まじめなはなし

空から甘い実が落ちてくる

朝まで働いてくたくたになり、ベッドの中で最近好きなアプリ(みつばちになり花から花へハチミツを集め飛ぶという、運動神経をまったく問われない点がわたしに向いているグラフィックの美しいゲーム)をちょっと遊んでから眠りにつき、お昼ちょっと過ぎに目を覚まして、サイドテーブルのiPhoneを引き寄せてtwitterをぼんやりと見ていたら、そこに「ありがとう」という文字がいくつもいくつも、次々に流れてきた。それでスティーブ・ジョブズの訃報を知った。

わたしが初めてAppleの製品を見たのは近所に住んでいたお兄ちゃんの家でだと思う。パソコンというものは物々しくてかわいくないけどリンゴのマークはかわいい、と思った。高校生でG4を使い、それからiPod、iPhone。

だから、いろいろ素敵なものをありがとう、という気持ちももちろんあるし、あの気性の激しさとあどけなさや繊細さが同居したセクシーさ、圧倒的な鼻持ちならなさ、知り合いだったらきっと絶対いやなのに見ている分には惹き付けられるめちゃくちゃさを魅力的だと感じてもいたんだけど。
わたしはあの人に、それとまたちょっと違う形の思い入れも、まったく勝手に持っていた。
似たような病気を持っている、という理由で。

病名はぜんぜん違うし、わたしの持っているものはずっとずっと大したことはない格段に気楽なものだ。痛みや苦労は比べものになりはしない。幸いここ数年は安定しているし、昨日も今日も自由にヘラヘラと生きている。ただ、治療していく中でとる方法や、生活に強いられる不自由さの種類に、おそらくよく似た性質のものがあるのではないかなと思う、ということ。それに思い至って以来、なんとなく彼に対して「アップルのすごい人」以上の親近感を勝手に持ち始めた。

子ども時代に別の病気を患ったとき、医師に「エリザベス・テイラーという外国のきれいな女優さんも、同じ病気になったことがあるらしいよ、だからきみもきっと美人さんになるから、どうかがんばってくれ」と力技で励まされたことがあった。言葉にするのは難しいけれど心の重荷がいくらかおりたことを覚えている。そうか、わたしもがんばって大切に治してゆこう、ではないけれど、そんなような不思議な気持ち。
名前しか知らなかった大女優よりももうちょっと身近にそう思わせたのが、AppleのCEOだった。

調子が良くなくて気分がささくれているときや、病院のベッドで不安な時間を過ごすあいだ、傍らにあのタートルネックを着たジョブズ(みたいないけ好かない人)があらわれて「それ、痛いよね。わかるわかる……ざまぁ」とニヤニヤする姿を想像して時をやり過ごしたことがある。病院では圧倒的に時間がゆっくりと進むものだからひとり遊びができなくては辛い。もはや現実を離れた「きむずかしやのスティーブおじさん」というひとつのキャラクターがわたしの中に生まれた。外国の絵本に出てくるような、色鉛筆で描かれたスティーブおじさんは口をゆがめてわたしを笑う。

そしてときどき本物の彼の姿を見る機会には(もちろんインターネットでだけど)、黒いタートルネックに包まれたその身体をなんとなく見つめてしまった。ここにもあの痛みが、いいえきっと何十倍もの忌々しい痛みが襲ったことがあるんだろう、とつい想像してしまった。もうできるだけありませんように、ずっと穏やかでありますように、と祈ってみたりもした。まったくばかげているとわかりながら。
こんなに圧倒的な人であっても病気は等しく襲ってしまうんだなあ、という当たり前にも程があることを考えたりもした。

この先もしもひどい発作があってうんうん唸っている時、今度は雲の上、虹の彼方からきむずかしやのスティーブおじさんがやってきて「お、やってるね」と言ってくれる、そのくらいの余裕がわたしにあったらいいなあ。おいしそうなリンゴをひとつ投げてくれて、でもきっと運動神経のないわたしはそれを受け取れず床に落としてしまうだろう。眉をひそめて「愚鈍な人間め」と怒られる。取らせる気もない剛速球だったくせに。そうだったらいい。

世界中の人が悲しんでいて、その景色で彼が単なる経営者とはぜんぜん違う人だったんだなあと思った。なんだか、ロックスターのお葬式みたい。知らない人には何事だろうと思われながらも、初めて会ったけれど同じことを想っているとよくわかってる大勢の人たちと、一緒に街へ出て悲しみを口にする、とても淋しい中ででも少しずつ何かを埋め合うような光景。
ほとんどの人は実際に彼と対面したことなどありもしないのに、それでも「もう二度と会えない、二度と分かち合えない」悲しみがそこにあるんだと思う。
愛されて旅立った人を見送るためには、残された人々がともに泣いたり「悲しいですね」と語り合える場所がかならず必要なのだと思った。わたしの場合は今回それがiPhoneだったので、何から何までお世話になって、と言うしかないね。

あまりに規模が大きいから、悲しみの力をあまりよくないことに使おうとする人が出てしまったり、ご遺族の悲しみが邪魔されないといいなと思う。もっともっと一緒にいたかっただろうと思う。
それから、彼の存在に勇気づけられていたたくさんの患者さんたちが、どうか力を落とさずにいられますよう。

2011-10-09 | カテゴリ まじめなはなし | | Comments Closed