weblog, まじめなはなし

あくまでもひとつの面としての、絶望のおはなし

(あまりいい話ではないので、読んでいて嫌な感じがしたり思い出したりしたら無理せずすぐに閉じてください)

最近のtwitterでわたしは、

わたしの了承なくわたしの姿を撮影することは誰にも許せないし、記録されたものがこの世に存在することを拒否したい。絶対に。「そんなの現実的に無理、きっと既にされてる」って意見は聞きたくない、わかってる。嫌だ!って話をしてるんだ。

と書いた。書きながらちょっぴり苦しかった。きっともう既にされてるのだから今さら気にしても無駄な労力だぞ、なんて冷静な誰かに言われる(そういう類の、おそらくは善意の助言をもらうことは多い)までもなく、そういう写真や動画がこの世にいくつか存在していることを知っているから。

うつ伏せの姿勢をとっている時にシャッター音が聞こえ、今の音はと訊ねても「は?何言ってるの?」としらばっくれられた時のこと。そこから「いいえ貴方は盗撮したはずです携帯電話を出してくださいそして見せてください」という主張をすることはできなかった。

どうしてもどうしても撮らせてくれ、お願いだこの通りだ恥を忍んで頼む、と叫びながら額を擦りつけんばかりに土下座をされた時のこと。どこまでも聞こえそうな大声でそうされて、わかりましたわかったからもうやめて下さい! と口にしてしまった。

遊んだ女の子との写真コレクションしてるんだ、僕も写るんだからもちろんいいよね、と隣に立たれ携帯電話をクルリと向けられて、断る理由とそれを説明する言葉が少しも出てこなかったその何日も後で、あのときの戸惑いの正体は「なぜ」「やめて」だった、と気づいた時のこと。まだこの仕事を始めたばかりで、2人の写真を望むお客がいるということも、ましてその写真がどんなことに使われたりどのように流出する可能性があるのかということも、想像したことなんてなかった。

「俺ってさ、口より先に手が出るタイプなんだよねー、ハッ」と鼻で笑われながらカメラを向けられた時のこと。
硬直している間にシャッターは切られたが、何だよその目は、と言われないための笑顔を作ることに忙しくてそれどころではなくなっていた。

 

話せばきっとわかるはずだよ、と心の優しい人は言うだろう。
きちんと話せばわかってくれた人も、中にはいるだろうか、いるのかもしれない。
しかしその「きちんと話す」の内訳は、つまり立場の弱いものから強いものに対する、要求の却下だ。「なぜならわたしはあなたを信用しません」だ。

交渉、というものは、席に着くものたちが対等な関係でない場合、急にものすごくむずかしい厳しいものになる(わたしたちを対等な存在とみて尊重してくれている場合については、そもそも禁止事項を堂々と要求してはこないものだ)。まるで「生意気な口答え」のように受け取る人々も中にはいるだろうと思う。彼らの中にはこれまで仕事の付き合いや様々な店舗で相手(特に女性の)からNOを言われたことがない、という人がいて、不幸なことにその理由を、自分が間違っていないからだと思い違いをしてしまっているケースも見える。

(脱線:こういう場において、サービスを施すものと受けるものとの間に確かな信頼関係がないことや心をゆるしあってはいないこと、それは少しもわるいことではないしあたりまえだとわたしは思っている。
この状況、この関係性で信用を得るに足りる証拠をそろえるのは、誰もできないのが普通で当然のこと。ノーベル平和賞をとった人でも不可能なこと。売り手と買い手がお互いに向けるのは、玄関にかけるカギのような種類の、広く一般に向けた対等な警戒のひとつなんじゃないだろうか。あちらだって突然わたしたちに身体を傷つけられる可能性があるし、例えば決して財布を見せない人もいる。けれど、さして傷つくこともない。それでいいのだ。
100%まじりけ無しの信用をしあえていない相手にだって、安心してもらえるように努めつつ一定の献身や気遣いだとか、楽しさやよろこびの提案を試みることは可能だ。その対価をいただくのがサービスだと思う。だけど客となる人のみんながこの考えを受け入れてくれるとは、いえない。100%の信用と受容、時には愛なるものまでも求められる場合がとても多い)

 

それまでの仕事がどんなによい雰囲気でうまくいっていても関係ないし、こちらが初心者でもベテランでも関係ない。自分にじゅうぶん懐いている(と見なしている)相手にふられることや、自分よりも下位の(と見なしている)相手に拒絶されることは、おそらく不愉快なショックとなって彼らの自尊心を傷つけてしまうのではないだろうか、と想像する。

そうするとここからが恐ろしいところで、態度を豹変させ、攻撃に転じる者がわんさとでてくるのだ。彼らの恐ろしさと、ついて回る「最悪の可能性」を特にセックスワーカーたちはよくよく知っているし、キャリアを積むほどに多くの例を見たことがある。それはセックスワーカーでなくたって、知っている人はたくさんたくさんいることだろう。おなじかたちをした恐ろしさがある場所にいたことのある人はたくさんいるだろう。インターネット上でだって、このような現象はしばしば見られる。
(とても極端な例だと、つい先日、twitterで自分をフォローしてくれなかったAV女優に対して態度を一変させ差別発言を繰り返した人物を目にした人は多いだろう、あれの画面を通さない版だ)

もちろん中には冷静な人もいて、理解が得られたり、理解のポーズをとって穏便に引き下がってもらえることもある。わかったよ、と機材をしまってくれる人々もいる(その後の時間は針のむしろかもしれないが)。

しかし「この人は話せばわかる」なんて、どうして事前にわかるというのだ。

 

このように、
客側の人が、本来はやってはならない契約内容にないサービス(いうまでもなくそれは盗撮に限らない)を要求したという時点で、
結末はもうほぼ決まってしまっている。

受けても大変だし受けないでも大変だ。バラエティ番組で芸人さんが身体を張るクイズのように、どっちの出口に体当たりして突き破ろうともそこは両方つながった泥の沼なのだ。問題が出た瞬間すでにそれは決まっていて、しかもわたしたちには笑ってくれるギャラリーもいない。だから大半は、せめて「最悪の可能性」の少ない方へ進みたい、と願うことになる。

 

かくしてわたしの頭は「写真を撮られないこと」を切り捨て、より優先されるべき方のみへ向かう。「無事にこの部屋を出て安全な場所へ帰ること」 だけを目指すようになる。自分よりうんと強い相手と密室にいる裸のわたしの頭は。

それは、拒否の断念だ。拒否の表明(を継続すること)の不本意な断念。感情のアンテナを伏せて感度をギリギリまで低く絞り、最もかなえたい目標だけに集中すること。身の安全と安心と引き換えに従順と愛嬌を披露し、ひとときなにかを、手放すこと。

だけど一方でわたしは知っている。

 

彼らはそれを「合意の上」と呼ぶ。
人々はそれを、信じる。

 

 

(幸いいくつかの事例については店に告げて対処されました)
(この文章は決して風俗店を利用する人全般についてではなく、その内の一部である「禁じられたサービスを要求してくる人」について書きました。マナーを守っている多くの人々について暴力的なイメージを持たれるのは本意ではないことを念のため付け加えます)

2012-05-03 | カテゴリ weblog, まじめなはなし | タグ: Comments Closed