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ワーカーズライブ:元気ですか

ガールズヘルスラボにて、10月のワーカーズライブを担当しました。

風俗嬢コラム Worker’s Live!!-Girls Health Lab: 元気ですかhttp://t.co/9Yh426NGAK

前月に御苑生さんが書かれたSex Workerが観るSex Work映画〜番外編「入院しています」を読んで、名前にまつわる何かを書きたい、と思っていたのです。

 セックスワーカーにとっての「本名」というものの重さ、それがどんなに重要なものか、当事者にとっての切実さに比べて一般的には理解されていないのかもしれない、と思います。そうです、日頃お客さんが何の躊躇いも気兼ねもなく軽〜く聞いてくるからです。ふふ。
twitterで本名を守るセキュリティの話をした時も、「なぜです?別にいいじゃありませんか」と言われたことがあります。あれこれ細かく説明する気力がなく「お客様が全員良い人とは限らないですから……」という答え方をしましたが、納得していただけなかったようでした。具体的な想像が全くできなかったのでしょう、本名にはさまざまな使い道があるということ。それを教えることでなにを明け渡すことになるかということ。

本名は、それ単体では大した意味を持つものではありません。わたしがタカハシカヨコだろうとカワムラエミコだろうと、世界の大多数の人には関係ありません。ですが、それが勤務先と源氏名と、そして顔と。紐付けされた途端、大変デリケートな情報になってしまいます。気にしすぎだと笑われようと、誰も守ってくれはしませんし、用心しすぎて怪我をすることはありません。
接客中、「じゃあまず名前と出身を言って」と、なにかのインタビューのように言われたことがありました。わたしはすぐに「盗撮もしくは録音されている」と警戒しました。実際には何もされておらずただの趣味の一環であったかもしれませんし、客を疑うとは、と責める人もいるかもしれません。しかし、わたしの警戒を間違ったものだと言われる筋合いはないのです。

それに、せっかく源氏名を用意して、対価に応じた範囲内で、お客様の私的な領域を出来る限り守った上で一回使い切りフレッシュパックの親密な関係を後腐れなく提供しようとしているというのに「本当の君が知りたい」などという安っぽい言葉で雑な化粧をした好奇心を満たしてさしあげるような義理も、ありませんしね。

 

本名の重さを分かっているセックスワーカー同士が、それを交換し合うこともとても珍しいことです。全員良い人と限らないのは、働いている人だって同じですし、挨拶以上の人付き合いをしないと決めている人も少なくありません。自分のことを話したくない人も、いずれこの仕事を辞めたらその期間のことはなかったことにしたい、そこで知り合った人とのつながりもなくしたい、という人もいますし、その気持ちはどんなときも尊重されるべきです。
なので「友だちになろう」というニュアンスを表現すること自体がとても難しく、名前を教え合って友人関係を発展させられる機会なんていうのはもう、いろいろと条件が揃って風が吹いたときだけに起こる、とても得難いものなのです。

わたしにも何度か、そういった経験があります。この原稿の女の子たちのように、遠慮し合いながらも本名を交換し、親密になれたこと。

ですが、わたしの場合は、苦い結末が待っていました。
その女の子(Aちゃんとしましょうか)はまだとても若くて、素直で心優しくて、「擦れていない」という言葉がどこまでもあてはまるような女の子でした。だから誰からも愛されていたし、わたしも可愛く思っていました。Aちゃんを含めた当時の仕事仲間はとても仲良くなり、待機室でいろいろな話をし、いくつかの個人情報を明かし合い、仕事の後にご飯を食べに行ったり、プレゼントを交換したり、その年頃の女の子が友だちとするようなことをしていました。

ある日、わたしの個人情報がネットの掲示板に書き連ねられている——罵詈雑言とともに——のを、別の女の子(Bちゃんですね)が発見しました。それはわたしが、待機室でしゃべったことでした。

書き込んだ犯人は特定できました。Aちゃんの大ファンのお客さんでした。彼女は、わたしとの雑談で知ったことを全く悪気なくその人にしゃべってしまっていたのです。彼女の熱心なファンだったお客さんは常々、あの子がいるせいでAちゃんが指名ランキング上位になれないね、とAちゃんに言っており、優しいAちゃんは「そんな風に言わないでほしい、シーナちゃんはとてもよくしてくれるのだから」と一生懸命に反論し、その話の中でわたしのことをいろいろと話したのだそうです。わたしを慕ってくれていたBちゃんは泣いて怒り、あんたのせいでシーナさんは取り返しのつかないことになった、責任を取れ、とAちゃんを責めました。いったい何の目的で秘密をベラベラとしゃべったのか、と問い詰められたAちゃんは、やはり泣きながら「シーナちゃんを嫌わないで欲しかったから」と答えました。

自分の個人的なことが強い悪意を持って晒されている様を目の当たりにするのは、たいへんに恐ろしく、おぞましく、嫌悪感と恐怖に満ちた経験でした。例えばわたしの年齢設定が21歳なのに対し本当は24歳であるということ(これは業界の習慣としては比較的良心的な部類に入るサバ読みで、またほとんどのお客様方も気にしない程度のものです)が暴露され、ババア、くそババア、更年期ババア、などと書かれていたあたりが比較的薄味な例です。
人間は、自分が絶対に脅かされない安全地帯にいると分かっていると、抵抗なく軽やかに他人を侮辱する言葉を紡げるようになるのだなとわかりました。
Aちゃんは自分のことも何ひとつ包み隠さずお客さんたちに喋ってしまっていたのだろうか、と思うと、責めることはできず、かといって「気にしないで」なんて言うことも、できませんでした。

わたしはその店をやめました。
店の備品のバスタオルを口に押し当てて、ごめんなさい、ごめんなさい、と泣きじゃくるAちゃんの姿を今でもはっきりと覚えています。
ほとんど同時にBちゃんもその店を去りました。内輪揉めでブチ切れして泣き叫んだ人、として同じフロアに入居する他店の人々の間でも有名になってしまい、居づらくなったのかもしれません。

 

今回の原稿では、ハードルを越えてプライベートに一歩踏み込みあうことを、美しい瞬間として書きました。ですが、手放しで「心を開くって、友だちになるっていいね」とまとめることはできません。そのことも表しておきたくて、この文章を書きました。セックスワークはその専門性により同業の者たちが情報を共有することがとても有用な仕事だと思うのですが、にも関わらずたいへんに孤立しやすい状況にあります。そのままならなさの根元には、さまざまな形の悪意や蔑視を向けられる機会が非常に多い職業だということが関わっているように思います。ストーリーは創作ですが、背景にある現実の問題についてひととき思いを馳せていただければ、とても嬉しいです。

 

余談です。後半に出てくるお客さんは、わかりやすい「なにやらみっともない人」として書きましたが、でもこれってきっと、接待系の業務にあたる人なら年齢や性別に関係なく覚えがあるであろう、平凡なやり取りなんですよね。びっくりしますね。本番強要や暴力行為に比べればまったくかわいいものですし、どんな甘え方をしようと自由ではあります。しかし正直なところこういうもの言いをされて優しい気持ち、あるいは能動的にプレイを楽しみたい気持ちになれるとは、やっぱり、言いがたい……ので、「一緒に気持ちよくなりたい」と本当に思っておいでなのであれば、おすすめできません。甘えたいが、お前のいる地面まで降りてやる義務はないぞ、という態度は、だいたいうまく行かないものです。

特に「俺は紳士なので嫌がることはしないのだ」とわざわざ宣言なさる方は多いのですが、大切なのは嫌がることをしないと言うことではなく、実際にしないことです。それは嫌なのです、と相手が表明したときに、反論や抗議や制圧の前にまず「ごめんなさい」と言うことです。それから説明をしても、誤解をとく時間はあります。これができない方が多いのです、それなのに「嫌がることはしない」とだけ押し付ける(そこには「だから自分に好意を持て/特別なサービスをしろ」というニュアンスが含まれています)ことのみっともなさ、わかっていただけるでしょうか。

あなたが嫌なことをしたくないが、気づかないうちにしてしまわないとも限らないし、嫌なこととは人それぞれにあると知っている。だからどうぞ率直に言ってくださいね、我慢しないで教えてくださいね。わたしたちのほとんどは、そういう気持ちでいます。お客様側の方も少し持ってきてくださるととてもありがたいですし、言語であれ肉体であれ、よいコミュニケーションはそういう気持ちのある場所にのみ生まれると、わたしは思います。

2014-10-10 | カテゴリ weblog, まじめなはなし | タグ: , , Comments Closed