まじめなはなし

HPVワクチンの話(1)

わたしが子宮頚がんというものを強く意識し始めたのは、2010年のことだった。

前の年の終わりに日本でサーバリックスの接種ができるようになったニュースに対しては、ようやくだ、よかった、という感想を持ったものの、自分には(この先子どもを養育しない限り)直接関係のないこととして受け止めていた。「10年遅いよ」と思った。
わたしはもう、大人になってしまったから。10年前ならば間に合ったのに。という気持ち。

ところが、このことについてもっと考える機会がもたらされることになる。2010年の夏、子宮頸がんがもう一歩わたしのそばへ近づいてくる出来事があった。
それこそ10年ほど前から好きで見ていたウェブサイトを運営している女性の日記ブログに、その病名は出てきた。少し前から、病院でのごはんやベッドの写真、入院するよという記述などがあって「今日はお泊まり!」だとか「思ってたよりボリュームあって太っちゃいそう」なんて元気にお茶目に書いてくれてはいたのだけれど、どうしたのかな、とちょっと心配していたところだった。そして、記された「子宮頚がん」という文字に、わたしは息を飲んだ。

同じ病気でいま、穴が空くほどパソコンを見つめている方のために少しでも役に立てれば……と、彼女は病名を公表した理由を語っていた。
わたしよりも少しだけ上の世代。がん患者という言葉のイメージからはほど遠いまるでまだ幼い少女のようなあどけない表情も持つ、とても可憐な方だ。日々綴られる文章もとても好きだ。ただただ、驚いた。
(他のがんに比べ20〜30歳代に多い、ということもわたしはそれまで実感していなかったのだ)

お会いしたことも直接言葉を交わしたこともないけれど、ネットに触れるようになったころからずっと知っていた「憧れのお姉さん」の身に起こったこととして、子宮頚がんはわたしの意識に「あんたがボンヤリ思ってるよりずっと近い場所にあるのだよ」ということを思い知らせた。

闘病日記は、明るく力強くそして優しかった。同じ病気と関わっている人と、これから関わる可能性のある人への気配りに満ちていた。その溌剌とした文章がわたしに、子宮頚がんにかかるということについて少しずつ教えてくれた。具体的に記録された事柄にふむふむとうなずきながら、その外にあるであろう辛さ悔しさ、迷いや不安、数えきれない痛み——ご家族の抱えるそれも——を想像してやりきれなくなったりしながら、読みつづけた。

(彼女は11月に手術を受け、それは成功した。もちろんそれで終わりではないから、今も通院されている。)

わたしだったら、どうしただろう?

そう何度も考えた。そうするうちに胸に浮かんだのが「ワクチンの接種について、もう一度じっくり検討する」ことだった。

こんなエピソードがあった。

手術を間近に控えた病院で、待合室にお金が落ちていたのだそうだ。
それは硬貨で、壁に立て掛けるように置き去りにされていたと。
落とし物かな、と手を伸ばして、だけど彼女は触れることができなかった。
「もしもこの10円玉が、戻ってきても変わらずここにあったならば」
誰かのそんな願掛けということも、あるかもしれない。
そう思いついて、そのままにしておいた、と。

わたしはさらりと書かれたその文章を読んで、ああ、ある。あるよなあそういうの、と思い、次の拍子には何だかだらだら泣いていた。
これまでの人生で経験した「病気になるということ」のすべてが、ぎゅっと圧縮されてふわーっと溢れ出てきたみたいだった。弱くなるということは、それまで知らなかった多くが見えるということだ。病気になっているときの世界は元気な自分が思うよりずっとずっと繊細で饒舌で、休みなく何かを語りかけてくる。これまで自分が過ごしたすべての待合室、その時の弱った自分が、悪い想像が、淡泊な現実が、受けては取り落とした優しさが、むくむくと起きて生え出す優しさが、持て余した「早くよくなってね」が、誰にも言えない「死ぬってどういう感じなのかな」が。それらのすべて混ざった待合室のあの匂いが、たちまちによみがえってきた。

もう一度考えてみよう。
わたしが入って使っている、容れ物のこと。
この身体のこと。
そんなふうに思った。

(2)につづく。

 


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2012-02-12 | カテゴリ まじめなはなし | タグ: Comments Closed