた。

「私なんかが言わなくても、ぜったいぜんぜんご自覚あるとおもうんだけど、よくさあ、減るもんじゃなし、って言い方する人いるじゃない。でも、絶対、減るよね……と思う、いろいろ」

今の、2015年の、試行錯誤しつつそこそこの経験と実績を積んでセックスワーカーである自分をある程度(このある程度っていうものの内訳は、ひどく複雑で難しいんだけれど)肯定しているわたしに、なんの交流も友情もない助言を求めたわけでもない見ず知らずの人がこの言葉だけを言ってきたならば、傷つくかもしれないと思う。減る、という言葉で表現されている事柄は風俗業のある一面でしかないし、それはなにも性風俗の職場にのみ存在するものではないし、安全な場所から知ったようなことを言わないでくださいと思うかもしれない。
だけどわたしたちがそれまでに交わしたものたちの上では、このメールはとても嬉しかった。「減るもんじゃなしと時に人は言うが、減る」ということを分かってくれている、というのがまず嬉しかったし、ゆきよさんがわたしの心身を案じてくれているということも素直に嬉しかった。ご自覚あるとおもうんだけど、というなんだかリズムの悪い言葉がとてもいとしく思えた。

そのメールの最後はこうだった。

「あのさ、あのさ、ほんとはいちばんやりたい仕事、とかって……ない?ですか?」

そしてその下にこう書き添えられていた。

(とかいって、私ない!)

ゆきよさんらしい言葉だなあと思えたし、また怒られも泣かれもしないというだけでも、わたしは救われていた。
いちばんやりたい仕事とかまだよくわからないけれど、ライターは楽しい?ときくと、楽しいかどうかって考えると確かに楽しいけれど、いつでも楽しいといえるほどの余裕がない、プロになってからというものとにかく自信がなくってね、それが私のだめなところ、と言っていた。

そのころゆきよさんが「おそらくコスプレイヤーの女の子でちょっと気になるんだけど、どこのなんという子か情報がないんだよね」と何の気なしに見せてくれた写真が、思いきりかつての同僚だった、ということがあった。誰かが個人的にギャラを出して撮影した写真を流出させたのか、安っぽくてきわどい衣装で知っている子が写っていた。彼女は地下アイドルのような仕事から風俗店に勤め、美容整形を受けて女優の道へ進むのが夢だと言って去っていった子だった。
そのことを告げるとゆきよさんは、なるほどじゃあできれば掘り起こされないべきものってことだね、と言い、たしかその場で写真を消去してしまった。なんでもないことのように(たぶんあれは、誰かから調べてほしいと頼まれたものではなかっただろうか)。
自分のことではないし、その女の子ととくべつに仲が良かったわけでも全然ないけれど、心の中の穴が塞がれたような気がして、得がたいできごとだった。

 

けれど、それからわたしたちのゆるいやり取りは急激に頻度が減っていく。
わたしは風俗業をメインの仕事にし、減るもんを減らしながらも働き続けた。そこでセックスワークに伴うたくさんのおもしろさや苦しみやつらい謎に行き当たった。自分なりに考えることがたくさん生まれ、それをネット上に書き綴り始めた。読者ができて、同業の友だちが、先輩ができた。年齢も重ね、15歳年上の人ともいくらかは、少なくとも20歳の時よりはお互いに対等にいられるようになった。椎名こゆり、というペンネームができたころには、ゆきよさんとのメールのやり取りはもう完全に途絶えていた。

ゆきよさんの文章は、変わらず読んでいた。昔に比べると、読んでいて苦しくなったり、心の揺れが迫りすぎて切ないこともあった。そうか、これのことか、と思った。このひとをほうっておけない、ほうっておいてはいけないんじゃないか、という気持ちにさせられることが増えて、ドキドキしながら読んだ。そして、そのほうっておけなさはゆきよさんの変化なのか、以前のわたしには読み取れなかったものなのか、わからなかった。

それでもゆきよさんは憧れのお姉さんであることに変わりなかった。声をかけたいな、と何度も思って、それにはtwitterで話しかけるのがいちばん気楽でいいような気がしたけれど、twitterでのわたしはもうすっかりすべて椎名こゆりであって、ゆきよさんの知る「ユリちゃん」ではなかった。いつかはまた話せたらいいな、きっとできるよね、もしかしたらもっと年を取って、おばちゃんになって、ふたりの内側が「おねえさんとコドモ」でなくなれば。背の高いおばちゃんと背の低いおばちゃん、くらいになれば。そんなことを思って、気持ちをたたんでしまっておいた。

こうして書いていてはっきりとわかる。わたしは怖れていたのだと。

まだ風俗嬢やっているんだよ、と言うのが怖かった。
いつか心配してくれたような未来にはなっていないよ、と説明できる自信もなかった。
ゆきよさんにがっかりされるのがこわかった。
もしもそうなってしまったとき、受け入れられるかどうかとても自信がなかった。

自信がなかったんだよ。自信。じしん。

 

最後のほう、ゆきよさんは何度かわたしに言ってくれた。

女の子は自信を持つに限ると思うんだよねー。
根拠なんかなくてよくて。根拠のない自信を持っている子が、人に大切にされたり、愛されたり、成功したりで、幸福になる気がするんですよ。いやユリちゃんはかわいこちゃんだから大丈夫だとは思うけどさー、やっぱ、時々、ちょっと心配になります、おねえさんとしては。
ズーズーしくね、なりなね。そのくらいで、ちょうどいいんじゃないかと思います。
ユリちゃんの未来が幸福であるように祈ってる。だから、自信を持って。

そんなようなことを。

 

ゆきよさん。わたし、持てなかった、自信。ほかでもないあなたの前で。ごめんなさい。
あんなに言ってくれたのにね。

わたしの知っているゆきよさんは本当にほんの一部だけで、お話できた時間もごく短い。それ以上に近づいたとして仲良くなれたのかどうか、ゆきよさんはわたしのような人を好きだと思ってくれたかどうか、少しも自信がないのだけど、ああ、また自信って言っちゃった。そこからは、なにが見えるのかな。クレージュのアイシャドウはずっと前に廃番になって、後生大事にひとつだけとってあったんだけど去年捨てちゃったよ。もしなにかの拍子でわたしのこと思い出したら、そいでそのうち時間ができたら、またちょっと祈ってくれますか。わたしもわたしの未来について祈るから、一緒に祈ろうよ。ねえズーズーしいってこんな感じで、いい?

 

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Facebookで北尾修一さんという方が書かれていた文章を読み、そこに綴られていたのはわたしの全く存じ上げない面のゆきよさんでしたが、読ませていただくことで気持ちの整理をお手伝いしてくれるように感じられましたので、わたしもこのように個人的な思い出を振り返りました。
北尾さんが「リクエスト」されていた曲、わたしは初めて聴いたのだけれど、すてきだった。

2015-04-05 | カテゴリ: まじめなはなし, むかしのはなし | |