weblog, まじめなはなし

【追記あり】ワーカーズライブ:お肉を食べる日曜日

毎月1日更新のワーカーズライブ、今月はわたしの担当でした。

Worker’s Live!! – お肉を食べる日曜日

このメッセンジャーログ形式には「LINEじゃないの?」とのご意見をいただきがちですが、LINEではないのです。メッセンジャーなんです。なぜなら、俺とパンダが好きだからです。とりわけこのコーナーのことが大好きだからです。みんなも読むといい。そして大人の皆さんはYahoo!メッセンジャーがこの3月で歴史に幕というニュースに過ぎ去りし時の長さを想ってしんみりしてしまえばいいんだよ!我々は今日も年を取っているぞ!

ええと、メッセンジャーがよくわからないナウでヤングな皆さんはパソコン版LINEだと思って読んでくれて大丈夫です。同じです。既読はつきませんが「相手がメッセージを入力中です」みたいな表示が出ます。どうだい便利だろう。

 

ユリコとヒロカズには2年前にも出演してもらったことがあります。

Worker’s Live!! – 彼氏・けじらみ・メッセンジャー

片方が風俗業に就いているカップル、というのをイメージしたとき、この2人のような関係はあまりリアリティがないと受け取られることもあるかな、とも思うのです。「本当に愛しているなら、辞めさせたいと思うはず」「辞めさせないのはお金が目当てだからに決まっている」という考え方がそれなりに普及しているし、そのような考え方に基づくなら、ユリコちゃんは全然愛されてなんかないしヒロカズくんはひどいやつ、ということにもなりかねません。

ある人にとって、パートナーが仕事として自分以外と性的なコミュニケーションを行うことが苦しみであるのなら、そのつらい気持ちそのものを風俗で働く人への差別心と同じに並べることはやはりできません。また風俗で働く人が、パートナーにそれを責められたり退職を勧められなかったために「ということは、自分は愛されていないのだ」と思って落ち込んでしまうケースも、中にはあるだろうしそれもまた辛いことだとも思います。
ですが、現職のセックスワーカーは誰との恋愛も成立しない、交際が継続される場合は愛情そのものが正しくない偽物である証拠だ、というふうに他人が判定することは、これも決してできない、してはならないことだとわたしは思います。

なにを職業としてどう働くか、最後に決定するのは本人の意思、本人の選択で、愛が理由であろうとも他人がそれを曲げさせたり支配することはできません。
(その「本人の選択」がなにかに狭められたり妨げられたりした結果のものだってことも少なくないけれど、そこはまた別の問題で。)
それに現実的な話をすると、風俗で働くに至ったその人ごとの理由を、パートナーの「愛」が補填できるケースって、そんなには、多くないと思うのです(できるならば、もちろんそれはとてもよいことです)。

 

この2人みたいなカップルなど本当にいるだろうか、と思われるかもしれません。でもまったくの荒唐無稽なものでもないはずです。わたしがこの業界で働き始めてから交際した相手はみなさんだいたいこんな感じでした。
仕事中の苦労をぐちってみたり、顧客から感謝を伝えられていっしょに喜んでみたり、馴染みの指名客が身体を壊したときにはひそかに一緒になって心配したり、そんなこともありました。

誤解されたくないなと思うのは、わたしと恋愛関係になった後も「仕事を辞めてくれ」と要求しなかったからといって、わたしの恋人たちが「何も感じていなかった」わけでは決してないということです。
わたしが風俗で働くことを手放しで歓迎していたわけでも、何をしようと個人の自由だからと無関心であったわけでもありません。
彼らの心の中にはそれぞれに、長い時間考えて辿り着いたものや、辿り着かずに積まれた課題があったと思います。わたしと同じくらいに。とてもここへ書ききれないほど多岐にわたって、心配や問題は山積みです。それらもまた、愛ひとつでどうにかできるものではありません。
たとえば、恋愛には肉体関係が伴う場合が多いですから、セックスワーカーとそのパートナーには健康面での課題も生まれます。たとえば、時には友人知人に紹介するにあたって、別の職業についている設定にするような場合もあります。
これらを「セックスワーカーとそのパートナーは衛生管理や健康に無頓着で、友人を騙しても平気でいる非道な人間だからそういうことができるのだ」とすんなり結論づけられることもあります。それはとても悲しく、苦しいことです。

 

内心では大きな苦痛がありながら、わたしの職業選択を尊重するために何も言わずにいるのを見過ごしているとしたらいやだなあ、と思い、そのときどきで交際中の相手にきいてみることがあります。

「わたしが風俗で働いていることが本当はいやですか?」という質問はプレッシャーを与えてしまいそうなので、かわりに「わたしが風俗で働いているがために、あなたにとっていちばんマイナスになっていることはなんですか?」と。

「こゆりちゃんがどんなにお客さんのことを案じていても、満足させられるように心を砕いていても、それをはなから踏みにじることしかしないような人間がいるということ。そういう人が顧客になる可能性をなくせないということ。そこに対して、僕が何もしてあげられないということかなあ」

そんなような答えが返ってきて、嬉しくもあったし、でもなんだかつらくもありました。
わたしもまた、それ(そういう人が顧客になり、こちらを傷つける可能性)に対してどうすることもできない、無力でしかないから。
今はまだ、無力さをわかちあうしかありません。

 

さて、Yahoo!メッセンジャーは3月で終わってしまいますが、msnメッセンジャーは今どうしているのかと思い検索したところ、とっくに終了していました。ああ。我々は今日も年を取っている。

ですがわたしがいちばん懐かしく切なく思うのはいちばん先(2007年)に消えてしまったデリポップです。
デリポップ、青春でした。今でもあのポロリロポロリン♪という音が心で鳴っています。大富豪になったら復活させたいウェブサービスのリスト上位にいつもいるデリポップ。

ニフティはデリポップなき後も「ドーナッツ!」を残してくれているので(超ありがたい)、今でもマイボーやノッキやウーリーに会えます。書籍も出ていて、2冊とも何度も読んで大切にしています。ドーナッツタウンはわたしの心の中にあるよ!!

オンライン絵本「ドーナッツ!」

 

【追記 2/5】( 一部不明瞭な表現があったので加筆修正しました。本文中の「無力さをわかちあう」ことをロマンチックに捉えた肯定的な、賛美するようなご感想を何通かいただき、わかちあえる関係についてよいと感じていただけたのなら、ありがたく思います。しかし、無力さをわかちあうこと自体は決して喜びではありません。わたし(たち)は客となった人からの侮辱や暴力をおそれていますが、誰もがそうであるように事前に回避する手段を持ちません。その不当で不本意なおそれを前にささやかな連帯を得られたとして、「災い転じて福となす」とは違うものなのです。特に第三者から「世にある差別のおかげで絆が深まる」といった評価を受けるのはたとえご冗談であっても非常に悲しく思い、また憤りを感じます。配慮をいただけたらうれしいです。

 

2014-02-03 | カテゴリ weblog, まじめなはなし | タグ: , , Comments Closed