きらくなはなし

【読んだ思い出】尼のような子/少年アヤ〔2〕

〔1〕からのつづき

直筆サインは、厳密に言うとお手製らしきはんこだった。著者直押しサイン。その下にアザラシの小さなシールが貼ってあり、サイン本につきものの薄紙をはさんだ向こうには、おみくじが挟んであった。かわいい。

アヤちゃんに会いたいなあ、と思いながら読んだ。大小さまざまな「サゲ」がページから溢れんばかりで、ああそういえばこんなこと話していたなあ、と懐かしかった。そのひとつひとつがすべて、アヤちゃんの手で慎重に丁寧に盛りつけされていた。

自虐ネタ、なんて気軽に言うけれど、自分の負の部分やそれが生んだ思い出を示しながら、見た人に負の感情でなく可笑しみや納得、思わずふふっと吹き出すような快い気持ちをもたらすのは、とてもとても難しいことだ。
アヤちゃんは今みたいにいろんな媒体で活躍する前から、自分の「サゲ」に対して正直で誠実な言葉を選ぶ人だった。
正直で誠実で、それでいて詩的な繊細さを纏っていて、切ないのに笑顔にさせられてしまう。
一見突拍子もないことを言っているようでいて、切実さがしんしんと胸に迫る。

どうしてか、わたしが一生懸命隠している「誰にも知られたくない格好悪い私」のことも、どこか少しだけ許されたような気持ちになる。そこから出てはダメ、人に知られてはダメあなたは醜いから、と暗い部屋から出ることを禁じたのもわたしだけど、窓くらい開けてもいいわよ、と言えるような気がする。

誰の人生だって、ほんとうはサゲ話の連続だ。格好つけてキレイぶって余裕ぶっても、生きてるだけでサゲ通しだ。見られているのは、他人のサゲ話を笑っている時のわたしなのだ。

などとマジメぶったことを考えるフリをしながら、あはは、うふふ、うんうん、と読んだ。アヤちゃんかわいいなあ、アヤちゃん好きだなあ、わたしに好きって言われてもたいした足しにならないかもだけど、だったらなおさら大声で好きって言っちゃうなあ、と。

テーブルに放置していたら、すかさずマミさんも読んでいた。冒頭の数ページをめくったところで「この子、いつかドン・キホーテで露出狂に遭った子!?」と言ったので、ずっと前にわたしが見せてあげたブログをしっかり覚えていたらしい。

自分の感性に対してとても素直な子、とマミさんはアヤちゃんを評していた。それは、文章の書ける若い世代の人には珍しいように思うから、これからもどんどん書かせてもらえるといいわね、と。そして最後に「肛門科の医者ひどい、ヤブめ、同じ目にあうがいい」と付け加えていた。わたしもまったく同意見です。

2014-04-08 | カテゴリ きらくなはなし | タグ: Comments Closed