weblog, むかしのはなし

T先生のこと

思い出す夏がある。とてもつらかった夏。わたしはとてもつらかった。

持病の具合が思わしくなく、どうにもこうにもつらかった。病気休暇を使いきったので会社も辞めてしまった。体重と貯金だけが着々と減ってゆき、あらゆる方面への不安だけが募って、痛みと不安に耐えるほか何もすることのない日々に徐々に現実味を感じられなくなった。主治医の先生は常に忙しくて直接の病状以外のことは相談しづらかったし、先生としても「もう少しだけ辛抱しましょう」と言うよりほかにないだろう、とわたしも解っていた。

当時の恋人はわたしが大手と呼ばれる会社を退職したいと告げた途端におおいに責めた。ケガ以外の疾患はみな気持ちの弱さから来ている、と信じてわたしの家庭環境だの生育歴だのに原因と責任を見出そうとしてきたので、お別れした。あんなに叱責されたわりに承諾を得られなくて大変な思いをしたけれど、別れ話をするだけの体力が残っていたことがどんなに幸運なことだったか、ずっと後になってから身にしみた。

そんなこんなで疲れ果てたある日、わたしの身体はそれまでになかった、わけのわからない不具合を起こしはじめた。正確には、それまで気のせいだと思っていた軽微な異常はみんなわたしというシステムが過負荷運転していることのサインだったことにようやく気がついた、ということかもしれない。
しかし、そのコントローラーはもはやわたしの手にはなかった。
色々な検査をしたがこれという原因が見つけられず「わからない。ストレスとしか……」と言われた。「そうだろうなあ」と自分でも思った。それは心の弱さを落ち度として指摘されているようで(身体が弱っている人の心が弱くなるのはふつうの反応なのに)、いつしかストレスをなくせと言われることがストレスになっていた。まるで自分が精神面の弱さで治療を邪魔しているかのような、病人としての務めを果たしていない者であるかのような(今思えば)無意味な罪悪感に陥っていた。

そんなときひとりの医師に出会った。

先生は鷹揚で飄々とした人で、必ずちゃんとよくなるから先の心配はいらないよ、今を少しでもましにすることを考えるほうがおすすめだよ、と言ってくれた。低血圧や貧血の薬も出してくれたし、簡単なツボやなんかも教えてくれたし、それと同じ声で不安や恐怖をはじめとした感情のコントロールの話もしてくれた。だからわたしは触れられる自分・身体と触れられない自分・心とに、とりたてて違った方法で接しないでおなじように労ることを徐々に試みるようになった。観察して、考察して、試行する。みて、かんがえて、ためす。

それは砂浜の粒をひとつずつ摘まむような、終わりもなければ成果もないことに感じた。まだ今もずっと、練習の途中だ。でも先生は、半信半疑のわたしから少しずつ荷物を外してくれた。

風俗の仕事を始めた時、先生にはそれを話した。
それについては「そうなんだ」「いいと思います」と言っていた。
怒られたり咎められたりはしないだろうと思っていたけれど、心配されるかもしれないという予想が外れたのでちょっとだけ、あれ、と思った。
そうかしら、いいと思いますか、と言うと、ええ、と軽くうなずいて「椎名さん人気出ると思いますよ。聞き上手だし」と、淡々とやわらかく言った。いつも相談し訴える一方だったわたしをなぜそう言ってくれたのかわからなかったけれど、その口調が、前や上ではなく後ろから見守られているようで、ああ、とわたしは小さな力を得た。

風俗の仕事をする、それについてたくさんのことを考え、知ってゆくということの大きくて深い海のような山のような途方もない世界を前にして、「がんばってみよう」という心持ちになることを後ろめたく感じなくてよいということ。それは貴重な安心だった。
そしてありがとうございました、と椅子から立ち上がって診察室を出ようとした時、先生は「うん、そうだね、大丈夫だ、よかったね、きれいになって」 と言った。わたしの後ろ姿に、そう言ってくれた。わたしの身体がバランスを持ち始めていることを、きれい、と表現してくれたんだと思った。
ああ、だって、初めてここに来た時のわたしは、30キロにも満たないでやっとやっと生きていたんだもの。

 

先生のところに定期的に通わなくてもよくなってからしばらく経った頃、先生元気にしているかしら、久しぶりに漢方のお薬もらおうかな、と思って予約をとって、わたしは驚いた。
先生の体調がよくなく、突然に引退された、と知った。

その日も、初夏の少し蒸し暑い日だった。どのくらいぶりかに訪れたそこはわたしのよく知っている場所のままで、だけどもう診察室のドアの向こうに先生はいなかった。顔見知りの看護師さんが、先生から託された患者さんたちへのお手紙をくれた。

病気を患っているということ。どうすることもできない状態だとわかったこと、時間があまりないので家族のために使いたい、ということ。迷惑をかけてしまい本当に申し訳ありません、と何度もおわびの言葉が書かれていた。何度も何度も。
あの日、言いようのない不安感とともに座っていたのと同じソファで、わたしはその手紙を読んだ。それはまぎれもなく”先に行く人からのお別れの手紙”で、いくら読んでもそうで、どう受け止めればいいのかわからないでいた。
「先生になにもお礼を言えなかったです」と言ったら涙が出てきた。 看護師さんは「ぜんぶ伝わっていたと思います」と言ってくれて、その場にいる人みんな辛くなって目を潤ませているのがわかった。

先生があの建物にもういないなんて。
あんなにわたしをみんなを何人も何人も助けてくれた先生を、助けてあげられる人がたったのひとりもいないだなんて、そんなことってあるの? そんなのありなの?

そう思ったら悲しくて、ほんとうにわたしは何もできないと思って、何もできない自分を重たい荷物のようにひきずって駅まで歩いた。でも何もできなかろうと何かができようと、それは別にいいんだよ、と言ってくれたひとだった。

先生、わたしはちゃんと生きていて、けっこう、しあわせだよ。
できるだけ楽しく、できるだけ長くそうできるようにするよ。
それをもっと早く言えていたらよかった。

同じ季節が来るたびに思い出して、あなたに助けてもらった心で後悔して、もう何回かの夏をわたしは生きていくのかもしれない。そうだとしたら、ぜいたくな夢みたいなことだと思う。

2012-06-29 | カテゴリ weblog, むかしのはなし | | Comments Closed