weblog, まじめなはなし

エレベーターを降りて

つい先日、仕事中にあったことを書く。

呼ばれたのは、よく行くホテル。東京のデリヘルで働いていれば馴染みがあるであろう、品川駅近辺のメジャーなホテル。

時間はまだ日付が変わる前。エレベーターに乗ってボタンを押す。すぐあとから、やや年配の女性も乗ってきた。どうやら同じ階で降りるらしい。
目指す階に着いてドアが開き、ボタン付近にいたわたしのほうが後から降りることになる。にこやかに会釈して女性が降りた。わたしもそれに応えてからそっと降り、そこにある自動販売機で飲み物を買う。その人に、先に行ってもらうためだ。

お客さんの待つ部屋に入るところは、誰にも見られたくない。
ノックしてこんばんはなんて言いながらおずおずと部屋へ入る姿を見れば、よほどでなければわたしが「詳しくは知らないが、何らかの性的なサービスをして賃金を得に来た女」だとわかるだろうから。それを、不快に感じるか特にどうとも思わないかはそれぞれあるだろうが、少なくとも快く思う人はいないと思うから。だから、気を遣う。こちらとしても、ドアの前で最後に深呼吸をして気持ちを集中させるあの瞬間はできればひとりでいたい。
それでもたまに、お客さんがノックに気づかなかったり寝てしまっていたり(深夜だとたまにあるのですよ)でしばらく開けてもらえず、別の宿泊客が通ってしまうこともある。ちょっと、申し訳なくなる。

時間を稼ごうとゆっくり飲み物を選んで(いるふりをして)いたが、その女性は廊下を歩いてはゆかなかった。わたしから少し距離をおいた後ろで、小銭入れの中をあらためている音がチャリリと聞こえる。
あの人も飲み物を買うところだったのだ。

これでは逆効果だ、後から来られたらドアの前で止まるわたしを見られてしまう。
でも仕方がない。できるだけ早足で歩いて距離を稼いだ方がまだましだろう、と一歩を踏み出す。すると、ちょうどまたエレベーターがこの階で止まる。今日はついていない日だ。

ドアが開き、大柄な男性が降りてくる。エレベーターホールで、3人の人間が交差する。

そのとき、あの年配の女性の声で、
「おつかれさま」
と、聞こえた。

えっ、と思い、でも足が進み始めていたので止めることができず、でも、素直に客の待つ部屋へと行けなかった。

自分に向かって言われたと、なぜか思ってしまった。

ふつうに考えると、降りてきた男性と同じ団体の人で、声をかけた、というのがいちばん納得いく。でもそうならば、男の人のほうがなにも返事をしないのはおかしいように思う。
だけど、わたしが言われたというのは、やっぱりどう考えてもありえない。ただエレベーターに乗っているだけであればわたしはただの「ちょっと荷物の大きなお嬢さん」だし、シティホテルにいる人間の荷物が大きいのはあまりにも普通だ。

もちろん、デリバリーヘルスという存在を大体わかっていて且つちょっと観察力のある人なら、わかるだろうと思う。それか同業者であれば、もうすぐにはっきりとわかる。
でもあの人が、上品な服と眼鏡の、まるで少女マンガに出てくるお嬢様学校の理事長先生に似合いそうな佇まいのあの人が、わたしをデリヘル嬢だとわかってさらに慈悲の心(大袈裟だけどそんな感じのことだと思う)によって、お疲れさま、と声をかけてくれるなんて。
そんなことって。

でも、でも、どうしてか、わたしが言われた、と思ったのだ。その時。
わたしがおめでたいだけかもしれない。それならそれでも。

 

大柄な男性は歩くのが速く、わたしをひょいと追い越して先へ行ってしまった。
わたしはドアに記された番号をもう一度確認して客の待つ部屋の前に立ち、左手でノックをしようとしてでももう一度振り返った。

女性の姿はなくて、まだエレベーターホールにいて一服しているのだろうと思った。
あのう、さっき、わたしに言ってくださったんですか、おつかれさまって。
そう訊いてみたかった。
この街で働くセックスワーカーたちが同業かもしれない見知らぬ誰かとすれ違う瞬間、知ったホテルの前を通過する瞬間、休日に例えば東京タワーを眺めているとき、あてのない祈りのように思う「みんな無事でありますように」が集まって人の姿になってわたしの前に現れたのかもしれないと、そんな風にも想像してみた。
わたしもいつも、その祈りをせずにいられない気持ちを手放せずにいるから。

待っていた仕事は、容易なものではなかった。
客は無口で、わたしと目を合わせず、行為は力任せで、体格差も大きくわたしは疲弊した。神経を尖らせて次にどう出ようかと頭を絞りながら、さっきのゆっくりと優しい「お疲れさま」の言葉をたぐり寄せては何度も頭で再生した。大丈夫だ、と言い聞かせるように。

そしてへとへとになり、また同じエレベーターに乗り、帰った。

 

2013-04-24 | カテゴリ weblog, まじめなはなし | タグ: Comments Closed