むかしのはなし

伊藤くんのこと

twitterで、なにか穏やかで優しい話をしたくなって、だらだらと書いた 。
いろんな人に好きと言ってもらえたので、ここにとっておきます。

伊藤博文くんの話してもいい? #

きのう夢に伊藤博文くんが出てきた。2年間同じクラスだった。伊藤くんはとにかく勉強が出来て、外見もそれっぽくやせ型で黒縁のメガネ、運動はあまり得意じゃないし大声では笑わないし女子には近寄らないという、絵に描いた優等生だった。 #

名前が総理大臣なことは、誰も大っぴらにはからかわないけど「……ねぇ?(笑)」という感じで。ちょっと気を遣わないタイプの先生は「お前すごい名前だな!ちゃんと勉強せんと恥だぞガハハ」なんて笑ったりしてた。最初の自己紹介の時に、ちょっと嫌そうに小さな声で名乗った顔を覚えている。 #

伊藤くんはクラスの「地味め・高偏差値・インドア」なグループの男子とあっさり仲良くしていて、わたしはなんというかちょっとキャピッとした位置にいたので接点はそうなかった。でもあるとき、話がまどろっこしく分からないと評判の先生の授業の後に、ふと広げっぱなしの彼のノートを見てしまった。 #

ノートの隅っこに書かれた「正」の字は、まぎれもなく先生が「要するに」と言った回数だった。すぐにピンときたのは、わたしも同じことをしてたから(ひとっつも要されてないんだよ!)。「今日は××回だったね」とこっそり話しかけて、それからわたしたちはちょっと仲良くなった。 #

ある時、ジェンダーフリーの授業というものがあった。学校のカリキュラムだったのか、当時の担任の考えで設けられたものだったかは分からない。男らしさ女らしさって何?男女平等って本当はどういうこと?みたいな議題で、自由に意見を交わす授業だった。 #

(ちょうどその頃「男女混合名簿」が議論されていて、わたしたちのクラスは試験的に一学期だけ導入されてみたりでちょっと翻弄されていた。でも男女の間にあまり壁のない、男子と女子という分かれ方で対立したこともないクラスだった。) #

担任教師は、なぜ会社員に男性が多いかから考えてみようか、と言った。女性は途中でやめるから?いや、そもそも就職の時点で男子の数が多い?大学に進む人の比率は?と話が進み、誰かが「男子の方が成績がいいからかなー」と言った。そこで担任は「伊藤、どう思う」と意見を求めた。 #

伊藤くんはそういう場面でどんどん意見を言うタイプではなくて、そのときもだいぶ時間を置いてから話し始めた。そして、仮説はいろいろ立ててみても結局はよく分かっていないんです、僕はそういうことを真剣に考えたことがない、というようなことを話したあとで、うんと間を置いた。 #

だいぶ時間が過ぎた。終わりなの?とみんなが思った頃伊藤くんは「ただ僕は、自分よりも椎名さんの方がずっと頭がいいと思ってます」と言った。とにかく驚いた。「だけど、だから働くべきとかは言いたくなく…」とかいろいろごにょごにょ言い、そのうちに下を向いて座った。担任がただ微笑んでいた。 #

そのあとしばらく伊藤くんはわたしと目を合わせてくれなかった。あんまり話もしてくれなかった。女子の間で「伊藤くんって話したらいい人なのかも」「かわいいとこあるかも」の声が出たことが恥ずかしかったんだと思う。そして「ていうかユリちゃんのこと好きなんじゃないの」の声も。 #

ここで書けるのはこのくらいかなあ……。 #

名前についてはだいぶ打ち解けてから「あのねえ、いくらうちが伊藤だからって、やっちゃうことはないだろうって言いたいよね親に!」「……でも、ちょっと後悔してる気配もあるからまあ許すしかないかな」と困ったような笑顔で話してた。それが本当にとてもかわいかった。 #

 

twitterに書いたのはここまで。

 

そのあとで伊藤くんは、「いいな、椎名って名字うらやましいわー。椎名博文、だったらすっげー普通なうえ丁度いい感じなのに」と口をとがらせて言ったんだった。
そうだね、たしかにそれカッコいい、と言ってわたしは、本当にこれは意地悪かもしれないと思いながらも、いたずら心を抑えずに彼にこうつづけた。

「でも今のって、なんだかプロポーズみたいね」

えっ、とすっとんきょうな声を出して伊藤くんは絶句してしまい、そのあと世にも取り乱した様子でちがう、とごめん、をくり返し、さらにあまり強く否定するのもわたしに失礼なのではと思い至ったようでいよいよしどろもどろになっていた。
申し訳ないことをしたと思った。ごめんね、と言うと、そうじゃなくて……と言って下を向いてしまった。

なによう、と手の甲を、つん、とつついた。こういうときは頬をつつくものなのだろうけど、できなかった。あまりにも、耳まで真っ赤だったから。
伊藤くんは、おそらく一瞬でとても迷って、わたしの指先を軽く軽くそっと、つつき返した。
そして「校則違反」と言って笑った。
わたしは大学生の彼氏にもらった指輪を放課後になるとつけていたのだ。

女の子のほうが、少しだけ早く大人になる、というようなこと。その最中に、いまいるんであろうこと。伊藤くんとわたしの間には、なんらかの行為はこれから永遠に起こらないだろうけど、だけどわたしは彼のことをたしかに好きだと思った。高校生が夢中で追いかける「好き」とは少し違うけど、でも負けないくらいいいものだと思った。

 

伊藤くんとはクラスが別々になって、あまり会わなくなった。卒業し誰もが納得する大学へ進学した以降のことも、今どうしているのかも少しも知らない。
たとえばもしもエゴサーチなんかしようにも、名前が名前なのでなんにも引っかかりはしないだろう。
でもわたしにとってその名前は今も、耳の真っ赤な男の子との思い出だ。

2011-09-20 | カテゴリ むかしのはなし | タグ: Comments Closed